070
エストマルク王国の貴族は社交時季になると王都へ集まる。主だった貴族は約半年間、末端貴族でも年末年始に王城で開催される星霜宴に出席するのが習わしだ。当然、挨拶だとか付き合いだとかで毎日が忙しなく過ぎていく。アッカーベルグ家も各人がそれぞれに予定が入っていた。トゥバルトは内政には深く関与していないものの、辺境伯という立場から王城での存在感は十分で、彼の発言如何で物事の動きが変わってくることがある。繋がりを持ちたい者、強めたい者、取り入りたい者、様々な思惑がひっきりなしに彼のもとへ訪れていた。マリーは王妃のお気に入りで辺境伯夫人。自分の主催する宴会へ彼女が参加したとなれば注目度も抜群であり、昼間の茶会に夜の宴にと招待状が山のように送られている。シュテファンは王太子付きの近衛騎士なので、この時季は一年で最も多忙を極める。シギワルドとシアナはこの時季、王都にある中央学園の特別組に通っているが、こちらもお近づきになりたい学生が毎日うんざりするほど話しかけてきていた。
「シアナ嬢、久し振りですね。」
個人的なお茶会だと呼ばれてマリーと共に登城したシアナが見事な庭園で王妃の相手をしていると、偶然なのか故意なのか王太子のレイナードがその場を通りがかった。椅子から立ち上がり淑女の礼を取ったシアナへ『楽に』と声をかけ、レイナードは逆に母親二人へ頭を下げた。
「ごきげんよう、母上、マリー様。お見かけしたものですから挨拶に伺いました。不躾な振る舞い、お許しください。」
「レイ、この時間にあなたに会えるのは珍しいですね。休憩ですか?」
「はい。少しだけですが時間ができたので気分転換に庭を歩こうかと。マリー様、母の相手をしていただきありがとうございます。」
「まあっ、レイったら!」
「王太子殿下、…」
「レイナードで結構です、マリー様。この場は私的なのでしょう?あなたに距離を取られるのは寂しいです。」
「ではお言葉に甘えて、レイナード様。王妃様とお会いできるのは私にとってもとても嬉しいものです。今日はシアナも呼んでいただき楽しい時間を過ごしておりました。後ろに控えている愚息はレイナード様の邪魔をしておりませんか?不手際がありましたら、迷われることなく即刻お捨てくださいませ。」
容赦ないマリーの言葉に、後ろから短い舌打ちが聞こえてくる。ちらりと後ろを振り返り、レイナードは軽やかに笑った。若手男性貴族の中でも評価の高いシュテファンも、母親の前ではどうやら可愛い息子らしい。
「はは。確かにもう少し愛想があってもいいと思いますね。」
「それがシュテファンのいいところでしょうに。ねえ、シュテファン?」
「温かいお言葉ありがとうございます、王妃陛下。」
「おやおや、どうも母上はシュテフに甘い。これはシアナ嬢を味方につけなくては。シアナ嬢、よければ散策に付き合っていただけませんか?」
「…畏まりました。」
「ありがとう。では母上、マリー様、シアナ嬢をお借りします。ご歓談中に失礼しました。」
座っているシアナのそばへすっと近寄り立ち上がるのを手伝うと、レイナードは腕を差し出してゆっくりと歩き出した。自分にとって最適な速度の歩みに、シアナは小さく眉を寄せる。
「…それで、何をお話すればいいのでしょうか?」
「さすがですね、シアナ嬢。」
にっこりと微笑むレイナードにシアナは嫌そうに眉間の皴を深めた。それが不敬に当たらないのは、王家とアッカーベルグ家が懇意だからに他ならない。レイナードとシュテファンは幼馴染であり、王都にある中央学園を卒業するまでのレイナードはよく王城を抜け出してアッカーベルグ家へ遊びに来ていた。当然、シギワルドをはじめアッカーベルグ家の子供が増えていく様子はつぶさに見てきた。シュテファンの弟妹はレイナードにとっても可愛がる対象なのだ。シアナもまた逆に、この見目麗しい王太子殿下の成長を見てきたと言っていい。芸術品のような外見に反して力押しを好んだり、中央学園、中央学院の教師陣を感嘆させた頭脳明晰さに反してしょうもないことをして叱られたり、素のレイナードは他の男の子となんら変わりなかった。だから、分かる。お茶会にレイナードが現れたのは故意であり、これから自分は穏やかな尋問をされるのだと。シアナの見せた表情に機嫌を損ねることなく、レイナードはずばりと切り出した。
「闇の聖女のことです。オストシエドルングに現れた闇の聖女のことを教えてください。」
「カレン様のことを?」
「ええ。シュテフに聞いても一向に話してくれないので。」
「それはそうでしょうね。シュテフお兄様はカレン様に夢中みたいですから。」
「へえ!」
初めて聞いたらしい。レイナードが素直に驚きを顔に出した。その顔がみるみる輝いた笑顔に変わっていく。悪い顔、とシアナも頬を緩めた。尋問されるなら楽しい方がいい。後ろを振り返れば苦虫を噛み潰した表情の兄が、余計なことは言うなと目で忠告してくる。『余計なことって何かしら?私は王太子殿下のご質問に答えているだけよ』と薄く笑い、シアナは視線を前に戻した。
「カレン・ヒョーク様と言うお名前です。エストマルクのご出身ではないようですが、どちらのお国の出かは知りません。」
「基本的な情報は報告が上がっているので知っています。僕はシアナ嬢から見た闇の聖女のことを知りたい。」
「私から見たカレン様?」
「うん。」
「お優しい方ですわ。初めてお会いしたのはマーラが光の聖獣に襲われそうになった時なのですが…」
「待ってください!聖獣に襲われた!?マーラ嬢が!?」
「ええ、まあ、理由があってのことなのですが。決してマーラは悪くありませんので、誤解なきようお願いいたします。それでマーラが襲われそうになった時にカレン様が身を挺してマーラを庇ってくださったのです。」
「…二人が無事で何よりです。」
「ええ、本当に。それで光の聖獣をカレン様が従えるようになり、聖獣の怒りもカレン様が解いてくださって、今はヘイリゲルワルドで聖獣とお暮らしです。」
「ヘイリゲルワルド…?そんな森がオストシエドルングにありましたっけ?」
「城館すぐ近くの森です。聖女と聖獣が暮らしている森だから、と領民達がそう呼ぶようになりました。領民もカレン様のことを敬しています。」
「それはそれは。」
「とても美しい方ですの。私達とは少しだけ違う肌の色、それなのに白く透き通っていて、黒瞳黒髪がとても引き立ってお綺麗なのです。華奢な体つきも相まって守って差し上げたくなるような方ですわ。」
「ほう…」
「けれど、お強い方。冒険者になってご自分の力で生きていらっしゃいます。私達の手を取ってはくださらないの。」
「へえ…」
「教育は受けていらっしゃると思います。もちろんエストマルクのものではないですけれど。見聞きしたことをご自分の中に落とし込んで習得なさっているのです、これって学習の仕方を知っていると言うことでしょう?」
「そうですね。ということは貴族ですか?」
「どうなのでしょう?カレン様ご自身は『庶民』だとおっしゃっていました。確かに礼儀作法に欠ける部分は見受けられましたが、一緒にいて気分が悪くなるほどのものではありませんでしたし…。」
「庶民、ですか…。それにしては立ち居振る舞いができている、と?」
「その通りです。ぎこちなさが少ないと言いますか、まったくの『無』ではないと言いますか、過去にそれ相応の暮らしをされていたと感じました。今は手紙のやり取りをしていますが、とても繊細な字を書かれるのですよ。」
「へえ…。どうもシアナ嬢の話を聞いていると闇の聖女は庶民と言うよりご令嬢のように思えるのですが。会ってみたいものですね。」
きらりと瞳を輝かせるレイナードに、シアナは溜息をついた。この表情をしている時のレイナードは碌でもないことを考えていることが多いのだ。
「上都命令はおやめになった方がよろしいかと。」
「おや、なぜです?」
「カレン様は静かに暮らすことを望まれています。我が家への滞在も断られてしまったのですもの、王城で過ごされるなどお考えにもなっていないと思いますわ。」
「しかし闇の聖女は稀有な存在です。引見しておくべきでは?」
「レイナード様、カレン様はご自分の立場を理解されています。」
「彼女の立場?」
「…カレン様は光の聖獣にとても気に入られているようです。どれくらいか想像できまして?」
「いえ、まったく。教えてください。」
「先ほど、森で一緒に暮らしていると申しましたでしょう?光の聖獣はカレン様に寄り添っています。彼女に不利益が生じそうだと感じ取った時点で相手を恐ろしく威嚇するくらいですの。それにカレン様を背に乗せて空を翔けるのですよ。」
「それはまた、随分と…」
「ですので、カレン様のお気持ちを尊重したほうがよろしいかと思います。慎ましい方なので普段はそれほどご意見を言われませんけれど、お考えをきちんと持っていらっしゃる方です。あまり無理強いをなさると他国へ行かれてしまうかも。」
「ああ、それは困りますね。」
「カレン様とお話するのは楽しいわ。お義姉様になってくれると嬉しいのだけれど。…ねえ、お兄様?」
たっぷりとした仕草で後ろを振り向いたシアナに、シュテファンは盛大な溜息を返す。
「…しゃべりすぎだ。」
「あら、そうかしら?カレン様の魅力を伝えるにはまだまだ言葉が足りないような気がするけれど?」
「レイに話す必要はない。」
「おい!僕は王太子だぞ!?…まあ、いい。戻る時間だ。シアナ嬢、残念ですが本日はここで失礼しますね。次に王城へ来る時はどうか僕を訪ねてください。」
お茶会の席まで送ります、と足の向きを変えたレイナードにシアナも合わせる。さて、これでこの男達はどう動くのか。シアナは読めそうで読めない彼らの動向を楽しそうに予想した。




