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5 隠されていること




『リビー夫人のお茶会』

『貴族の作法』

『ウォーズリー伯爵家』


 私は読み終わった本を積み上げ、また新たな本を手に取った。

 今日は私室ではなく屋敷の図書室で本を読んでいる。シャロンにつれてきてもらった後、彼女は別の仕事があると申し訳なさそうに出ていった。

 図書室の中は静まりかえっている。

 利用者は私だけのようで、老齢の司書の女性はこっくりとうたた寝をしていた。



 がた、と正面の椅子が引かれた音に視線を上げると、癖毛の髪を尻尾のように纏めた騎士がいた。


「前、良いですかー?」

「フェラー卿。ええ、もちろん」


 シリルが持ってきた分厚い本は兵の指南書のようだ。


「今日は非番なの?」

「はい。午前の訓練が終わってこっちに来ました」


 ぱらぱらと本を捲りながら話すその様子はやはり気安い態度で、私は少し安心する。


「相変わらず勉強熱心なのね」

「奥様こそー」


 シリルの視線が私の積み上げた本に移った。

 無駄な知識だと思われるだろうか。私は少しの恥ずかしさを覚えて、彼の視線から隠すように本の山を移す。


「⋯⋯というか奥様の記憶ってどうなっているんです?」

「⋯⋯どうなって?」


 しばらく経って言われた言葉の意味が分からなくて、私はおうむ返しのように呟いた。


「俺のこと相変わらずって覚えているのに、エドウィン様のことは覚えてないんでしょう? どういう法則で記憶が無いのかなーって」


 ここで初めて私の記憶がエドウィンを中心に欠けていることに気がついた。彼に関することだけ意図的に記憶を消されている。


 頭に衝撃を受けたみたいにぼうっとする。


「⋯⋯分からないわ」

「魔女に魔法をかけられたんでしたっけ。分からないのも当たり前かー。⋯⋯少し気になって聞いてみただけなんで奥様は気にしないでください」

「ええ⋯⋯」


 すぐに興味が移ったのか会話をやめ、文字を追うシリルとは違い、私は先の会話が頭から離れなかった。

 ぼうっとして考えが纏まらないのに、ぐるぐると記憶のことが気になって、それからはページを捲ることができなかった。



「あら、いたんですね。フェラー卿⋯⋯。──アイリス様、そろそろお部屋に戻られますか?」

「⋯⋯ええ、そうね」


 シャロンの呼ぶ声に窓の外を見ると空が青から赤に変わり始めている。


「シャロンさん、俺の扱いが酷いなー。邪魔者みたいに言わないでくれよ」

「では行きましょうか。今すぐに」

「おーい、無視するな」


 シリルの懇願にシャロンがふん、と鼻を鳴らす。シャロンが他人にこんな態度をとるのも珍しい気がする。


「二人は仲が⋯⋯」

「良くないです」


 即答するシャロンに苦笑して、シリルは小さく口を開いた。


「俺は仲良くしたいんですけどね」


 シャロンはむ、と口を噤むと私の椅子の持ち手に手をかけた。彼女の方は仲良くする気は無いようだ。小さい子のような態度に私はふふ、と笑顔を漏らした。


「理由は分からないのだけど。ごめんなさいね、フェラー卿」

「っアイリス様が謝ることありません⋯⋯! 私とフェラー卿のことなのですから!」


 慌ててシャロンが口を挟む。


「いえいえー」


 シリルは柔和な笑顔で手を振った。

 私に接する騎士たちとは違う、柔らかな態度だ。

 シリルになら教えてもらえるかもしれないと感じたのだろう。心の中の質問が口をついて出ていた。


「フェラー卿は、他の騎士とは違って私を嫌っていないのね」


 おや、というようにシリルの眉が上がった。


「⋯⋯そりゃあ事件の真偽はどうであれ俺は奥様がそんな人じゃ──」


 バチーンと乾いた音がして言葉が切れた。


「いっったい!! 何すんだよ!」

「失礼しました。虫がいたもので」

「嘘つけ!」


 突然口を叩かれたシリルは口元を手で押さえてもごもごと言っている。


「シャロン! 何てことを」

「すみません。アイリス様は虫が苦手なので早く捕らえた方が良いと思い⋯⋯」

「ええ⋯⋯?」


 シリルの様子を見るに違うと思うが、至極真面目な顔をしたシャロンを問い詰めることもできなかった。

 仕方なく私はシャロンに救急箱を持ってくるようお願いする。


「申し訳無いわね、フェラー卿。見せてみて。血が出ていないかしら」

「大丈夫ですよ。これくらい」


 平気だと言いながらシリルは涙目だ。相当強く叩かれたらしい。私は口元を見ようと手を伸ばして、少しだけ顔を近づけた。



「──何をしているんだ」


 温度の無い声が図書室に響いてシリルがさっと私から距離を取った。がくがくと音が出そうなほど震えているが、見れば涙は引いたようだ。


「フェラー卿にシャロンが怪我をさせてしまって、治療をしようと」


 エドウィンが近づいてきて、シリルを見下ろす。


「シリル、治療が必要なのか?」

「い、いい、いいいいええ」


 だいぶ『い』が多いな、と呑気なことを考える前に、シリルは本を手に勢い良く立ち上がった。


「ご厚意に感謝しますが、本当に大丈夫ですので! これで失礼します!」


 言い終わる前に一礼して逃げるように図書室を出ていった。

 伸ばした手の行きどころが無くてゆっくり下ろす。

 エドウィンと一対一で向き合うのは久しぶりだった。慣れない距離に気まずくなる。


「⋯⋯こ、ここには、何の用です? 席が必要ならもう少しでシャロンが来るから、私が出ていくわ」

「いや、図書室に用は無い」


 ふい、とエドウィンは私から視線を逸らした。


「声がしたから寄ってみただけだ」


 救急箱を抱えたシャロンが小走りに図書室に帰ってきた。


「⋯⋯旦那様。失礼いたします」

「ああ」

「シャロン、救急箱は必要無くなってしまったみたいなの。今度フェラー卿に会ったらもう一度謝っておいて」

「⋯⋯。分かりました」


 渋々頷いたシャロンに微笑んで、救急箱を膝の上に乗せる。


「部屋に戻るのか」

「⋯⋯? ええ」

「⋯⋯ゆっくり休め」

「は、い」


 硬い声色で言われて反射的に頷く。そのまま私は図書室を出て、部屋に向かい、彼の言葉通り身体を休めた。


「あ⋯⋯」


 ジャロンがシリルに手を上げたことの一瞬で驚いてしまってシリルが何と言っていたのか覚えていない。

 その後も答えを聞きそびれたと気づいたのはベッドで目を閉じてからだった。




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