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約束の時間の5分ほど前。日本の時間感覚で言えば10分ほど前。カレンはフラウ・ウルズラの店の扉を開けた。平民の衣料店とは異なり空間を贅沢に使っていて、陳列されているドレスも少なければ重なっていることもなく、商談スペースには数組の応接セットが置かれているのみだ。いつもは出迎えるウルズラの姿が今日は見えなく、きょろりと店内を見回したカレンに気づいた年若い店員が仰天して駆け寄る。
「聖女様!ようこそおいでくださいました!」
「こんにちは。ウルズラさんと約束をしているのですが、いらっしゃいますか?」
「はい!呼んでまいります!」
すぐに奥へ呼びに行ったところを見ると、ウルズラは少し中へ入っていただけなのだろう。カレンは店内に陳列されているドレスを見て待つことにした。この店の購買層は貴族だ。貴族は衣服や服飾品を自分の体に合わせて仕立てる。それなのになぜ店内にドレスがあるのかと言えば、何かの事情で急に必要となった時のためだ。感謝宴の時のカレンのように。仕立てたものの理由があって返品されたものや、雇用している針子が練習のために作ったもの、新鋭デザイナーが名を売るために店頭に並べるものなどが置かれていた。一つとして同じものはなく、見ていて飽きない。楽しそうに眺めるカレンに奥から声が掛かった。
「ヒョーク様、ご機嫌よろしゅうございますわ。お待たせして申し訳ありません。」
「おはようございます、ウルズラさん。時間より早く来たのは私ですから、どうぞお気になさらずに。」
「こちらへどうぞ。オッティールト様とお会いする前に、ヒョーク様にはしてもらわなくてはいけないことがございますの!」
さあさあ!と機嫌よく促すウルズラに首を傾げつつ、カレンは奥の個室へ足を入れた。どの店でもそうだが、個室は上客を相手する時に使われる。ウルズラの店も、遠目から見ても分かる細かい刺繍が全面に縫い取られた応接セットを中心に品よく纏められていた。そこに布張りの胴型が置いてあり、ドレスが着せられてあった。今日のお客様のものだろうか。カレンはドレスに近寄るウルズラに視線で尋ねる。
「さあヒョーク様、着替えてくださいまし!」
返ってきた答えはカレンが予想もしていないものだった。
「…はい?」
「今日のお客様は子爵令嬢でございます。」
「え、ええ…確か農業・畜産区域を管理されている方のご令嬢だったかと…」
「その通りでございます。ランドヴィエヒ子爵様は、ご領主様を除けばオストシエドルングで一番身分の高い方でいらっしゃいます。そのお嬢様とお話するのですから、身なりは整えませんと。」
「…これではいけないのですか?」
カレンは困ったようにウルズラを見る。いま着ているものはウルズラが作ったものだからだ。翁格子柄のワンピースは薄桃と濃茶と余白の色遣いが落ち着いているのに可愛い雰囲気で、カレンは気に入っていた。
「そちらはコットン地を使っております。平民から見れば高いためになかなか入手できないものですが、貴族から見るとコットン地のものは部屋着です。寛いだ格好に見られてしまうのです。…子爵令嬢とお会いするには不適切だとご理解いただけました?」
「ですが、…」
「いいですこと、ヒョーク様?服飾を生業にしている者にとって、自分が着ている服は武器でございます。いかに相手が貴族の方であろうと、口を噤ませられるほど見せつけてやらねばなりません。そうでなければ、こちらがいいものをいくら提案しても納得していただけないでしょう?」
「…そう、ですね。」
「そしてここはフラウ・ウルズラの店でございます。オストシエドルング一の服飾店でございます。服に関して妥協することは許されません!」
「…はい。」
「そういうことですので、今日はこちらを着てくださいませ。フラウ・ウルズラの店の仕事着だと考えていただいて結構です。あと2着用意してありますので、併せて受け取ってください。私からの提携祝いでございます。」
ウルズラの言い分は尤もなのかもしれないが、なんとなく飲み下すことができない。できないが、反論することもできない。モヤモヤとしているうちにウルズラはカレンのワンピースを脱がせ始めようと手を伸ばす。『もうどうにでもなれ』とカレンは自分でワンピースを脱いだ。コルセットは自前の物でよさそうだが、パニエは着けてきたものより広がったものを渡される。用意されていたものは花綱模様が織り込まれたシルクのドレスだった。仕事着を意識してなのか、派手過ぎず簡素過ぎず、目は引くけれど嫌悪感を覚えない淡く明るい色の布が使われている。感謝宴のドレスの胸元に布を足したことを覚えていたようで、浅めの襟ぐりに仕立てられているのはカレンの好みを考慮してのことだろう。中央部分には共布のリボンを結ぶらしい。
「ヒョーク様がお一人で着ることを想定して仕立ててありますの。着づらいですとかお体に合っていないですとか、不具合はございますか?」
「…いいえ、特にありません。ぴったりです。」
「まあ!よろしゅうございました。体型を維持しておられて素晴らしいですわ!」
それはよかった。変に痩せたり太ったりしていないことに安心しつつ、でも前に比べてたくさん動いているからスリムになっていてもいいんだけどなとちょっぴり悲しくなり。その分、筋肉がついたと思っておこう。カレンは自分を慰めつつ胸元のリボンを形よく整えた。
「よくお似合いでございますこと。」
「ありがとうございます。…あの、本当にいただいてよろしいのでしょうか?」
「ええ、ええ!提携祝いと申しましたでしょう?私、どんなドレスを作ろうか考えることが好きで、考えたものが形になるのがとても嬉しいのでございます。そしてそれを着てもらえることが何よりの喜びなのです。ヒョーク様を思い浮かべながら作ったドレスですもの、ヒョーク様に着ていただかなくては!」
「…そういうことでしたらありがたく頂戴します。お返しと言っては何ですが、こちらを見ていただけますか?」
カレンはそう言うと、応接机の端に置いたものをウルズラの前に持ってくる。風呂敷の要領で包んだ布を外すと、中から浅い箱が現れた。何の飾り気もない木箱を持たされて困惑を浮かべたウルズラだったが、カレンが蓋を開けると驚きに息をのみ、丸くした目を輝かせる。
「まあ…まあっ!」
「見本があった方が具体的な考えを聞かせてもらえるだろうと思い、いくつか作ってきました。それを見栄えよく詰めただけなのですが。」
「なんて素敵なのでしょう!華やかで可愛らしくて一つ一つじっくりと鑑賞したい…まるで王城の花畑のようですわね!」
「よろしければ差し上げます。」
「まあっ!まあまあ!よろしいんですの!?」
「ええ。見本のつもりで用意したのでコットンやリネンのものも含まれていますが。例えばこちらとこちら。同じ形、同じ色で作りました。ですが、印象がだいぶ違うと思いませんか?」
「そうですわね。こちらのシルクのものは艶めきの中に気高さがあってとても気品あるお花ですわ。一方でこちらのコットンのものは張りがあるのに柔らかい雰囲気ですわ。」
「ええ、私も同じように感じます。貴族の方ですとやはりシルクが対象となると思いますが、お客様によってはコットンも気に入っていただけるかなと。」
「選択肢は多いに越したことはございませんわ。…それにしても見事な作品ですこと。」
「お返しとして見合うものには不足していると思いますが、私からの提携祝いとしてお受け取りください。花は一つ一つ取り出せますので、お手持ちの装飾品などに合わせて楽しむこともできます。」
「まあっ!!それは素晴らしいですわ!」
反応した声音が一つ上がる。嬉々とした様子のウルズラにカレンの恐縮に感じていた気持ちも薄らいだ。




