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六月の雨は強く




 最近レイナは男性の指ばかり描くようになっていた。

 誰の指かは、考えずとも分かる――。


(あの先輩の指だわ……)


 彼女はため息をついた。長い指が描かれたキャンバスが美術室中に転がっていた。


(私、どうしたのかしら……)


 アヤトの大学でのサークル活動がない日などは、一緒に下校することが多い。

 レイナは、他の生徒の皆が所持しているようにスマートフォンを持ってはいない。

 気軽にSNSでのやりとりなんかが出来る状態ではないから、アヤトがレイナに連絡をとるためには、直接会うかアパートにある固定電話ぐらいしか方法がない。そのため、一緒に下校出来ない日は、レイナが住むアパートの近くまで会いに来ることがあった。

 一緒に過ごす日数が増えたせいだろうか、それとも彼の家庭環境もあまり良くないことを知ったからだろうか……彼のことが頭を占めるようになってきていた。


(少し、自分に似ているところが見つかったくらいで、単純すぎる……)


 レイナは、人付き合いが少ない。だからこそ、容易に気持ちが揺れてしまったのだろうか。

 そんな自分に嫌気がさしてきた。


(こんなんじゃ、自分達の母親と大差ないわね……)


 すぐに別の男を作って、兄とレイナの世話を忘れる母親の形をした生き物に、自分も似ているところがあるのかと思い、自己嫌悪にかられる。

 だけど、アヤトがどうして自分と付き合いたいと思ったのか。それぐらいは彼本人に聞いてみても良いかもしれないと思う位には、レイナの心は彼へと開きつつあった。

 

 恐らく今日は、アヤトが校門の前でレイナを待っている日だ。

 あいにく、今日の天候は雨だった。もう六月なので、仕方ない。

 いつもは聞こえてくる野球部の声も今日は聞こえない。

 しとしとと降る雨の中、アヤトは待っているのだろうか。こういう時にスマートフォンなどの携帯端末を持っていないと苦労する。


(楽しみにしているわけじゃない……)


 自分にそう言い聞かせつつも、彼女は美術室の扉に鍵をかけ、校舎を後にした。




※※※



 

 傘をさして校舎を出ると、むせかえる土の匂いがレイナの鼻孔をくすぐった。

 アスファルトに打ち付ける雨が彼女の脚を濡らす。

 水たまりを避けながら校門に向かうと、傘をさしたままスマートフォンで連絡をしているアヤトの姿をレイナは見つけた。

 彼女はゆっくりと、彼に近づいた。


「――あ、そうなの? ナナコ、良かったら、解剖の試験のコピーとっててくれる?」


 アヤトはレイナが近づいてきたことに気づいていない様子だった。

 彼は、大学の同級生と通話しているのだろうか。

 しばらくレイナは雨に打たれたまま立ち尽くした。

 電話を終えた彼は、彼女の存在に気づいて、その蒼い瞳をまるくした。


「いつからそこに立ってたの? すぐに教えてくれれば良かったのに」


 そう言って、アヤトはレイナに微笑んだ。


「電話の邪魔はしたくなかったので……女性でしたね……」


 レイナはそのまま、アヤトの隣を抜けて、自宅へと帰る道を急いだ。


「ちょっと待って。今のは大学の同級生で――」


 何か話しかけてきているアヤトを無視して、レイナは歩を速めた。

 自分でも矛盾していると思う。

 しばらく立って彼を待っていたくせに、こうやってアヤトを無視して歩いている。

 彼が追いかけて来ることに、少しだけ安堵している自分がいる。

 構ってほしい子供みたいな行動をとってしまった自分を、レイナは恥じた。


「レイナ」


 鞄を持っていたレイナの左腕を、アヤトが掴んだ。

 驚いたはずみで、彼女は鞄を地面に落とす。ちょうど水たまりに落ちてしまい、泥水が彼女と彼に跳ねる。

 落ちた鞄を容赦なく、雨粒が濡らす。

 アヤトがレイナに謝りながら、鞄を地面から拾う。

 そんな彼に、レイナは声をかけた。


「なんで、先輩は、私と付き合おうと思ったんですか? やはりからかうためですか? それなら、やっぱり他を当たってほしく――」


「違う!」


 抑揚なく話すレイナに、すぐに否定の言葉が返ってきた。

 彼女の腕を使うアヤトの力が強くなり、レイナは思わず顔を歪める。

 それに気づいた彼は、再度レイナに謝ると手の力を緩めた。傘からはずれた位置にあるアヤトの右腕が雨に濡れて行く。それにも構わず、彼は続けた。


「去年の夏に、展覧会で観た、君の絵が、すごく情熱的で……忘れかけていた自分の気持ちを思い出させてくれたんだ」


「『向日葵の虚構』ですか?」


 彼の蒼い瞳は真剣そのもので、レイナは思わず目をそらしながら問いかけた。

 そう言われると、彼は初めてレイナと話した時も彼女の描いた『向日葵の虚構』について話していたような気がする。


「そうだよ。それと――いや、これはいつか話すよ……」


 アヤトは良い淀んだ。

 気にならないかといわれれば嘘になるが、それ以上はレイナは彼に何も尋ねなかった。

 そこからは特に会話なく、二人はレイナの住むアパートまで歩いた。

 彼女を部屋に送り届けると、アヤトは帰った。 

 いつになく真剣な表情で話していたアヤトに、レイナの心は揺り動かされていた。




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