054
下手を打ったかもしれんとぼやく父親の姿が珍しく、シュテファンは並んで歩いている横へ顔を向ける。
「父上?」
「ああ、いや、カレン嬢がな…」
出てきた名前に、シュテファンはその人を思い描く。盛装した姿は女神にも見える美しさで、町娘の姿は可愛らしく、聖なる癒しとも呼ばれている艶やかで優しい香りが微かに漂う黒葵の化身。剣帯に着けた飾りにそっと触れれば、黒瞳黒髪を持つ儚げな美少女が脳内で微笑んだ。
「カレン嬢が何か?」
「警戒させてしまったかもしれない。」
「どういうことだ?」
「カレン嬢は遠慮しすぎるきらいがあるだろう?王都へ移る日にもそのようなやり取りがあってな。ほんの少し貴族の作法を教えたのだ。」
「…それで?」
「新しい契約を結んだのだが、満了日を確認されてしまった。それに加えてオストシエドルングからカレン嬢が冒険者になったと知らせが来てな。」
シュテファンは目を眇めた。一体なにをしてくれているのだ、と。カレンが何を考えて冒険者になったのか想像がつかないが、冒険者と言うのは一所に落ち着かないという印象がある。と言うことは、彼女がオストシエドルングを出る可能性だってあるのだ。定住をしない者を追うのは骨の折れることだと知っているだろうに、なぜそのようなことを。自分の気持ちは伝えてあるはずだ。
「…俺の意思は示したはずだが?」
「そう睨むんじゃない。お前はただでさえ迫力のある顔なんだぞ。親を威嚇するな。」
「生憎とこの顔は父上によく似ている。」
「ほう?それはマリーに深く感謝するのだな。男前だぞ。だからそう睨むなと言っているだろうに。」
「父上は俺の考えには反対だと?」
「反対はせん。聖女が我が家に入ることは喜ばしいからな。」
「…父上。俺はカレン嬢が聖女だから娶りたいと思っているわけではない。」
「はは。だが、ただの平民を嫁として迎えられはしないことはお前も承知しているだろう?カレン嬢が聖女で助かったな。」
「…」
「それに早く身を固めんと、お前は狙われ続けることになるぞ。俺もいつまで握り潰すことができるやら。」
「それならカレン嬢が警戒するようなことを言わないでほしかったものだな…」
「はは、すまん。」
軽やかに笑って謝るトゥバルトに、シュテファンは嘆息する。王都に戻ってすぐ、父親と共に国王から呼び出された理由は闇の聖女について報告せよとのことだった。エストマルク王国の出身ではないこと、王国に反意はないこと、市井で暮らしていること、王都や王城で暮らすことは望んでいないこと。オストシエドルングで暮らすことを望んでいると口にした時は、なぜか誇らしかった。光の聖獣が常にそばにいると報告すれば国王は興味深げな視線を向けてきたが、シュテファンは重ねて闇の聖女は王都へ上ることを望んでいないと上申した。
聖女の意思を蔑ろにすることはできない。それをしてしまえば、聖女がエストマルク王国を去ってしまう可能性があるからだ。魔力量が多く高位魔法を自在に操れるとされる聖女は、そこにいるだけで価値がある。ましてやカレンは闇の聖女、有史以来片手で足りるほどしか記録に残っていない存在を手放すわけにはいかない。国王は闇の聖女を上都させるのは控えることにし、『可能な限り聖女の意に沿うように』とトゥバルトへ命じてこの話はいったん終わりとした。
それぞれの仕事があるため、トゥバルトとシュテファンは王城の一角で別れる。シュテファンは王太子警護が役目だが、この時間は当番ではない。王城内に設けられた近衛警護部隊の部屋へ戻れば、忙しくしている部下の中で悠長に寛いでいる幼馴染がいた。
「お、帰ってきた。お疲れ。」
「…ヒュー。お前、仕事は?」
「貴賓様方が来国されるのはもう少し後だな。」
「なら、来た時に困らないよう準備でもしていろ。」
「その前に俺に言わなきゃいけねえことがあるだろ?ほら、さっさと教えろよ。」
立ち上がってガシッと肩を組んできたヒューに押されるようにして、シュテファンは入ってきたばかりの扉から出る。来た道を戻るようにして裏庭へ、その先に用意された近衛警護部隊専用施設の第三小隊階へ、そしてシュテファンの個室へなだれ込んだ。
「…おい。」
「で?どうだった?闇の聖女様!」
「…ヒューが知ってどうする?」
「だって知りたいだろ!シュテフがいない間、レイの面倒を見ていたのは誰だ?俺には知る権利があると思うがなあ?」
部屋の主を差し置いて一人掛け用のソファに堂々と腰を下ろしたヒューが、立ったままのシュテファンをニマニマと見上げる。興味津々というのが見て取れるその態度に溜息をついたシュテファンだったが、ヒューの方へ事務椅子を向けて座ると淡々と話し始めた。
「闇の聖女に間違いない。魔法を使うところは見てないが、聖獣を従えていた。エストマルク王国の出ではないらしい。王都へ来ることは望んでいなく、オストシエドルングでも平民と同じ暮らしをしていた。」
「いやいや、俺が聞きたいのはそんなことじゃなくて!」
「何を聞きたいんだ?」
「美人だった?」
「ああ、とびきり。」
「いくつ?」
「25だと言っていた。」
「未成年かあ…いや、でも許容範囲内か…?」
「おい。」
ヒューの言葉にシュテファンが気色ばむ。すっと目を鋭くさせたシュテファンにヒューはパチリと瞬きをして、それから思い当たった疑問を口にした。
「え?何?もしかしてシュテフ、闇の聖女様…は名前なんて言うんだ?」
「教えん。」
「それはないだろ!?」
「彼女は俺が貰う。だから教えん。」
「おいおい…本気かよ…」
「ああ。」
至極真面目な顔をして宣言するシュテファンをヒューは驚いて凝視する。これまでずっと選り取りの令嬢達がことある毎に近寄っても適当にあしらっていたシュテファンなのだ、驚きもするだろう。
「お相手の聖女様はシュテフに好意を持っているのか?」
「どうだろうな。嫌われてはいないと思うが。」
「は?妻にするんだろ?聖女様には納得してもらったんだろ!?」
「…嫌われていないはずだ。」
「ええ…お前、それ…」
「俺の想いを受け止めさせればいい。悪い感触ではなかった。」
「…どこのご令嬢だ?」
「本人は平民だと言っていた。」
「平民?トゥバルト様の許しが得られないだろ?」
「父上にはもう話してある。許しも得た。」
「そうか、周到だな…。しかし辺境伯の家に平民が嫁ぐとなるといろいろ問題が起こるだろうな。いくら聖女様とは言え。」
「俺がカレン嬢を守ればいいだけの話だ。」
「へえ、闇の聖女様はカレン嬢と言うのか。」
「…、おい。」
「何だよ、お前が言ったんだろ?俺のせいにするな。」
「っ…」
ぐ、と顔を顰めて押し黙ってしまったシュテファンに、ヒューは珍しいものを見たとまじまじと幼馴染を見る。舌戦であまり負けることのないシュテファンが言葉に詰まり感情を表情に出すことなど、彼が成人してから記憶にない。それほど闇の聖女に思い入れているのかと考えると不用心ではないかと危惧も出てくる。シュテファンがオストシエドルングに滞在したのは一週間ほど。たかだか数日で一人の女を娶ると決意する何かがあったのか、そう思わせるような人物だったのか。ヒューは女遊びをするのに執着を持たない色男の心をここまで掴んだ聖女に俄然興味が湧いてきた。
「どんな系統の美人なんだ、カレン嬢は?」
「…お前には教えん。」
「何でだよ!」
「お前がカレン嬢に関心を持っているからだ。たとえヒューでもカレン嬢は渡さん。」
「ええ!?いいだろ、教えてくれたって。大切な親友と結ばれるかもしれない女だぜ?興味を持って当たり前だろ!」
「だから教えないと言っているだろう。レイにはまだ言うなよ。間違いなくここぞとばかりに首を突っ込んでくるに決まっている。」
「黙っていてほしければカレン嬢を一言で表せ。」
「…黒葵だ。」
しぶしぶと返ってきた言葉にヒューはまた目を大きくする。随分と詩的に表現したものだ。珍しい姿を次々と見せるシュテファンを遠慮なく見つめ、その腰に佩いた剣に飾りがついているのを見つけ、そこに密やかに咲いている黒い花を目ざとく見とめ、ヒューはにんまりと笑うのだった。




