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「お帰りなさいませ。」


 玄関ホールで次期当主を出迎えた執事はその目を丸くする。シュテファンが思いもよらぬ人物と共に帰ってきたからだ。


「パウルだったか?健勝そうで何よりだ。」

「これは…勿体ないお言葉をいただきまして、恐悦至極に存じます。」

「ただのレイナードだ、気遣い無用。」

「畏まりました。若旦那様、ヒュー様が1時間ほど前からお越しです。」

「あいつ…早くないか?」

「若旦那様と飲むのだと楽しそうに教えていただきました。応接室にお通ししております。」

「そうか。」

「それから、こちらが届いておりました。」


 オストシエドルング辺境伯が所有する都邸は王城より馬車で10分程度のところにある。貴族街に建ち並ぶ邸宅の中でも王城に近い邸宅の一つ。建物自体は何代も前から変わっていないので、もはや歴史的建造物のようなものだ。歴代のアッカーベルグ家がどれだけ王室から信頼され、王国のために腐心してきたか分かる。シュテファンが都邸に戻れたのは予定していたよりも遅い時間だった。レイナードと連れ立ってずんずんと奥へ進む。応接室の扉を開けたシュテファンは、我が物顔でソファに座っている友の姿に呆れたように息を吐いた。まあ、いつものことなのだが。


「…待たせた。」

「いいや、お疲れ。って、レイ!お前も来たのか。」

「僕だけ除け者にするつもりだったのか?」

「そうじゃないが、シュテフに苦労かけんなよ。」

「かけていない。」

「…まあ、来てしまったものは仕方ない。久し振りに三人で飲もうぜ。」

「ああ、俺の部屋へ行こう。」


 案内される必要もないほど来慣れているヒューは音もなく立ち上がるとシュテファンに近寄る。そしてにやにやと笑いながら友人の手元を覗き込んだ。


「恋文を貰うぐらい忙しかったんだろ?」

「くだらないことを言うな。マーラからだ。」

「お、マーラ嬢?」


 玄関ホールでシュテファンが執事から受け取ったのは蝋で緘された封書だった。印は確かに妹のもの。机に向かうことが苦手なマーラからの手紙とあって、シュテファンの内心はそわそわしている。シュテファンが妹を溺愛していることを知っているヒューとレイナードは、平然を装っている彼がおかしくてたまらない。どうやって揶揄おうかと企みながら移動した。

 シュテファンの部屋は二階にある。従僕に軽食とグラスを用意させ、二人を私室に待たせ、シュテファンは着替えるために扉で繋がっている寝室に入った。堅苦しい騎士団制服を脱ぎ、シャツにズボンだけの楽な姿になる。ヒューもレイナードも気心が知れているので、シャツも首元のボタンを二つほど外して着崩した格好だ。待たせているついでにマーラからの手紙にさっと目を通す。読み進めて少しばかり瞠目したが、じっくり妹の字を楽しむのは後だと封筒にしまい直した。私室に戻れば、ヒューもレイナードも同じように服を緩めている。こうして三人だけで集まる時間は貴族のあれやこれやなど持ち込まない。応接机の上には多種類の軽食とヒューが持ってきた酒。支度を整えた従僕は何かあった時にすぐに対応できるよう扉の脇に控える。ここはシュテファン達の様子を確認できるが話している内容は聞こえない絶妙な位置。気安く互いに酒を注いだ三人はグラスを軽く合わせて口に含んだ。


「…すっきりとした味わいだな。」

「まろやかな舌ざわりだ。」

「それなりに度数はあるようだが。」

「色のない酒というのも珍しい。」


 シュテファンとレイナードが初めての味を口々に評価する。それに同意を示しながらヒューは酒の入った瓶を持ち上げた。


「兄上が研究を重ねて作り上げたみたいでさ、なんとビエルやヴィスキと同じ赤麦が材料なんだと。」


 ビエルもヴィスキもエストマルク王国ではよく飲まれている酒で、ビエルは醸造酒、ヴィスキは蒸留酒である。それぞれ別の良さがあるのだが、ビエルは『まずはビエルで』という具合に老若男女貴賎問わず愛されている飲み物だ。赤麦から作られるものが一般的だが、黒麦からも白麦からも作られている。対してヴィスキは手間暇をかけて作られているので、どうしても値段が高くなってしまう。平民が手を出すには敷居が高く、特別な日に飲むことが多い。


「へえ、赤麦が原料なのに透明になるのか…」

「発酵や熟成の方法が違うだけでこんなにも変わるなんてなあ。」

「これはタビー様のいつもの一環か?」

「そうらしい。俺が好みそうな味だって送ってくれたんだ。」


 ヒューが兄を心の底から慕っていることをレイナードとシュテファンは知っている。ヘヘヘと嬉しそうに笑うヒューに、二人は柔らかい眼差しを向けた。成人前から当主となったタビーは自分のことだけで精一杯だったろうに、ヒューの招きで遊びに来たレイナードとシュテファンを何度も温かく迎えた。少年当主は他の貴族から潰されることなく、学園学院の成績も優秀で、両親から受け継いだウェイゼンドルフ領の発展にずっと力を注いでいる。ヒューもだが、レイナードもシュテファンも、自分と大して年が変わらないのに大人の中で渡り合ってきたタビーに尊敬の念を抱いているのだ。


「ウェイゼンドルフの特産品が一つ増えそうだな。」

「どうだろうな?『やっと成功した』って兄上が言っていたし、特産品にするのには難しいのかも。レイ、気に入ったか?」

「ああ。さっぱりしていて飲みやすい。」

「そうか、兄上に伝えておく。喜ぶと思うぞ。」


 一番にグラスを空にしたレイナードが軽く息を吐いて余韻を楽しむ。ヒューもシュテファンも初めての味を批評しながら堪能した。男三人、しかも若さ溢れる年頃、あっという間に酒も軽食もなくなったが満足できるはずもなく。同量が再び応接机に揃えられたところで、ヒューがシュテファンに尋ねた。


「それで、国王陛下の呼び出しは何だったんだ?ずいぶん時間がかかったようだが。」


 飲み慣れたヴィスキを片手に、シュテファンはヒューに視線を向ける。次いでレイナードを見れば、バチリと目が合って溜息で答えられた。


「…話自体はそこまで難しいことではなかった。レイが絡んできさえしなければもっと早く終わったはずだ。」

「おい!」

「なんだ、レイも一緒に呼び出されたのか。また何か勝手にやったのがバレでもした?」


 シュテファンとヒューの軽口にレイナードは二人をギロリと睨んだ。それが堪えることなく、シュテファンは飄々とグラスを傾け、ヒューは楽しそうに笑う。二人の態度で機嫌を損ねたようにヴィスキをぐいっと呷ったレイナードは、シュテファンがつまもうとしていたクラッカーを横から掠め取り一気に頬張った。


「…たく、王太子殿下にあるまじき作法だな。」

「まったくだ。」

「その王太子に対して貴様らの態度は不敬だぞ!」


 むすりと口を尖らせたレイナードが、今度はヒューが伸ばした手の先にあるバケットを掴む。レイナード・クロンプリンズ・ヴォン・エストマルク・フリューア。エストマルク王国の王太子にして騎士団団長、シュテファンが頭を痛めている警護対象でもある。強い光を湛える青瞳にさらさらと動く黄髪の、エストマルク王国随一のとても美しい青年だ。まだ29歳ながらその実力でもって騎士団団長を務めあげている。自ら先頭に立つ素晴らしい行動力のおかげでシュテファン率いる近衛三隊は休む暇がない。王太子という立場をきちんと理解しろと何度進言しても一向に直そうとする気配がなく、シュテファンのみならず父である国王の悩みの種となっている。頭脳明晰であり、魔法や剣等の実力も王国内第一級であり、次期国王として申し分ない逸材なのだが…。シュテファンとヒューは幼い頃よりレイナードの遊び相手として王城に上がり、三人で切磋琢磨しながら成長してきた。王太子のレイナードに取り入ろうと耳触りの良いことしか口にしない他の貴族たちと違って、シュテファンとヒューはレイナードが何かを誤れば即座に指摘し意見した。耳が痛いし、煩わしいし、悔しいし、腹が立つ。けれどレイナードにとって二人だけが背中を預けられる存在なのだ。三人だけの時にシュテファンとヒューが遠慮ない態度でいることも、レイナードにとってとても心が安らぐ時間だ。腹は立つけれど。


「…オストシエドルングに聖女が現れたそうだ。」

「へえ。」

「しかも闇の聖女らしい。」

「闇!?本当か、シュテフ!?」

「…知らない。俺は国王陛下の前で初めて聞いた。だが、先ほど届いたマーラの手紙にもそう書いてあったから間違いないのだろう。」

「へえ!美人!?」

「だから知らないと言っているだろう?マーラとは仲が良いようだがな。」

「王都へは来ないのか?闇の聖女なら引見しておくべくじゃないのか?」

「ああ。…しかし、闇の聖女がそれを拒んでいるようなんだ。」

「拒む?王都だぜ?望めば王城でも暮らせるんだろ?もしかしたら王太子妃にもなれるかもしれないのに?」

「ヒュー!」

「…闇の聖女は父上がオストシエドルングで保護している。」

「保護って…」

「ん?監視か?とにかく、オストシエドルングで暮らしたいと闇の聖女が言っている以上、上都しろと強制できん。」

「そこで父上がシュテフに確かめて来いと仰られた。それなのにこいつは…」

「ヒュー、レイから目を離せると思うか?」

「おい、シュテフっ!!」


 帰邸が遅くなったのはここら辺が原因か、とヒューは察する。おそらく国王の前でもこの二人は今と同じようなやり取りをしたのだろう。いや、レイナードが一方的に突っかかっていったと言った方がいいかもしれない。とにかく、シュテファンはオストシエドルング領へ足を運びたくなく、レイナードは軽いとは言え国王の命を拒もうとしたシュテファンを咎め、ああだこうだと言い合っていたのだろう。不要なことは極力したくないシュテファンと、彼を認めているがゆえにいちいち噛みつくレイナード。いつものことである。


「で、結局どうなったんだ?」

「…俺がオストシエドルングへ行くことになった。」

「まあ、そうだろうな。あそこへ行くの、久し振りだろ?俺もついていこうかなあ。」

「レイを頼む。」

「おいっ!」

「そう言われると思った。トゥバルト様によろしく。」

「ああ。」

「おい、ヒューまでっ!!」


 完全に機嫌を損ねたレイナードがグラスをぱかぱか空けていく。度数が高いヴィスキをそんな風に飲めば、次の日に響くのは必至のはずなのだが…。この三人にはいらぬ世話というもの。若い健康な心身は底なしに飲食を楽しめる。そして歯に衣着せない雑多な語らいも。たとえ自分が槍玉にあがろうが、やはりレイナードにとってシュテファンとヒューと過ごす時間は他の何かと換えられるものではないのだ。


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