071
「こんなに重なることがあるのか…?」
「…暖季だしな、穢獣が一斉に動き出してもおかしくない。」
「だが、これだけ報告が上がるのは初めてだ。ただの穢獣ならそれも分かるが、名付穢獣だぞ。」
「確かオストシエドルングにも出てるんだよな?」
「ああ。スチルドクローテと聞いている。およそ30匹、うち10匹ほど巨大化しているらしい。」
「スチルドクローテか…厄介だな。」
「ほかの地も似たようなものだ。」
「ヒュー、ウェイゼンドルフは問題ないのか?」
「兄上から話は来てないから大丈夫なんだろうけど…。そっちのがこっちに流れてくる可能性はあるな。兄上に知らせておくべきか…。」
「いや、漁業区域に出ているらしい。そっちへ行くような事態が起こる前に、騎士団の穢獣部隊が出動することになるだろう。」
「…ならひとまず安心か。」
複雑な顔をしたヒューが呟く。彼の兄が領しているウェイゼンドルフはオストシエドルングの西に位置する。漁業区域に出没しているスチルドクローテがウェイゼンドルフへ流れるとなると、オストシエドルングの領都は通過する経路上にある。エストマルク王国東部の最重要点が穢獣に踏み荒らされる危機に面する前に、国王は王国騎士団の穢獣部隊を派遣するだろう。当面は自領が被害に遭わなさそうなので安心だが、オストシエドルングのことを考えると眉が寄ってしまう。ヒューは何度も訪れたことのある馴染みの地に穢獣が出ている現状を憂いた。
「北に穢獣部隊を派遣しているから、いま要請されてもすぐには動かせないがな…」
「我が騎兵団にも穢獣部隊はある。それが討伐に向かっているとのことだから、おそらく騎士団の手を煩わせることはないと思う。」
「そう願う。」
深く息を吐き出したレイナードは執務室に置かれているソファの背凭れに寄りかかった。レイナードが王国騎士団長に就いて4年、これまで名付穢獣が同時に各地で出没することなどなかった。彼の父親、つまりエストマルク王国の国王も初めて聞く事態だと言う。ヒューが言うようにただの偶然ならいいのだが…。
「…ところで、シュテフ。さっきシアナ嬢が言っていたことは本当か?」
「え?シアナ嬢?王城に来てたんだ?」
「ああ。母上がお茶会にマリー様を招いたらしい。シアナ嬢も一緒にな。」
「マ、マリー様か…」
「ヒューっ!その顔はマリー様に失礼だぞ!?」
「仕方ないだろっ!小さい頃に散々叱られたんだから深層で苦手にもなるだろうよ!大体、レイのせいじゃないか!俺達の中じゃお前が一番悪童だったくせにマリー様の前からいつの間にかしれっといなくなるもんだから、お前がやらかしたことは全部俺がかぶることになったんだろ!!」
「マリー様を悪く言うな!」
「悪く言ってないだろ!恐ろしいって言ってるだけだ!」
「ヒュー。お前の叱られ方はまだ優しい方だぞ。」
「…あ…そう…」
輝きを消した瞳を向けて抑揚なく告げるシュテファンに、ヒューの頬が引き攣る。背中にそら寒いものを感じたヒューは、それを振り払うかのように無理やり笑みを作って話題を戻した。
「それで、シアナ嬢が何て言ったんだ?」
「マーラ嬢が聖獣に襲われそうになったそうだ。原因はマーラ嬢ではないとのことだが…一体どういうことか説明しろ。」
「俺がつい最近まで王都にずっといたのは知ってるだろう?俺は現場を見ていない。」
「だが話ぐらいは聞いているだろ。」
「…食い詰めた冒険者が聖獣を狩ろうとした。警告しに町へ姿を現した聖獣にマーラが立ち向かった。攻撃を受けそうになった時に闇の聖女が庇ってくれたらしい。」
「おっ、噂のカレン嬢だな!?」
「カレン嬢…ヒュー、知っていたのか?」
「名前だけな。シュテフがぞっこんの黒葵の君。」
「何だ?その『黒葵の君』って?」
「シュテフが言ったんだよ。カレン嬢を表すとしたら黒葵だって。カレン嬢って名前で呼ぶと…ほらシュテフの顔を見てみろ、すごく機嫌が悪くなるだろ?だから、黒葵の君。」
「へえ、ヒューは知っていたんだ…。僕だけ除け者にされていたのか…。」
「お、俺は悪くないぞ!?」
「…どうせシュテフが僕には黙ってろって言ったんだろ?まったく…。それで、シアナ嬢が他にも言っていたことは本当なのか?」
「まあ、概ねは。」
「どこが違う。」
「…こうなるのが分かっていたから嫌だったんだ。」
真面目な話をしていたはずなのに、いつの間にかわくわくした表情をしているレイナードとヒューに、シュテファンは盛大に息を吐き出した。学生ではないのだから、他人の色恋に干渉してくるな。加えて、王太子が首を突っ込むなど碌なことになるまい。そもそもの原因を作ったシアナを恨めしく思いながら、シュテファンは半眼になって親友達を睨む。
「カレン嬢に興味を持つな。彼女は俺の妻になる女だ。」
「は!?もう決まっているのか!?父上は知っているのか!?」
「お前の勝手な妄想だけどな、シュテフ。」
「父上に許可はいただいている。」
「トゥバルト殿は承諾しているのか!?こっちまで上がってきてないぞ!?」
「レイ、落ち着け。まだ何にも始まっていない。シュテフが懸想しているだけだ。」
「む、手紙のやり取りはしている。星霜祭には陽慕花を贈った。」
顔をしかめて反論したシュテファンに、レイナードとヒューは呆れた視線を向けた。意中の相手に陽慕花を贈るのはエストマルク王国の男なら当然だし、手紙のやり取りとたった一度陽慕花を贈っただけで将来を夢見るとは…。次期辺境伯がそれで許されるのだろうか?
「…レイ、シアナ嬢は他になんて言ってた?」
「とても美しいらしいぞ。闇の聖女だから黒瞳黒髪で、白く透き通るような肌に映えているらしい。あとは、そうだな…華奢な体つきとも言っていたか。守ってさしあげたいそうだ。」
「へえ、庇護欲をそそる系統なんだ。てか、美人なんだな!?」
「シアナ嬢が言うには。知ってたんじゃないのか?」
「そこまでは知らなかった。シュテフからは美人としか聞いてない。俺にも教えてくれないんだよ。てか、黒葵の君は本当に美人だったのか。」
「ヒュー。俺の言葉は信用ない、と?」
「違う。けど、恋は盲目って言うだろ。花に見えるか雑草に見えるかはそいつ次第なんだし。」
「…」
「同性のシアナ嬢が『とても美しい』って言うなら、本物だろ?見たいなあ。」
「それなら特務でオストシエドルングへ行くか?穢獣の群れがどれくらいの規模か確かめておきたい。」
「おっ!いいぜ!」
「移動を含めて十日ほどあれば足りるだろ。任せる。」
「おう!」
「待て、レイ。なぜヒューに任せる。行くなら俺だろう?」
「それこそ何故だ。主目的をはき違えると分かっていて貴様に任ずるとでも思うか?」
「俺が行くか、誰も行かないか。どちらかだ。」
「なぜシュテフが決めるんだ!?」
レイナードは足を組んでふてぶてしく座るシュテファンを睨んだ。なまじ頭も切れ腕も立つものだから、この男はしばしば不遜な態度を取る。そこも魅力的だとかで女性からきゃあきゃあ言われているが、そんな色めき立つ彼女達を意に介したことはない。『来る者無関心、去る者追わず』がシュテファンの女性対応だったはず。それが今はどうだろう。カレン・ヒョークとかいう闇の聖女に会わんがためにこんな積極的に動こうとしているとは。レイナードはシュテファンの隣に座っているヒューへこそりと話しかけた。いや、机を挟んでいるのでシュテファンにも丸聞こえなのは承知の上だ。
「…そんなに心を動かされるような人物なのか?」
「俺に聞くなよ。会ったことも、見たことすらないんだから。いいんじゃないか、ずっと表情筋が死んでいるよりも。」
「いきなりすぎて気持ち悪いぞ…」
「今までが不愛想だったんだって。」
「レイ、どっちにするんだ?」
結論を早く言え、と促すシュテファンにレイナードは深々と息を吐き出す。それを望む返事であると受け取り、満足そうに口端を上げるシュテファンを見て、レイナードをヒューは呆れたように目配せ合った。




