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 シュテファンとカレンが穢獣部隊の設営地に戻った時には、引き上げの準備は始まっていた。冒険者達は既にいない。整然と並んでいた天幕の数も半分ほど減っていて、明日の朝早くに領都へ向けて出発するようだ。それを中断して隊員を集めると、ボリスとティルは一歩前へ出てシュテファンへ騎士礼を取った。


「此度はお力添えいただき、誠にありがとうございました。」

「いや、気にするな。多数のスチルドクローテ討伐、ご苦労だった。」

「ありがたきお言葉を頂戴し、穢獣部隊一同、心より感謝申し上げます。」

「カレン嬢を領都まで無事にお送りしてくれ。」

「畏まりました。」

「ではカレン嬢、俺は一足先に王都へ戻らせてもらう。」

「はい、どうぞお気をつけてくださいませ。」

「ありがとう。…ところでカレン嬢。」


 一呼吸置いたシュテファンがたっぷりとした仕草でカレンに近づく。思わず一足分下がって、カレンは何だろうと不安そうにシュテファンを見つめた。


「…はい。」

「スチルドクローテを討伐した暁には褒美が欲しいと言ったのは覚えているか?」

「…本気で、ございましたか?」

「ああ、カレン嬢から褒美をいただきたい。」

「…あの、でも、そう言われましても…」

「俺はチェフを討伐したぞ?カレン嬢から褒美を貰うに相応しいではないか。」

「…申し訳ありませんが、シュテファン様のような方に差し上げられるものを私は持っていないので…。」

「はは、俺が欲しいのは物ではない。」

「物ではない…?」

「さて、カレン嬢は褒美に何をくれるかな?」


 楽しそうに口角を吊り上げるシュテファンに、カレンは首を傾げて考え込む。確かに、シュテファンは辺境伯嫡子なのだから欲しいものは自分で手に入れられるだろう。偏見かもしれないが、貴族にはそんなイメージを持っている。それに、仮にカレンの持っている物が欲しいとして、しかしそれはシュテファンには釣り合わないものだ。贈ったとしても迷惑だろう。だとすると、以前に作った伝統細工だろうか。いや、あれは『物』の括りに入るのではないか?あと考えられるのは…一体、なんだろう…。シュテファンが望むものが一向に分からなく、カレンは頭をグルグル悩ませる。無礼なのは承知で、いっそ聞いてしまった方が…。定まっていなかった視点をシュテファンに戻して正直に聞こうとした時、『ヒョーク様』と抑えられた声で後ろから呼ばれた。


「…キーランドさん。」

「失礼ながら、そこまで考えられてもお分かりにならないようでしたのでお教えいたします。若旦那様が望まれているのはヒョーク様からの祝福です。」


 …祝福。お祝いと賛辞の言葉なら伝えたはずなのだが。ますます分からないと困惑するカレンに、キーランドは苦笑して言葉を足した。


「ありていに言えば、口付けが欲しいのです。」


 ばっ、と。勢いよく振り向いたカレンの目に、笑みを深くしたシュテファンが映る。


「さあ、カレン嬢。俺に褒美をくれ。」

「な…」

「褒美に縋って穢れへ挑んださもしい男に、どうかあなたの優しさを。」


 何を言っているのだ、この人は。シュテファンの望みが理解できなくて、理解したくなくて、カレンはパチパチと瞬きを繰り返す。本気なのかとシュテファンとキーランドを交互に見ても、シュテファンの上機嫌な様子は変わらず、キーランドは『さあ、どうぞ』と小さく頷くだけで。視界の端には大勢の穢獣部隊員やボリス達もおり、カレンは逃げ場のない状況に絶望を覚えた。


「おお…っ!」


 穢獣部隊の感動が静かに地に広がる。それは物語の一節のようだった。美丈夫の手をそっと取り、ゆっくりと淑やかに屈んだ聖女が祝福を与える。伏せられた長い睫毛と背中にかかる直毛は艶やかな黒で、指先に寄せる唇は香るように赤く、美丈夫と対を成す美しい女性。闇の聖女がオストシエドルングの次代へ祝福を与えたという喜びに穢獣部隊員の胸が震える。


「…ご嫡子様!」

「聖女様!」

「オストシエドルングに栄光あれ!!」


 静かな感動は爆発し、歓声が地を揺るがした。沸き立つ周囲にカレンはシュテファンの手を離し、居心地悪く視線をあちこちへ飛ばす。


「…ははっ、これは想像以上のものを貰ったな。」

「…シュテファン様の考えていられた『褒美』とは、どんなものだったのですか?」


 不服そうな表情を見せるカレンに、シュテファンはにこりと微笑むだけで答えなかった。ついとカレンのそばへ寄り、その細腰に腕を回す。ビクリと体を揺らすカレンの頬に口付け、彼女が唖然としている間にひらりと馬に乗った。


「カレン嬢、どうか無事に領都へ戻られるよう。涼季にまたお会いできるのを楽しみにしている。」


 軽快に走り出した馬を操ること数分、ヴェルスチエデン湖から十分に離れたところでシュテファンは口元を覆った。頬には赤味が差している。まさか、本当に唇で触れてもらえるとは思わなかった。エストマルク王国では、女性から男性に口付けるのは夫婦もしくは婚約者に限られている。よっぽど親しい仲でない限り、口付ける『ふり』で十分なのだ。


「まいったな…」


 顔がにやけて締まらない。口元を隠している手にはカレンの唇の感触がはっきり残っている。ヒューは一方的な懸想だの妄想だのと言っていたが、自分の想いはちゃんと伝わっているではないか。カレンが呟いた『貴族は無理』という言葉はきっと聞き間違いだ。彼女は俺の妻になってくれる。さっさと問題を片してカレンを王都へ呼ぼう。機嫌が最高潮に達したシュテファンは馬を飛ばして王都へ急いだ。




「カレン!」


 カレンを乗せたフィスチェレイ家の馬車がヘイリゲルワルドに近づくと、三体の聖獣が飛び出してきた。


「エン!フウ!チイ!」

「カレン、おかえり!」

「ただいま!元気にしてた?」


 同乗するキーランドに窓を開けてもらうと、三体ともミニマム化して馬車の中に飛び込んだ。我先にとカレンへ体を擦り付ける様が愛らしく、カレンはわしゃわしゃと撫でまわす。エン達に負けじと割り込んでくるコウとスイも含めた聖獣にカレンが囲まれていると、正面に座っているキーランドが苦笑して話しかけてきた。


「そんなに聖獣達が懐いているとは、さすが闇の聖女様ですね。」

「確かに帰ってきたことを歓迎してくれているのですが、これは…その、湖醤に興味を持っているのです。」

「はい…?」

「この子達、私を心配してくれる以上に私が作るご飯が待ち遠しいようで。」


 キーランド以上の苦笑を浮かべたカレンが、彼女の膝を陣取っているコウを撫でる。


「湖醤、本当にありがとうございます。とても嬉しいです。」

「…そこまで気に入っていただけてフィスチェレイとしても嬉しい限りです。今後も定期的に届くようですので、存分にお使いください。」

「そこまでしてもらっていいものなのでしょうか?」

「父の感謝の気持ちを受け取っていただけますと幸いです。また、今回のスチルドクローテ討伐に加わっていただけたこと、改めて心より感謝申し上げます。お陰様で町にも湖にも被害が出ることなく済みました。」

「それはボリス様やティルさんにお伝えください。でも、無事に終わってよかったですね。怪我や病気をしてしまった人達も回復しましたし。」

「はい。それこそヒョーク様やドロゲンヴェルカウフ一族のおかげです。ありがとうございます。」


 いつまでも感謝し合うことになってしまいそうな会話に、カレンは言葉ではなく頷くことで一度話を切った。そして別の話題を…と考えて、質問を口にしてみた。


「…あの、お聞きしたいことがあるのですが。」

「はい、何でしょう。」

「その…昨日のシュテファン様のことなのですが…」

「はい。」

「…あのように頬に口付けるのは、その、貴族の間ではごく普通のことなのでしょうか?」

「…」

「いえ、その、私が育ったところでは気軽に口付けるという習慣がなかったものですから…驚きましたし、その、どうしていいか分からず…」

「…ですが、ヒョーク様も若旦那様に祝福の口付けを贈られたではありませんか。」

「あれは…私の国以外のところではそういうこともすると知っていたので、何となくこうではないかなと思ったことをしただけで…あの、間違っていましたか?」

「いいえ、穢獣部隊員達が興奮していましたでしょう?変な言い方ですが、見事なものでした。」

「見事…」

「…そうですか。何となく…ですか。」


 意表を突かれてあまり言葉の出なかったキーランドが横を向いたかと思うと、口を押さえふるふると肩を震わせていた。これは笑われている。カレンは恥ずかしさで赤面した顔を、思わずコウで覆った。


「…ふっ。失礼、しました。若旦那様があまりにも…くくっ…ああ、重ねて失礼いたしました。」

「…どうぞ思い切り笑ってください。」

「いえいえ、国が違えば文化も違うのですから仕方のないことです。私としたことが、大変に失礼を致してしまいました。お詫び申し上げます。」

「…お気になさらずに。」

「ヒョーク様がお聞きになったことですが、エストマルクの王侯貴族の間では割と行われる行為ではあります。」


 ただし、男性から女性へですけれど。キーランドは心の中で付け足す。


「ですので、若旦那様がヒョーク様の頬へ口付けたのも感謝や親愛の表れではないかと。」


 おそらく、それだけではないだろうが。またしても心の中で付け足したキーランドは、ようやく年相応さを感じられたカレンに優しく笑いかけた。


「真意は若旦那様にしか分かりません。お知りになりたければ若旦那様にお聞きください。」

「…聞けませんよ、そんなこと。」

「それから、ヒョーク様にお願いがあります。あのようなことは、どうか若旦那様だけにしてください。」

「…もうしません。」

「そう仰らず、若旦那様が望まれた際には是非にでも。」


 無為な会話をしているうちにフッテへ到着した。大きめの壺に入れて運んだ魚は護衛を兼ねた穢獣部隊の運搬組員が池へ入れ、キーランドは箱詰めした湖醤をフッテの中へ運ぶ。そうしてやっと、カレンのスチルドクローテ討伐は終わった。

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