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エストマルク王国の王都は華やかに発展した都だ。町を見下ろす丘全体を敷地とした立派な王城を中心に、王城を守るようにして貴族の屋敷が周囲に建ち並ぶ。その先は平民街が広がっており、様々な人で賑わっていた。しかし人々の往来が活発なのには弊害もある。治安の悪化、不審者の増加、王侯貴族への危害など、王都の住人が持つ不安の種は様々にあった。それを少しでも除くための職業もまた様々にある。その一つが騎士団だ。王国直属の軍隊、一番分かりやすくエストマルク王国を守っている集団。王国直属なので安定した職業であり、平民にも門戸が開かれていて、活躍を直接目にすることが多いため、エストマルク王国で生まれ育つ男の子の憧れの職業の一つである。制服を着た騎士団員は女の子から熱い視線を送られることが多いのも人気の理由の一つだが、そんな浮ついた理由で団員になっても厳しい訓練についていけず早々に脱落してしまう。人々はそれを知っているので、騎士団員は尊敬されてもいる。仕事内容は多岐にわたるが、『エストマルク王国に住むすべての人間が幸福に暮らせるように』という理念が根幹にある。
「国王様がお呼びでございます。」
エストマルク王国騎士団王城警備局近衛警護部隊にあてがわれた王城内の部屋に呼び出しがかかる。
「第三小隊長様はいらっしゃいますか?」
「小隊長は鍛錬中だ。すぐに知らせて国王陛下のもとへ向かわせよう。」
「承りました。国王様へそのようにお伝え致します。」
真面目に仕事をこなす後輩へ見守るような温かい視線を向けたその男は、本来ならいるはずの執務椅子が空席になっていることに溜息をつく。わざわざ来てやったのに相手はいなかった。『体を動かしてくる』と言い残してふらりと出ていったのはかれこれ30分ほど前のことらしい。事務仕事を苦手とする第三小隊長が離席をするのは日常のことで、どこへ行くのかを隠さないだけありがたいという認識に第三小隊の中ではなっている。
「…ちょっくら行ってくる。どこで鍛錬しているんだ?」
「おそらく宿舎脇だと思われます。」
「ああ、あそこ。あいつ、鍛錬中にお嬢様方からきゃあきゃあ言われるの好きじゃないからな。」
「あのお姿ですから致し方ないですよ。羨ましい限りです。」
「ははっ。まあお前の気持ちも分かるが、あいつの気持ちも分からんではないからな…。それなりに苦労してるんだぜ?」
「申し訳ありません、小隊長のお気持ちも考えず軽率に願望を口にしてしまいました。」
「羨ましいと思うのは健全な男だって証拠だ、気にするな。可愛いお嬢様方にはモテたいよなあ?」
「はい!」
「大丈夫だ、お前もいい男だぞ。じゃあ、行ってくるわ。」
「お願い致します、賓客一隊長様。」
しなくていい苦労を掛けられている彼の部下に同情しつつ、伝言を引き受けた男…王城警備局賓客警護部隊第一小隊長は目的の人物がいるはずの場所へ足早に向かった。王城にはだだっ広い地面むき出しの場所がいくつもあり、騎士団員はそこで自由に鍛錬している。国王が『励め』と寛大な御心を示しているのだ。近衛警護部隊は王城内に割り当てられた部屋の他に王城の裏手にも専用施設を賜っており、施設の裏は地面だけが広がっている。王城の裏の裏。王侯貴族でもここまで入り込むことはあまりなく、騎士団員が鍛錬すればどうしても湧き上がってしまう喧騒も王城には届きにくい。近衛警護部隊かっこうの鍛錬場なのだ。予想通り目的の人物はそこにいた。ただし汗を流しておらず、優雅に空を眺めていたのだが。
「シュテフ、国王陛下からのお呼び出しだ。」
「…俺に?」
歩きながら声を掛ければ、気配を感じ取っていたであろう男がゆっくりと顔を向けた。エストマルク王国王城警備局近衛警護部隊第三小隊長、シュテファン・グラフ・ヴォン・アッカーベルグ。母親譲りの緑魔石に見間違えそうなくらい強く光る瞳と父親譲りの張りがあり色艶の濃い赤髪を伸びるに任せたまま後頭部で一つに束ねている、二つの属性を持つ美丈夫だ。この世界で二属性を持つ人間は少ない。それだけでも引く手が数多だと言うのに、辺境伯の父親と王妃の覚えめでたい母親の長男、本人も既に爵位を持っている上に騎士団の中でもなるのが難しいとされている近衛騎士。しかも若年での小隊長。涼やかな目、高い鼻梁、薄い口と惚れ惚れするような顔貌に長身。32歳と婚姻適齢期なのに婚約者もいない『超優良物件』なので、エストマルク王国のご令嬢方から一番狙われている貴族男性なのだ。ゆっくりと振り向いた緩慢さのまま気だるげに近寄ってきたシュテファンに、呼びに来た男…ヒューはおいおいと苦笑する。
「少しは急ごうとしろよ。」
「用件は?」
「それは聞いてない。何か仕出かしたか?」
「いや、心当たりはない。」
「それならどうしようもないな。どのみち行くしかないんだからさっさと行けよ。」
「ああ。」
ゆるゆると首を横に振るシュテファンは緩めていた首元をきちりと整え直した。それだけで硬質の色気が増すのだから恐ろしい。幼年からの友人であるヒューがそう思うのだ、ご令嬢方がこの彼を見かけるたびに所構わず熱い視線を送るのも致し方のないこと。シュテファン本人はそんな視線を気に留めてすらいないのだが。
「ヒュー、仕事は?」
「今は要人様がいらっしゃらないので特には。」
「…羨ましいな。」
「ははは、シュテフの警護対象様は大変行動的でいらっしゃるからなあ。」
シュテファンはエストマルク王国騎士団王城警備局近衛警護部隊第三小隊に属している。近衛警護部隊は王族を護衛する役割を担っていて、確実な身元と実力を持っているものしか就くことのできない少数精鋭の花形部隊だ。シュテファンが小隊長を務める第三小隊は王太子を警護対象としている。並んで歩くヒューは正式にはヒュー・ヴィゼグラフ・ヴォン・モロダーと言い、エストマルク王国騎士団王城警備局賓客警護部隊第一小隊に属す。シュテファンと同じく小隊長の立場で、こちらは王国外からの賓客を護衛する仕事だ。切れ長の緑瞳と短めの緑髪を持つヒューは一見するととっつきにくく怖い印象だがすっきりした顔立ちの、シュテファンとは違う系統の美形である。王城で働くにはエストマルク王国立中央学院を卒業した30歳以上という条件を満たしていないといけない。ヒューは30歳、この年齢で騎士団の小隊長を任されている。子爵でもある。爵位持ち、最年少小隊長、整った容姿。要するに、ヒューはヒューでご令嬢方から狙われていた。
「シュテフ、今夜の予定は?」
「さっさと帰って寛ぎたいところだ。」
「お?珍しく麗しいお姉様とは遊ばないんだな!?」
「ヒュー…お前は俺を一体どんな目で見ているんだ。」
「男から見てもいい男だよなあ、シュテフは。」
「…で、今夜がどうした。」
「兄上が酒を送ってくれたんだよ。飲まない?」
「いいな。お前の兄上は良い趣味をなさっているから楽しみだ。」
「よし、決まりな!お前のところでいいだろ!?」
「…ヒュー。我が家で寝るのが目的だな?」
「部隊の寮のベッドも決して粗悪なものではないのだがなあ。かと言って都邸に毎日帰るのも面倒でなあ。それにシュテフのところのベッド、フカフカ具合が最高なんだぞ!お前は俺に至福の時間を分け与えるべきだ。」
ヒューの兄はモロダー家の当主、伯爵でオストシエドルングの隣を領している。兄弟の両親は残念ながら早世してしまったため、ヒューの兄は地方学園に入学する前から当主として弟や領地、関係者などを懸命に守ってきた。ヒューが成人した今は年に数回程度しか会うことがないが、二人の間では手紙が頻繁に行き来しているようだ。兄弟仲はよく、兄は弟を穏やかに見守り、弟は兄を尊敬して手本としている。互いの領地が隣接していることもあってシュテファンとヒューは幼いころから共に過ごすことが多かった。いわゆる幼馴染という関係だ。成長してもその親密度は変わらず、似たような職業に就いたことで今も共に行動することが多い。一人ずつでも目立つ存在なのに二人で並ぶと精悍さがぐっと増して女性の目を面白いように奪っていた。
「着いたな。ではまた夜に。」
国王がいる部屋の前まで来ると、立ち止まったシュテファンの肩を軽く叩いてヒューはそのまま先へ歩く。そんな友の背中を横目に見送ってから、国王へ謁見するべく扉番に一つ頷いた。




