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 翌朝。迎えに来たフィスチェレイ家の馬車に揺られること一時間半、大きなヴェルスチエデン湖に沿うように半周ほど進んだ先にキーランドの実家はあった。なだらかに盛り上がった丘に建てられた邸宅の前で馬車は止まり、カレンはシュテファンの手を支えに馬車から降りる。そこから見えた太陽を反射して煌めく湖面は静かに美しく、スチルドクローテの討伐が完了したことで仕事再開に活気づく町側と同じ湖だと思えない。


「綺麗ですね。」

「ああ。」


 感嘆の声を上げたカレンにシュテファンの目が細まった。今日のカレンは男爵邸を訪れるとあって、冒険服ではなくドレスを着ている。ここ数日のあいだ目にしていた冒険服もそれなりに似合っていたが、やはりドレスの方が彼女には相応しい。シュテファンはカレンの横に並び立ち、自分が気に入っている風景の中にカレンを加えて満足げに眺める。そうしていると背後から落ち着いた声音で呼びかけられたので、二人は振り向いた。


「シュテファン様、聖女様、ようこそお越しくださいました。」


 出迎えに来たのはキーランドの長兄だ。フィスチェレイ家の跡取りが邸宅から外まで出て迎える、これは二人の来訪を歓迎していると受け取れる。シュテファンは頷いて答え、カレンは膝を折って挨拶した。


「キーランドもおかえり。大叔父上、お久し振りです。此度の件、心よりお礼申し上げます。」

「礼ならご嫡子様と聖女様に。それに、今日は護衛として来ましたので。」

「ボリス、楽にしてくれ。ここまで来て堅苦しいのはごめんだ。俺の憩いの場を奪うな。」

「はは、これは嬉しい言葉ですな。」

「本当に。フィスチェレイ家にとってこれ以上ないお言葉です。さあ、シュテファン様、聖女様、どうぞ中へお入りください。父が『まだか、まだか』と気を揉んでおります。」

「そうなのか?ではカレン嬢、行くとしよう。」

「はい。」


 極々緩やかな上り道を気遣うように、シュテファンがカレンへ手を差し出す。いつもより上等なドレスを着ているカレンとしてもそれは助かるもので、ドレスを汚さないように気をつけながらフィスチェレイ家の邸宅へ向かった。玄関で待っていたフィスチェレイ家当主夫妻に挨拶を済ますと、シュテファンはさっそく本題を切り出す。


「貴族図鑑を見せてもらいたい。」

「はい、用意してございます。こちらへどうぞ。」

「キーランドも手伝ってくれるな?ボリスはグリシャ殿のお相手だ。どうせここには滅多に寄り付かないのだろう?」

「おお、ありがとうございます、シュテファン様。叔父上、スチルドクローテ討伐の話をぜひお聞かせください。」

「あっ!シュテファン様、待ってください!私は今日、湖に穢れが残っていないか確かめるために来たのです。そちらを先にしませんと…」

「そうか。…しかし、カレン嬢が覚えているうちに家章の特定をしてしまいたいのだが…」


 シュテファンの言うことも尤もだ。カレンは記憶力に自信があるわけではない。まだ頭の中に穢魔石から見えた家章は残っているが、これから似たようなものを何個も見ているうちにあやふやになってしまうかもしれない。そうなる前に特定してしまいたいのはカレンも同じ考えなのだが…。フィスチェレイ家へ来た最大の目的はヴェルスチエデン湖の確認なので、こちらを無下にすることもできない。どちらを優先するべきか、身動きの取れなくなったカレンにフィスチェレイ男爵夫人が提案した。


「聖女様、よろしければ外で貴族図鑑をご覧になってはいかがでございましょう?湖から吹く風は特別に気持ちいいものでございます。」

「…シュテファン様、それでもよろしいでしょうか。」

「ああ、そうしよう。」

「スイもそれでいい?」

「スイ、もぐる!」

「ありがとう、よろしくね。男爵夫人様、お手数をかけますが外で見させてください。」

「すぐに支度を致します。キーランド、図鑑を持っていらっしゃい。」

「はい、母上。」

「聖女様、昼食の用意ができましたら呼びにまいります。ごゆっくりお過ごしください。」

「ありがとうございます。」

「こちらこそ湖を確認してくださること、感謝申し上げます。どうぞよろしくお願いいたします。」


 一咆えしたスイに畏怖の目を向けつつ、男爵夫人は使用人にあれこれと指示を出す。ほどなくして用意された場所はヴェルスチエデン湖の水際近くだった。男爵夫人が言うように、湖から運ばれる爽やかな風がカレンとシュテファンを撫でる。厚手の敷物の上にはクッションがいくつもあり、日除けの幕も張られているので、長く座ったとしても体への負担は少なそうだ。少し離れた場所には飲み物や軽くつまめるものをいつでも提供できる状態で、フィスチェレイ家の女中が待機している。五爵の中では最格下でも、男爵は貴族なのだとカレンはぼんやりと思った。


「スイ、お願いします。」

「まかされた!」


 ウズウズと湖を見ていたスイが一目散に駆けていく。ネコ科の生き物は水が苦手なのかと思いきや、そうでもないらしい。入り始めこそ水飛沫を立てたが、実にすべらかに沖へと泳いでいき、スイはあっという間に潜った。おそらく湖中を楽しんでいることだろう。穢れがないことを祈りつつ、カレンは手元にある貴族図鑑をめくり…苦々しい表情をした。


「…個人情報満載…」


 思わず漏れたカレンの呟きにシュテファンは首を傾げる。


「貴族なのだから当然だろう?」

「…嫌だとは思わないのですか?」

「俺達は国王陛下から地位を与えられ、そのご期待に沿えるよう励むだけ。記載されて困るような働きをしなければいい話だ。」

「そういうものなのですか…。」

「貴族は国から認められた身分だ、隠すことは何もないだろう?」

「…私には、貴族は無理ですね。」


 薄く笑ったカレンはそこで話を切って、シュテファンに向けていた視線を貴族図鑑へ戻した。足元で丸まっていたコウがカレンの脇の下に頭を潜らせて、ベロリと頬を舐める。浮き上がった手でカレンが背中を撫でれば、コウはそのまま膝の上で寛ぎ始めたので、カレンは貴族図鑑を横に置いた。湖からの風がさわりと吹きそよぐ。カレンはコウを撫でながら貴族図鑑をパラリと読み進めた。静かに過ぎていく時間の中、紙をめくる音だけが規則的に聞こえる。時折、シュテファンとキーランドが『これはどうか』と見せたが、どれも違うとカレンは首を振った。


「…間違っている、のかもしれません…」


 昼食は外で食べられる簡単なものに変更してもらって最短で済ませ、貴族図鑑をめくり続けた。太陽がゆっくりと弧を描いて傾き、青い空が色を変化させ、スイが湖を満喫して戻ってきて、ようやく貴族図鑑を読み終える。しかし頭の中にある家章は見つけられず、カレンの眉は下がりきっていた。


「カレン嬢、そんな顔をしないでくれ。家章ではないかもしれないのだから。」

「…申し訳ありません、似たようなものがあったので…たぶん家章だと思うのですが…」

「似たようなもの?どれだ?」

「えぇと…あ、これです。」

「しかしこれではない、と?」

「この中の絵は同じに思うのですが、盾の形が憶えているのと違って…」

「盾の形!?」


 貴族図鑑の初めの方を開いて見せたカレンが一つの家章を指す。そうして発した言葉にシュテファンの神経が尖った。家章は家を表すものだ。盾の形、絵や図柄、色などにそれぞれ意味がある。カレンが憶えている家章と指した家章では、絵は同じでも盾の形が違うと言う。それがどういう意味か…。シュテファンは騒ぎ出した脳を落ち着かせるように、いつもと変わらない声音を意識してカレンに尋ねた。


「カレン嬢の覚えている盾の形はどんなだ?」

「…こんな形だったと…」


 思い出しながら動かすカレンの指の軌道を辿ったシュテファンの表情が厳しいものになる。エストマルク王国では使われるはずのないものなのだ、カレンが憶えているという盾の形は。


「…シュテファン様?」

「…ああ、すまない。少し考え込んでしまったな。」

「何か問題でも…?」

「いや、しっかり覚えてくれていて助かった。カレン嬢、教えてくれてありがとう。」

「いえ…。こちらこそ、何だか曖昧になってしまい申し訳ありません。」

「さて、陽もだいぶ落ちてきたことだし男爵邸へ戻るとしようか。これ以上ここにいてはカレン嬢の体が冷えてしまう。キーランド、今日の夕食はいつものか?」

「おそらくは。」

「カレン嬢、ヴェルスチエデン地区の食事は領都とは少し違って面白いぞ。楽しみにするといい。」

「…はい、楽しみです。男爵様にも『湖は問題なかった』と報告しなくては。」

「そうだな。さあ、行こう。」


 いつも通りカレンの手を取ってフィスチェレイ邸に戻りながらも、シュテファンは得た情報を脳内で整理する。疑惑となった家章をしっかりと記憶し、これからどう動くべきか素早く算段を立てるのだった。

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