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あれだけ楽しんでいた雪も慣れるとちょっぴり厄介と感じるようになるらしい。新雪に足跡をつけて遊ぶのも、雪ダルマや雪ウサギを作るのも、すっかり飽きてしまった。そうなると芯から冷えるような寒さが途端に恨めしくなってくる。雪が解け始めて足元がぐちゃぐちゃになってしまうのも嫌だ。そう愚痴をこぼしたカレンにコウは呆れて目を細めた。少し前まで子供のようにはしゃいで遊んでいたと言うのに。寒季が終わりに近づいて雪も降らなくなり、どんよりと空を厚く覆っていた雲も随分と軽くなり、何となく重かったカレンの心も比例するように浮上する。寒季の後にやってくるのは暖季。寒さを耐え抜いた花々が芽吹き、木々が若葉をつけ、地上がぱあっと明るくなる時季だ。…しかし、今年のオストシエドルングはそう明るいばかりではなかった。
「また一段と注文数が増えましたね。」
「はい。目撃数も減るどころか増えているようで、一部の生産が追い付かなくなっています。」
カレンの隣で同じ作業をしているのはギュンターと言う名前の青瞳青髪の男で、ドロゲンヴェルカウフの玄孫。大枠でカレンと同世代らしい。ドロゲンヴェルカウフは一体いくつなのだろうか…。
「冒険者組合でも討伐依頼を出し続けているようですけど、なかなか減らせないって知り合いの職員がぼやいていました。」
「確かに…掲示板にも討伐の依頼書がたくさん張られていました。」
「冒険者も度重なる討伐依頼で怪我することも増えたんでしょうね。おかげで外傷薬や疲労回復薬などが面白いように売れているって婆ちゃんが言っていました。いや、喜べることじゃないんでしょうけど。」
複雑そうに薄っすらと笑ったギュンターは集めた成分を小瓶に入れて封栓をする。カレンも同じように抽出した成分を小瓶に溜めながら、穢獣に襲われた時のことを思い出してふるりと体を震わせた。あの時はミラとミリが助けてくれたので何ともなかったが、もし二人がいなかったらどうなっていたことだろう。スイが撃退してくれたかもしれない。コウも翔けつけてくれたかもしれない。でも、あの状況でもし自分一人だったら?この身を守ることができただろうか…。しかもあの穢獣はそれほど厄介な個体ではなかったらしい。考えれば考えるほどに恐ろしくなり、カレンは知らず溜息をついた。
「ヒョーク様?」
「はい?」
「お疲れになったのなら少しお休みになって…」
「あ、いえ…すみません。私も穢獣に襲われかけたなぁと思い出したもので。」
「えっ!?ヒョーク様が!?」
「はい。一か月ほど前のことですけれど。友人が助けてくれたので事なきを得ました。」
「…よかったです。聖女様に何かあってからでは遅いですからね。」
ぎょっと目を剥いたギュンダーが長々と息を吐き出す。それから心配を宿した目をカレンへ向けた。
「ヒョーク様が遭遇したのはどんな穢獣でしたか?」
「闇の大猫らしいです。助けてくれた友人が言うには、それほど大きくも強くもない個体だったと。それでもとても怖かったので、討伐依頼は絶対に受けられないです。」
「僕は冒険者ではないので滅多に森に入ることはないし、穢獣も実際に見たことがないのでよく分かりませんが、そういう危険なものは慣れている人に任せればいいと思います。素人が手を出してしまう方が足を引っ張ってしまいますし。」
「ええ。依頼が細かく分別されているのも、そういった側面があるのかもしれませんね。」
「そうですね、あると思います。森に入るのはしばらくやめておいた方がいいかもしれません。…あ、でもヒョーク様はヘイリゲルワルドにお住まいなのですよね?危なくないですか?」
「運がいいことにヘイリゲルワルドで穢獣は見たことがなくて。聖獣達もいるのでたぶん大丈夫かと。」
「そうでした!光の聖獣がいましたね!」
ギュンターはカレンの足元で寛いでいるコウを見る。カレンがドロゲンヴェルカウフのところで働くようになった時、初めのうちは精製室内で作業をしていた誰もがカレンと聖獣を遠巻きにした。カレンとミニマム化したコウはだいぶこの町に馴染んできたものの、本来の聖獣は畏怖の対象であり聖女は畏敬される存在なのだ。近寄りがたくもなろう。しかしドロゲンヴェルカウフが気兼ねすることなくカレンと親しく話しているのを見て、ある日、意を決したようにギュンターが『一緒に抽出してもいいか』と尋ねてきた。そこからポツポツと話すようになり、聖女ではなくヒョークと呼ばれるようになり、今では世間話をしながら作業をする仲になった。
「ここで抽出のお手伝いをさせてもらえるようになって、少しずつ薬草を覚えるようになったんです。そうは言っても、まだまだですけれど。」
「花や実はともかく、草になるとよく似たものがありますからね。僕もひいひい爺ちゃんに怒られてばかりです。」
「お元気ですよね、ドロゲンさん。」
「あの年でひい爺ちゃんが僕と一緒に怒られることもあって、可哀想と言うか居た堪れなくて…」
「それだけ期待しているのでしょうけれど…確かにそれはちょっと…」
「でしょう!?」
カレンの同意に食いついたギュンターがぐいと前のめりに身を乗り出す。直後、はっとしたように元の姿勢に戻る様子に、カレンは楽しそうに笑った。
後火時になろうかという頃、カレンはドロゲンヴェルカウフの店を後にした。成分抽出の生産依頼を受けるようになった新年明け早々に比べ、日は長くなってきている。この時間はだいぶ薄暗くなってしまうが、まだ女性が一人で歩いていても大丈夫な時間帯だ。カレンは薬品店の目の前にある冒険者組合へ入っていく。冒険者達が戻ってくる前の夕時はいつも閑散としている組合内だが、今日は人も多く、何やらざわついていた。空気もどこか浮足立っているように感じる。カレンは依頼書を受付に提出するついでに、対応した職員に尋ねた。
「こんにちは。お疲れ様です、何かあったのですか?」
「聖女様、こんにちは。実は大きな依頼が出そうで…。あ、依頼書と組合カードをお預かりします。」
「お願いします。大きな依頼、ですか?」
「ここ最近の懸念材料である穢獣の件で、少し。私もそれ以上は分からないのですが…」
依頼達成回数の更新をしながら職員はカレンの質問に答える。職員の表情があまり晴れていないところを見るに、気軽に受けるような依頼でないと思われる。もとより討伐依頼を受けるつもりはないカレンのこと、申し訳ないが誰かに頑張ってほしいとぼんやりした応援を送った。返却された組合カードを財布に入れ、スカートの隠しへ財布をしまう。この後は商業区画で夕飯の買い物をしてフッテへ帰る予定だ。遅くなってしまうと料理するのも面倒に思うため、カレンは職員に挨拶をして帰ろうと足を扉の方へ向ける。その時、二階から組合長が二人の男と連れ立って降りてきた。枯草色の詰襟片前の上半身に、動くのに邪魔にならないような直線ズボン。黒色の脚絆、編上靴、剣帯に剣。町中でもたまに見かけたことのある…オストシエドルング騎兵団だ。騎兵団員を両脇に据えて進む組合長に、冒険者達は道を開けるように左右に分かれた。人垣の中を掲示板まで移動した組合長は一枚の依頼書を貼り出す。そして振り返り、様子を窺っている冒険者達に通達した。
「漁業区域で穢獣の群れを確認された。討伐対象はスチルドクローテ、数はおよそ30。そのうち10匹ほどは巨大化している。細かい条件は依頼書を見てくれ。」




