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聖女と話を終えた騎兵団長が、彼女より一足先に部屋から出る。扉のすぐ横で命令を受けた穢獣部隊長が直立不動の姿勢で出迎えた。
「ドロゲンヴェルカウフのところへ行く。」
「は。」
ボリス・エドレル・ヴォン・フィスチェレイは先々代フィスチェレイ男爵の四子、先代フィスチェレイ男爵の弟、今代フィスチェレイ男爵の叔父に当たる。早い話が、いつまでも実家を頼ることのできないあぶれ者の貴族子息だ。ボリスは成人すると早々に騎兵団に入り、実力でのし上がった。騎兵団長になった際に準爵位を得たが、準爵は一代限りのもの。ボリスの子もまた騎兵団で研鑽を磨いているところだ。
ティルはオストシエドルングの平民育ちで、まだ40歳代と若い。穢獣部隊は穢獣を討伐するための組織なので、騎兵団の中でも若手で構成されている。また、危険度が高いため、平民が配属されることが多い。ティルもはじめから穢獣部隊に配属され、過酷な訓練や討伐を乗り越えてきた。一度も配置換えのない生粋の穢獣部隊員である。そこを評価され、数年前に部隊長に抜擢された。
騎兵団の施設は東西の大通りを西に向かって進んだ商業区画の端にある。西側は漁業区域と鉱業区域で、鉱業区域の山々を超えると隣国だ。つまり西からくるかもしれない脅威から領都を護る役目を担っている。オストシエドルングで暮らす貴族の二子以下や腕に覚えのある平民の中でも安定志向の者が入団していた。ちなみに一攫千金を狙う者達は貴族でも冒険者となることが多い。
穢獣部隊には騎兵団施設とは別に専用施設があり、平民街の最奥、西側は鉱業区域、南側はグレンズワルドに接している。本来ティルはそこへ戻って討伐準備をしないといけない。しかし、ティルは思うところがあった。薬品店からの帰り道、ボリスと共に騎兵団施設へ向かう。
「俺は聖女様に依頼しない方がいいと考えます。」
一兵卒が茶を入れ応接机に置く。彼が部屋を出たところでティルはそう切り出した。
「…何故そう思う?」
「あの方の姿勢が前向きではないからです。やる気のない奴がいたら、士気が下がり纏まりに欠けてしまいます。こういう時に率先して動くのが聖女様なのではないですか!?」
「…聖女様はご自分をよく理解しておられる。彼女の言い分が真実だとしたら確実に前線に立たせるわけにいかない。それを隠して下手にしゃしゃり出られるより、よっぽどマシだと思ったが?」
「俺は、聖女様は自分の立場を分かっていないと思います。」
「では貴様に尋ねるが、聖女様の立場とは一体なんだ?」
「この地を守り、苦しんでいる者を救うのが聖女様です。聖女様はそのために神様が遣わしてくれた方です。それなのに、あの方は傷病人の手当てすら拒んだではありませんか!」
「…それは我々が勝手に押し付けているだけに過ぎない。貴様は神の御使いである聖女様に我々の願望を強要できると考えているのか?我が国は聖女様を大切にしているが、身分や地位は生まれた環境で決まる。闇の聖女様は…平民だ。平民の女に何を求める?」
「それは…しかし言い伝えによれば騎士団と共に戦っただとか、どんなに強い穢れでも払っただとか、重病人や重傷人を直しただとか…」
聖女の物語は『ヤーパン』と同じく幼子の読み聞かせの定番である。ティルは聖女に会ったことはないが、小さい頃に読んでもらった絵本をおぼろげながら覚えている。光と闇の聖女は寧静を、自然魔力の四聖女は豊穣を与え、困っていた人々が喜んでいる挿絵がとても嬉しそうだった。描かれていた聖女達は美しく微笑んでいて、幼心に『聖女様はお優しい方だ』と幸せな気持ちになった。それなのに…。ある日突然領都に現れた闇の聖女は、そのままこの地で暮らしていると言うのに助力を断った。ここにいる聖女は助けてくれないのか?自分だけ安全な場所にいようと言うのか!?ティルは唇を強く噛むとボリスを挑むように見据えた。
「…やはり俺達だけで討伐します。俺は冒険者に依頼するだけでも悔しいです。その上、あんな態度を取った奴にまで助けてもらわなければいけないなんて…」
「ティル、言葉が過ぎるぞ。」
「…失礼しました。ですが…」
「ティル。我々の存在理由は何だ?」
「オストシエドルング、あるいはエストマルク王国に出現した穢獣の討伐です。」
「ああ、それが我々のするべきことだ。貴様はそれを聖女様に押し付けるつもりなのか?」
「…しかし、今回の件は穢獣部隊だけでは討伐しきれない恐れがあります。だから冒険者に…聖女様に助力を求めました。その答えがあれです。」
「聖女様の言われたことは正しい。貴様には冷たく聞こえたかもしれんが、あれは俺が準爵だと分かったからの言い方だ。貴族相手に下手な希望を持たせて失敗してしまったら、その後が怖いからな。できないなら初めから断るのが定石だ。…言葉は少々厳しかったが。」
「…」
「俺と貴様が漁業区域出身だと知ると、とても同情されていた。そしてオストシエドルングの役に立ちたいと聖女様から言われた。」
「でしたら、なぜ…」
「聖女様はご自分が討伐に参加することで我々に迷惑をかけてしまうことを懸念されているのだ。聖女様はその場にいるだけで存在意義がある。もしかしたら無理にでも前線へ連れ出そうとする者が出てくるかもしれない。そうなった時、こちらに余計な負担がかかってくるのは必定だ。聖女様は我々を慮ってお断りになったのだ。」
「しかし…それならば後方支援に助力くださっても…」
「今日、我々が依頼しようとしていたことは何だ?」
「怪我人や病人の世話です。」
「そう、命に係わるところだ。もし万が一のことが起こった場合、責任は聖女様に直接依頼をした我々にある。聖女様のご心配はそういったことだ。」
ボリスは冷静に説明する。本当は部隊長としてここまで思い至ってほしかったのだが…ティルはまだ若い、今回の件を含め今後の成長に期待したいところだ。途中から口を閉ざしボリスの説明を聞くのみだったティルは、最後まで聞き終えると項垂れるようにして頭を抱えた。
「…俺は聖女様になんてことを…」
「きちんと謝罪すればいい。おそらくあの方なら受け入れてくれるだろう。」
「しかし、俺の失態で聖女様のご助力は得られなくなってしまいました。部隊にとって手痛いことです。」
「それだがな、聖女様はドロゲンヴェルカウフが依頼を受理するなら同行すると言われたのだ。貴様も知っての通り、さきほどドロゲンヴェルカウフの協力は得られた。明日の前水時、再度冒険者組合へ行く。」
「ではっ…」
「受け入れてもらえるように本心から謝罪することだな。」
やはり聖女様はお優しい方なのだ。相手のことを考え、嫌な態度を取ってしまった相手の話も聞いてくれる。明日は何よりも先にまず謝罪をしよう。そして感謝も。希望を湛えた目をしたティルは、ボリスの言葉に明瞭な声で返事をした。




