12 理由
憔悴仕切った父を見たのは、大規模な魔物の討伐から帰ってきた時だった。
この国では魔物は数年に一度現れるかどうかといった頻度だったが、この時は狼の姿をした過去最大の魔物の群れが国を襲ったのだ。
魔物は普通の獣とは違い、魔法を使う個体も多い。
一般人では太刀打ちできず、国の騎士団長だった父は王命で討伐へと向かった。
「あ、お帰りなさいませ。お父様」
「⋯⋯⋯⋯」
軍服を着た姿のまま帰ってきた父は私の挨拶に目もくれず──私の存在など気づいていないかのように通りすぎていった。
父親の愛情など今まで感じたことは無いが、自分にも他人にも厳しく、礼儀を重んじる人だ。挨拶を返さないことなど無かった。
不思議に思って首を傾げる。
「アイリス? お父様がお帰りになったんだって?」
私と同じ金の瞳が顔を出す。
「お姉様。お父様の様子が変なのだけど」
「変? ⋯⋯向こうで話ましょう」
姉のディアナは視線だけで辺りの様子を窺うと、私の手を引っ張った。
父に秘密の内緒話はいつもディアナの私室でしていた。今回もそこに連れていかれるようだ。
「あ、シャロン。貴女も私の部屋に来て」
「かしこまりました。ディアナお嬢様」
ディアナは途中廊下でシャロンも捕まえて部屋に入る。
父の様子がおかしいのは疲れているからだろう、と父に対しては様子を見てみるとディアナが結論を出して私とシャロンは部屋を出たが、その後も父の様子はおかしいままだった。
討伐前まで毎日欠かさず行っていた訓練を休み続け、食事の席にも現れなくなった。
オーウェン伯爵家に支える者たちも、伯爵夫人──母が亡くなった時以来だと口を揃えて言い、主人と伯爵家の心配をした。
しばらくして、噂が私の耳に飛び込んできた。
『ウォーズリー伯爵が亡くなったのは王国騎士団長のオーウェン伯爵が行ったことらしい』
『オーウェン伯爵は実力が互角のウォーズリー伯爵に団長の地位を奪われまいと先んじて手を打ったとか』
討伐で亡くなった騎士の一人は国の北に領土を持つウォーズリー伯爵家の当主だった。
ウォーズリー伯爵の胸には剣で刺したような傷があったらしい。近くに居た私の父が容疑者となっているようだった。
しかし、噂は噂に過ぎないのか、騎士団も王も、父を罰しなかった。
父が犯人だと主張する者は、父の実力を手放せない王が証拠が見つからないとして、罰していないのだと声高に批判した。
私は憔悴する父の様子から何かあったに違いないと確信して、父に尋ねた。
「お父様⋯⋯。お父様が魔物の討伐時にウォーズリー伯爵を⋯⋯亡き者に、したという噂があるのです。⋯⋯ただの噂、ですよね⋯⋯?」
父は何も言わなかった。
父はしばらくして仕事をするようになり、一見普通の生活を送っているように見えた。使用人たちはほっと息を吐き、噂好きの社交界も興味を失ったように父を噂するのをやめた。
しばらく季節が流れ──私が二十歳となった頃だ。父が珍しく私を呼んだ。
「何でしょうか?」
「⋯⋯お前の結婚相手が決まった。ウォーズリー伯爵だ。今は⋯⋯二十三歳だったか。王命で断ることは許されない」
真っ暗な闇に突き落とされた気分だった。
先代ウォーズリー伯爵の死去により若くして伯爵となった彼は、小さい頃に数度見かけたことがある程度。言葉を交わしたことも無いが、私には彼と幸せになる未来が描けなかった。
それどころか、彼は私を──オーウェン伯爵家を恨んでいるだろう。
その日はどうやって私室に帰ってきたのかあまり思い出せない。
シャロンとディアナが待っていて、相当酷い顔をしていたのだろう、そっと抱き締められたことだけを覚えている。
オーウェン伯爵家を発つ時が来た。
「何かあったら、どんな手段でも良い。必ず相談しなさい」
「はい、お姉様」
ディアナが死地への見送りのように涙ながらに言い、私と額を合わせる。
私はディアナのお腹を一撫でして離れた。
ディアナは結婚相手との子を身籠っている。返事はしたものの、苦労をかける訳にはいかない。
そんな考えを見抜かれたのか、ディアナは鬼気迫る勢いでシャロンに向き直った。
「シャロン! アイリスのこと頼んだわ」
「はい。アイリスお嬢様のことは命に代えましても」
「代えないでちょうだい」
私がそう言うとシャロンは、にこりと微笑んだ。
「アイリスお嬢様が私の唯一の主ですから」
顔に似合わず頑固なところがある、シャロンに反論するのはやめて、私はもう一度だけ、屋敷に向き直った。
父は、私に声をかけること無く見送りの場に立っている。
「今まで育ててくれましたこと、感謝いたします」
屋敷に向かって一礼をすると、私は馬車に乗り込んだ。
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