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044

 エストマルク王国の貴族達は後土月から前季いっぱいを社交時季とし、一斉に王都へ集まる。アッカーベルグ一家が王都へ出発するのも三日後だと言う。だとしたら今ごろ荷造りや引継ぎや何かで慌ただしいのではないだろうか。なぜ、カレンはシュテファンと商業区画を歩いているのだろうか。


「カレン嬢はどれにするんだ?」


 シュテファンが上機嫌でカレンの横に顔を並べるように屈む。少し腰を引いて仰け反るようにしながらも、カレンの目は陳列棚に釘付けだった。色とりどりのブッテルブロトが目に鮮やかで、どれにしようか悩む。ブッテルブロトはエストマルク王国定番の軽食で、黒パンを小さめの板状に切った上にいろいろな具材を乗せる、言わばオープンサンドである。甘いものからがっつりものまで多種類あるが、塩味が濃いめのものとビエルを一緒に食べるのが一般的だ。


「…サーモンとタマネギのマリネにします。」

「一つでいいのか?腹の足しにもならないのでは?」

「では…そうですね…ホウレンソウとベーコンの卵とじもお願いできますか?」

「飲み物は?ビエルで…は、飲めるか?」

「はい、白でお願いします。」


 エストマルク王国での飲酒解禁は25歳である。ビエルは赤麦から作られる酒で、老若男女貴賎問わずに愛されている酒だ。赤麦から作られる赤ビエルが一般的で、他に苦みの深い黒ビエルもあっさりとした白ビエルもある。カレンは飲酒可能な歳ではあるが、飲めるようになったばかりでもあったので、シュテファンは少し気を遣って聞いたのだ。躊躇いなく頼む様子に『これは飲めるな』と面白いものを見つけたように口端を片方上げ、自分の分と合わせて注文した。


「乾杯。」


 掛け声と共にコップを目の高さまで上げ、相手の目を見て一口飲む。エストマルク王国の乾杯の仕方だ。シュテファンと二人きりでするのは初めてで、端正な顔のシュテファンに見つめられるのも見つめるのも気恥ずかしく、カレンは一口飲んだ後すぐに視線をブッテルブロトへ逃がした。目の前にあるのは可愛らしい食べもの。けれど、カレンにとっては少々色鮮やかすぎて気になってしまう。こういうところも日本人気質だよなと思いながら、カレンは心の内で『無毒化』と唱えた。魔法って便利。


「…美味しい!」

「それは良かった。」

「買い物しにここの前を通るたびに気にはなっていたのですが、なかなか入る勇気がなくて…。シュテファン様、ありがとうございます。」

「オストシエドルングではここのブッテルブロトが一番うまいんだ。カレン嬢の口に合ったのなら俺も嬉しい。」

「次はお菓子系のものに挑戦してみようと思います。それにしてもシュテファン様、このようなお店をよくご存知でしたね。平民区分の方へ来たことがあるのですか?」

「うん?…まあ、幼い頃にな…」


 シュテファンらしからぬ歯切れの悪い口調に、カレンはピンと察しがついた。これはあれだ、よくある大人の目を盗んで城館を抜け出し町に繰り出していたのだろう。ふふっとおかしそうに笑ったカレンにシュテファンは居心地悪げに視線を逸らした。


「シュテファン様も普通の男の子だったのですね。」

「…イリーネ先生は厳しい方なんだ。マーラの奔放っぷりがよく許されているなと驚いているぐらいなんだぞ。」

「そうなのですか?とても親切に教えてくださる頼りになる方だと感じていましたけれど。」

「それは同意する。しかし…厳しかった…」

「では今あるシュテファン様の洗練さはイリーネ先生のおかげなのですね。私もいつかそうなれるといいなぁ…」

「カレン嬢は今のままで十分に素敵だ。さらに磨かれてしまったら俺の目は眩しさにくらんでしまうだろうな。どうか俺を狂わせないでくれ。」

「まあ、お褒めいただきありがとうございます。」


 貴族男性は大変だ。いちいち相手の女性にお世辞を言わなければならないのだから。カレンもシュテファンから毎日のように告げられているので、彼からの世辞に反応することなく聞き流せるようになった。『当面の目標はシアナ様です、マリー様まで到達できるといいのですけれど』とカレンが指針を示してみれば、シュテファンは途端に眉をしかめ『やめてくれ…』と吐き出すように呟く。そこに愛し合っている家族関係が滲み出ていて、カレンも幸せを福分けてもらったように感じ、嬉しくなって微笑んだ。


「…ところで、カレン嬢に頼みたいことがあるのだが。」

「私に、ですか?何でしょう?私にできることであればいいのですけれど。」

「カレン嬢にしかできない頼みだ。先日マーラが剣帯飾りを自慢してきてな、聞けばカレン嬢からの贈り物だと言うではないか。それにシアナやシグ、父上と母上まで持っていた。俺だけがないのはずるくないか?」

「ずるくない、って…」

「カレン嬢も身に着けているのに、俺だけ仲間外れは悲しい。どうか俺にも作ってもらえないだろうか。」


 シュテファンは大の男だ。美丈夫で、近衛隊騎士で、アッカーベルグ家次期当主で、ご令嬢方が肉食獣の目をして狙っているのだ。願って叶わない望みなど無いに等しい地位と実力を持っているのだ。そのシュテファンがどうしてしょぼんとする必要がある。なぜ上目遣いで頼んでくる。上目遣いは幼児と美女の専売特許ではないのか!?イケメンの上目遣いにこれほどの殺傷能力があるとは…。カレンはぐっと息を詰めて変な声が出るのを飲み込み、瞬きを繰り返して気持ちを落ち着けた。


「もちろんお作りいたします。けれど、シュテファン様達の出発に間に合わせるとなると小さなものしか作れないと思いますが…」

「構わない。カレン嬢が作ってくれることに意味があるのだから。」

「…それでしたら、ご希望はありますか?」

「剣帯飾りがいい。常に身に着けていられる。」

「分かりました。あの、シュテファン様、今日はまだお時間あります?」

「ああ。俺はそこまで準備する必要はないのでな。しかし、なぜだ?」

「よろしければ細工に使うものを選んでいただけないかと思いまして。時間がない中でもシュテファン様のお好みに合うものをできるだけ作りたいですから。」

「カレン嬢、あなたはなんと優しいのだ!さっそく行こう、どの店だ?」


 ぱっと目を輝かせたシュテファンがいそいそとブッテルブロトを口に放り込む様に、カレンはまたくすりと笑みを零す。今日のシュテファンは貴族然とした窮屈さがなく、自然体でいるように見えた。どちらが本来の彼なのか分からないが、今日のシュテファンの方がカレン自身もリラックスして接することができていいなぁと思うのだった。

 カレン達が訪れたのは貴族区分の宝飾店。シアナが紹介状をしたためたところだ。カレンと共に入店した平民のような恰好をした男に一瞬眉を顰めるものの、それがシュテファンとすぐに気づいた店長が慌てて近寄ろうとする。それに対して軽く首を振ることで拒否したシュテファンは、カレンの後ろについていった。何か必要なものがあれば関係者を家へ呼び寄せて購入するのが貴族だ。シュテファンにとって店内は珍しく、カレンから離れないように歩きながらもきょろりと陳列されているものを見ている。歩みを止めたカレンの先には金属製の小さな浅い型枠皿があった。


「こういった枠皿に細工を施して飾りにしようと思うのですが、この中でお好きなものはありますか?」

「…何を基準に決めていいか分からないのだが。」

「見た直感で構いません。パッと見て気に入ったものがあれば。」

「…では、この楕円形のもので。」

「はい。色は…金が似合うと思うのですが、お好きな色はあります?」

「いや、カレン嬢が似合うと言ってくれた金がいい。」

「分かりました。マーラ様のは帯部分に飾り付けられるようにしましたけれど、シュテファン様はお仕事で剣を使われるのですから、あまり目立たないようにした方がよろしいのでしょうか?」

「…そうだな。釣革部分を飾れるようにしてもらいたい。」

「邪魔になりませんか?」

「それぐらいなら許容範囲だろう。」

「…では、細鎖をつけて吊り下げるようにするのはいかがですか?いざとなったらいつでも取り外せますし。」

「なるほど。いろいろな方法があるものだな。よし、カレン嬢が提案したものにしよう。」

「シュテファン様が一緒に来てくださったので、悩むことなく決められました。ありがとうございます。」

「いや、俺の方こそ。出来上がりが楽しみだ。」

「出発に間に合うように頑張りますね。」

「そうだ。一つ、入れてほしものがあるのだが。」

「何でしょう?」

「黒葵をどこかにつけてくれ。」


 シュテファンの希望に、カレンはぎょっとする。黒葵と言えばマリーが『カレンは黒葵のようだ』と揶揄ったことがカレンの記憶に新しい。見たことないと言えば、城館の庭にある自慢の温室に葵の一角ができてしまった。赤や白の葵の中で咲く漆黒の花はどこか異質で、その異質さは似ているかもしれないとカレンも感じたものだ。だが、その黒葵を贈り物の中に混ぜるなど自己主張が激しすぎやしないだろうか。カレンは散々渋って断り続けたのだが、シュテファンも頑として譲らず、『俺が着けるのだから俺の願いが通らないのはおかしい』と勢いでねじ伏せるシュテファンに屈さざるを得なかった。

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