075
翌日、シュテファンの機嫌はよかった。ジェイとケルビーからの話が思った以上に実入りのあるものだったからだ。スチルドクローテの話も当然したが、それとは別にカレンと二人の関係が単なる友人であること、普段のカレンの暮らしぶり、孤児院や神殿への奉仕態度など、カレンのことを多く聞くことができた。カレンのことをほぼ知らないに等しいが、昨日で少し理解できたはず。そして今、こうしてカレンの働く様子を間近で見られることを神に感謝していた。
穢獣部隊からカレンへの直接依頼は、救護所の補助。主な内容として薬草から成分を抽出することだ。救護所の奥に設けられた調薬室で成分抽出をするカレンを、シュテファンはじっくりと眺めていた。カレンが細く白い手を薬草の上に翳すと、ほどなくして空中に抽出した成分が水の玉のように集まる。華奢な手が滑らかに動いて成分を器に移す。器に成分が溜まると封栓をして次の器へ手を向ける。一連の流れに無駄はなく、作業をしているカレンは真顔だが、器が満杯になるたびにほんの小さな微笑みを浮かべる。それがとても美しく、シュテファンは飽きずにカレンへ視線を送っていた。
「…そんなに見ないでください。」
「む…、邪魔をしていたか?真剣に取り組んでいるカレン嬢が美しく、目が離せなかった。」
悪びれなく発せられたシュテファンの言葉に、カレンの頬が赤く色づく。イケメンの放つ言葉をまともに浴びてはいけない。この人は何を言っているのだと恨めしそうにじっとりと目を座らせるカレンだが、シュテファンには通じなかった。喜びを滲ませた微笑みを浮かべて遠慮なくカレンを見つめるのだ。いたたまれずに視線を逸らしたカレンは再び成分抽出に取り掛かりつつ、シュテファンに尋ねた。
「ここにいらしても退屈なだけではありませんか?」
「いや、まったく?カレン嬢のそばにいて退屈なことなど露ほどもない。」
「…そうですか。シュテファン様はスチルドクローテの討伐には行かれないのですか?」
「俺は穢獣部隊員でもなければ冒険者でもないから、下手に動くことはできないな。」
「そういうものなのですね。一日でも早く討伐が完了すれば、この地区の人達も領都の人達もまた安心して暮らせるようになると思ったものですから。穢獣部隊の方々も冒険者も、いつまでもここにいるわけにもいかないでしょうし…。マーラ様がシュテファン様はお強いと言われていたので、こちらにいらしたと言うことは討伐にお力添えいただけるのだと早とちりしていました。失礼いたしました。」
「…カレン嬢も安心して領都に戻れるか?」
「え?ええ。穢獣の恐怖を耳にしないだけでも安心できますし、ヘイリゲルワルドでは他の聖獣達も待っていますし。私、お魚も好きですので、こちらのお魚がいつもと変わらず流通されれば嬉しいです。」
「では、スチルドクローテの一匹でも討伐してこようかな。キーランドを借りても?」
「…救護所から出ないと約束します。」
唐突な討伐宣言についていけないながらも、立ち上がったシュテファンを見送った方がいいと判断してカレンも立ち上がる。それを『そのままで』と制してキーランドを呼ぶと、シュテファンは思い出したかのように付け足した。
「ああ、そうだ。きちんと討伐できたなら、カレン嬢からの褒美が欲しい。」
「え…褒美でございますか?」
「そうだ。期待している。」
では、またあとで。カレンが返事をする前にシュテファンはキーランドを連れて垂布の向こうに消えた。その後ろ姿を呆然と見送って、カレンはパチパチと瞬きを繰り返す。褒美とは?何を望んでいる?
「…ヒョーク様、少し休みますか?」
「…いいえ。作業を続けます。」
気を遣って机の端で作業をしていたギュンターが定位置に戻り、さらに気を遣ってカレンへ声をかける。おかげで停止していた思考が働き出し、カレンは苦笑を浮かべて首を振った。
「…ちなみに聞いてもいいですか?」
「なんでしょう?」
「貴族様が望まれるご褒美とは、いったい何だと思います?私が用意できる物でしょうか?」
「…僕、机を移動しようか本気で考えていました。たぶんですけど、ご嫡子様はヒョーク様から贈られたものは何でも喜ばれると思いますよ。」
「何でもって一番困りますよね。ギュンターさんだったら何を貰えたら嬉しいですか?」
「僕ですか?僕は…って!僕の話はいいですから!父さんも伯母さんもこっち見なくていいから!」
「あら、残念。ヒョーク様、惜しいです!」
「ふふっ、次の機会に頑張ります!」
「ヒョーク様!」
甥の恋愛事情が気になるのか、ゼルマが不満足そうな声を出す。毎日同じ空間で、同じ顔が、同じ目的をもって過ごしていれば、おのずと結束力は高まるし、打ち解けもする。社会人の顔を作ることなくドロゲンヴェルカウフ一族と接するようになったカレンの軽口とそれに対するギュンターの反応に、ヴェンツェルもゲラルトもゼルマも年若い親戚を見守る生温かい雰囲気を醸し出していた。それでも居心地悪くなったギュンターの作業が雑になったのを見逃さず注意を入れるヴェンツェルに、カレンも気を引き締めて作業を進める。聞こえてきたところによると、昨日の大捕り物で大体のスチルドクローテは討伐したそうだ。今は討伐し残しがないか湖周辺の巡見を念入りに行っているらしい。薬もそれほど大量には必要ないようなので、カレンは早さよりも丁寧さを心がけて抽出を続けた。
シュテファンが戻ってきたのは翌々日だった。出動していた穢獣部隊と共に拠点地へ入ると真っ先に身を清める。本心では何をおいてもカレンに会いたいのだが、身なりの整っていない自分を見せたくなかった。男の自尊心である。野営の汚れを落としている間に気の利くキーランドが服を綺麗にし、シュテファンはようやく抽出作業をしているカレンのもとへ向かった。
「おかえりなさいませ。」
「ああ、戻った。」
おかえりなさい、なんと良い響きなのだろう。こんなにも心落ち着く言葉だったとは。無様に歪んだ顔は見せたくないと表情筋を酷使して微笑みを作り、カレンの正面に腰を掛ける。これまた気の利くギュンターはすでに机の端へと移動していた。
「お怪我はございませんか?」
「ああ、何ともない。」
「よかったです。シュテファン様が帰って来られない間も救護所に運び込まれる人がいましたので、心配しておりました。」
「カレン嬢に心配してもらえるとは、俺はなんと幸せな男だ。カレン嬢、良い知らせを届けよう。俺はチェフと呼ばれているスチルドクローテを討伐した。残りのスチルドクローテも穢獣部隊が討伐したそうだ。すべての討伐は完了した。」
「わ、本当ですか?」
「ああ。領都へ戻れる。」
「すごい!マーラ様が言われるように、シュテファン様はお強いのでございますね。」
「カレン嬢が褒めてくれるのは天にも昇る心地だな。とても嬉しい。」
作業していた手を止めてカレンはシュテファンを凝視する。その瞳が喜色を湛えていることにシュテファンは満足げに頷いた。
「外でちょっとした慰労宴をしている。カレン嬢、行ってみないか?」
「それはこれまで体を張ってくださった穢獣部隊の方々へだと思いますので、救護所にいただけの私が行くのは違うと思います。お気持ちだけ、ありがたく。」
「何を言うのだ?後方の支援があればこそ、実働隊も本領を発揮できるというもの。カレン嬢の働きがなければ病人も負傷人も癒えることはなかっただろう。立派な功労者だ。」
「そうおっしゃっていただけて嬉しいです。ですがそれでしたら、薬を作っているヴェンツェルさん達の方が功労者だと思います。」
「無論、その通りだ。ヴェンツェル達もいなければ、救護所は今ごろ足の踏み場もなかっただろう。だから、ここにいる者みなが行けばいい。」
調薬室内をぐるりと見渡して言うシュテファンに、カレンは責任者であるヴェンツェルを見た。カレンだけでなく、ギュンターもゲラルト達も長の判断を窺っている。12の瞳に見つめられ、ヴェンツェルは仕方なく笑いながら許可を出した。
「ご嫡子様がこうおっしゃられているんだ、行っておいで。全員いっぺんにいなくなるわけにもいかないだろうから、私がここに残るよ。」
「でも、そうしたらヴェンツェルさんが…」
「ヒョーク様、討伐が完了したと言うことは、これ以上薬が必要になることはないでしょう。在庫もありますし、ヒョーク様が抽出された成分も残っています。どうぞ行ってきてください。」
「あとで私がお父さんと代わりますから。」
「話は纏まったようだな。ではカレン嬢、行こうか。」
躊躇する時間を与えず、シュテファンは机を回ってカレンへ手を差し出す。彼の大きい手に視線を向け、腕を辿ってシュテファンを見上げ、カレンは自分の手を重ねた。慰労宴とはバーベキューのようなものか、それとも飯盒炊爨のようなものか。カレンは多少ワクワクしながらシュテファンの誘導に従って救護所の外へ出た。




