035
傾き始めた日の中、オストシエドルング領都を馬が走る。黒で統一された制服はエストマルク王国の最重要一族を守る矜持だ。風に翻る脹脛まで隠す丈の外套は隊長である証。シュテファンが数年振りとなる我が家を目指して馬を駆っていた。街中であるからそこまで速度を出せるわけではない。けれど馬車より断然早く移動できるので、単独で行動する時は愛馬と共に動く。あと、単純に馬車での移動は退屈なのだ。
「お帰りなさいませ、若旦那様。」
「キーランド、久し振りだな。」
「はい。使用人一同、首を長くしてお帰りをお待ちしておりました。」
「大げさだ。」
「そんなことございません。若旦那様がオストシエドルングへお戻りになるのは中央学院で学ばれて以来でございますから。私のことなど忘れてしまわれたかと悲しく思っておりました。」
「…美しい女性に囁かれたい言葉だな。」
顰め面で溜息を吐いたシュテファンに、キーランドはわずかに口の端を上げた。元はシュテファンの従僕だったこの男、次期当主の片腕となるべく家令見習いへ転身したのはシュテファンが王都へ学びに出た時期と同じだった。なかなか帰ってこない我が主にやきもきしながら再会できた時に驚かせてやろうと、つねづね研鑽を積んでいる。
「父上は?」
「奥様とお寛ぎになっていらっしゃいます。」
「そうか。着替えたら…」
「シュテフ兄様っ!!」
騎士団の外套を脱ぎながらキーランドに確認を取っていたシュテファンの耳に、愛らしい声で呼ばれた自分の名が飛び込んできた。そちらの方へ顔を向けると、パタパタと足音を立てながら末妹が走り寄ってくるのが見える。シュテファンは抱き着いてきたマーラを腕に乗せるようにして抱き上げ、その頬に口付けた。
「マーラ、俺の可愛いお姫様、少し見ない間にまた大きくなったな。」
「お帰りなさい、シュテフ兄様!会いたかった!!」
「俺も会いたかったよ。」
きゃあ、と喜ぶマーラにシュテファンの相好が崩れる。抱き上げたまま自室へ向かっている間もマーラの口は止まらない。
「シュテフ兄様、あのね!オストシエドルングに聖女様が現れたの!光の聖獣もいたの!」
「ああ、マーラからの手紙に書いてあったな。どんな方なんだ?」
「闇の聖女様!カレン様って言うの!すっごい優しいんだよ!今はね、一緒に勉強しているの!」
「ほう、マーラは勉強を頑張っているのか。それは偉いな。どんなことができるようになった?」
「えへへ!いっぱい!たくさん!」
「そうか、偉いな。」
また一つ、褒美の口付けを頬へ贈られたマーラの顔がますます花を咲かせる。
「シュテフ兄様、いつまでいられるの!?カレン様と会わないの!?王都へは私と一緒に行ける!?」
「そうだな、一緒に王都へ戻ろう。聖女様はカレン様と言う名なのか?会ってみたいな。」
「ほんと!?私、お父様にカレン様をここに呼んでほしいってお願いしてくる!」
言うなり、シュテファンの腕からぴょんと飛び降りたマーラは小走りに父親のところへ向かっていく。その可愛らしい背中を微笑ましく見送ってから、シュテファンはキーランドを従えて自室へ入った。
「マーラはかなり闇の聖女を気に入っているようだな。」
「はい。私も現場にいなかったので聞いた話ですが…」
「キーランド、俺とお前しかいない。」
「…光の聖獣が領都へいきなり現れたんだ。初めは攻撃的でマーラ様が狙われたらしい。そこへ突如現れたヒョーク様がマーラ様を守った、と聞いている。」
「ほう…」
「そのまま光の聖獣を従えて領都も守ってくれた。城館へは週に一度、マーラ様の勉強相手として訪れている。」
「闇の聖女が、光の聖獣を…?」
「不思議だろう?なぜ異属性なのに光の聖獣が闇の聖女に従っているかは誰も知らない。だが傍目に見ても相当懐いている。」
キーランドはシュテファンの遊び相手、つまり『ご学友』として幼い頃からシュテファンと共に過ごした。友であると同時に絶対の従者なのである。普段は主従の立場を貫く二人だが、他者がいない場ではそれは崩された。幼い頃のようにくだけた言葉で話し、隔たりも取り払う。
「カレン…ヒョーク様、とお前は言ったな。貴族なのか?」
「本人は平民だと言っている。俺が見ている範囲だと確かに貴族ではなさそうなんだが、平民だと判断するには言動に品がありすぎるな。」
「元貴族…と言うことか?」
「いや…どう言えばいいのか…貴族と言うには作法が身についてないし、平民と言うには所作が美しすぎる。ヒョーク様はエストマルク王国の生まれではないらしい。その辺りは旦那様が詳しく聞いていらっしゃる。」
「そうか。父上に聞くとするか。」
「こちらへ戻ってきたのは聖女様に関連して、か?」
「ああ。国王陛下の命だ。」
「なんだ、俺に会いに来てくれたわけではないんだな。」
「だから美女にしか許されない言動をするんじゃない!お前に言われても嬉しくないぞ!」
はははと楽しそうに笑うキーランドにシュテファンはげんなりと肩を竦める。信用し合っているからこそのやり取りだが、男に言われたところで微塵もときめかないのだと何度言えばいいのか。シュテファンは手慣れたように室内着を用意するキーランドに目を眇めた。
「シュテフ兄様!お父様がカレン様を明日の晩餐に招待してくれたの!今からカレン様のところへ行こうと思うんだけど、シュテフ兄様も一緒にどう!?シュテフ兄様と馬に乗りたいな!」
「…待ってくれ。聖女様は城館にいるのではないのか?」
「聖女様はたいへん慎ましい方でして、ご迷惑を掛けたくないと城館でお過ごしになるのを辞退されました。」
「…我が家はそんなに逼迫しているのか?」
「まさか。そのようなことは一切ございません。聖女様のお国にはこのような習慣はないようでして、ご辞退されたのでございます。」
「カレン様はヘイリゲルワルドにいるんだよ!そんなに遠くないし、お父様のお許しは貰ったからいいでしょ!?」
「ヘイリゲルワルド…」
「スチロスワルドのことでございます。聖女様と聖獣が住む聖なる森、と領民の間で自発的にそう呼ばれるようになりました。」
「…今からか?もう日も暮れるし、帰りは確実に暗くなってしまう。マーラと馬に乗れないのは残念だが、使いの者を出したらどうだ?」
「そうなんだけど、私、フッテに行ったことないから行ってみたいの。」
「フッテ…?まさか、あんな物置小屋に聖女様を押し込めているのか?」
「ヒョーク様のお望みでもあります。ルヘゾネにいらしたこともありますが、『分不相応だ』ととても恐縮されていました。フッテにいらっしゃる今の方が自然体でいらして、ヒョーク様にとって合う環境なのだと思われます。」
「ねえ、シュテフ兄様!早くしないと夜になっちゃう!お父様からの招待状も預かっているし、行こうよ!」
マーラはすでに乗馬できるような恰好をしていた。いろいろと戸惑っているシュテファンの手をぎゅうっと握り、おねだりするように見上げる。末妹にめっぽう甘いシュテファンは少し考えたが次はマーラに腕へ巻き付かれて再度おねだりされ、戸惑いながらも承諾した。すぐに着替えるからと私室に待たせて化粧室へ入ると、キーランドが何着かの外出着を見繕って並べている。その中の一つを急いで着てマーラと部屋を出れば、廊下の端にミラとミリが控えていた。
「お帰りなさいませ、若旦那様。」
「ああ。」
「ヒョーク様のところへお越しになると伺っております。馬でよろしいでしょうか?」
「そうだ。」
「畏まりました。用意してまいります。」
ミラとミリはキビキビとした動作で準備をしに外へ出た。マーラがシュテファンを誘いに来た時点で、馬で移動することは厩舎に知らされている。ミラ達は準備が整えられた馬を玄関前まで引いて来ると言ったのだ。纏わりついているマーラと共にシュテファンが両親へ帰省の挨拶と出掛ける旨を伝えてから玄関へ行く頃には、二人の愛馬はおとなしく手綱を引かれて待っていた。




