027
真っ黒になったワルデン達はお風呂へ直行、ジェイは子供達の着替えを取りに孤児院へ、ケルビーは足りない食器を買いに商業区画へ。一番初めに風呂に入ったナタリアはカレンのシャツを借りている。体型体格に差があるので、シャツというよりワンピースとなってしまっているが。羽織った瞬間にふわりと感じたいい香りにナタリアがドキドキしている間に、カレンは腕をまくるために膝をついた。
「…ちょぉっと大きいけど我慢してくれる?」
「ひょ、ヒョーク様!私、自分でできる!」
孤児院では10歳のナタリアとて働き手となる。自分より小さな子の面倒を見るのも仕事の内だ。そんなナタリアがまさか聖女に世話されるなんて信じられなく、大いに慌てた。カレンの手の中から腕を引き抜くようにして体に寄せ、不格好ながら何とかシャツの袖を折り捲る。両手が出てホッと息を吐くナタリアに口元を緩めたカレンは、次にスカートを用意した。やはり大きさが合わず、ナタリアの胸の辺りまでたくし上げることになってしまったけれど。カレンは腰の部分で布を抓み留め、ずり落ちないようにする。つま先近くまで隠れるスカートなど履いたことがない。ナタリアが嬉しそうに体を揺らす。それに合わせてヒラヒラと揺れるスカートの裾が目に入ってますます嬉しくなる。ナタリアの頬は上気して色づいた。
「ふふっ、可愛い!」
「本当!?お嬢様みたい!?」
「すごく可愛い!さ、昼食作るからちょっと待っててね。」
「私、手伝う!お手伝いしたい!」
「嬉しいな、ありがとう。」
じゃあ、と言ってカレンは冷箱から卵を二つ取り出す。ナタリアは驚いた。エストマルク王国で卵は高価な食材だ。卵一つで黒パンが20個以上も買える。
「卵を割ってたくさんかき混ぜてくれる?」
「…卵、割ったことないの。」
「そうなの?失敗してもいいからやってみる?」
「いいの…?」
「もちろん。」
何事も経験に勝るものはない。カレンは卵を手に取ってナタリアに手本を見せた。机に卵をぶつけてひびを入れる。ひびがはいったところに両手の親指を入れる。ゆっくり開く。食い入るようにじっと見ていたナタリアが、おそるおそる卵を掴んだ。ゴクリと喉を鳴らしてしばらく卵を見つめる。それからカレンの真似をして卵を机にぶつけて、親指を入れ、左右に開いた。
「…あ、ぐしゃってなっちゃった!ああっ、黄身がつぶれちゃった!」
「大丈夫、どうせかき混ぜるんだから。」
でろんと崩れた黄身にナタリアは半泣きでカレンを見上げる。慰めるように頭を撫でたカレンの手は、ジェイと違って優しく、ケルビーと違って柔らかい。その温かさにナタリアは両手で口を覆いながら嬉しそうにうふふと笑った。落ち込んでいたナタリアが明るくなったことが嬉しくてカレンも微笑む。
「さ、かき混ぜて。」
「…これくらい?」
「うん、上手。そしたら、そこにある牛乳を入れて混ぜてちょうだい。」
「はあい!…できた!」
「じゃあ今度は白麦粉と砂糖をぐるぐる混ぜてほしいな。」
「…白い粉だ…」
ナタリアの口から出てきた単語にカレンはぎょっとする。『白い粉』はマズい。とってもよろしくない。そんなカレンの様子に気づくことなく、ナタリアはじいっと白麦粉を凝視している。
「これが白パンになるんだよね?」
「え?…あ、うん。そうだよ。好き?」
「好き!だって軟らかくて甘いんだよ!でも高いからほとんど食べられないの…。」
「そっか…。じゃあ今度遊びに来た時はパン祭りにしようね。」
「ほんと!?」
「本当。その代わり、前の日までに連絡ちょうだいね。準備したいから。」
「はあい!」
エストマルク王国のパンは大きく分けて2種類ある。白麦から作られている白パンと、黒麦から作られている黒パン。白麦は日本で言う小麦、黒麦はライ麦。用途もほぼ同じで、カレンは使い慣れている白麦粉を愛用していた。しかし生産量が多いのは黒麦の方なので、白麦製品は黒麦製品に比べて割高になっている。エストマルク王国で白麦製品を口にするのは貴族がほとんどだ。平民はほぼ黒麦製品を手に取る。寄付や支援で成り立っている孤児院は、どうしたって黒パンしか選択肢がない。白パンを食べたことが皆無だとは言わないが、ナタリア達にとっては贅沢品なのだ。ちなみに麦は3種類で、赤麦と呼ばれている大麦も盛んに栽培されている。こちらは主に大人の飲み物に加工される。
「ヒョーク様、混ぜた!」
「…ありがとう。そしたら次はこれとこれを混ぜ合わせるよ。ちょっとずつ卵液をいれてもらえる?」
「うん!」
楽しそうに手伝うナタリアが『これくらい?』と確認しながら注ぐ卵液を、ダマにならないように白麦粉と混ぜ合わせて、最後に少しだけ溶かしバターを加えて滑らかな生地を作った。カレンはそれを次々とフライパンで薄く焼き、平皿に乗せていく。そうこうしているうちにジェイ達もフッテに戻ってきた。仕切りカーテンの向こうからは『おい、さっさと出て来い!』やら『ちゃんと拭けよ、まだ濡れてんだろ』やら、意外に面倒見の良いジェイの声ときゃっきゃっと楽しそうなワルデン達の声が聞こえてくる。
「カレン、これでよかったよね?ついでに椅子も買ってきちゃった。」
「わ、ありがとうケルビー。重くなかった?」
「これくらい余裕だって。にしても三番路の店だったとはねえ。聖女様には釣り合わなくない?」
「何度も言ってるけど、私、庶民だから。あのお店、ミラとミリに教えてもらったの。木製の食器ってちょっと憧れてたんだ。」
「同じものが残っててよかった。店の人もホッとしてたよ。お、ナティ!可愛くしてもらったねえ。」
カレンの横にいたナタリアに視線を向けたケルビーの目が優しく細まる。ぱあっと表情を輝かせて笑うと、ナタリアはくるりと回ってみせた。スカートの裾がふわりと広がり円を描く。それも嬉しくてナタリアはもう満面の笑顔だ。
「ヒョーク様が貸してくれたの!お嬢様みたい?」
「うん、可愛い。」
「おらナティ、お前も着替えろ。」
「ジェイ兄、やだあっ!」
「やだじゃねえ!」
フッテが一気に賑やかになる。『手伝う』と名乗りを上げた子供達には小さめの皿、ジェイとケルビーには熱々のスープが入った椀や作ったものを運んでもらい、みんなでリビングへ移動した。食卓にはどんどん皿が乗せられていき、ジェイ達の視線は食卓の上へ釘付けになる。
「簡単なものだけど。」
「…いや十分だよ、カレン…」
「白い粉を使ったんだよ!あと卵も!」
「…白い粉?」
「白麦粉。ナティちゃんがいっぱい手伝ってくれたんだよね。」
「うん!」
「…どうやって食うんだ?」
「この皮に好きな具を乗せて巻いて食べるんだけど…手掴みって大丈夫?」
「むしろカレンが大丈夫なの?」
「何が?」
「…気にしてなきゃ別にいいんだ。」
聖女様が平民のような食べ方をすることに驚き、それを疑問に思わないカレンにケルビーは苦笑する。そんなケルビーに首を傾げつつ、カレンは手本を見せようと中央に置いた平皿から皮を一枚取る。蒸し鶏を割いたもの、ハム、牛挽肉をチリソースで味付けしたもの、ポテトサラダ、ちぎりレタス、スライストマト、スライスキュウリ、スライスチーズ、森葡萄ジャム、林檎煮。冷箱と凍箱の中はほぼ空っぽだ。蒸し鶏、レタス、キュウリを皮の上に置き、マヨネーズをかけ、下半分を折り返してから狭幅の扇状になるように巻いていく。
「…みたいに適当に包んで食べる、と。」
さあどうぞとカレンが両手のひらを上に向けて机の上を指せば、子供達の瞳はキラキラと輝いて『どれでもいいの!?』と争うように皮を自分の皿に移す。それに笑って頷くカレンに子供達は歓声を上げた。




