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 あれから毎日、そう毎日だ。カレンは城館へ通ってはシュテファンに付き合ってもらってワルゼルの練習に励んでいた。初めは木でできた人形のように硬くぎこちなかった動きも、今は三拍子で一纏まりと見える程度には拍を流し掴むことができている。時々シュテファンの足を踏みそうになって崩れてしまうことはあるけれど。シュテファンのリードもほんのわずかだが感じ取ることができるようになって、たまに次の動きを予測できることがある。そういう時は体がとても軽く滑るように移動できるので、カレンはダンスが楽しく思えてきた。だが如何せん、カレンには足りないものがある。


「…休憩を取らせてください。」


 これで何度目になるだろう。シュテファンは息の上がっているカレンに苦笑しながら端に寄せたソファまで手を引いた。たかだか部屋の隅に移動するだけのこと、エスコートされるほどの距離でもないとカレンは思う。しかし毎度差し出される手を断れるでもなく、いい加減慣れてきたのもあってカレンの手は自然とシュテファンの手に乗せられているのだった。シュテファン達の行動を見計らって女中がカップをテーブルに置く。砂糖一杯とミルクたっぷりというカレンの好みはすでに把握されているらしく、何も言わずとも目の前のカップはまろやかな濁りを湛えていた。


「すみません、すぐ休んでしまって。」

「休憩を適宜取るのも上達するのに必要だから気にすることはない。カレン嬢はか弱いのだな。」

「脆弱なだけでございます。それにすみません、また足を踏みそうになってしまいました。」

「日に日に回数が減っているから問題ない。踊れるようになっているのはご自分でも体感できているだろう?」

「何となくですが曲に合わせられるようになってきたように感じますが、三拍子は身近ではないので難しいです。」

「カレン嬢のお国では踊らないのか?」

「えぇと…上流社会ではワルゼルのようなものを踊るのかもしれませんが、私は庶民もいいところですので。私の生活水準層だと男女が組んで踊ることもめったにありません。」

「…組まない踊りというものがあるのか?」

「あぁ…え、と…一人で踊ることの方が多いでしょうか。整列して一斉に同じ踊りをするですとか、大きな輪を作ってやっぱり同じ動きで踊るですとか…」

「…衆舞のようなものだろうか?俺は見たことがないから想像できないが…」

「衆舞…大衆の踊りと言うことでしたら、たぶん近いと思います。私がいたところでは踊りは観客に見せる目的のものがほとんどで、仲を深めたり人脈を築いたりするのは目的ではないのです。あ、衆舞は別ですよ。あれは踊り終えた時の一体感で盛り上がりますから。でも、その衆舞ですら見せる目的のものもあります。」

「なるほど。」

「ワルゼルのようなものはありましたけれど、専門に習わないと踊れませんし、習う人もほんの一握りだと思います。私の周りでは聞いたことがありません。」

「カレン嬢も習っていなかったようだな。」

「はい。敷居が高くて近寄りがたかったですね。『男女で組む』で思い出すならフォークダンスです。大衆踊りの一つなのですが、こちらの学園と同じような教育機関で行事のたびに踊るので、体が覚えてしまっています。曲が流れれば今でも踊れますよ。年頃の男女が手を繋いだり体を近づけたりするので妙に照れたり意識したり、青春の思い出です。」


 当時のことを思い出してカレンが穏やかに微笑む。視線を中空へ投げて心の内に籠ってしまったようなぼんやりする姿に、シュテファンは咄嗟にカレンの頬に手を添えて自分の方へ向かせた。


「…あの?」

「ああ、いや…すまない。」


 瞠目して丸くなった黒瞳がシュテファンを映す。見つめ合う形となった二人の間に沈黙が流れ、まったく意味が分からないと言うように痺れを切らせたカレンが首を傾げて尋ねた。それにはっと手を離したシュテファンが気まずそうに謝罪する。婚約者でも恋人でもない未婚の女性に必要以上に触れるのは礼儀違反だ。勘違いされる恐れもある。シュテファンはカレンに好意を持っているのでそこについては何の問題もないが、知り合って日の浅い人間に、しかも異性にされても不愉快なだけだろう。


「…カレン嬢はヤーパンから来たと聞いたのだが…」

「あー…どうなのでしょうね。信じられますか?」

「ヤーパンはお伽の話だと思っていたから俄かには信じがたいが、あなたは嘘をつくような人間ではないだろう?その…今のはカレン嬢がどこか遠くへ行ってしまいそうに思えて。それこそヤーパンへ行ってしまうような…。すまない、不快な思いをさせてしまったな。」

「…いえ、驚いただけですのでお気になさらず。」


 そう言って苦笑したカレンはゆっくりとカップを持ち上げて口をつけた。シュテファンも気持ちを落ち着けるべく喉に流す。思い出に浸るカレンが頼りなく美しく、彼女が見つめた空間に神が現れてそのまま天へ連れていかれそうな気がし、自分と言う存在を意識させたくてシュテファンはむりやりカレンと視線を合わせたのだ。想像以上に触れた肌がすべらかで、思っていた以上にしっかりと目が合わさって、言葉を飲み込んでしまう羽目になったが。角度をつけてカップを傾け、中を空にする。シュテファンが受け皿へカップを戻したところでカレンは話しかけた。


「シュテファン様は緑色の瞳をされているのですね。」

「…どういう意味だろうか?」

「ああ、いえ。髪が赤いので瞳の色も赤だと思い込んでいて。でも先ほど改めて見たら緑色をしていたものですから…」

「カレン嬢の瞳は綺麗な黒だな。吸い寄せられてしまう。」

「ふふ、ありがとうございます。私のところではごく一般的な色なのですけれど。瞳と髪の色が違うと言うことは、シュテファン様は二種類の魔法をお使いになるのですか?」

「ああ。風属性は母上から、火属性は父上から頂いたものだと思っている。」

「ご両親からの贈り物ですか…素敵です。二属性を持つ人を見たのはシュテファン様が初めてなのですが、割といるのでしょうか?」

「…いや、俺もあまり知らない。生まれつき複属性を持つ人間はそんなにいないのではないかな。あまり気にしたことがないのではっきりとは言えないが。」

「では、私はシュテファン様に貴重な体験をさせてもらっているのですね。」


 トゥバルトがカレンを感謝宴に誘ったのは準爵からの要望もあるが、オストシエドルングに聖女がいることを周知させるためだ。そしてその聖女をアッカーベルグ家が世話していると言うことも。カレンは辺境伯の行動をそう読んでいる。それは事実なので何の不満もない。しかしカレンとて妙齢の女だ。どういう意図だったのか理解できないが、シュテファンのような美丈夫に過度な接触をされればドキリとしてしまう。いきなり頬に手を添えてシュテファンの方へ向けさせるのは反則だろう。何事もなかったように装いながら早鳴っている胸を隠すのは精神を削られるのだ。もう少し慎みを持ってほしい。微妙な空気になってしまった雰囲気を変えるように、カレンは楽しげに微笑む。


「カレン嬢に喜んでもらえたのならオストシエドルングへ帰ってきたかいがあるというもの。お会いできて光栄だな。」

「こちらこそ。マーラ様がシュテファン様のことをよく自慢されていたのですが、シュテファン様を見て納得しました。シュテファン様のような方が身近にいたら間違いなく私も自慢しますね。シュテファン様もですけれど、アッカーベルグ家の皆様はお一人お一人が美人で羨ましいです。」


 眩しいものを見るように目を細めてシュテファンを見たカレンは、カップを飲み干した。いつまでも休んでいてはシュテファンに無駄な時間を取らせてしまう。音を立てないように気を付けてカップを受け皿へ戻し、ふうと気合の息を吐き出した。


「シュテファン様、もう少し練習にお付き合いいただけますか?」

「喜んで。疲れは取れただろうか。」

「はい。頑張りますね。」

「変に気張らない方がいい。気持ちを楽に、俺に体を預けて楽しめるようになるといいのだが。」

「そこまでたどり着くにはまだまだ時間がかかりそうです。」


 シュテファンが手を引いているカレンは頭一つ分ほど小さい。俯いてしまえば表情を窺うことはできない。


「まずは俺の顔を見て踊れるようになってほしい。」


 踊る体勢になった途端に視線が下がってしまうカレンに願えば、はっと上げられた顔は苦笑していた。それでいい、とシュテファンが微笑み返す。曲が始まって3転回する頃にはすでに下へ戻ってしまったカレンの視線に、今度はシュテファンが苦笑した。

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