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069

 カレンがヴェルスチエデン湖へ来て一週間が経った。スチルドクローテと名付けるまでに至らない大亀の穢獣の討伐は、集った冒険者達が人数にモノを言わせているので順調だ。しかし、スチルドクローテはまだ数匹しか討伐できていない。討伐しただけ負傷者も出てきて、救護所にも入院者が身を横たえるようになった。


「スチルドクローテはそんなに危険な穢獣なのですか?」


 薬草から成分抽出をしつつカレンが尋ねる。調薬室は診察室や薬品販売所の裏にあり、垂布で仕切られているだけなので双方の会話は漏れやすい。隊員や冒険者に聞かれたら白い目を向けられるだろう内容なのは分かっていたので、質問の声は自然と小さくなった。


「ヒョーク様、大亀を見たことはありますか?」

「えぇと、今まで見たことある亀の中で一番大きいのは…こうやって両手で持ち上げるくらいでしょうか。そもそも亀が身近にいなかったので、よく知らないんですよ。」


 大きさを示すように両手を胸の前に持って生きて掴む仕草をしたカレンに、同じ机で作業をしていたギュンターと抽出した成分の整理を手伝っているキーランドは苦笑した。カレンが答えた亀は大亀ですらない、ただの亀だ。


「亀と大亀は分類が違います。亀は水棲と陸棲の両方がいますが、大亀は水棲種だけです。陸に上がることもありますが、すぐに水の中に戻ります。大きさはそうですねえ、水の聖獣と同じくらいだと思います。」


 ギュンターの説明に、カレンは机の上に顎を乗せて興味津々にカレンの作業を見ているスイを見つめた。この大きさの亀がこの辺りにうようよといるらしい。あまり可愛いと思えない巨大生物が自分の近くに何匹もいることを想像して、カレンはふるりと身を震わせた。


「…それだと大亀の穢獣を討伐するのも大変そうですね。」

「ところが、それほどでもないのです。確かに水の中での動きは速いので苦労しますが、陸に上がってしまえばとても緩慢になるので案外容易に仕留めることができます。餌でおびき出して陸へ上がらせるのがよくつかわれる手法です。」


 補足するように話を引き取ったキーランドが、カレンとギュンターとで抽出した成分を入れた器に封栓をしていく。それを壁際の棚へ並べて置き、二人がいる机へ戻ってくると今度はスチルドクローテの説明を始めた。


「スチルドクローテは大亀の穢獣より魔力を持ち、悪い方向へ成長したものです。水陸両棲種となり、走るのも泳ぐのも速く、30分は平気で潜ります。水の中では勝負になりません。」

「速い、のはどれくらいなのですか?」

「我々の全速力と同じくらいです。水の中ではもっと速いですよ。」

「…思っていたより速いのですね。驚きました。討伐がなかなか進まないのにも納得です。」

「それと、亀は群れる生き物ではないので一度に討伐できないのです。」

「え…でも、群れを発見したって依頼だったような…」

「確かに群れているように見えるのですが、亀にとって過ごしやすい場所に集まっているだけなのです。」

「そしたら纏めて討伐は…」

「できません。一体ずつ討伐することになります。仮に纏まっていてもこちらが攻撃を始めたら散ってしまいますので。」

「…厄介ですね。」

「はい。」


 抽出する手を止めて眉を顰めてしまったカレンに、キーランドは深く頷いた。ギュンターも考え込むように目を伏せる。


「亀は噛む力が強いですし、爪も鋭いですよね?キーランド様、大亀やスチルドクローテから攻撃してくることはないのですか?」

「普通の亀ならただ逃げるだけだが、どちらも穢獣だ。だから、ある。敵とみなした相手には獰猛だ。」

「攻撃されるとどうなるのですか?」

「噛まれると下手したら腕を持っていかれる。穴が開くのは必至だ。爪の方は一撫でで抉れる。」

「そんなの、傷薬がいくらあっても足りないではないですか!」

「ああ。だからヒョーク様やギュンター達がお抱えのようになっているんだ。頼む、裏から討伐を支えてくれ。」


 フィスチェレイ家の一員としての発言なのか、苦しそうな表情でキーランドがギュンターを見た。シンとした重い空気が調薬室に流れる。それを破るようにギュンターは再び手を動かし始めた。抽出された成分が空中で集まり、目盛が記された器へ落とされていく。


「分かっています。だからこうして日々作業しているのではないですか。これでも僕、ここに来てから一度に抽出できる量が増えたんですよ。まあ、ヒョーク様には敵いませんが。」

「そうなのか?どうりで机と棚との往復が増えたわけだ。」


 はは、と軽く笑い声をあげたキーランドにギュンターの雰囲気も和らぐ。カレンも抽出作業を再開しながら『頑張ろう』と気合を入れ直した。カレン達が使っている机は診察室側にあり、垂布の向こうでは怪我をしたり体調を崩したりした部隊員や冒険者がいる。神官も衛生組員も順次交代しながら休みなく働いていた。カレンが受けた直接依頼の内容は救護所での助手的役割。薬の素となる有効成分が足りないなんてことがないようにしなければならない。


「…あっ!」


 気合が空回ってしまったようだ。カレンの手から何も入っていない新しい器が滑り落ちる。ガチャンと甲高くなった音に一瞬首を竦めて、カレンは慌てて床にしゃがみ込んだ。


「っ、すみません!すぐ片付けますので!」

「ヒョーク様!危ないですから離れてください。私が片付けます。」

「大丈夫です。これくらい自分でし、っ…」


 割れてしまった器の大きな欠片を拾おうとして、カレンは摘んだ指を引っ込めた。ピリッとした痛みを感じて指先を見れば、赤い線が一本走っている。どうやら欠片で切ってしまったようだ。


「あぁ…」

「カレン!けがした!」


 器の割れる音に驚いて机から飛び離れたスイが驚声を上げる。突然咆えた聖獣に、調薬室は緊張に包まれる。ぐいぐいと顔を近づけるスイの首を抱きしめて宥め、カレンは固まったようにして視線を向けてくるドロゲンヴェルカウフ一族に謝罪した。


「すみません。不注意で器を割ってしまいました。片付けようとしたら指先を切ってしまって。水の聖獣は私を心配してくれているだけですので、気にしないでください。すぐに片づけ…」

「指を切った!?聖女様が怪我をされた!?大変だっ!!ヒョーク様、大丈夫ですか!?」

「お父さん!早く傷薬を作って!!」

「分かってる!ゼルマはヒョーク様の指先を清潔にしておいてくれ!」

「え!?やだ、そんな大げさなものじゃないです!ほっといても大丈夫です!」

「そんなわけにいきません!ヒョーク様、手を出してください!」

「これくらいの傷に薬を使うのはもったいないです。大丈夫、大丈夫ですから!」

「いけません!私達は曾お爺さんからヒョーク様を守るよう言い含められてここに来ています!怪我をしたのに放っておいたなんてことが知れたら、ヒョーク様にも曾お爺さんの雷が落ちますよ!至近距離から!」

「じゃ、じゃあ傷薬の代わりに原膏を三掬い、修復、鎮痛、止膿成分を一滴ずつください。少し試してみたいことがあるんです。」


 外傷薬一つ作るのも繊細な技術が必要になる。おそらく、これから大量に必要とされる薬をたかだか指先の切り傷に使うのは勿体なさすぎる。抽出成分をいろいろなものに混ぜ合わせることができると知ってから作れないかと考えていたものがあるので、丁度いい機会だ。治験体は自分だし迷惑は掛からないだろう。カレンはドロゲンヴェルカウフ一族の慌てぶりに若干引きつつ、調合材料をほんの少し分けてほしいと頼み、青魔石で水を作って指先を綺麗に洗った。


「…用意しましたが…ヒョーク様、一体何を?」

「美容軟膏があるのですから膏薬があってもいいのでは、と思いまして。」


 取りあえずの器に入れられた材料に手を翳しながらカレンは綺麗に混ざり合うよう頭の中でイメージした。魔法はイメージが大事。『まぜまぜ』と小さく唱えれば、カレンの手から発せられた緑の光の帯が器に降りていく。翳した手を外せば、滑らかに均された膏薬がそこにはあった。どれくらいの効果があるのか分からないので、薄く掬い取って傷口に塗ってみる。すると浅く切れていたはずの傷口が、それこそ魔法をかけたようにすっと消えてしまった。


「…すごい…」


 思わずと言った様子で零したヴェンツェルの目はこれでもかと丸くなっている。その漏れ聞こえた感想にカレンも大いに同意した。すごい。ここまでうまくいくとは思っていなかった。自分で試したのに妙に感心したカレンがきれいさっぱりと切り傷がなくなった指先をじっと見つめていると、ヴェンツェルがおそるおそるカレンに声をかけた。


「…あの、大変厚かましいのですが…この膏薬をうちで販売してもいいでしょうか?」

「え?えぇ、どうぞ。私は薬屋さんではないので、薬の生産や売買はできませんから。今のは適当に作っただけのものですから、参考にもならないと思いますが。」

「いや、膏薬という考えがなかったので目から鱗です。でもあの材料でそれだけの効果があるのなら、これまでの液薬より膏薬の方がたくさん作れると思う。なあ、ゲラルト、ゼルマ。」

「そうね。蒸留水より原膏の方が安いし、有効成分の配合内容で薬の種類自体も増やせると思うわ。」

「怪我の軽重にもこれまで通り対応できると思う。」

「でも膏薬は傷口を清潔にしてから使うと思うので、屋外では不便かもしれません。綺麗な水を手に入れられる環境なら問題ないかもしれませんが、液薬に比べて処置時間がかかってしまうと思います。」

「なるほど!それなら消毒成分も加えて…」

「それにこれは配合的に上級薬に近いかもしれません。傷も浅かったのでこんなに綺麗に消えたのかも。」

「確かに…配合はヒョーク様の言う通りです。ということは、下級薬の配合にしたら…今までの何倍の量が一度に作れるんだ!?」

「これ、完成させたら曾お爺さんも驚くわね!」


 にわかに活気づいたヴェンツェル達に、カレンはギュンターと顔を見合わせた。そしてどちらからともなく苦笑に染まる。これは下っ端の作業が増えたな、と。それでも穢獣部隊や冒険者達の役に立つのは間違いないだろう。ひいてはヴェルスチエデン地区、そして自分達の暮らしのためになるのだ。表情とは裏腹に、カレンとギュンターもヴェンツェル達と同じくやる気に満ちていた。

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