018
一つ聞いておきたいことがある。ひとしきり笑った後、笑顔を潜めたトゥバルトがカレンに尋ねる。
「カレン嬢の言った『良心の呵責』にはどんなものがあるのだ?」
至極真面目な問いにカレンはまじまじとトゥバルトを見返した。そんなこと聞かれると思っていなかったからだ。視線を下降させ膝の上に置いた手を見つめながらしばらく考えたカレンは、考えがまとまっていないことを自覚しながら答える。
「…人の生死に関わることです。それと同等ぐらいの苦しさも。」
「人の生死…」
「私がいたところはとても平和で、死が身近ではありませんでした。私自身、恵まれたことにまだ一度も身内の死にすらあったことがなくて。…ですから、寿命が尽きての死以外は胸が苦しくなります。同じくらい大怪我したり精神的に追い詰められたりするのは加害側も被害側も嫌です。それと、無益な殺生もできれば見たくありません。」
「…なるほど。」
「この世界は…戦争はありますか?」
「ない、とは断言できない。残念なことだが。」
「…遭遇しないことを願います。」
「ああ、私もそう願うよ。辛いことを言わせてしまったな。」
「いいえ。トゥバルト様が同意してくださって安心しました。」
どこまで強いられるか分からないが、トゥバルトがとりあえずでも理解を示してくれたことにカレンは感謝した。トゥバルトの方も、カレンが限界点を提示したことに納得する。向き合う顔はどちらも微笑んでいた。
「…もう一つ、カレン嬢には承知しておいてもらいことがある。」
「私に…ですか?」
「ああ。我が領に聖女が現れたことを国王陛下へご報告せねばならないのだ。」
「聖女とはそんなに大仰な立場なのですか?」
「そうだな。魔力量が多く高位魔法を自在に操れると言われているから、手元に置きたいと考える貴族が多い。争いが起きたら国内が混乱し、国力が低下してしまう。それが原因で他国に攻め込まれる危険性もある。だから国内のどこに聖女がいるか国王陛下は把握しておきたいのだ。聖女が自領に現れたら報告するよう義務付けられている。」
義務とは、しなければならないこと。たとえカレンが否やを唱えてもトゥバルトは国王へ報告する。もとより嫌だと言うつもりはなかったが、承諾の姿勢をトゥバルトへ見せる前にカレンは質問をした。
「お知らせしたとして、通常なら聖女はどのような扱いになるのですか?」
「通常は聖女の意思を尊重することになっている。我が国を嫌悪されて聖女が国外へでも逃亡されたら、国にとって大変な損失だからな。国王陛下も恨みを買うようなことは望んでおられないだろう。どこでどのように過ごすのかは聖女自身が決める。」
「では、私も同じようになりますか?」
「特に何かあるわけではないと思うが、もしかしたら王城よりお召しがあるかもしれない。カレン嬢は闇属性だからな。特殊魔力の聖女は建国よりこのかた片手で足りる。」
「…その場合、王城で暮らさなければならないことになりますか?」
「いや、カレン嬢が王城での暮らしを望まなければ謁見だけで終わるだろう。」
「我儘を言わせてもらえるのでしたら、私はオストシエドルング領で過ごしたいです。」
「では報告の際に添えよう。しかし、いいのかい?王城での暮らしはここよりいい暮らしができるぞ。女性は王城での暮らしを夢に見るとよく言うではないか。」
「…興味がないと言ったら噓になりますけど、今は何よりも心身ともに落ち着きたくて。それに、アッカーベルグ家の皆様を信じていますから。」
だめ押しとばかりに『信じる』を重ねるカレンに、トゥバルトは苦笑う。カレンに分かりやすく要求されたことは、彼女の暮らしの保証のみ。そんなものは上位の爵位を持つトゥバルトからしてみれば造作もない。ここまで聖女の信を得ているのだ、カレンの期待に応えなければ辺境伯の名が廃るというもの。トゥバルトは心中でクツクツ笑いながら『近いうちに報告する』とカレンに告げた。
他に聞きたいことはないか?と水を向けたトゥバルトへ何を聞こうかカレンが迷っていると、静かに執務室の扉が開き、戻ってきた家令が『旦那様、用意ができましてございます。』と報告を届ける。トゥバルトは立ち上がってカレンに手を差し出した。
「では行こうか。」
「あの…どちらへ?」
「スチロスワルドだ。フッテを見ておきたいと思わないか?」
「いいのですか?ありがとうございます。」
カレンがトゥバルトの後に続いて玄関へ向かうと、そこにはマリーがソファに座って待っていた。どうやらマリーも一緒に行くらしい。立ち上がって二人を迎えるマリーに近づくと、トゥバルトはその頬に軽く口付ける。何とも仲睦まじいことだ。そっと視線を外したカレンが心の内で和んでいると、さて行こうかと出発を促された。
スチロスワルドは領都の中心を貫くように敷かれた大通りを挟んで城館の向かいにある。馬車でいけないこともないのだが、森の中の道は均されていないため走らせるには向いていない。散策がてら歩いていこうと提案された。カレンとしては全く問題ないのだが、辺境伯夫人であるマリーは大丈夫なのだろうか?不躾にならないように言葉を選びながら聞けば、マリーは元々近衛兵だったと教えらえた。『凛々しく美しいマリーに私は惚れたのだ』とトゥバルトの惚気を聞きながら大通りを横切り、スチロスワルドへ入っていく。森の中の道は舗装されていなかったけれど石などが転がっているわけでもなく、人間が歩く分には何の差し障りもないように思えた。むしろ木々の葉がさわさわと心地よく揺れ、散歩するのにとても良い場所ではないだろうか。森林浴ってものだ。道が途中で枝分かれしていることもないので迷うこともないだろう。体感で30分ほど歩いたところで石造りの家が見えた。
「あれがフッテだ。」
トゥバルトはフッテを使ったらどうだと提案した時、『ルヘゾネと比べ物にならないくらい狭い』と言った。見えた建物は確かにルヘゾネに比べれば狭いだろう。だが…どう見ても立派な『家』ですが!?まかり間違っても『小屋』ではないんですけど!?カレンは呆然として石造りの家を見る。二階建てに平屋がくっついたようなレンガともコンクリートとも違う切り出しの石を積み上げた外観でそこだけ見れば武骨に感じるが、扉や窓には装飾がされていて可愛らしい印象を持った。…ここをポンと貸してしまうのか、お貴族様は。それで何も影響ないのか…すごいな、辺境伯様。引き攣る頬で乾いた笑いを浮かべるカレンがトゥバルトに言われるままフッテに近づいて、玄関と思われるところに人がいるのに気が付いた。
「お待ちしておりました。」
出迎えたのはキーランドだった。ルヘゾネで世話になった家令見習いがどうしてここにいるのかとカレンは首を傾げる。しかし、トゥバルトのことだから何かしらの考えがあるのだろう。特に聞くこともなく中へ入っていく彼の背中を追えば、中にはミラとミリがいた。そして見知らぬ人達…おそらくアッカーベルグ家の御用達だろうと思われる服装の人達も。初めての場所なのだが行儀悪くフッテの中を見回せば、石造りの外観に対して中は落ち着いた温もりを感じる木造だった。二階建て部分は居住空間になっているようで、1階には住宅設備が配置されている。2階は寝室になっているらしい。平屋部分の方は何も置かれていないただの空間だった。
「カレン嬢、フッテに住めそうかな?」
「ええ、もちろん。こんなに大きな家だとは思わなくて驚いております。こちらこそ、本当にお借りしていいのですか?」
「もちろんだ。ルヘゾネでも言ったが、スチロスワルドはカレン嬢以外の立ち入りを禁止とする。私がオストシエドルング辺境伯である限り、この森はカレン嬢の好きに使ってくれ。」
なんとまあ、豪気なことで。そう思ったが口には出さない。好きに使わせてくれると言ったのはトゥバルトだ、遠慮なく使わせてもらおう。
「中にあったものを急いで移動させたからまだ埃がひどいな。すぐに綺麗にさせよう。キーランドとミラ、ミリはここでカレン嬢のお世話をするように。」
「畏まりました。」
「えっ…お世話って?私、一人で暮らせますけど。」
またも見解の相違に互いの視線が交わる。トゥバルトは貴族、使用人がいて当然の暮らしだ。対してカレンは平民、誰かの手を借りることなど滅多にない。いる、いらない。視線だけの攻防を繰り広げる二人の間に入ったのはマリーだった。
「トゥバルト様。ヒョーク様が言われているのですもの、ご希望に沿いましょう?」
「…しかしなあ。」
「ですがヒョーク様、困るようなことがありましたらすぐにお知らせくださるとお約束くださいませ。」
「ありがとうございます、オストシエドルング辺境伯夫人様。約束いたします。」
「まあ!トゥバルト様はお名前でお呼びするのに、私のことはマリーと呼んでくださらないの?」
「…ではお言葉に甘えまして。マリー様もどうぞカレンとお呼びください。」
カレンの返事にマリーはにこりと微笑んだ。笑み方は違うのに纏う雰囲気はトゥバルトとそっくりで…さすが夫婦、さすが貴族。カレンはまた借りが増えたと苦く思った。




