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始まりは冬

不定期


「ねえ、ねえ、どうやってこんなに綺麗な絵が描けるの?」


 油絵の具特有の匂いが充満する部屋の中で、レイナに声を掛けてくるのは、先日突然彼女に話しかけてきた例の男だった。彼は、机の上に腰かけ、彼女の描きかけのキャンバスを手に取っている。

 何やら、彼が愉快気に話しかけてくるのが、少しだけレイナの気に障る。

 けれども、すぐに彼女は、彼の長い指に目を奪われる。初めて彼が自分の前に現れた頃から、癖になってしまっている。


 これではいけない。


 そう思い、現在描いている絵へと視線を戻した。


「無視するの? 少しだけでいいから、相手してほしいな」

 

 親しげに声をかけられる。彼の明るい声を聞けば聞くほど、どんどん憂鬱な気持ちが強くなっていく。

 これから集中して描こうと、筆に絵の具を付けた頃に、ちょうど彼は姿を見せてきた。本日、全く手をつけられていないため、早く彼には出て言ってほしい。いわゆるちゃらちゃらとした男性を、彼女は苦手としている。最近、毎日のように話しかけられていたので、レイナとしては辟易していた。

 彼の望み通りしばらく相手をしたら離れてくれると期待して、レイナは口を開いた。


「前も断りましたけど、今、私は人の絵は描かないようにしています。それに先輩こそ、受験勉強はどうなんですか? もうセンター試験まで、一カ月きってると思うんですけど」


 彼は、レイナを見て、少しだけ口を開き、また元に戻す。

 そうして、肩をすくめながら話す。


「ああ、俺は別に困ってないから」


 レイナは彼に怪訝な目を向けてしまった。

 一応この学校は進学校のはずだったが。見た目からすると、もしかしたらセンター試験を受ける予定がないのかもしれない。この学校にも、一定数そう言った人が存在する。彼もその一人である可能性はあった。

 彼女の絵の具を握る手に力が入る。

 彼は進学しなかったとしても困らない人間なのかもしれない。

 そう思うと、少しこの先輩が羨ましく、妬ましく感じた。

 やや強い口調で、レイナは男に告げた。


「来るの、やめてほしいんです。貴方が現れて以来、ずっと誰かから見られるようになってしまいました。思い込みじゃなくて、実際にです」


 レイナは、教室にいる際はほとんど誰とも話さずに過ごしている。

 夏に出展した作品が賞を取った際に、多くの人間が話しかけてきた。それまでは自分の事を、顔はまあまあ可愛いけど暗いとか、地味だとか、考えていることがよくわからないと話していた人間達がだ。

 少なくともそういう人達とは、関わり合いたくはなかった。

 適当に愛想笑いをして返している内に、その波は去っていったと思っていたのに。

 この男が、平穏な生活をかき乱してきた。

 毎日刺さるような視線を浴びる。女子たちからも、じろじろと見られるようになった。勝手に噂をされるのも好きではないが、何よりも人の視線をレイナは恐れている。


「ねえねえ、じゃあさ。俺、しばらくは、もう君に会わないから。一つだけお願いがあるんだけど」


「それを叶えたら、もう来ないと約束してくれますか?」


 突然、願い事があると彼が言いだしたので、レイナは少しだけ引っ掛かりを覚える。


「うん、もちろん」


「貴方の絵を描くという話以外でお願いします」


 軽い調子でそう言ってくる彼に、レイナは心の中でため息をついた。何を頼まれるかはわからない。だがそれ以上に、人の視線を受けたり、彼に何度も話しかけられて、絵を描けないのは正直困る。


「俺が君のいう大学に合格出来たら、俺と付き合ってほしいんだけど」


 そう言われて、レイナは一瞬思考が停止した。


「お付き合い? どこにですか?」


 「そう来るか。男女のって意味だったんだけど」と言いながら、先輩は笑っている。


「出会ってから対して仲も深まっていません。交際するような間柄ではないと思います」


 女性関係などが派手な男性らしいとは耳にしたが、レイナはそれ以上彼に関心が持てなかった。彼の指には関心があるが。


「それでどう? 約束する?」


 まあ、どうせこの男には無理だろう。

 そう言う感情が沸いてきたので、少しだけ皮肉を込めて彼に返した。


「どうぞ。そのお約束の通り、先輩が合格できるんでしたら。近くの国立大学の医学部医学科、そちらでどうですか?」


 それを聞くと、先輩は不敵に笑った。



「良かった。じゃあ、そこね。ああ、あと、俺はアヤトね。アヤトでも、アヤト先輩でも良いからさ」



 そう言ってアヤトは、美術室の中から去っていった。


 嵐は過ぎ去ったようだ。

 あの人が理系最難関とも言われる学部にすぐすぐ入学できるはずがない。

 これでレイナにまた元の平穏な日々が戻ってくる。


 そう思っていたのに。




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