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 ソファに腰を下ろした妙齢の女性は優雅に微笑む。カレンが初めて個別に商品を売ることになるかもしれない貴族だ。オストシエドルング領の農業・畜産区域を統括する子爵の長女。カレンの隣に座るウルズラは慣れたもので、従業員に用意させた飲み物を子爵令嬢に進めながら世間話に興じていた。


「オッティールト様、ようこそお越しくださいました。外は寒かったことでございましょう。これだけの寒さですと、じきに雪が降ってまいりますわね。」

「楽しみにしておりましたわ、フラウ・ウルズラ。後土月ですもの。後半になればいつ降ってもおかしくありませんわ。」

「ええ。ランドヴィエヒご一家様は、今年は王都へ行かれませんの?雪が降ってからの移動は大変でございましょう?」

「王城での星霜宴にお父様と出席することにしておりますの。出発までに降らないことを願いますわ。」

「では、本日のご希望は新年宴にお着けになるご予定のものでございますか?」

「ええ。どれくらいで仕上げていただけまして?」


 オッティールトがカレンに視線を移す。吊り目気味のぱっちりとした大きな青瞳に真っ直ぐ見られ、カレンはこくりと喉を動かした。


「…どういうものをご希望されているのかによりますが、材料が私の手元に届いて二週間から一か月ほどのお時間を頂戴するかと思います。」

「…一か月では星霜宴に間に合いませんわね。困りましたわ…。」

「オッティールト様、まずはご希望の品を教えてくださいませ。それによっては二週間ほどでご用意できるかもしれませんので。」

「それもそうですわね、フラウ・マダム。あなたが下描なさるの?」

「ええ、お任せください!」


 一度席を立って下描の準備をしたウルズラは、カレンから貰った花箱をオッティールトの前に置く。


「まあっ!可愛らしい!」

「ええ、ええっ!そうでございましょう!?こちらもヒョーク様のお手製なのですよ!」

「素敵ですわねえ。部屋に飾りたいわ。」

「どうぞ参考にしてくださいませ。オッティールト様はどのようなものをお望みなのでございましょうか?」


 花箱をうっとりと眺めながらオッティールトは希望を語り出した。レースを使いたい、大振りな花の周りに小花をたくさん、青魔石が映えるように、縦長の仕上がりになるように。


「花のご希望はございまして?」

「もちろん薔薇ですわ!」

「小花の方のご希望はございまして?」

「そちらはお任せしますわ。」

「青魔石をお見せ願えますか?」

「ええ。こちらです。」

「失礼いたしますわ。…これでしたら、そうでございますねえ…薔薇の上部に青魔石を配置して、そこから小花を薔薇まで繋ぐのはいかがでしょう?薔薇は下寄りにいたしまして、その下にも小花を散らしまして…」

「まあっ、いいですわね!フラウ・ウルズラ、さすがですわ!」

「ありがとうございます。」

「聖女様のお考えもお聞きしたいですわ。」


 可愛いもの好きな年頃の女性らしくきゃあきゃあとはしゃぐオッティールトが笑顔のままカレンの意見を求める。ウルズラの隣で彼女の絵の巧さに感心していたカレンは、絵に向けていた視線をオッティールトへ移した。


「…このままでもとても素敵だと思いますが…こちらの髪飾りは星霜宴の他でもお使いになる可能性はございますか?」

「そうですわね、王都にいる間はお茶会や夜会に呼ばれることもあるでしょうから。ですが私が王都にいるのは寒季の間だけ。雪が解けたらオストシエドルングに戻ってまいりますわ。」

「…でしたら、小花の代わりに雪の結晶はいかがでしょうか。薔薇にも小さめの透魔石と青魔石をいくつか乗せて、雪が解けた水滴の煌めきのようにすると綺麗だと思うのですが…。」

「まあっ!素敵ですわっ!フラウ・ウルズラ、早くお描きになって!」

「青魔石が雪を降らせるような意匠でございますのね。それでしたら青魔石も注目されますもの、とても良いお考えだと思いますわ。…このようなかんじでございましょうか?」

「聖女様のお考えになった絵になっておりますか!?」

「ええ…ウルズラさん、すごいですね。言葉だけで絵にできるなんて…」

「ありがとうございます。ですがヒョーク様、私はドレスを作るのですよ?当然、絵の勉強もしております。」

「それでも他人の想像を絵にできるって…すごい…」

「おほほ、ありがとうございます。レースはいかがいたします?私でしたら輪をいくつか作って青魔石の両脇に添えます。オッティールト様の御髪と同じ色ですから境目を作りませんと、せっかくの青魔石が埋もれてしまいますわ。」

「属性魔石を使う時の悩みどころですわね。聖女様、フラウ・ウルズラの提案はいかがでしょう?他のお考えもおありでしたら仰ってくださいまし。」

「ウルズラさんの提案に加えて、土台にもレースを使わせていただけたら雪と薔薇の繊細さを表現できる…かと。」

「それでしたら細糸を使ったものを用意いたしましょう。他の布も合わせて持ってまいりますわ。ヒョーク様は何色でお考えですの?」

「雪の結晶は白と青系統を使いたいと考えておりますが…薔薇は何色にいたしましょうか?淡い色にしますと全体が柔らかい雰囲気になると思いますし、はっきりとした色にしますと凛とした雰囲気になると思います。」

「そうですわねえ…。何色か見繕ってまいります。持ってきた中にお好みの色がなければまた取りに行けばいいだけのことですもの。オッティールト様、ヒョーク様、少し席を外しますわ。お待ちくださいませ。」


 ソファから立ち上がり淑女の礼を取ったウルズラは、足早に部屋を出た。残されたオッティールトとカレンの間に沈黙が降りる。貴族社会の作法には『低位から高位に話しかけてはならない』というものがある。高位側から話しかけて初めて会話が許されるのだ。オッティールトは子爵令嬢、カレンは平民。貴族社会の作法に当てはめるのなら、カレンはオッティールトが話すのを待たなければならない。しかし、今のカレンは接客する側だ。相手が不快な時間を過ごさないよう気を配らなくてはならない立場だ。沈黙が流れる時間は愉快な気分とは言い難いだろう。どう行動すればよいか悶々と考えていたところに、従業員が新しいお茶を持ってきた。応接机に置かれたそれにカレンは口をつける。これも貴族社会の作法の一つ。身分が低いものが先んじて口に含み、毒が入っていないことを証明するのだ。


「…聖女様は私のことを覚えていらっしゃいまして?」


 カレンの喉が上下に動いたのを見て、オッティールトが受け皿ごと優雅に持ち上げる。流れるように一口、わずかに傾けたカップからお茶を飲むと、音を立てずに応接机に戻した後でオッティールトはカレンへ視線を向けた。先ほどまでの心からの笑顔ではなく、以前に見たことのある社交用の笑みが顔に貼られている。カレンも仕事用の微笑みくらい持っている、社会人を舐めないでほしい。


「…はい。感謝宴で挨拶申し上げました。ランドヴィエヒ子爵様のご令嬢でいらっしゃいますよね?」

「ええ、そうですわ。聖女様は王都へ行かれませんの?」

「はい。行ったところで伝手もありませんから、行き倒れるだけでございます。」

「シュテファン様…、いえ、ご領主様に用意していただけるのではなくて?それに聖女様は王城でお暮らしになれると聞いたことがございますけれど。」

「アッカーベルグ家の皆様には大変お世話になってしまいましたので、これ以上迷惑をかけてしまわないようにしたいのです。他のどなたに対しても同じ思いでございます。王城は…雲上は畏れ多くて考えたこともございません。こうしてお声掛けいただいて自分で暮らしていけるのです。十分幸せでございます。」


 まっすぐに、しかし視線をかち合わせないようにオッティールトの鼻先を見ながらカレンは返答する。嘘を言っているようにも強がっているようにも見えない…が、オッティールトには理解できなかった。王城で暮らせるなど憧れではないか。豪華なドレス、最高級の食事、広く贅を凝らした部屋、何人もの侍女に傅かれて煌びやかな生活が待っているのに。目の前に座るカレンほどの美貌なら王城に勤める殿方からの熱烈なお誘いをいくつも受けるだろうに。


「…分かりませんわ、聖女様のお考えが。」

「私は下賤の出ですので、高貴な世界は不相応でございます。ランドヴィエヒ子爵令嬢様のように優美な振る舞いを自然とできるようになりたいとは思いますけれど。何十年の積み重ねの結果でございましょうから…やはり私には高貴な世界は遠い存在です。」


 オッティールトはひっそりと眉を顰めた。そうは思えない。感謝宴で見たカレンはあの会場の中で際立つ淑女だった。それこそオストシエドルング辺境伯令嬢のシアナと並ぶほどに。アッカーベルグ一家に混じっていても、何の違和感もなかった。たわやかに微笑み、控えめに会話し、初々しく踊り、シュテファンのエスコートを受ける淑麗なカレンを目の当たりにして彼を狙っていた令嬢達はあの一晩で諦めたのだ。オッティールトもその一人で、仲の良い令嬢と『シュテファン様を見まして?』『ええ。あの方でもあんな目をされるのですね』『聖女様もとてもお美しいわ』『よくお似合いのお二人ですこと』と羨望と嫉妬の混じった会話を扇の陰で交し合った。カレンの言う『下賤の出』にはとても見えなかった。それに…、とお茶をまた一口飲んでオッティールトは微かに眇めた瞳をカレンへ向ける。あれだけあからさまに主張された装飾品を身に着けておいて何も感じないのだろうか。はたから見ているこちらが些か辟易するほど甘い視線を送られているのに気づかないものなのだろうか。それともすべて分かった上で流しているのだろうか。…いずれにしても。


「お可哀想なシュテファン様。」

「…申し訳ありません。うまく聞き取れなかったので、もう一度…」

「星霜宴に間に合ってほしい、と願っただけですわ。いかがです?間に合いそうでして?」

「こちらを優先してお作り致します。雪が降らないことを祈りながらお待ちくださいませ。」


 ウルズラが下描した絵を見ながらカレンは小さく微笑む。そこまで難しくはない意匠で、材料も揃えてもらえるのだ。考えながら作る楽しみは減るが、仕事として作るのでオッティールトが満足できるよう、出来るだけ丁寧に早く仕上げることが第一条件だ。まずは客の評価を得ないことには次の仕事は入ってこないのだから。カレン心の中で気合を入れ、ウルズラが戻ってくるのを待った。

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