20 これ以上無い幸せ
「はー、一件落着ですね」
「遅すぎます。私の我慢の限界はとっくに越えていました」
涙を拭うシリルと、頬を膨らませるシャロン。無言のエドウィンと、私の四人でテーブルを囲んでいた。
お茶の用意をしてくれたシャロンを一緒にどうかと誘うと、遠慮の言葉を口にしたが無理やり席に着かせて今に至る。
部屋のそこらかしこに花が飾られているのは、伯爵家の騎士たちが謝罪と共に花を持ってきたからだった。どこかで私が花が好きだと聞いたらしい。
シリルは思いの外涙もろいようだ。目元が少し赤くなっている。
「エドウィン様も悩んでたんですよ」
「フェラー卿はいつも旦那様を庇います。そんなにお好きなんですね」
「あくまでも敬愛ですから! 勘違いしないでくださいよ!?」
誰に言い訳をしたいのか大声で言って、立ち上がろうとしたところ、テーブルに膝をぶつけている。
大丈夫だろうか。
私がシリルの様子を伺うと両側から気にしなくていい、と声をかけられた。
「シャロンさんこそ奥さまのこと大好きなようで」
「当たり前です。天地がひっくり返っても変わりません。アイリス様が地の果てに行くと言えば迷わずついていきます」
「⋯⋯ちょっと、シャロン?」
この大陸の果てなんて、まだ誰も到達していないのだ。壮大な話になってきた気がする、と私はシャロンを呼び止めた。
「なので旦那様? アイリス様を悲しませた瞬間、私はアイリス様を連れてこの屋敷を出ます。幸せにすると誓ってください」
一介の侍女に許されない屋敷の主人への物言いだが、エドウィンはシャロンを見て頷いた。
「肝に銘じよう」
聞いたシャロンが俯いた。泣いているのだ。
私はそっと震える肩を抱く。
「奥様。必ず幸せになってください」
「ありがとう。⋯⋯エドウィン様も勿論だけど、シャロン、私、貴女のことも好きで、愛しくて、何にも替えがたいくらい大切に思っているわ」
指で涙を拭う。
「あら、フェラー卿も、シャロンも目元が赤くてお揃いね」
シャロンに泣き止んでほしくて、わざと茶化すような声色で言った。
「一緒にしないでください!」
良かった。成功だ。
エドウィンと思いを交わして幾日かが過ぎた。
暑さの山は越え、季節は涼しい時期へと移り始めている。
エドウィンの腕に抱えられた私は身を小さくするように彼の胸へ身体を寄せた。
「どうした? 疲れたか」
「いえ⋯⋯恥ずかしくて」
歩いているのは王城だ。
すれ違う使用人が一瞬だけ驚きの目を向けて、流石、城勤めの優秀な人ばかりなのかすぐに姿勢を正して仕事に戻る。
「他人の目など気にしなくて良いが⋯⋯上着で隠すか?」
上着の前を広げようとするエドウィンに私は首を振った。
「もっと恥ずかしいからやめとくわ⋯⋯」
「そうか。ではすぐに帰ろう」
エドウィンが自然な動作で私の額に口づけを落とす。
「ちょっと」
「何だ?」
恥ずかしいと言っているのに、人目がある中でこんなことをするなんて。
私が睨み付けても、エドウィンは至って真面目な様子で聞き返してきた。
少し前に戸惑いながら触れてきたと思ったら、すっかり甘い触れあいに慣れたようで、何かにつけて口づけをしてくる。
その度に顔を赤くしているのは私だけのようで悔しい。
「あー、いちゃつくのは自分の家でやってくれるかな」
応接室に案内されしばらく待っていると、扉の開く音と呆れ声が聞こえてきた。
「っ殿下!」
私は慌てて姿勢を正そうとするが、エドウィンに強く抱き締められて叶わなかった。
「北西の防衛問題の為に呼び出したのは私ではあるんだけど⋯⋯甘い雰囲気を出すのは止めてくれるかい?」
「甘い雰囲気⋯⋯」
指摘されて萎縮する私とは反対にエドウィンは気にした様子もなく口を開く。
「さっさと終らせましょう。早く帰りたいので」
「伯爵⋯⋯随分な口を聞くじゃないか。まあ、良いけど」
それから国境の守りの話を一通りして、王子の用は済んだようだ。紅茶一杯にも満たない時間だった。
「それにしても、仲好くなったようで何よりだよ」
唐突に王子がそう言って微笑んだ。
「思いが通じて、オーウェン伯爵とも話をしたかい?」
この王子は全て知っていたらしい。
知っていて、微笑みの下黙っていたのだ。腹部を切り開いたら真っ黒では無いだろうか。そんな不敬な考えを頭から追い出して、答えた。
「はい。王都につく前に実家に立ち寄って少しだけ話をしました」
結婚式にも参列をしなかった父と、エドウィンが顔を会わせたのは初めてだった。エドウィンは長年の誤解を伝え、動かない私の足のことと共に、私を冷遇をしていたと頭を下げた。
私の父も、膝をついて頭を下げた。震える父の声を聞いたのは初めてだ。エドウィンの父親、元ウォーズリー伯爵を死なせてしまった、と。
エドウィンは父を許した。
そして、父は私にも頭を下げたのだ。父親らしいことをしてこなかったこと、罪人の娘という汚名を着せてしまったことの謝罪と、結婚してずっと心配していた、と言われて涙で視界がぼやけた。
その後、姉のディアナとも会って、ひどく泣かれた。心配をしてくれる人がたくさんいたことに気付いて胸が温かくなった。
「うん、良かった。後の憂いは⋯⋯その足かな。絶対とは言えないけど、君の足も動けるようになる可能性が高い。運動を続けてみた方が良い。身体が徐々に適応すると思う」
私は目を丸くする。
「どこまで知って⋯⋯」
「私も君と同じだからね」
目の前で手袋を外すと私の足と同じ蔦の模様が現れた。ひらひらと手を振っている。
全然気がつかなかった。違和感無く動いていたのだ。
「ま、流石に走るとまではいかなくても、普通に歩けるくらいにはなるんじゃない?」
「⋯⋯良かった」
エドウィンが私を抱き寄せて首元に顔を埋めた。流れでまた、口づけを落とされそうになって、私の手で彼の唇を押し退けた。
「⋯⋯⋯⋯」
不満そうに眉を歪めても駄目だ。王子の目の前なのだ。
「⋯⋯うん、帰りたいみたいだし、そろそろお帰り頂こうか」
苦笑して呟いた王子の言葉で、私たちは帰ることとなった。
「あ、伯爵夫人」
部屋を出ようとしたところで呼び止められて、エドウィンが露骨に嫌そうな顔をした。
「最後にちょっと、うーん、椅子に座ってもらって良いかい? 伯爵は席を外してくれ」
「できません」
間を開けずに入れた鋭い拒否に、王子がため息を吐く。
「本当に一瞬。必要な話だ。変なことは絶対しないよ」
無理やりエドウィンを言いくるめて、部屋に王子と二人きりになる。
何を言われるのだろう。首を傾げる私に王子がにこりと微笑んだ。
「貴女のお腹に子ができてるみたい。早い内に診察を受けると良い」
エドウィンと夜も共に過ごすようになってまだ数日しか経っていない。まだ医者にも分からないだろうになぜこの男には分かるのか。そう思うと同時に目の前で微笑みを浮かべる男は何でも知っているような気がした。
「⋯⋯アイリス? どうした!?」
王子が部屋に入れたらしい。エドウィンが駆け寄ってきて私の顔を見て息を呑んだ。
きっとエドウィンの瞳には涙を流して、顔を赤くした酷い顔が写っているだろう。
「エドウィン様⋯⋯お腹に、私たちの子供ができたみたい──っ」
言葉の途中で抱き上げられた。
「殿下、ありがとうございました。退室させていただきます」
早口で挨拶を述べたエドウィンに、王子は早く行けとばかりに手を振った。
「エドウィン様、エドウィン様⋯⋯?」
私を抱き上げたまま足早に城を出ようとするエドウィンを呼び止めるが、止まってくれない。
不安になって服を引っ張るとやっと足を止めてくれた。
「っアイリス⋯⋯本当にありがとう」
灰色の瞳が潤んでいる。彼の泣き顔を見るのはもう二度目だ。私はほっとして息を吐いた。
「嬉しいかしら?」
「ああ、勿論」
私から彼の唇に触れる。エドウィンは涙を溢して笑うと、雨のような口づけを降らせた。
───
「後悔の無い人生なんて無いわ。でも貴女には最後には幸せだったと笑ってほしいの」
暖かな日の当たる部屋で、読み聞かせをしていた女が唐突に言った。
「お母様も今幸せ?」
金色の瞳に焦げ茶色の髪色の幼子は編まれたお下げを揺らしながら首を傾げた。
女が自身の夫に目配せをする。答える言葉は決まっていた。
「ええ、これ以上無いくらいに幸せよ」
End.
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