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012

 姿見鏡の前でくるりと回った花恋は上機嫌に笑う。シュミーズこそこれまでと変わらずシルク素材だが、リネンのブラウス、リネンのペチコート、リネンのロングスカート、リネンのストッキング、短丈のコルセット、ヒールの低い靴。シルクよりはよほど着慣れた素材の服がひどく安心をもたらす。花恋が望んでいたスタイルは正にこれだ。


「ずっとこの格好がいい…」


 花咲く顔に、支度の手伝いをしていたミラとミリの目は呆れている。カレンが着ているのは平民街でよく見る格好、つまり質素で簡素で取り立てるところのないありふれたものだ。これらはミラが自前のものを貸してくれた。


「アッカーベルグ家の皆様がお許しにならないと思いますよ。」

「…何でですか?服は動きやすいのが一番なのに…」

「ヒョーク様は最高品質の下着とか綺麗なドレスとか着たくないのですか?」

「いいえ、憧れはありますし何かの記念に着るとかなら全然ありですが…。毎日になると遠慮したいです。」

「私は毎日でも着たいです!」

「ミリ、あんたの願望はどうでもいいから。ヒョーク様、本当にこの格好でよろしいのですか?」

「もちろんです、貸してもらいありがとうございます。汚さないように気を付けますので。」

「汚れたとしても気にしないでくださいませ。」


 美容関係を得意とするミリはおしゃれにも関心が強い。もう一人の専属侍女のミラはそれほどでもない。カレンが平民の格好をするにあたり二人の私服をそれぞれ見せてもらったのだが、ミリの私服は華やかな色づかいでリボンや少々のレースがあって流行に敏感な女性が好みそうなものだった。ミラの方は色づかいの落ち着いたシンプルなもので、花恋は迷うことなくこちらを選ばせてもらった。『こんなにお綺麗な方を着飾れないなんて…っ!』と納得いかない様子のミリに苦笑しつつ、平民街に出かけても溶け込めるような支度を頼んだ。




 オストシエドルング辺境伯に頼まれたバザーへの寄付はクッキーを作ることにした。簡単だし、日持ちするし、辺境伯夫人はマフィンを用意したとのことで被らない。材料はすべて用意してもらえる予定だったが、花恋が町の様子を見たいと希望したことでミラとミリが案内することになった。店が立ち並ぶ商業区画までは馬車を出してもらえる。そこで、到着するまでの間にエストマルク王国で使われている貨幣について二人から教わった。花恋の前に座るミラがミリの手の上にいくつかの貨幣を乗せる。


「貨幣は金貨、銀貨、銀銅貨、銅貨、鉄貨の5種類です。申し訳ありませんが、本日は金貨が手元になくて…。」

「いえ、気にしないでください。一番高価なのですよね?そこまで買うつもりもありませんし。」

「ありがとうございます。では説明を続けます。鉄貨一枚で1ゲルドです。10ゲルドで銅貨一枚と同じ価値になります。」


 そう言ってミリの手のひらに置かれている貨幣を示しながらミラが説明を始めた。エストマルク王国の通貨単位はゲルド。花恋の世界と同じく十進法で、鉄貨10枚と銅貨1枚が同じ価値となる。銅貨10枚で銀銅貨1枚。銀貨と金貨は価値が上がるようで、銀銅貨100枚で銀貨1枚。銀貨100枚でようやく金貨1枚になる。金貨一枚で100万ゲルドと言うことだ。どの貨幣もまじりっけなしの純度らしい。ジャラジャラと持っていたら重いし邪魔ではないかと花恋は思ったのだが、手のひらに乗せてみればとても軽かった。どうしてなのか分からない、だって魔法の世界だもの。


「旦那様から、ヒョーク様が望むものはすべて購入するよう申し付けられております。気になるものがありましたらお知らせください。」

「…ありがとうございます。ここの市場価格がどれくらいか分からないので何とも言えませんが、『それはおかしいだろう』と思うものは止めてくださいね?」

「畏まりました。」


 馬車が止まる。どうやら商業区画に着いたようだ。何台も馬車がすれ違える大通りの端で降りると、活気溢れる空気が花恋を歓迎した。


「大通り沿いの店は平民の中でも割と高級向けです。奥に入るほど庶民的になると言うか…まあ、そう言うことです。」


 キョロキョロと頭を動かして『お上りさん』状態になっている花恋に、ミリが端的に説明する。目抜き通りに高級店が並ぶのは自明の理だ。何ら疑問もない。花恋は承知したと小さく頷き、一軒ずつ見て回り始めた。高級店の品揃えも気になるところだが、花恋が知りたいのは庶民の暮らしぶりだ。大通りに面した店舗は歩きながら見るにとどめ、すぐに奥へ入っていく。人通りが少なく寂しい雰囲気になるものかと思っていたがそうでもなく、むしろありのままの庶民らしさと言うか上を見てむりやり作った空気がなくなってすれ違う人々が素の笑顔を見せているように感じた。表通りがブランド店街なら、奥に入った裏通りは個人経営の商店街と言った様相。それを見たかった花恋は嬉しくなりさらに一本、もう一本、と奥へ入ろうとして最深部の怪しげな通りにたどり着く前でミラとミリに止められた。

 オストシエドルング領で売買されている商品は多種多様だが、店舗ごとに扱う商品が決まっている。パンを買うならここ、野菜を買うならそこ、肉を買うならあそこ、といった具合だ。花恋が興味のある店にふらりと入るたびに、初めに珍しいものを見るような視線が刺さった。ついで、空気がざわつく。


「聖女様っ!?」

「…どうぞお構いなく。」


 花恋が商業区画に『行幸』していることは瞬く間に路地を駆け抜けたらしく、仕舞いにはドアを開けた途端に深々と頭を下げられ出迎えられてしまう羽目になり…。


「…普通に買い物がしたいだけなのに…。」

「仕方ないですよ!ヒョーク様は領都を救った英雄で、聖獣を手懐けた聖女様なんですから!」


 不満げに呟いた花恋にミリが笑顔で返す。ミラも、ミリの言葉遣いを注意しながらも内容には同意して頷いた。


「まさか平民区分でお買い物をされるとは誰も想像すらしていなかったと思います。」

「…私、生粋の庶民です。」


 それが誇れることではないだろうに、花恋はぶすっとして言い切ると周りの目を意識外に置いて商品を見て回った。

 町で売買されているものを見ればその土地の様子が知れるというもの。オストシエドルング領は辺境の地だけあって領地は広く、五つの区域に分かれている。領地の東側と南側は隣国と接しており、エストマルク王国が建国した時からある神殿を中心に発展した町を領都としてオストシエドルング辺境伯が直轄している。残りの4区域は、それぞれの土地の長所を生かした産業が営まれている。全体的に見れば土地が豊かで広大なため、農業と畜産が盛んなのが特徴だ。だから食料品は庶民にも安価で供給されている。ただし、魚は肉に比べて高くつくようだ。これはオストシエドルング領に海がないからで、主に取り扱われているのも大きな湖がある漁業区域から運ばれてくる淡水魚がほとんどである。鹹水魚は滅多にお目にかかれない。

 生活する上で基礎となる一つ、衣服は値が張っていた。武官家系のアッカーベルグ家は質実剛健を旨としているので、そこが有する土地でしかも何代も続いていては服飾関係の産業は発達しにくいだろう。飾り気のないリネン素材のものが並べられていた。店内に既製品を並べられるだけの生産ラインは整っている。今はまだ暖かいからいいものの、寒い時期をリネンで耐えるのは厳しい。どれくらい寒くなるのか、ウールのような温かい素材はあるのかしら?なんて漠然とした考えが花恋の頭に浮かんだ。

 人間の生活の基本は衣食住である。花恋は今、その全てをオストシエドルング辺境伯に委ねている状態だ。これから先どうなるか想像がつかないが、どこで生きることになっても自分で調達しなければならない。初日はヤーパンを探そうと先走ってしまったが、せめてこの世界に慣れるまではここで過ごせるといいのだけれど…と後ろ向きな気持ちが頭をもたげる。それに気づかない振りをして花恋はクッキー作りに必要なものを揃えていった。


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