068
翌朝、前風時を半分過ぎた頃にカレンは目を覚ました。見覚えのない天井に頭を悩ませたものの、救護所だと思い至る。冒険服に着替え、化粧道具と髪留めを持って洗面所へ移動した。シャワー、トイレ、洗面台が置かれているので狭くはあるが、毎日体を清潔にできるのはありがたい。顔を洗い、髪を一つに纏め、化粧をする。部屋に戻るとコウもスイも起きていたので、一緒に下へ降りた。
「聖女様!おはようございます!」
「わっ、そのままでいいです!どうぞお気遣いなく。」
ふわりと漂っている匂いにつられて食堂を覗くと、枯草色の団服に身を包んだ数人が食事を取っていた。カレンに気づくと食べるのを中断し、わざわざ起立して挨拶をしてくるものだから、カレンは慌てて止めるように言った。
「おはようございます。衛生組の方ですか?」
「はい。食べ終わったら下で待機です。今日も治療する奴が出るでしょうから。」
「お疲れ様です。…もしかして、私、寝坊してしまいましたか?」
「いいえ。俺達は交代勤務なので食べていますが、ヴェンツェル達はまだ来ていません。」
「よかった…。いろいろお世話になるそうで、よろしくお願いします。」
「はい!掃除、洗濯、調理はお任せください!聖女様には抽出作業に専念していただくよう隊長に言われています。」
「ありがとうございます。」
「食事をされるのでしたらご用意いたしますが?」
「あぁ、いえ。他の人達が来るまで待ちます。一階も見てみたいですし。」
「ご案内いたしましょうか?」
「昨日案内してもらったので大丈夫です。ありがとうございます。食事中なのに失礼しました。」
カレンは会釈をして食堂から出ると階段を降りる。一階はすでに人の出入りがあり、冒険者達が薬品販売所に集まっていた。穢獣部隊で使用している薬の一部を販売という形で冒険者達に回しているのだ。普段の漁業区域は比較的穏やかで穢獣の出没があまりない。運悪く遭遇しても、毎日自然を相手に仕事をしている『湖の男』達で対処できる程度のものである。すなわち、冒険者が拠点地にするような場所ではないのだ。ヴェルスチエデン地区に薬品店は一軒だけしかなく、日常の怪我程度の薬しか置いてない。そしてそれは町で暮らす人達の必要なものであり、突如集まった冒険者達に回す余裕がない。穢獣部隊がドロゲンヴェルカウフに協力依頼したのはそのためで、穢獣部隊や冒険者達が暮らしを脅かしていないので町の人達も協力的なのである。
冒険者達は町に点在する宿屋を拠点とし、毎日湖までスチルドクローテの討伐に出ていた。その経路に救護所があるので、冒険者達も気軽に薬を手に入れられるというわけだ。正規価格なので安いわけではないが、薬がなくなってしまう心配をしなくていいのは有意なことだろう。使った分だけ補充できる環境は安心して討伐に当たれるに違いない。販売は衛生組員が行っているらしい。枯草色の団服の左上腕に白布を巻いている人が二人、薬を買い求めに来ている冒険者達相手に大きな声で対応している。階段に近い場所には垂布で仕切られた診療所が4室あり、それぞれ神官と組員が待機していたので簡単に挨拶をした。何が売れ筋なのか後で聞いてみよう、と階段を上がりはじめたカレンが呼び止められる。振り返ると、手を上げて近づいてきたのは赤髪と青髪の二人組だった。
「ジェイ!ケルビー!」
「おはよう、カレンも来てたんだ。冒険服、買ったの?似合ってるよ。」
「ありがとう。ジェイやケルビーみたいに早く着慣れたい。」
「ここにいるってことは討伐参加だろ?覚悟は決まったのか?」
「あー…うぅん、私はここで薬作りのお手伝い。直接討伐はしなくていいって約束してもらってるの。」
「聖女様の薬なら効果倍増を期待できるね!」
「怪我や病気をしないのが一番だよ。二人は討伐参加?」
「おう。スチルドクローテを一匹でも倒しゃ、当分楽できるからな。」
「こんな早くから?」
「言うほど早くないよ。他の人達だって動いてるじゃん。」
「それはそうなんだけど…。とにかく、気を付けてね。」
「ありがとう。そう言えばカレン、今、上に行こうとしてた?」
「そうなの。ここの3階に部屋を用意してもらってて。二人は?」
「俺らは町の安宿。飯付きなのだけが救い。」
そう言えば、衛生組が作るご飯はどんな味なのだろうか?カレンは期待と不安が混ざった視線を階上へ向けた。
「じゃあ俺らはそろそろ行くね。カレンも頑張って。」
「ありがとう。二人とも気を付けてね!」
ジェイとケルビーと別れたカレンは二階へ戻った。食堂に入る前に入院室を覗いてみたがまだ誰も入っていなく、そのことにホッとする。食堂に戻ると、キーランドがいた。カレンの姿を認めて、心なしか表情が緩んだように見える。
「おはようございます。部屋の前で声をかけたのですが返事がなかったので、少し心配していました。」
「すみません。目が覚めたので救護所の中を見ていました。」
「そうでしたか。まずは食事にしましょう。用意しますので座っていてください。」
「えっ、自分でできますから!」
「私の仕事です。ヒョーク様、座ってお待ちください。」
「…分かりました。」
しぶしぶと空いている席へ向かうカレンの後ろをついていき、座りやすいように椅子を引く。キーランドの流れるような仕草にカレンは抵抗する気力と言葉を失った。呆けた状態のカレンの前に手早く食事が並ぶ。黒パン、肉団子と野菜のスープ。簡素なものだが穢獣部隊の基準なので量が多い。食べ切れるかなと心配しつつ、カレンは後ろに立ったままのキーランドに声をかけた。
「キーランドさんは食べないのですか?」
「私は後でいただきます。」
「一緒に食べましょう?」
「いえ、後でいただきます。」
「…一緒に食べてください。」
「いえ、後ほどで結構です。」
「そう言わずに…」
「冷めてしまいますので、どうぞ食べてください。」
「…キーランドさんの食事が並ぶまで待っています。」
カレンとキーランドが静かに攻防を続けているとギュンターや彼の一族が食堂に姿を見せ、結局キーランドを含めて同じ食卓を囲むことになった。年が明けてからドロゲンヴェルカウフの店で抽出作業をしているので、話したことはないものの全員の顔は知っている。ギュンターが一人ずつ紹介するのに会釈を返しながら、カレンはしばらく作業仲間になる人達の名前を覚えた。上級薬を作るのはギュンターの祖父であるヴェンツェルで、カレン達に指示を出す役目もする。言わば主任のようなものだ。中、下級薬を作るのはギュンターの父親のゲラルトと伯母のゼルマ。この三人はカレンやギュンターに先んじて救護所で働いていた。
「今のところ救護所に入るような負傷者は出ていませんので、販売用の薬を作っています。薬草が不足しないよう前時は薬草採取をし、後時で薬を作っています。湖の方まで摘みに行くのでヒョーク様は救護所で待機していてください。ゼルマもだ。」
「ヴェンツェルさん、後時までに戻りますので外出してもいいですか?」
「構いませんが、お一人で大丈夫ですか?」
「心配ありません。ヒョーク様には私が護衛につきます。」
キーランドの請け負いに『それなら大丈夫ですね』とヴェンツェルは許可を出した。食べ終えてから部屋に戻り、マントを羽織る。外出と言っても救護所から湖までの間がどうなっているのか見たいと思っただけだ。両脇に二体の聖獣を従えて、斜め前にはキーランドが侍り、カレンは救護所を出た。そこまで数は多くないものの、草原には穢獣部隊の天幕が整然と並んでいる。その中でも大きいものが司令塔である穢獣部隊長の天幕だろう。救護所と少し離れているが、もし一人で行くことになっても危険ではないと思われる。
「スチルドクローテはどこにいるのですか?」
「湖の周辺だと聞いています。穢獣部隊がここを設営地にしているので、こちら側はまだ安全かと。対岸か、二又に分かれた右側か…もしくは湖の奥に見える森の中か。はっきりした場所は穢獣部隊もつかめていないようです。」
「スチルドクローテが30匹もいるとなると、この町の人達も不安でしょうね。碌に仕事もできていないのでは…。」
「はい。この町の大多数は漁業に従事していますので、スチルドクローテを討伐し終わるまで仕事がない状態です。まあ、養殖をしている一部の者は仕事を続けているようですが。ですので、町の男達は船を出したり薬草を摘んだりして、なんとか暮らしているようです。」
「それでちらほらと姿が見えるのですね。」
穢獣部隊員とも冒険者達とも違う服装が見えていることに納得したカレンだが、それはそれで大丈夫なのかと不安になる。しかしこの町の人達にも暮らしというものがあるのだし、カレンにはどうしようもできないことだ。
「…早く討伐が終わるように、私も抽出作業を頑張ります。」
「ありがとうございます。フィスチェレイ家の者としてお礼申し上げます。」
「キーランドさんのご家族の方々は大丈夫なのですか?」
「この道は湖に沿って森まで続いています。湖に繋がっている川を渡り森に入る手前にフィスチェレイの家があるのですが、スチルドクローテが出る可能性もあるのでなるべく家から出ないようにしているようです。」
「避難はされないのですか?」
「家でおとなしくしているのが一番安全だと申しておりました。」
「…抽出している間は救護所から出ないので、お好きな時に様子を見に行かれてくださいね。」
「ご配慮いただきありがとうございます。」
周囲を観察するように立ち止まって話しているカレンとキーランドを、穢獣部隊員達が遠巻きに囁き合う。
「聖女様だ。」
「あれは聖獣か?」
「聖獣を二体も連れているぞ。」
「お顔がよく見えないな。」
「聖女様がいらっしゃるなら安心だ。」
カレンの耳に隊員たちの声は入ってこないが、過剰な期待をされているのは肌で感じる。居心地の悪くなったカレンはフードを深くかぶり直し、キーランドを促した。
「町へ行ってみたいです。」
「案内いたします。何を見られたいのでしょうか?」
「いえ、特には決めていません。どんな町なのかとか、どんなものを売っているのかとか、全体的に見たいかんじです。」
「畏まりました。」
コウとスイには部屋に戻ってもらい、カレンはヴェルスチエデンの町を散策した。こじんまりとした町だが冒険者が集まっているのもあって活気があり、物も十分にあるようだ。余裕ができたらまた来ようと、カレンは気になる店をいくつか見てから救護所へ戻った。




