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フッテの準備は着々と整いつつある。住宅設備や家庭用魔道具は最優先に用立ててもらっているらしく、早いところで翌日から搬入が始まっていた。カレンは一つ一つに立ち会い、使い方を説明してもらう。恐縮しきりのカレンだが、まだ取扱説明書が読めないので仕方ない。どれも電気の代わりに魔力を使う感覚で、日本の家電とほとんど変わらない性能や使用方法に心の底から感謝する。水関連も詳しくはよく分からないが、水洗トイレにユニットバスとこちらもカレンからしてみれば現代設備と同等でホッと胸を撫で下ろした。ちなみに透魔石に触れれば設定した温度の水が出る安心設計だ。魔法ってすごい。
諸々すべてをマリーがてきぱきと手配したあの日、カレンはスチロスワルドの見回りを終えたトゥバルトからフッテの鍵を預かった。錠前に使われそうな形をしていて、あまりに昔ながらの『鍵』に防犯上の心配を募らせたカレンだったが…。こちらの世界では鍵に使用する人の魔力を注入して記憶させ、他人は使えないようにできる。だから昔から使われているものでも何の心配もないそうだ。フッテもルヘゾネと同様に何代か前のオストシエドルング辺境伯が建てたらしく、それならばむしろアンティークっぽいとカレンは妙な雰囲気を醸し出す形状を気に入った。
木目がぼやけた淡い色合いの木材で造られたベッドで起床するところからカレンの一日が始まる。寝室の奥には寝室半分ほどの広さの空間があって、カレンはそこを服の収納場所と洗濯を干す場所にしている。肌着兼寝間着のシュミーズの上にシャツ、その上からコルセットを着用する。シャツもいろいろなデザインがある中から、カレンは立襟のものを選んだ。コルセットは細めのリボンで調整して胸を固定するのだが、カレンはそこまできつくしていない。息苦しくなるのも動きにくくなるのも勘弁願いたい。ミドル丈のペチコートをつけ、その上からロングスカートを履く。スカートは『カレンにはこれ!』とミリの一押しのデザインで、裾が円形状になる布がたっぷりとつかわれたものだ。動けば柔らかに揺れ、くるんと回れば裾がふわりと広がって、足に纏わりつくことがないので履き心地が良い。その上に腰エプロンをつける。エプロンの紐はコルセットとスカートの境目を隠せるほどの幅広リボンなので、着上がりがワンピースのように見える。カレンはこの可愛らしい見た目がとても好きなのだ。サンルームとカレンが呼んでいる寝室奥の空間の片隅に置いた姿見鏡で全身を見て、まんざらでもないとカレンの唇が三日月を描いた。ストッキングはカレンの世界でニーハイに相当するもので、膝上部分でストッキングリボンを使って固定する。カレンが着替え終わっても、コウは大抵ベッド脇で夢の中にいた。
一階に降りて洗顔と歯磨きをしたら、朝ご飯の準備を始める。階段下の隙間に収納するように設置したベッドと同じ木材で作られた冷箱から、ベーコン、レタス、トマト、パン種、卵を取り出した。パンを形成して焼いている間に、ベーコンを焼いて、レタスをちぎって、トマトを切って。マヨネーズも粒マスタードも作り置きがある。この世界、香辛料は単体で多種類あるし、調味料は塩や砂糖、ビネガーなど基本的なものはあるのだが、それらを掛け合わせたソースやタレがほとんどないのだ。ないものは自分で作るしかない。よくぞ一時期タレづくりにはまった、と過去の自分を褒めた。卵は半熟のスクランブルエッグにするのが好みなのだが、エストマルク王国の食の安全基準がどこまでなのかいまいち確証を得られていないのでしっかり火を通している。焼き上がったパンにマヨネーズを塗って具材を挟めばBLTサンドの出来上がりだ。冷箱の横に設置した同じデザインの凍箱から小分けしたコンソメスープを出して箱型の窯で解凍する。おなじみ魔石スイッチ一つの便利な窯はオーブンにもトースターにもレンジにもなる。どうなっているのかさっぱりだが…魔法ってすごい。
「おはよう、カレン。」
「コウ、おはよう。スープ飲む?」
「もらおう。」
ベッドや冷箱などと同じ木材が使用されているシステムキッチンに朝ご飯を並べていると、二階からコウがパタパタと飛んで降りてきた。フッテに住むようになった時、コウが好奇心からカレンが作った料理を食べてみたいと言った。ためしに出してみるとコウの嗜好にぴったりだったらしく、それからは毎食カレンのものから少しずつ取り分けている。人間の食べ物はコウの体に悪い影響はないのかと聞いたカレンに、コウは問題ないと答えた。問題ないのならいい。BLTサンドを一口分、スープを小さな木椀に半分ほど取り分け、カレンの皿の隣に並べる。『いただきます』とかレンが手を合わせれば、コウもぺこりと頭を下げてから口をつけた。
「いつまでここで食すのだ?」
「食卓セット、今日届く予定だから。そしたらそっちでゆっくり食べられるようになるよ。立って食べるのは今日でおしまい。」
「今日のいつ頃だ?」
「前時中って話だけど。」
「それなら後時は我と森へ行かぬか?」
「散歩?」
「ああ、グレンズワルドへ。」
「いいよ、楽しみ。クッキー持っていこうね。」
まだ言い慣れない時間表示に頭を働かせながら本日の確認をコウとする。この世界では、時間もまた6属性で表している。一日を前後に分け、それをさらに6つに分ける。一つの時間が60分なのは日本と変わらない。だが日本では午前12時間だったものが6時間になるので、こちらの1分は日本では2分に相当する。前光時1分、2分…後光時1分、2分…となるのだが、時間感覚も何となく日本と同じなのでどうにかなるだろう。朝日と共に起きて夜は早く就寝する、と言うような自然に委ねる生活リズムではなくてよかったと思う。
食べ終えた食器はシステムキッチンの下部に備え付けられた食洗箱へ入れておけば勝手に綺麗にしてくれる。前開きの扉の中はただの空洞なので、本当に一体どうなっているのかさっぱりだが。歯磨きを終えたら洗面台の横に置いてある布洗箱のスイッチを入れる。仕組みは食洗箱と同じらしい。やっぱりよく分からないが。洗面台も布洗箱もベッドや冷箱と同じ木材でできている。カレンは二階へ上がりドレッサーに座った。これもベッドと同じ木材で作られたものだ。天板を上げれば鏡になっていて、中には化粧品が収まっている。ルヘゾネで訪問販売人とミリが激論を交わしながら決めたコスメ達だ。服同様、淡い色合いのものが多い。この世界、自然にあるものを魔法でさまざまに加工して物を作るらしく、その過程で人体にとって有害なものは除去されるのだと言う。『お肌に負担がかかることはほぼ無いのですよ』と自信を持って言い切った訪問販売人に安堵したのは記憶に新しい。まして辺境伯夫人を顧客とする店なのだから品質は最高級だろう。ペタペタと顔を好きなようにされながら、基礎化粧品から口紅までカレン専用の一級品が揃えられた。今後も定期的に販売してくれるらしい。高価なことがネックだが、なんともありがたいことだ。化粧自体は日本にいた頃からしているので何ら問題はない。無意識でも動く手順に仕上げていけば、化粧のおかげで明るい顔になったカレンが鏡に映る。これで誰かに会っても大丈夫だろう。洗い終わった洗濯物はサンルームに干しておけば寝る前までには乾いている。
食卓セットは前水時に届けられた。他の住宅設備と同じ木材で作られている4人掛けのものだ。全ての住宅設備が同じ木材なので統一感があって嬉しいのだが、その分追加料金がかかっていそうで恐ろしい。考えないことが一番だと思いながらも、大切に使わなければと心に刻む。リビングと位置付けた平屋部分に設置してもらって、これで大きなものは揃った。細かいものは順次揃えていけばいい。フッテを使っていいと言われてから1週間、いよいよスローライフが始められるのだと口元がにやつく。カレンは上機嫌のままクッキーを作り、木の深椀に入れた。それを空間魔法で『しまう』。どこか分からないそこをカレンは亜空間と呼んでいる。亜空間超絶便利!魔法ってすごい。
後時はコウとデートだ。玄関脇の壁にかけてある外套を羽織る。これは服を買った時に一緒に求めたものだ。ミリが薄黄灰色と表現したアイボリーの外套は、すっぽりとかぶれる大きなフード付きのマント型である。薄手の布地は柔らかで風通しもよいのだが、これからだんだん寒くなっていくと聞いているので取りあえずの一枚だ。アイボリーは何にでも合う色だし。寒い時季用の外套はぜひ自分で購入したい。外套の下には黒の編み上げブーツ、艶やかな茶のメリージェーン、甲部分が花模様のサブリナシューズの3足が並べて置いてある。せっかく一人で住めるフッテなのだ、裸足文化で育ったカレンは家の中で靴は履かない。と言うか履きたくない。玄関を入ってすぐのところに絨毯を敷き、そこを靴の着脱場とした。壁に立てかけてあった折り畳み椅子に腰かけて靴を履く。今日はキューバン・ヒールの編み上げブーツにしよう。森の中を散歩するのだ、歩きやすいのがいい。
「コウ、お待たせ!」
外套のフードを被りながら声を掛ければリビングで寛いでいたコウがトコトコとカレンの足元まで来た。




