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022

 グレンズワルドはオストシエドルング領の南側を沿うようにして広がっている。何日もかけてようやく抜けられる広大な森は隣国へと続いており、言葉通り国境の森だ。カレンがいつの間にかいた森。あの時はとても不安だった場所だが、今日は心地よく感じる。この地を領する人の理解を得られているからだろう。そして、きっとコウがこうして隣にいるからだろう。


「気持ちいいね。」


 従者の大きさでいるコウにカレンは微笑みを向ける。踏み固められただけの獣道のようなところをただ歩いているだけ。けれど、生い茂る木々の隙間から洩れ零れる太陽の光、微風にも反応して鳴らされる葉の音、鼻に届く土の香り。どれもカレンには新鮮で安らぎを与えてくれる。森林浴、万歳!都会の喧騒に疲れて…とまではいかないが、目まぐるしい環境の変化に気づかないうちに疲労が蓄積されていたのかもしれない。カレンはグッと背中を伸ばすと、深く息を吸った。


「もう少し歩いたら休憩しよう。」

「疲れたか?」

「んー…ちょっとだけ。ここに来るまでにも結構歩いたからね。」


 フッテから大通りに出るまで10分ほど、そこからグレンズワルドまで20分ぐらいだろうか、つまりカレンの体感では1時間ほどかけて歩いてグレンズワルドへ来たのである。まだ町も見慣れないので、観光気分で歩けるので苦にはならない。まあ自然というものはどこでも似たような感じだから、今度からはスチロスワルドで十分だなぁとは思っているけれど。


「あ!ねぇねぇ、あそこの陽だまりいい感じじゃない?あそこで休もう。」

「そうだな。」


 ふと道から森の中を見ると、大きな木の根元に木漏れ日が柔らかく降り注いでいる。道から大きく外れるでもなく、道端に座るわけでもなく、程よい場所を見つけたとカレンはコウを誘った。周りに誰もいないのを確認して亜空間にしまったクッキーを取り出す。直接地面に置くこともできないので幹に寄りかかって座った膝の上にのせれば、コウはミニマムサイズになってさっそく一枚を器用に齧り出した。その愛らしい姿に口元を綻ばせながらカレンもクッキーを齧る。しっとり仕上げたクッキーはボロボロ砕けることなくカレンの口に納まった。さすがは辺境伯家に届けられている食材、何となく舌触りが違うと感じる。『初めての仕事までは食材を提供する』とマリーから微笑まれた時に遠慮しなくて正解だった。予想より大幅に多いのが若干気になるが…。おかげで冷箱も凍箱も賑やかなことになっている。食料の心配は当分の間しなくてよさそうだ。


「…コウってさ、この森のどこら辺にいたの?」

「さらに奥だ。人が踏み入って来ぬ静かな場所だった。」

「過去形?」

「…人間は飽くなき生き物らしいからな。」


 いろいろと察する。そして申し訳なく思う。


「…スチロスワルドでのんびり過ごそうね。」

「…ああ、そうだな。カレンの飯を食し、カレンと共に森へ行き、カレンの隣で眠ろう。たまには飛ぶのも良いかもしれぬ。」

「飛ぶ…?」

「そうだ、こうやってな。」


 コウが元来の大きさに戻り、背中に生えている翼をばさりと揺らした。例えるなら天使が有する翼とでも言おうか、コウの胴体を覆いそうなぐらい立派な存在が陽光を受けて真っ白に光り輝いている。それが一揺れしたかと思えば、コウの体は宙に浮いていた。


「…そう言えば前に、私を背中に乗せて飛ぶみたいなこと言ってたね。」

「造作もない。」


 首を後ろに倒して見上げながらカレンが思い出したことをコウは簡単に肯定する。地上に戻ってきたコウはそのまま体を低くする。カレンに乗れと言っているのだ。


「え…本気?」

「嫌なら構わぬ。」

「…私、重いよ?」

「乗ってみなければ分からぬではないか。」

「え…じゃあ…」


 恐る恐るだが好奇心を隠しきれない様子でカレンがコウの背中に乗る。翼の付け根につかまるようにして跨ると、コウがすくっと足を伸ばした。


「わっ、高い!」

「全然重くないではないか。」

「それならよかった。ごめん、慣れるまで少しそこら辺を歩いてほしいな。」


 カレンの願いにコウがゆっくりと歩き出す。今まで経験してきた乗り心地とは全く違う初めての感覚に体を硬くしていたカレンだが、慣れれば少しずつ体から余計な力が抜けていく。掴まれた翼の根元に痛みを覚えなくなったコウは『ゆくぞ』と声をかけて翼をはばたかせた。


「わっ、高い!待って!」

「まだ木々すら越してないぞ。早く慣れぬか。」

「コウは慣れてるかもしれないけどっ!私はこの高さ初めてだしっ!!」


 わっ、わっ、と落ち着きのないカレンに、コウは愉快そうに咆える。そしてもう二つ、三つ、はばたいた。ぐんぐんと視界が上がっていくのに比例して、眼下は小さくなっていく。息苦しくなるのを感じたカレンは、慌てて自分とコウの周りを地上と変わらない気圧で包むようにイメージして防御魔法を使った。深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着ける。そろそろと首を右から左へ流したカレンは感嘆の声を上げた。


「わぁ…っ…!」


 目の前に広がるのは童話に出てくるような風景だった。自然に囲まれた中に尖塔や石の建物、明るい色に木骨の外壁が立ち並ぶ街並み。本当に外国の絵本を開いた時のような感動だ。右側には山が連なっていて、その途中には大きな水面がキラキラと乱反射している。オストシエドルング領の鉱業区域と漁業区域、あの山々は東の隣国との境にもなっているのだろう。真下にはグレンズワルドが広がっていて、振り返っても延々と続く木々の絨毯のはるか先に南の隣国がある。正面の見える緑の塊はスチロスワルド、その横は耕作地帯が広がっている農業・畜産区域。町の奥でも農業が営まれていて、果てが見えない。グレンズワルドの豊かさの恩恵に預かっている林業区域もある。視界に納まりきらないオストシエドルング領の広大さをカレンはうっとりと眺めた。


「メルヘンだぁ…」


 コウはオストシエドルング領の上空をゆったりと駆ける。味わったことのない解放感にカレンは増々うっとりとお伽話の世界を楽しんでいると、おもむろにコウが動きを止めた。


「コウ…?」

「…来たな。」

「え?」


 何が?と聞きながらカレンがキョロキョロとあたりを見る。来た、とは何が?コウがその答えを口にする前に4つの色がコウの周りを囲む。がっしりとした頑丈な体格の赤の熊、いくつにも枝分かれした立派な角を持つ緑の鹿、しなやかな美しい肉体を誇る青の豹、つぶらな瞳とは裏腹に巨体な黄の牛。コウの周りにいると言うことはコウと同じく飛んでいるのだ。4体とも背には立派な翼ある。じっとコウとコウの背中にいるカレンを見つめている4体に、コウは一言放った。


「ついてこい。」


 後ろから4体がついてきているか確認もせずにコウが空を駆ける。向かっているのはスチロスワルドだ。カレンの足だと30分ほどの歩く距離もコウにかかればあっという間で、フッテの前に降り立ったコウがカレンを背から降ろす。続けて地面に足をつけた4体に、カレンは得体の知れぬ恐怖を感じてコウに身を寄せた。まずもって野生の獣をコウ以外に見たことがない。しかも熊だの豹だの襲われたらひとたまりもないではないか。ふるりと体を震わせたカレンのそれを敏感に見て取ったコウが、カレンの腕に顔を潜り込ませてぐいと擦りつける。


「怯えるな。こ奴らも聖獣だ。」

「…コウが言ってた…他の聖獣?」

「ああ。この町の人間に狙われた奴だ。聖獣になったばかりでな、この森に移るのもいいだろうと。」

「コウは面倒見がいいんだね。」

「…こ奴らより長く聖獣でいるだけだ。」

「優しい。そういうとこ、好きよ。」


 カレンの言葉に無言で二、三度顔をこすりつけたコウは、いつものぬいぐるみサイズになってカレンの肩に乗った。それを見て4体も同じように小さくなった。カレンの緊張が一気にほぐれ、どの子も雛のように愛くるしくて抱きしめたいとウズウズする。聖獣と言う生き物は、ミニマムと化せば誰もかれもこんなに可愛いものなのか。無意識のうちに差し伸べたカレンの手に4体は臆することなく近寄ってきた。


「ここはカレンが守りし森だ。ここなら我らを害する人間は来ぬ。」

「われもここに。」

「カレン、われにもなを。」

「われも。」

「われも。」


 スンスンとカレンを覚えるように彼女の手を嗅いでいた4体が一斉に名を要求してくる。これはあれか?コウの時と同じパターンか?カレンが確認するように首を横に向けると、パタパタと正面まで飛んで回ったコウが目を合わせて頷いた。だとしたら、4体はそれぞれの属性を持っているはずで。


「エン、フウ、スイ、チイ…でどうかな?」


 火属性の熊は『(エン)』、風属性の鹿は『(フウ)』、水属性の豹は『(スイ)』、土属性の牛は『(チイ)』。順番に抱き上げながら名前を付ければ、4体は嬉しそうにパタパタとカレンの周囲を飛び回った。


「われはエン!」

「われはフウ!」

「われはスイ!」

「われはチイ!」


 ここはコウも名乗りを上げて一斉にポーズでも決めてくれないだろうか。中央に白がくるのも中々にかっこいいと思う。カレンがどうでもいいことを想像していると、コウがずいと顔を寄せてきた。


「…何を考えておる?」

「…なにも。家に戻る?それともこっちの森も散歩する?」

「家に戻るぞ。カレン、今日の飯は?」

「まだ早いって。いつもと同じ。パスタとスープとサラダ。」

「エンもしょくす!」

「フウも!」

「スイも!」

「チイも!」

「…騒がしくなりそうだな。」

「楽しくなりそうだね。」


 少し苦々しい顔になったコウとにこにこ顔を綻ばせるカレン。フッテでの生活は賑やかになりそうだ。




 コウがオストシエドルングの天を翔け、聖獣が集まり、カレンを運んでスチロスワルドへ降り立つ一部始終を領都に住まう人達は目撃した。幻想的な光景を人々は畏敬を持って胸に刻む。スチロスワルドは聖なる森(ヘイリゲルワルド)と呼ばれるようになり、人々は領令がなくともその森に立ち入ることをしなくなった。


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