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13 この心を押し込める




 王命の結婚は完全に政治的な思惑からだった。


 歴史を見ても、騎士の家系が力を付け、革命を起こした例は多い。

 両伯爵家の力を削ぎたい王家の考えがあったが、伯爵より家格の低い貴族家には未婚の年頃の令嬢、令息はいなかった。

 高位の貴族と縁を結んだり、他国との縁を結ばれるよりは同じ伯爵家の国内での結婚の方が都合が良い。

 豊かな土地を持ち、影響力を増してきているウォーズリー家に、伯爵が騎士団長職を辞したことで力が落ちてきたオーウェン家を嫁がせ権力の均衡を保とうと王家が介入してきたのだった。






 私はウォーズリー伯爵家の妻が代々身に付けているというティアラとヴェールを被り、彼の前に立っている。

 伯爵家の結婚式だというのに異例なほど簡素なこの式は神殿の神官一人を屋敷に呼び、粛々と行われた。


「⋯⋯では、新婦は夫と神の前に、清らかな心を見せなさい」


 神官の言葉は定型文のようなものだ。ヴェールを夫が上げることで、偽りの無い自分を見せると言われている。

 私は彼の前に姿勢を低くして顔を軽く伏せる。

 武骨な男らしい指がヴェールにかかった。ゆっくりと視界が晴れて、もう一度神官の声がかかる。


「顔を上げよ」


 瞼を開けて正面を見つめる。

 精悍な顔立ちは想像よりもずっと整っていた。

 私の瞳と彼の目があった瞬間、彼はぴくりと身体を揺らした。それでも彼から何か言葉をかけられることは無い。感情の読み取れない無表情は、ぼうっと見つめている内に逸らされた。


 それから一度も言葉を交わすこと無く、式は終わりを迎えた。



 私の部屋だという、広い空間に案内され、シャロンと一緒に少ない荷をほどいた。

 結婚は嘘だと言われた方が納得できるほど、彼との間には何も無い。



「私はこれからどうなるのかしら」


 シャロンの居なくなった広い部屋に呟いた声が消えていった。




 一年経っても私の現状は変わらなかった。


 予想はしていた通りウォーズリー伯爵家の使用人からの私に対する態度は冷たい。

 小さい頃から叩き込まれてきた貴族家の妻としての仕事は何一つすることが無かった。社交界にも出ることは無い。出たとしても、噂好きの貴族が私たちの関係を問い詰めるだけだと分かっていた。

 世継ぎの話など出るわけも無い。閨どころか食事も共にしないのだから。



 図書室でぼうっと窓の外を見上げる。最近は毎日この場所に来るようになっていた。


「⋯⋯奥様ー」

「ひゃ!」


 後ろからこそりと囁かれて飛び上がる。


「フェラー卿、こっそり近づかないで」

「いや、すみませんー。⋯⋯あれ? 奥様、大分痩せました?」


 シリルが首を捻ると束ねた髪の毛が後ろで揺れた。彼はたまに繊細さに欠けた質問をする。


「レディーに直接そんなことを聞くものじゃないわよ」

「そういう意味で聞いたんじゃないですけど⋯⋯」


 シリルのいう通り、見た目が痩せていてもあまり不思議ではない。しばらく前から食欲が湧かず、私の食事量は少しずつ減っていた。


「こんな姿見たらエドウィン様が心配をしますよー」

「嘘ばっかり。気にかけてもらったことなんて無いわ」


 私は事実を言ったつもりだったけれど、シリルはむむ、と唇を動かした。


「~~~っ。そう思うのも仕方ないかもしれないですけど。⋯⋯エドウィン様は部屋の香り付けのポプリが奥様が作ったものだということを知っていますよ」


 あー、もどかしい。とシリルは小さく呟いて額に手を当てる。

 私はシリルの言葉をなんとか呑み込んだ。

 ポプリに気づいているとは全く思わなかった。

 少しは私を気にかけてくれているのだろうか。



 失礼いたします、と声が聞こえた。シャロンだ。


「⋯⋯また貴方ですか」

「やあ、シャロンさん。よく会うね」

「貴方が図書室に来なければ会うことも無いでしょうけど」


 いつもの通りシリルには冷たい態度のシャロンを宥めて、私は立ち上がった。シャロンが呼びに来たということは、そろそろ夕食の時間なのだろう。食欲は無いけれど、用意してくれた手前、少しは手を付けなければ。


 シリルと別れて私室に戻る。


「シャロンはフェラー卿にもう少し優しくしたらどうかしら」

「今のままで十分ではないでしょうか?」

「良くないわ。なぜフェラー卿が嫌いなの?」

「⋯⋯フェラー卿というより、この家の騎士が嫌いです。奥様⋯⋯アイリス様のことを知りもしないくせに、好き勝手を言って。アイリス様はあの事に何も関係無いのに!」

「⋯⋯フェラー卿は他の騎士の方とは違うわよ。それに、関係無いだなんて、そんなことないわ。私はどうしたってあの人の娘だもの」


 窓に映った私の瞳は父と同じ金色だ。


「ね? だから仲良くして」


 シャロンの手を握り目を合わせると、彼女は痛みを堪えるような顔をして手を握り返した。


「⋯⋯あと、いつものんきに笑っているのが嫌です」

「それは仕方ないわね⋯⋯」





 シリルに言われて、エドウィンも私に関心があるかもしれないと考えてからは、日常の様々な場面で彼からの気遣いを感じることができた。

 私への食事は、実家のある南の味に近いものになるよう配慮してくれたり。私が本を好きだと思ったのか、新刊を積極的に入れるよう伯爵から指示された、と司書の女性が教えてくれた。


 私にも幸せな未来が望めるのではないか、と希望が芽を出すと、彼に声をかけてみたくなった。

 それでも私は臆病だと思う。何日も機会を計って、お礼を言うだけだと自分に言い聞かせて声をかけた。


「あの、本⋯⋯新しい、本を入れてくださったと⋯⋯。ありがとう、ございます」


 驚いたようにエドウィンのグレーの瞳が見開かれる。


「気に入ったなら、良かった」


 何てこと無い会話だ。私は心からほっとして、浮かぶ涙を押し止めて微笑んだ。


 私たちにとって、初めての会話らしい会話だ。



 それから私たちは少しずつ会話をするようになった。自然な夫婦にはほど遠いが明らかな進歩だ。ささやかな言葉を交わす時間が、私の唯一の楽しみだった。



 冷える夜。

 私がこの屋敷に来て一年半が経とうとしていた。

 この日はなかなか寝付けなくて、広い部屋を出た。普段なら絶対にしなかっただろう。このところはエドウィンとの会話が増えて浮かれていて、好きに屋敷を歩いても許されるような気がしていたのだ。

 それまでは私がここにいては許されないような心地がしていたから。

 少しだけ歩いて、部屋に戻るつもりだった。



 しかし、薄明かりが漏れる談話室に私は近づいてしまった。


「エドウィン様、流石に飲み過ぎじゃないです?」

「飲まずにいられない。仕方がないだろう」

「いや、もうやめた方がー⋯⋯」


 ダン! と杯を机に叩き付ける音が聞こえた。


「どうすれば良い? 金色の瞳を見るたびに思い出すんだ。俺は復讐を約束したんだと。だが彼女の微笑みを見る度に⋯⋯! ⋯⋯別れることはできない。俺は⋯⋯俺は、どうすれば良いんだ」

「⋯⋯エドウィン様、俺は──」


 シリルの言葉を聞く前に、私は走って談話室を離れた。伯爵夫人と成ってからは走ったことの無い身体が悲鳴を上げる。

 構わずに全速力で走って、私室の扉を後ろ手に閉めた。ずるずると身体が床に落ちる。


 ぽた、と雫が床に落ちた。


「分かっていたじゃない。⋯⋯覚悟、していたじゃない。今さら、何で傷ついているの」


 雫の流れが増していき、わたしの頬を濡らす。

 痛い。胸が痛い。

 これは走って空気が足りないだけではない。胸の奥が締め付けられるようだった。


「ふふ。何で今さら、恋なんて」


 自嘲するように声が零れる。

 これは恋だった。

 彼の思いを聞いても変わらず、あの人が好きだった。

 このタイミングで気づいてしまうなんて、私は何て馬鹿なんだろう。

 離婚はできない。互いに分かっている。

 ならばこんな感情、邪魔なだけだ。


 私は泣いて、泣いて、布団に潜って枕を抱き締めた。


 朝になってシャロンに訝しがられたが私は何でもない風を装って一日を過ごした。

 明日は御者が、屋敷の使用人になって日の浅い少年だということを知っている。



 私はその次の日、ウォーズリー伯爵家を出た。




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