024
言葉を覚えるのに一番手っ取り早いのは現地へ行くことだ。現地人と交流し、体に言葉を馴染ませる。では、文字は?文字を覚えるにはどうしたらいい?カレンはやはり実践が一番だと考えている。ひたすら書く。ひたすら読む。と言うわけで、カレンは商業区画へ足を運んだ。買いたいものがある。それに商業区画の中を探検したい。いつもの服に外套を羽織り、トゥバルトから頂いた給金をスカートの隠しに入れ、町へ出る。エストマルク王国には『聖女と聖獣は一対』と言う考えがあるらしく、仕事初日にカレンだけで城館を訪れたらぜひ連れてきてほしいと言われた。町へ出る際も連れて歩くと歓迎されると教えられ、『店に獣を入れるのはまずいのでは?』と聞き返したが『聖獣は幸福繁栄の象徴なので大いに結構』と頼もしい保証を貰ってしまった。まあ、店の方から断られたのなら次回からは留守番していてもらえばいい。外套のフードにちょこんと入って前足を肩に乗せて身を委ねているコウに身悶えしつつ、カレンは平民向けの店舗が並ぶ一角へ向かった。
まずは木工品店へ行き、森葡萄の蔓で作られたという籠を買う。空間魔法は人目を忍ぶので、一つは持っていた方がいいと思ったからだ。ヨーロッパのお嬢様スタイルに憧れていたわけではない。断じてない。…ほんのちょっとだけ、ある。丈夫で長持ちすると請け負われたそれを腕にかけ、次は文房具店へ足を向ける。
「いらっしゃ…聖女様っ!?」
「こんにちは、お邪魔します。あの、聖獣も中に入ってもいいでしょうか?」
「せ、い獣っ!?」
「肩にいるこの子なんですけど…」
「どっ、どうぞ!!」
「ありがとうございます。」
「むしろこちらこそありがとうございますっ!」
よかった。トゥバルトの言う通りだった。よく分からないけれど聖獣は歓迎されるようだ。ホッと息を吐き出してぐるりと店内を軽く確認したカレンは、目的の商品に近づく。カレンが購入しようとしているのはペンとノート。マリーから頂戴したものはやたらと高級そうなので城館のあの部屋に置いておくことにした。あんなもの持ち歩けない。できればカレンのよく知るペン型のものがあるといいのだが…、と筆記具が置いてある場所を目で順になぞっていくとあった。木から作られたと思われるそれらは色の違いこそあれど、どれも同じように見える。それなのに価格が違っているのでカレンは首を傾げた。
「…あ、あのっ!よければお手に取ってお確かめくださいっ!」
「ありがとうございます。質問してもいいでしょうか?」
「はいっ!何でございましょう!?」
遠巻きに様子を窺っていた店員が、カレンが足を止めたことでじわりじわりと近づいておっかなびっくり声をかける。その声に振り向いたカレンが気安く話しかけてきたので、ビクリと体を震わせた店員が裏返った声で早口に聞き返した。この町の人間にとってカレンは雲の上の存在になってしまっている。先日の空中散歩が原因だ。あの幻想的な光景をこの店員もまた店の前から呆然と見ていた。『あの森は聖なる森になった、そこに住む聖女様は私達平民とは一線も二線も画すお人だ』と同じように呆然と空を見上げていた近場の人とさざめき合ったものだ。その人がまさか自分の店に!しかも話しかけてきた!店員は盛大に動転してしまっていた。
「くっくっくっ。カレン、恐れられてるぞ?」
「…違うし。」
「ならば敬われているのだな?」
「それも違うし。」
「そうか、崇められているのか。」
「もうっ!うるさいっ!」
「すみませんっ!!」
「え?あっ、違います!ごめんなさい、あなたではなくてこの子です、この子が耳元で変なこと言ってきたから…っ!」
喉を鳴らしてクツクツと笑っているコウを乱暴に撫でると、カレンはコホンと一呼吸おいて店員へ質問した。
「あの、ここに並んでいるものですが…。使われている木が違うだけですか?」
「え、あ、いえっ!一本一本手で作っていますので、太さも若干異なっています。聖女様の手に合うものがあると思いますので、お確かめください!そ、それとっ!つけ型か内蔵型かでも値段は変わってきます!」
「つけ型…?内蔵型…?」
「ああっ、すみません!インクです!つけて使うか中に入っているかの違いですっ!」
「なるほど…。ちなみにどの辺りが内蔵型ですか?」
「な、内蔵型はここら辺になります!」
…そんなにどもらなくても。いかにも緊張していますと言った具合に若干聞き取りづらい速さで説明した店員が、ズサッと移動して並べてあるペンを掌で示す。そこには木の胴軸、鳥の羽幹が数種類ずつ並べてあった。ざっと視線だけで確かめてからカレンは店員にまた質問をする。
「これは…選んで組み合わせるのですか?」
「は、はい!」
「へえ…」
胴軸は円錐状に細くなっている先端部分が切り取られている形で、羽幹を胴尻から差し込むようにするらしい。羽幹は羽ペンから羽弁を綺麗に取り除いて先を加工してある。どうやらカレンの知っている万年筆っぽいものを好みでカスタムできるらしい。店員に勧められたのもあってカレンは胴軸を手に取ってみる。すべてを持って確かめた後でカレンはクリーム色がかった明るいものに決める。他のものに比べて幾分短めだが、その分太く作られていてしっくりと手に馴染んだ。全体的にころんとした印象で可愛らしいのも決め手の一つだ。
「こういうペンが初めての場合だと、どのペン先を選べばいいですか?」
「慣れていないのでしたら細めのものを選ぶといいかと思われます!」
これはいかがでしょうか、と商品の中で細めのものを提案された。一番細いものは力加減が難しいとのことで、文房具のエキスパートがそう言うのならとカレンはそれを受け入れる。インクは店員が入れてくれるらしい。在庫の中から藍色を選んだ。故郷の色、美しいと称賛された故国の色。羽幹を胴軸に差し込むと不思議なことに羽幹が銅軸内いっぱいに広がった。…うん、魔法ってすごい。専用の漏斗でインクを入れた店員は、とても丁寧にペンを組み立ててそっとカウンターに置いた。
「お待たせ致しました!あの、これっ、使えば使うほどに味が出てきますのでっ!」
「そうなんですか?大切に使いますね。」
「はい、ぜひっ!聖女様の手に早く馴染まれるようお祈りしていますっ!!」
「…ありがとうございます。」
「ペン先に耐久魔法をかけておきました、長持ちするはずです!インクがなくなったらうちで補充しますので!」
「その時はよろしくお願いします。」
「はい!こちらこそよろしくお願いします!!」
合計で450ゲルドになります。店員の張り切った声にカレンの動きが一瞬止まる。…まあ、でも魔法が使われているのならそれぐらいするのかもしれない。もっと高級な万年筆だって元いた世界ではザラにあったし。もしかしたらここの平民の人達はペンではなくもっと格安の筆記具を使っているのかもしれないし、そういうのを探せばよかったのだ。ペンを買わなくてはと言う頭でいたから考えつきもしなかったけれど。それにもうインクを入れてしまったのだから返品はできないだろうし。カレンは悶々としながら銀銅貨を5枚カウンターの上に置いた。…ああ、給料の半分が…。ペンが予想よりかなり高値になってしまった分、質を少し落とした雑記帳も一緒に購入して文房具店を後にする。店員は素晴らしい笑顔で店先まで見送りに出た。三日の売り上げ目標がたった一人の客で達成されたのだから、そうもなるだろう。逆にカレンは予想外の出費に他の店も見て回ろうとウキウキしていた気持ちは萎えてしまい、購入すると決めていたものだけ買ってフッテに戻った。
夕飯後、綺麗に拭いた食卓の上に買ったばかりのペンと雑記帳を用意した。最後のページを開き、ペンを持つ。そこに『樋屋花恋』と書き、上にふりがなをつけた。そして生年月日、血液型、住所を書き連ねていく。こちらの文字を教わっている時にふと思い出したのだ。使わなくなった言語は忘れていく、と。たとえ十年二十年の間、毎日使っていた母国語だとしても。ゾッとした。まるで自分が消えてしまうような錯覚に襲われ、絶対にペンと紙を手に入れると決めたのだ。これは『樋屋花恋』が生きている証しだと自分の書いた文字をじっと見つめる。
「カレン、何をしているのだ?」
リビングの床で寛いでいた聖獣達がパタパタと寄ってくる。カレンは雑記帳を一度閉じると、最初のページを開き直した。
「文字の練習をしようと思って。私は書いて覚えるタイプだから。」
「ほう。」
「コウはねぇ…こう書くんだよ。」
「ふむ。」
「エンは!?」
「フウは!?」
「スイは!?」
「チイは!?」
「待って待って、順番ね。」
賑やかさに表情を和らげながらカレンは聖獣の名前を雑記帳に書いていく。文章は習っていないのでまるで小さな子供が練習したような単語だらけのページになってしまったが、藍色で埋まったそこをカレンは満足げに眺めた。




