077
シュテファンは瞠目した。危険から遠ざけるよう自分の後ろに下げて守っていたはずのカレンが穢魔石を両手で持ったから。危ない、離せ、戻って来い、頭の中に言葉は浮かぶのに口まで伝達できなかった。しかし次の瞬間、大きくなっていた目をさらに見開くこととなった。カレンの体が神々しい何かに包まれるような表徴を感じたのだ。目に映る光景は何も変化がなかったが、間違いなくカレンの体から発せられた。気が付けば穢れはなくなっていて、カレンの手の上にあるのは色濃い魔石だった。
「…どうぞ。」
「…」
「ボリス様?」
「…あ…ああ…感謝申し上げます…」
呆然としているボリスに魔石を渡し、カレンはシュテファンのそばへ戻った。変調をきたしてそうな様子は一切ない。
「…カレン嬢、体に問題はないか?」
「はい、ご心配ありがとうございます。どこも問題はありません。」
「今のはいったい…」
「え?私、何かおかしかったでしょうか?」
「いや…俺には穢魔石を両手で持っているだけに見えた。まあ、すぐに魔石になったのだが…。カレン嬢は浄化ができるのか?」
「すみません、よく分からないのです。大神官様がお認めくださったので穢れは払えているのでしょうけれど…ですので、申し訳ありませんが他の人には…」
「ボリス、ティル、今のことは他言無用だ。」
「は、畏まりました。」
「ありがとうございます。」
安心したように息を吐き出したカレンは膝をついてコウとスイを撫でる。その様子をじっと見つめ、シュテファンはつい先ほどのことを思い返した。あの一瞬の神々しさ、可視化も言語化もできない何かを纏ったカレンは、聖女であることを再確認せしめるような凄美さだった。触れることを躊躇われるような、許されないような、卑しい欲で汚してはいけない存在だと心に痛みを感じた。何と厄介な人に惚れてしまったのだろう。今までは自分がその立場だった。辺境伯の嫡子にして伯爵位持ち、近衛警護部隊小隊長にして王太子と幼馴染、結婚適齢期なのに婚約者すらいない。これでは追い求めない方がおかしいのだ。そんな獲物だった自分が、あの日カレンに会った瞬間に狩人になった。狙われる疎ましさを知っているのに、他の男に獲られる前に手に入れてやると迫っている。シュテファンは皮肉気に笑った。
そのカレンはと言うと、聖獣と何かを話しているようだ。シュテファンから見れば、カレンが一方的に聖獣へ話しかけているようにしか見えないのだが。戯れるように二体に囲まれ、気持ちよさそうに毛を梳きながら口や首を動かしていた。少しして聖獣から手を離したカレンに、シュテファンは手を差し伸べる。つかまって立ち上がったカレンは『ありがとうございます』と言った後でシュテファンに質問をした。
「穢獣を飼うことはあるのですか?」
予想だにしなかった質問に何を言っているのだとシュテファンの顔がひそまる。穢獣は自分以外の生き物全てを敵とみなし、存在に気づいた時点で攻撃する生き物だ。他者から介入しようがない。
「…聞いたことがない。ボリス、ティル、お前達はどうだ?」
「は、ご嫡子様と同じく聞いたことがございません。」
「キーランドは?」
「私も聞いたことがございません。」
「だろうな。」
「あの、では魔獣を飼うことはあるのですか?」
「それはある。安定して魔石が採取できるし、うまく飼育すれば大きくて濃い魔石が手に入る。畜産業の一つだ。正確には魔獣ではなく畜魔獣と呼んでいる。」
「だとしたら、何かしらがあって野生化した畜魔獣が穢獣になった…?」
ポツリと考えを口にしたカレンに、シュテファンが即座に否定した。
「それはないな。畜魔獣は国に登録された畜場で貴族が直営管理し、厳重に管理されている。数の増減は理由と共に毎月報告しなければならなかったはずだ。大事な魔石の素だ、逃がすこともないだろう。仮に脱走でもされたら畜場総出の捜索になる。」
「なるほど…。ちなみに、一般的な家畜のように首輪や足輪みたいなもので所有を証しているのでしょうか。」
「そうだったはずだが…カレン嬢、何故そんなことを?」
「あぁ、いえ。先ほどの穢魔石に家紋のようなものが見えたので、もしかしたらと思って…」
「家紋?」
「あ…えぇと、家を表す印みたいなものと言えばお分かりになりますか?盾形の中に絵や図柄などが入っているものです。あ、封蝋に押されているような…」
「家章か!」
答えを導き出したシュテファンの表情が厳しいものになる。穢魔石に家章が見えた。すなわち、どこかの貴族が穢獣で何かをしようとしていたと言うことだ。凶悪な穢獣をむりやり従わせることは相当危険であるはずだが、それをしてまでやりたいこととは…。そんなことをする貴族がエストマルク王国にいるのか…?いるとするなら、それはいったい…。シュテファンは素早く頭を働かせるが憶測の域でしかなく、あまり大事にしたくない。まだ聞かせる必要はないと判断してボリスとティルを下がらせ、シュテファンは気持ちを抑えるように息を吐き出すとカレンに向き合った。
「…どこの家か分かるか?」
「…いいえ、まったく。申し訳ありません。」
「いや、それもそうだな…。では盾の中には何が入っていた?」
「動物と鳥でした。」
「動物と鳥…もう少し詳細に分かるだろうか。」
「おそらくですが、ネコ科の動物と…すみません、種類とかよく分からないので…」
「絵に描くことはできるか?」
「絵は、あの、ちょっと…その、かなり下手なので…」
「ああ、すまない。カレン嬢がそんな顔をすることはないんだ。しかし、そうだな…」
「若旦那様。」
「何だ?」
「僭越ながら、ヒョーク様とご一緒にフィスチェレイ家へお越しくださいませんか。我が家も貴族の末席に加わっておりますので、図鑑があるはずでございます。それをご覧いただければ、あるいは。」
「なるほど、貴族図鑑か。」
シュテファンは大きく頷く。貴族図鑑とは正式名称を『エストマルク王国王侯貴族世帯詳細図譜』と言い、エストマルク王国中の貴族が網羅されている本のことだ。家ごとに家族構成、個人の年齢、与えられている爵位、領している土地、所属している仕事内容などが羅列されている。結婚適齢期の息嬢がいる貴族はこれを舐めるようにして読み、少しでも優秀な相手を探し出すのである。そこには家章と呼ばれる家の紋章も載っているので、カレンにも分かるのではないかとキーランドは提案した。
「カレン嬢、エストマルク王国貴族の各家章を見れば、どれだか分かるか?」
「たぶん…正確に覚えていれば、ですけれど…」
「よし、ではグリシャ殿に連絡を。」
「畏まりました。もともとスチルドクローテの討伐が終わり次第、ヒョーク様を我が家へお招きする予定でしたので、若旦那様もご一緒にいらっしゃると申し伝えます。明日でよろしいでしょうか。」
「ああ。」
「ではさっそく。」
「ついでにボリスを呼んできてくれ。」
「畏まりました。」
深く頭を下げたキーランドが保管所から出ていく。シュテファンがボリスを呼び戻したのは、この討伐で獲得した他の穢魔石を見たかったからだ。チェフのものと同様、家章が刻まれていないか確認したい。そして、それは懸念などではなかった。戻ってきたボリスに穢魔石を用意させ、カレンに穢れを祓わせてみれば数個から家章が見えたと言う。シュテファンにはただの穢魔石にしか見えなかったが、一つではなく複数個から見えたと言うなら見間違いではなさそうだ。それにしても…とシュテファンはカレンを凝視する。全ての穢魔石から穢れを祓った後でもカレンの様子に変化は見られない。いったいどれだけの魔力を…いや、魔力だけではないだろう、どれだけのものを秘めているのか。シュテファンは背中をぞくりと震わせた。欲しい。カレンが欲しい。




