045
「急に来てもらってすまないな。」
「いいえ。ご挨拶に伺うつもりでしたから。こんなに早く出発なさるとは思っていなかったので、むしろ呼んでいただき助かりました。ありがとうございます。」
「それはよかった。慌ただしい中なのだが、カレン嬢と確認しておきたいことがあってな。」
アッカーベルグ家の出発の日、朝食を取っていたカレンのところへ城館から使いが来た。訪れてみればトゥバルトの執務室に通され、待っていた彼からソファへ座るよう勧められた。
「確認しておきたいこと、と言いますと?」
「これからしばらく私達は王都へ行くので、カレン嬢にマーラの勉強相手をしてもらえないだろう?」
「ええ、そうですね。」
「イリーネ嬢も共に王都へ連れていくし、カレン嬢が望む仕事がなくなってしまうと思ってな。…やはりカレン嬢も王都へ来ないか?」
「お気遣いありがとうございます。嬉しいお誘いですけれど、私はオストシエドルングで暮らしたいと思います。」
「…そうか。しかし、仕事はどうするのだ?」
「まだ決まったことではありませんし報酬はおこづかい程度かもしれませんが、話があることにはあります。それに、これまでいただいたお給金もありますので。」
「ふむ…カレン嬢がそれでいいなら私が口を出すことではないな。実は私からも一つ新たな依頼をしようと考えていたのだが、必要かい?」
トゥバルトの依頼を断れるような人は、エストマルク王国内に一体どれくらいいるのだろうか。
「伺ってもよろしいでしょうか?」
「ヘイリゲルワルドの調査を頼みたい。カレン嬢がフッテで暮らすようになって、聖獣も森に棲むようになった。動植物に変化はないか、新しい種類が増えていないか、逆に減った種類があるのか。城館近くの森の生態を知らないのは領主としてまずかろう。」
「ですが、私は以前の森を知りませんので…」
「そうだな。だからカレン嬢は報告をしてくれるだけでいい。森を散歩して、どこで何を見つけたかヨーゼフに知らせてくれ。」
「ヨーゼフさんですか?」
「ああ。ヘイリゲルワルドは定期的に私とヨーゼフが見回っていたのだ。」
「でしたらヨーゼフさんが見て回れば…あ、お忙しいのでしょうか?」
「…まあ、私達が王都へ行っている間のオストシエドルングはヨーゼフに任せることになるからな。」
ヨーゼフが忙しいのはいつものことである。優秀な彼は『やれ』と言われればこれまでのように隅々まで完璧に見て回るだろう。しかし、トゥバルトの本目的はそれではない。トゥバルトの意図はカレンを、聖女をオストシエドルングに留めておくこと。方法など何でもよいのだ。カレンが勝手に理由を見つけたのならそれに便乗しておけばいい。
「忙しくなることは間違いない。カレン嬢、手伝ってやってはくれないか?」
「分かりました。そういうことでしたら、きちんとお役に立てるか心配ですがお引き受けいたします。」
「ありがとう。では…そうだな、週に一度ヨーゼフと面会して報告することにしよう。日時は、光の日の後光時。これならマーラの勉強相手の時とそう変わらなくていい。どうだろうか?」
「お気遣いありがとうございます。異存ありません。」
「詳しい調査内容はヨーゼフからの指示に従ってくれ。給金と支払方法はこれまで通りでいいかい?」
「…あの、週に一度報告をして1000ゲルドと言うことでしょうか?」
「ああ。」
「いただき過ぎです!森を散歩して見つけたものを報告で1000ゲルドって…250ゲルドもいただければ十分ですので!」
ちゃっかり男性の平均月収を請求したカレンの提示に、トゥバルトは目を丸くしてから顔を険しくする。がめついと思われただろうか。カレンが恐々としていると、溜息をついたトゥバルトの視線がカレンを射抜き低い声が発せられた。
「カレン嬢は私を軽く見ているのか?辺境伯をどれほどのものだと認識されているのだ?」
「あっ、いいえ!そんなつもりではなく!!…申し訳ありません、ですが本当にいただき過ぎだと思うのです。給金に見合うだけの働きができる自信もないので…。すみません、1000ゲルドでしたら本当に申し訳ないのですが辞退させていただきます。」
「…カレン嬢は遠慮が過ぎる。貴族相手にそれは下策だ、貴族というものは体裁を何よりも気にする。覚えておくといい。貴族が提示したものを下方修正してしまえば、虚仮にされたと憤慨していらぬ恨みを買うこともある。たとえカレン嬢にその気が一切なくともな。今の私みたいに。と言うことで、この契約は1000ゲルドで結んでもらおう。契約書は後日、ヨーゼフに預けておく。」
有無を言わせない、とトゥバルトはカレンに口を挟ませずに話を打ち切った。そうしなくとも、カレンはその高圧に驚いて口を開けなかった。どれだけアッカーベルグ家に甘えていたか自覚した今、心臓が痛い。辺境伯は実質、王族、公爵に次ぐ立場である。エストマルク王国に辺境伯はただ一人、トゥバルトがその気になればカレンなどどうとでもできる。その片鱗を冷静に可視化され、カレンは表情を硬くした。
「…勝手を申し上げてしまい、大変失礼いたしました。確認させていただきますが、マーラ様のお相手は満期終了と言うことになるのですね。」
「ああ。」
「それでは契約書はヨーゼフさんの確認の下で廃棄いたします。新規契約の件はトゥバルト様のご意思に従いますが、契約期間をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「来年の前季いっぱい、前土月土週土の日までとしよう。…脅かすつもりはないのだ。カレン嬢の希望にできるだけ沿ってやりたいとアッカーベルグ家は考えている。しかし、私達が貴族であることを忘れてくれては困る。」
「はい。」
「すまなかったな。さて、そろそろ出発の時間になる。笑顔で見送ってくれないか?」
「…ええ。」
先にソファから立ち上がったトゥバルトが正面に座っているカレンのところへ回り込んで手を差し出す。そこを支えにカレンも立ち上がり、執務室から玄関ホールへ向かった。アッカーベルグ家が勢揃いしている中、いち早くカレンを見つけたシュテファンが寄ってくる。その姿になぜかホッとし、同時に緊張もした。
「カレン嬢!」
「おはようございます、シュテファン様。」
「ああ、おはよう。今日もとても綺麗だ。飾らないあなたも魅力的だな。」
「ありがとうございます。シュテファン様も素敵です。今日はぴったりとした服装なのですね。」
「馬に乗るからな。カレン嬢、やはり王都へ行く気はないのだろうか。」
「ええ、お誘いは嬉しいのですが申し訳ありません。それよりこちらを。」
カレンはポケットの隠しから箱を取り出した。手の大きさぐらいのそれをシュテファンへ丁寧に渡せば、ゆるりと嬉しそうに引き上がった唇が開く。
「本当に間に合わせてくれたのだな。」
「はい、間に合ってよかったです。」
「開けても?」
「ええ、どうぞ。気に入ってもらえるといいのですが。」
カレンが渡した箱はどこにでもあるものにリボンを掛けただけだ。それをシュテファンはとても大切なものであるかのように丁寧な手つきでそっと蓋を開ける。中に入っていたものにシュテファンは目を瞠った。尾の長い赤い鳥が楕円形の花畑を足で掴んでいる。そこには二つの房が下がっていて、括り紐部分にシュテファンが希望した黒葵が飾られていた。花一つでも小さいのに、その花びら一枚となると最早『小さい』と表現するのが心苦しくなるほどの緻細さだ。初めて見る細工品にシュテファンはしばし言葉を失った。
「…この鳥は?」
「私のところでは『不死鳥』と呼ばれている伝説の鳥です。何度でも蘇ると言われている火の鳥で、不撓不屈や永生の象徴です。」
「フォニクスか。」
「こちらではそう呼ぶのですか?シュテファン様は火属性を持ってらっしゃるからぴったりだと思ったのですが…」
「そうか…いや、嬉しい。ありがとう。」
「シュテファン様がお選びになった型枠皿には、私のところで縁起が良いとされている花や葉を詰めました。男性が持つには少し可愛らしかったでしょうか?」
「うん?この一番大きい花が凛々しいから言われるまで思いもしなかった。」
「それならよかったです。」
「ちゃんと黒葵もあって嬉しい。ありがとう。」
「…シュテファン様のご要望でしたので。」
「ああ、俺が身に着けるものだからな。」
満悦顔で贈り物を手に取ったシュテファンはさっそく剣帯に飾った。その場で体を動かすシュテファンに合わせて、剣帯飾りもゆらゆらと揺れる。想像していたよりおさまりの良い着け具合に、シュテファンの笑みが深まった。
「邪魔になりませんか?」
「ああ、何も問題はない。とても良いものをありがとう。」
「気に入ってくださったのなら私も嬉しいです。」
「大事にすると約束しよう。」
「はい。どうぞお気をつけてください。」
「カレン嬢も。体には十分留意されるように。」
「はい。」
玄関の外ではアッカーベルグ家が騎乗の準備を始めている。女性陣も馬で移動するようだ。6頭いると言うことは、一人一頭と言うこと。全員が一人で馬に乗れることにカレンは舌を巻いた。さすが貴族様、いろいろとついていけない。
「あ、カレン様!」
「マーラ様、どうぞ気を付けてね。」
「うん!ねえ、手紙書いたら返事くれる?」
「ふふっ、もちろん。楽しみに待っているわ。」
「やったあ!私も返事をもらえるのが楽しみ!」
「…頑張るね。間違ったところがあっても笑って見逃してほしいかな。」
「うん!」
「カレン嬢、ぜひ俺にも手紙を。」
「…私、まだこの国の言葉を書くことに慣れていなくて。」
「では俺で練習してくれ。上達の喜びをカレン嬢と共有させてほしい。」
「…あまりたくさんは書けませんが、それでよろしければ。」
「ああ、楽しみにしている。」
アッカーベルグ家の使用人と共に見送ったカレンは、一家の姿が見えなくなると笑顔を消した。トゥバルトの言葉が胸に刺さったままになっていて、どうにも気が重くなってしまう。フッテへ帰る道すがら何度も溜息をついてしまうカレンの頬をコウはベロリと舐めて慰めた。コウはずっとカレンの側にいたのでトゥバルトとのやり取りも見ていたのだ。
「カレン、あの男が言ったことは気にするな。」
「…ありがとう。」
「人間とは面倒くさいものよ。よいか、カレン。そなたは我が加護しているのだぞ。あんな男よりよほど力を持っているのだ。あの男の言うことなど聞く必要ない。」
「人間社会で生きていくには純粋な力だけじゃどうにもならないんだよ。ほんと、面倒くさいね。」
「我の力を使え。」
「うぅん、出来るだけ巻き込みたくない。」
「それでもあの男の言葉に惑わされる必要などない。よいか、カレンはいつでも、どこへでも行けるのだぞ。我がついている。それを忘れるな。」
「…惚れるわ、コウ…」
もういいや、今日は何もしない。ぐうたら過ごす。カレンはそう決めてへにゃりと笑ってみせる。その笑顔に痛々しいものを感じ、コウは秘かに苦い息を吐き出した。




