16 真実
「わ、それが奥様からの刺繍ですかー。見事な物ですねー」
辺境の町への行き道の中間地点。屋敷から出発した隊は馬の補給のために休憩をとっていた。
ポケットから刺繍の御守りを取り出して眺めていたエドウィンは、後ろからの声に肩を揺らすと手の物をポケットに戻した。
「俺には見せたくないってことですか」
「いや、そういう訳じゃない。⋯⋯驚いただけだ」
「ふーん。まあ良いんですけど」
シリルが納得していない声色で呟いた。
守護の魔法をかけた宝石と刺繍を入れた布を贈るのは、愛する夫や家族に無事に帰ってきてほしいという願いが込められている。
手渡された時の笑顔は『エドウィンのことが心から愛しい』と思わせるような表情だった。多少なりとも自分のことを好いてくれているだろうか、とまで考えてエドウィンは大きく頭を振った。
──アイリスは憎むべき両親の仇の娘だ。
俺が愛してはいけない。今まで冷たく接しておいて好いてほしいなど、馬鹿な考えだ。
『必ず⋯⋯必ずあの人の仇をとって⋯⋯エドウィン』
「ルコーレか⋯⋯」
エドウィンの頭の中に呪いのような言葉が響く。
息を引き取る直前の母の言葉だ。
番の鳥は片方が死ぬと、もう片方も弱って死ぬらしい。母の最後はそんな言葉を思い起こさせた。
母が好きだったルコーレをじっと見つめる。
優しく刺繍を撫でる手付きは微かに震えていた。
「⋯⋯エドウィン様? 意識がどこかに行ってますかー? ──いっ!」
エドウィンが俯いていた顔を上げれば、近くで鈍い音がした。シリルが鼻を押さえて呻いている。
「あ⋯⋯悪い」
「痛ぇ。⋯⋯ちょっと。何かぼーっとしてますけど大丈夫ですか」
「ああ。⋯⋯そろそろ出発しようか」
エドウィンは立ち上がると繋いである馬の方へ向かう。
ぼんやりとしたエドウィンの様子を、シリルは不安そうに目で追って、気づかれないように長い息を吐いた。
盗賊の捕縛は伯爵家から連れてきた騎士を全て投入し一気に進めたことで、盗賊の逃げる間も作らせなかった。エドウィンは頭領と呼ばれる男に縄をかけ、村の警備隊に引き渡した。
「悪ぃな。ここまで出てきてもらって。助かったぜ」
手を振りながら近づいてくる男にエドウィンは驚きから眉を上げる。
「ベイン卿」
「卿なんて付けられる身分じゃねえ。ベインさんで良いよ」
「分かりました。ベインさん」
「素直だなぁ。良い子だ」
ぽんぽんと頭を撫でる手をエドウィンは丁寧に引き剥がした。
「俺をいくつだと思ってるんですか。もうそんな年ではありません」
「ま、いつまでたっても俺にはお前が孫みたいなもんだよ」
ベインは声を上げて笑った。
警備隊の長を務めているベインは、元はエドウィンの父の上司だ。国に支える騎士として腕を振るっていた。今は騎士を辞して辺境の町の警備隊をしているようだが、職が変わっても豪胆で闊達な性格は変わっていないらしい。
「懐かしぃなー。お前とはマークの葬式ぶりか。⋯⋯大丈夫か?」
「はい。もう四年経ちますから」
「そうか。マークも息子がこんなに立派になって鼻が高いだろうよ。そうだ、レイモンド⋯⋯あーと、オーウェン伯爵か、あいつには会ったか? あいつはマークが死んじまって相当まいってたから、どうなったか。お前の許しもありゃあ多少は報われるかも知れねぇが」
頬を掻きながら、声の調子を落としたベインは気まずそうに視線をさ迷わせた。
エドウィンは言われた意味が分からず眉間に皺を寄せる。
自身が思っているよりも緊張の含んだ声でベインに応じた。
「⋯⋯オーウェン伯爵になぜ俺の許しが必要なんです」
「何でって、あー、『マークが死んだのはあいつ自ら動いたことだ。レイモンドのせいじゃねぇ』って言っても聞きやしねぇ。責任感じて押し潰されそうなんだよ。お前の口から許してやりゃあ、少しは罪悪感が減るかもしれねぇな。ま、逆に許されることで負担に感じるかは分からんが。⋯⋯あの時は相当、レイモンドはお前とお前の母親のことを気にしていたよ」
「は⋯⋯」
エドウィンは浅く口で呼吸した。
ふらつきそうになるが一歩で踏みとどまる。頭に大きな衝撃を受けたようだった。
「レイモンドに非は無かった。あんな大規模な魔物の発生は誰も予測はしてなかったし、団長になって初めての討伐でよくあそこまで立ち回れたと褒めてやりたい位だ。だが、あのマークの死に方じゃあ、あいつも責任を感じるだろうな」
──うまく、言葉が入ってこない。
「いや、お前の前で父親を貶めたい訳じゃない。マークは優秀な騎士だったし、良い奴だった。最後の時までな。俺はあいつ以上の騎士は知らねぇよ」
「⋯⋯⋯⋯父は、何で死んだんですか?」
消え入りそうな声だった。
ベインが眉を上げて答える。
「何だ知らなかったのか? ⋯⋯レイモンドが魔物に食われそうになった子供を庇った時、二人の前に身体を滑り込ませたのがマークだった。レイモンドは子供を抱えて魔物に背を向けていたから、マークが間に入らなければまずレイモンドが食われていただろうな。魔物の牙に貫かれて、マークも死を悟ったみたいに自分ごと魔物を貫くよう言ってきた。結果その場で魔物は倒せたが⋯⋯おい、大丈夫か?」
エドウィンの顔色の悪さにようやく気づいたベインが慌てて声をかけた。
信じていたものが全て崩れた気分だった。
ずっと金色の瞳を恨んできたのだ。父が死んで、母が死んで、いつか敵をとることが両親に報いることだと考えていた。
恨むべきは国を襲った魔獣だったのだ。
ベインの話を聞いて、戦いの光景が頭に浮かんだ。
父は何度同じ場面に立っても、魔物から他者を庇うだろう。
エドウィンの考えるマークはそんな人物だった。
「──じゃあな。迅速な対応、感謝する」
盗賊の討伐に関する後処理は全て終わった。
馬を用意するエドウィンに、ベインは礼を言うと、小さな声で付け足した。
「もしレイモンドに会うことがあれば、さっきも言ったが声をかけてやってくれ。ほら、貴族達の間では馬鹿馬鹿しい噂があっただろ? ずっと気にしているだろうからな」
頷いたかどうかも曖昧だ。
エドウィンの手がポケットの上から刺繍の御守りに触れた。
オーウェン伯爵家を、アイリスを憎む必要は無かったのだ。
胸の中に押し込めてはち切れそうになっていたアイリスへの想いに出口が見つかると同時に、エドウィンは過去の自分を殺したい気分になる。
今まで何一つ夫婦らしいことをしてこなかったのだ。アイリスに心からの謝罪と改心を伝えなければならない。
エドウィンはルコーレの刺繍を握りしめる。
一刻も早くアイリスに会いたかった。




