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079

 フィスチェレイ邸に戻り、グリシャに報告をし、依頼書を作成し。そうこうしているうちに夕食ができたと呼ばれる。シュテファンとカレンが食堂へ向かうと、そこには男爵夫妻だけでなく、この邸宅で暮らしている家族が並んで待っていた。男爵の紹介によると、長兄夫妻とその子供が3人、そして末妹だそうだ。キーランドとボリスも共に、12人で食卓を囲む。カレンの右隣はシュテファン、正面は男爵夫人、左隣は長兄が座るらしく、カレンは久し振りに貴族に囲まれて取る食事にいやおうなく緊張が高まった。下座にしてほしいと希望したのだが『こちらは聖女様にお願いしている身だ、もてなさせてほしい』と、シュテファンに次ぐ椅子に案内されてしまったのである。


「水の聖獣が言っていたのですけれど、ヴェルスチエデン湖には魚がたくさんいるそうですね。」

「そうなのか?」

「はい、湖から上がってきた水の聖獣が嬉しそうに教えてくれました。フッテの池に持って帰りたいと。」

「フッテ?あの辺りに池はなかったはずだが。」

「あ…えぇと、その…呆れないでくださいね。魔石の効果を調べている時に、その、加減を失敗してしまって…」

「誰でも初めは失敗するものだから、気にすることはない。後からできた池ならば魚がいないのも納得だ。カルロス、ヴェルスチエデン湖の魚を何匹か譲ってくれるか?」

「畏まりました、シュテファン様。聖女様、後ほど水の聖獣が好む魚をお教えください。聖女様のお帰りに合わせて運ばせましょう。」

「ありがとうございます。水の聖獣も喜ぶと思います。」


 コウとスイは食堂に連れてきていない。魚を貰えると知ったら興奮して飛び回るであろうスイを想像し、カレンはカルロスと呼ばれた長兄に頭を下げた。スープ、 前菜、と一皿ずつ料理が進み次は主菜となった時、隣に座るシュテファンが楽しそうな顔をしてカレンを見る。


「いよいよお楽しみの物が来るぞ。」

「この地区の料理ですね?」

「ああ。カレン嬢は気に入るかな?」


 主菜が運ばれてくるのをちらりと目だけで見たシュテファンは、片頬を上げたニヤリとした笑みを浮かべた。どんな料理が来るのだろうと少し不安になったカレンの鼻がその匂いを捉え、カレンはピクリと反応する。身に沁みついた匂いに振り返って確かめたいが、それは作法違反だ。後ろから提供されるのをじっと待つ。皿が食卓に置かれるのを追うように匂いが濃くなり、カレンの目は主菜に釘付けになった。シュテファンとグリシャがナイフとフォークを手に取ったのを合図に、カレンも食べ始める。口に含み、咀嚼し、胸がいっぱいになった。


「どうだ?」

「…美味しいです。これは何で味付けをしているのでしょうか?」

「グリシャ殿、何と言ったか。」

「湖醤と申します。魚などを発酵させて作るソースです。癖があるので好みが分かれるところなのですが、聖女様のお口に合ったようで嬉しく思います。」

「故郷の味にとてもよく似ているのです。これ、ずっと欲しかった…あの、グリシャ様。その湖醤というのは町で購入できるものですか?」

「はい。よろしければ料理長から説明させましょう。御食事を提供後、料理長をここに。」

「ありがとうございます。」


 食事後の説明を楽しみにしつつ、カレンは主菜を食べる。日本で言うところの煮付けをナイフとフォークで食すのは違和感があるが、なにせずっと食べたいと願っていた醤油の味に似ているのだ。箸が…いや、フォークが止まらない。


「…相当気に入ったようだな。」

「…すみません、意地汚いところを見せてしまいました。」

「いや、そうではなく。美味しそうに食べ進めるカレン嬢も可愛らしいと思っただけだ。」

「この味付けをずっと食べたいと思っていたので…。嬉しくて、つい。故郷と似たようなものがあると安心します。」

「そうか。この料理はカレン嬢にとって大切なものなのだな。」


 いいことを聞いた、とシュテファンの顔が綻ぶ。カレンの素性はいまだ謎だが、彼女のことを一つ知れたことが嬉しい。これは我が家の料理長に覚えさせるべきだなと両親の承諾も得ずに勝手に決める。そうすればカレンを誘う口実が増えるのだ、使わない手はない。


「シュテファン様はいかがです?」

「ここの味だな。初めての時はそれほどでもなかったが、ここに来るたびに食べて、今ではこれが出てくるとなぜか心が安らぐ。カレン嬢と同じだな。」

「こちらへはよくいらっしゃるのですか?」

「王都へ出てからは数えるほどもないが、それまではたまに訪れていた。シグやキーランドと釣りをしたり、馬を走らせたり。王都ではなかなかできないことだから、ここへ来るのは楽しみだった。」


 良い思い出なのだろう、シュテファンが微笑んだ。垣間見えた素の表情にカレンの心臓がドキリと鳴る。イケメンなのも大概にしてほしい。高鳴りをごまかすように薄っすらと頬を上げ返し、カレンは目の前の食事を集中するように楽しんだ。

 食後、料理長が給仕用の手車と共に食堂へやってきて見た目の似た瓶を4つ並べる。その前にはそれぞれ濃淡が違う褐色の液体が入った小皿が置かれた。


「聖女様はことのほか主菜を気に入ってくださったと伺いました。ありがとうございます。」

「いいえ、こちらこそおいしいお食事をありがとうございました。それで早速なのですが、湖醤について教えていただけませんか?」

「畏まりました。湖醤は湖で獲れる物から作ったソースの総称でございます。4種類ほどお持ちしました。左から説明いたします。まずは主菜に使った鰮醤です。魚の匂いは強いですが、旨味が上手く残っています。」

「舐めてみてもいいでしょうか?」

「湖醤は塩分が多いので少量にされるのがよろしいかと。」

「分かりました。…あぁ、私、この匂いには抵抗ないので気にならないですね。なんだか凝縮された感じです。」

「この中では一番使いやすい湖醤だと思います。次は蝦醤です。…ええ、聖女様がお感じの通り、匂いがきついので料理を選びます。」

「かなり、その…生臭いと言いますか…」

「はい。味としては柔らかい塩気なので、その点で使っている者もいます。ですが、町でもあまり使われていないと思います。その隣は魷醤です。こちらも蝦醤と同じで素材の匂いが強く残っています。エビとイカのどちらを好むかで選べばいいかと。」

「…なるほど。どちらも素材が前面に出ているように思います。」

「最後は藻醤です。匂いがほとんどなく、塩気も他の物に比べて少なく、さっぱりとしています。」


 4種類を舐め比べたカレンは懐かしさに目が潤んだ。目の前にあるのは醤油みたいなものだ。自分に馴染んだ匂い、馴染んだ味を体が欲している。カレンにとって、鰮醤はよく使っていたかつおだし入りの醤油だし、藻醤は大豆から作った醤油とほぼ変わらない。逸る気持ちを抑え、カレンは鰮醤と藻醤を指して料理長に尋ねた。


「この二つは町で購入できますか?」

「はい。町の店でも取り扱っていますし、漁業組合でも取り扱っているはずです。」

「そうなのですね!帰りに寄ってみます。教えていただきありがとうございました。」

「聖女様、湖醤もこちらで用意いたします。どうぞお持ち帰りください。」

「え、男爵様…ですが、それは…」

「よかったな、カレン嬢。」

「いえ、あの、でも…」

「僭越ながら、ヒョーク様。もし気にされてしまうのでしたら、湖醤を使った料理か甘味を我が家へ伝授していただけませんか?」

「おお!それがいい、キーランド!聖女様、教えていただけますかな?」

「…フィスチェレイ家の皆様がそれでよろしければ。」

「おい!ずるいぞ、キーランド!」

「…シュテファン様も食べればいいでしょうに。」

「そうだな!カレン嬢、俺はそろそろ王都へ戻らねばならないのだ。すまないが、明日の朝食後に用意してもらえないだろうか。」


 機嫌を良くしたシュテファンが話をどんどん進めてしまうものだから、流されるままにカレンは了承する。翌朝、食後の甘味としてみたらし団子を提供すれば。『これがカレン嬢の故郷の味か』と興味深げに味わうシュテファンに、フィスチェレイ家へのお礼のつもりだったカレンは苦笑した。

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