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016

「おはよう。」


 と、鷹揚に挨拶を口にするオストシエドルング辺境伯をこうしてルヘゾネで出迎えるのは二回目だ。出迎えの挨拶はシギワルドを練習台として毎日していたから、だいぶ身についたと信じたい。花恋はゆっくりと膝を曲げカーテシーで応える。それに一つ大きく頷くと辺境伯は奥へと入っていった。続いて花恋もサロンへ向かう。オストシエドルング辺境伯は聖獣狩り未遂の調査結果を知らせにやってきたのだ。おそらく本来なら花恋が城館を訪ねるべきところなのだろうが、辺境伯自ら足を運んでくるとは…本当にアッカーベルグ一家には好印象しかない。


「今日まで待ってもらったことに感謝する。」


 オストシエドルング辺境伯が花恋の傍らに座っているコウの方を向きながら礼を言う。今日のコウはミニマム化することなく立派な体躯を見せつけていた。カレンに寄り添って守るような素振りの『従者』は、四つ足で立っていると花恋の胸下あたりまでの体高だが、今は前足を伸ばし腹部を床につけた所謂『伏せ』の姿勢を取っている。フワフワモフモフだが『黙れ、小僧』と咆えてほしい。花恋が全く関係ないことを思い出していると、オストシエドルング辺境伯は軽く息を吐き出した後でまず結果を述べた。


「…残念ながら聖獣の言っていたことは本当だった。攻撃した者はすでに捕えている。」


 やはりそうだったのか、と花恋は小さく息を吐く。コウは当然だとでも言うようにフンと鼻を鳴らした。


「…聖獣を狩ろうとした人はどうなるのですか?」

「特に罰はない。だが、我々にとって崇めているに等しい存在の聖獣を狩ろうとする愚か者は周囲から排除対象となるだろうな。聖獣がいるところは栄えると言われているのにそれを自らの手で殺そうとするのだから、その場所に住む他の者達にとってはたまったものではないだろう?しかし…聖獣がその身に持つ魔石は高額で取引されるから敢えて狙う者もいる。今回もその辺りが理由だ。」

「そう、ですか…。」

「捕縛した者についてだが、穢獣部隊に入れることにした。」

「穢獣部隊?」

「私が持つ軍の一隊でな。我が領地で穢獣が見つかった時に対処する隊のことだ。そこの先鋒組に所属させて大いに活躍してもらうつもりだ。穢獣を20匹ほど討伐するまでは無給で働いてもらう。聖獣を狩ろうとするぐらい血の気が多いものにとっては適所だろう?」

「…その人の肩を持つ気はこれっぽっちもありませんけど、その人はお金が欲しくて聖獣を狙ったのですよね?無給だと暮らしていけるのですか?」

「騎兵団専用の施設があって、そこに宿舎もある。食事も寝床も心配いらない。訓練も実務も他の隊員と同じにさせる。まあ娯楽は少ないが皆無というわけでもないだろうし、ないとしても体を鍛えていればいいと思わないか?」

「…なるほど。」

「その者の人間性は無給期間の間でよく見えるだろうな。反省していれば真面目に取り組むだろうし、そうでなければ怠けるだろう。使えるようになり本人が望むなら、無給期間が終わった後も穢獣部隊で働けばいい。もちろん正式に採用してな。使えそうにないなら他の仕事に回す。こちらの場合は当然ながら無給だ。」


 いい笑顔で説明をするオストシエドルング辺境伯は、やはり為政者として優秀だ。生きられる最低限は保証し、一般的な仕事より危険なことを課して懲罰とし、それを領地内に知らしめることで追随抑止とする。反省した者には懲罰後の仕事を斡旋、そうでない場合にはより厳しい環境での更なる懲罰。ただ処断するのではなく、聖獣を狩ろうとした者にも救いがある。領都の人達も犯罪者に近い処遇に、大々的に排除しようと思わなくなるだろう。オストシエドルング辺境伯の私軍関係者は割を食うだろうが、いい落としどころである。


「グレンズワルドは隣国へ続く森ゆえ、立ち入り禁止することはできない。叶うなら聖獣にはスチロスワルドへ住み替えてもらいたいのだ。スチロスワルドは全体が領地内にあるから閉鎖できる。」

「…」


 コウは辺境伯の願いに反応を示さなかった。代わりにおもむろに立ち上がって花恋の頬をベロリと舐めると、いつものぬいぐるみサイズになり彼女の膝の上で丸まった。目までつぶったところを見ると花恋に委ねるらしい。


「ところで、ヒョーク様。」

「はい。」

「仕事を探していたが、見つかったかな?」

「え?」


 突然の話題転換に花恋は間抜けな音を零した。彼女の正面に座るオストシエドルング辺境伯は笑顔を浮かべたまま、花恋のきちんとした回答を待つ。


「…いいえ。まだしっかりと探すことすらできていません。」


 どう答えるべきか、何と言えば正解なのか、混乱している頭で懸命に考えた花恋は、事実を飾ることなく言葉にした。優秀な領主のことだ、きっと凡そのことは知っているのだろうと踏んで。花恋の返答を聞いてオストシエドルング辺境伯は笑みを一つ深めた。


「それは良かった…と言うのは失礼だな。いや、ヒョーク様に一つ頼みたいことがあるのだ。引き受けてくれると大変助かるのだが。」

「…お聞きします。」

「マーラの勉強相手をしてほしいのだ。」

「…マーラ様、の?」

「ああ。あれはどうもお転婆でな。体を動かすことは率先して学ぼうとするのだが、腰を落ち着けてのことになると途端に散漫になると聞いている。一人で学ぶより誰かがそばにいる方が身につきやすいと思うのだ。それに、私にはマーラがヒョーク様のことを慕っているように見える。そういう人がそばにいれば、あれはやる気を出してくれる。引き受けてくれないか?」

「…申し訳ありませんが、私には務まらないと思います。まずこの国の言語が読めませんから。」

「そうだったな。ならば、こう考えてみてはどうだろうか?ヒョーク様も語学を習得するためにマーラと同じ授業を受ける、と。」

「それは大変ありがたいのですが…私に都合が良すぎませんか?」

「…いや、マーラの相手をしてもらえるだけでこちらとしては助かる。我が娘ながら授業へ集中させるのに先生方も一苦労らしくてな…はは、困ったものだ。どちらにとっても利がある。ぜひ引き受けてほしい。」


 オストシエドルング辺境伯の表情は父親のそれだった。娘を慈しみ、心配し、成長を願う、少し苦みの混ざった温かいもの。家族を大切にする良き主柱なのだと、支えられる立場にしかなったことのない花恋でも理解できる。


「…畏まりました。マーラ様のおそばで一緒に授業を聞いている、だけでよろしければ…」

「ああ!頼む!」


 花恋としても仕事を得たいのだ。辺境伯が推薦する仕事ならば変なことにはならないし、過酷な仕事でもない。オストシエドルング領内でトップクラスの仕事内容に気後れはするものの、花恋は恐々と了承した。途端に明るくなった辺境伯の声音に思わずクスリと笑ってしまう。どこの世界も、どんな身分でも、親は大変なのだなと花恋の頭の片隅に感想が浮かんだ。


「では毎週光の日の後光時から後闇時終了まで、我が城館にてマーラの相手をしてもらいたい。授業内容はその都度で違うが、ヒョーク様はその場にいてくれるだけで結構だ。必要なものもこちらで用意する。ああ、もちろん疑問に思うことや知りたいことがあれば先生に質問してくれて構わない。ヒョーク様の方が深く理解したとなったら、マーラも負けまいと取り組んでくれるだろうな。いい刺激となってくれ。」

「…頑張ります。」

「給金は一日当たり1000ゲルドと考えている。少ないか?」


 週一で1000ゲルドと言うことは、月にして4000ゲルド。ひと月に1500ゲルドあればこの町で暮らしていけるとジェイとケルビーは言った。その倍以上の額に花恋はぎょっとしながらオストシエドルング辺境伯を見た。花恋の丸くなった目にオストシエドルング辺境伯は足りなかったか?とわずかに首を傾げる。その様子を見て、花恋は貴族と庶民の金銭感覚の違いを目の当たりにした。これに関しては一生相容れないだろう。


「…十分です。ありがとうございます。頑張ります。」

「ああ、よろしく頼む。それで、ヒョーク様には城館に移ってもらおうと思っているのだ。城館にヒョーク様の部屋を用意するので、そこで…」

「あ、あの!」

「うん?」

「これ以上お邪魔するわけにもいきません。オストシエドルング辺境伯様から仕事をいただけたので、町で暮らせるでしょうし。これまでルヘゾネを貸していただいてありがとうございました。」

「いや、待ってくれヒョーク様。私達は負担など感じないぞ?こういったことはよくあることだと思うのだが。」

「え…ないと思うのですが…。貴族社会ではよくあることなのですか?」

「ああ。家庭教師に部屋を与えることはごく当たり前のことだし、使用人の部屋もある。親しい友が遊びに来た時も気の済むまで滞在してもらっているが?ヒョーク様は城館にいるのは嫌かね?」

「嫌ではありませんが…」

「…では、フッテがスチロスワルドにあるのだがそこを使ってはどうかな?」

「フッテ…?」

「今は物置として使っている小屋だ。ルヘゾネと比べられないほど狭くても申し訳ないが、洗面所と風呂はついている。水も引かれているので暮らすのに問題はないはずだ。…どうだろうか。」


 真っ直ぐに視線を向けてくるオストシエドルング辺境伯に、花恋の思考は止まった。背中に冷たいものが走ってようやく理解する。仕事を与えれば花恋はオストシエドルング領にいる、ルヘゾネを出るつもりの花恋に『城館に部屋を』と言えば固辞する、そうしたら住む場所を探さなくてはいけない花恋にスチロスワルドの小屋を薦められる、自然とコウもついてくることになる。全ては聖獣をスチロスワルドへ移住させるための布石だったのだ。辺境伯はにこやかに笑っているのに出方を窺う視線に射すくめられそうで、花恋は小さく喉を上下させた。これが貴族というものなのか、と花恋の心臓が嫌な脈を打つ。…けれど。花恋の望むものをオストシエドルング辺境伯が提示しているのもまた事実である。住居、仕事ひいては金銭、知識、そして辺境伯の腕の中に入るのなら安全が確保されたと言っても過言ではない。花恋は目を閉じ長く息を吐き出す。この世界で生きる覚悟を決めるため。会って間もない人間に自分を賭ける不安を消すため。


「…私の良心の呵責に苛まれない限り、カレン・ヒョークはオストシエドルング辺境伯様を信じます。」


 突き刺さる視線に負けないよう、オストシエドルング辺境伯を正面から見据えて言う。その緊張の含んだ真面目な表情にオストシエドルング辺境伯はにこやかに笑んだ。


「私のことはトゥバルトと呼んでくれ。」

「はい、トゥバルト様。」

「カレン嬢、詳しくは城館で話し合おう。」




 『花恋』は胸の奥にしまう。この世界で生きるは『カレン』だ。


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