都市奪還計画
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──都市奪還計画
アベルとハイデマリーは魔王軍十三将軍のひとりであるランクルが拠点としているというフロスティガルツの偵察を行っていた。
隠密作戦はアベルの得意とすることではないが、できないわけではない。アベルはその優れた嗅覚と聴覚で敵の位置を把握してその死角をついて進み、ハイデマリー王女も悪魔の力である空間把握で敵の位置を把握しながら進んだ。
「結構広い都市だな」
「かつては交易都市だったのだ。魔王軍が侵攻してくるまでは」
整備された街道。整えられた建物。それなり以上に高い城壁。
見るからに重要そうな都市である。
「そっかー。交易都市ってこんなもんだったな」
はるかカルタゴの時代から現代のニューヨークに至るまでに近い記憶を持っているアベルにとっては交易都市と言われてもイメージが浮かばない。人が多く、商品が数多く並べられていれば交易都市のイメージも浮かんだだろうが。
如何せん都市は魔族に支配されており、行き交うのは魔族だけだ。
彼らに創造的な行動を行うという考えはなく、人間から奪った品を売買する程度のことしか商業活動は行われていない。魔族というのは一から何かを作るということはせず、他者から奪うということだけでなりなっている種族なのだ。
彼らの武器は人間から奪ったものであり、彼らの防具は人間を奴隷にして作らせたもの。彼らに経済の概念はなく、弱きものから強きものが奪うという構図だけが成り立っている。そこに生産性も発展性もない。
「奴隷を取引しているんだろ? そこを突き止めようぜ」
アベルには経済は分からぬ。
だが、人間という知性ある有情の生命体を奴隷として売り買いしているなどアベルには許せないことであった。彼はなんとしてもこの取引を妨害してやらなければ、あるいは完全に阻止してやらなければならないと思っていた。
そのためにはまず情報が必要だ。
何の情報もなくいきなり街に乱入するのは愚か者のやることだ。アベルにはそれぐらいのことは理解できた。魔族たちは大勢の人間をある意味では人質に取っており、それを解放するには戦術が必要なのだということは。
アベルは脳筋だが、馬鹿ではないのだ。
彼は損害なく人間たちを救出したい。そうすることがベストだからだと思っているからだ。弱い者苛めをされている人間は助けるべき。彼の頭の中はそんな感じである。特に思慮深いことを考えているわけではない
「しかし、これ以上の偵察は難しそうだ……」
「そうか? もう少し行けると思うぜ」
ハイデマリー王女が告げるのにアベルが遠方を見わたしながらそう告げた。
「鉄の臭いと魔族の臭いが合わさったのが兵士だ。それ500名ほどいる。それ以外に魔族の臭いもするがこいつらは武装してない。それから死体みたいで、生きている人間の臭いを放っている奴がひとり。もうちょっと見て回るか?」
「い、いや。それだけ分かれば十分だ。後は帰ってから考えよう」
「ふうむ。このまま仕掛けてもいいと思うけど、貴様がそういうならそうするよ」
アベルはちゃんとその場の優先順位が分かる男だ。自分が無理やりを言って、その場の序列を掻き乱してはならないことは理解している。
もっとも必要であればその序列など実力で突破するが、今臣民たちを救いたいのはハイデマリー王女だ。そうであるならばアベルはハイデマリー王女の意見を優先する。アベルは弱い連中を助けなければと思っているが、その後の安全の保障をするのはハイデマリー王女だということを分かっている。だから無茶はしない。
アベルにはセラフィーネやローラのようにゴーレムを作ったり、眷属や屍食鬼を作ったりして他の人間を守ることはできない。そうであるが故に慎重だ。
もっとも、アベルも眷属を作ろうと思えば作れるのだが、人狼が自身の眷属を作ることがいかに難しいことかはいずれ記そう。
「一先ずは引き上げて、作戦を練ろう。できればだが……」
ハイデマリー王女が城壁から飛び降りた後に都市の方を見つめる。
「この都市が取り戻せればいいのだが。難民キャンプではやはり危険が大きい。あそこには満足な防護設備もなく、人員の収容数にも限度がある。この都市を奪還できて、ここに難民たちを移せればそれに越したことはないのだが……」
確かに難民キャンプを守っているのは木の柵と僅かな警備部隊だけだ。それでは防衛という点においてはあまりにも心もとない。
それにそろそろ難民キャンプの収容人員も限界が来つつある。排泄物の処理や、飲料水の確保。そして食料に至るまであらゆる点であの難民キャンプは限界に近付きつつある。ハイデマリー王女が全てのノルニルスタン王国の臣民の救出を行おうというならば、あの難民キャンプを維持するだけでは不可能だろう。
どうにかしなければならない。
「なら、取り戻そーぜ、あの都市」
そのようなハイデマリー王女の懸念にアベルがあっさりとそう告げた。
「し、しかし、あの都市には500名の魔族の兵士と魔王軍十三将軍のひとりなのだぞ。それをそう簡単に取り戻せるとは……」
「どうせ、あの街を襲撃するんだろ? ならついでで、街も奪還しちまえばいいじゃないか。どうせ派手に暴れることになるだろうし、魔族の500や1000ぐらいは適当にぶっ飛ばせると思うぞ。それに魔王軍十三将軍ってすげー雑魚だったしな」
確かにアベルにとっては有象無象の魔族が束になってかかったところで、拳を振り回すだけで軽く一蹴できるものである。それに魔王軍十三将軍というのが完全な名前負け集団であるだろうことをアベルは確信していた。
何せ、魔王軍十三将軍最強を名乗ったカクエンがあのざまだったのだ。アベルがそう思うことも無理はないということである。
もっともセラフィーネはカクエンの言ったことなど信じていないし、ローラですら『こういうこと言う奴は一番雑魚』ということを認識しているのだが。
ある意味ではアベルはピュアすぎるのだ。
「そ、そうであるならばそれ以上のことは望みようがない。本当に我々はあの都市を取り戻すことができるのだろうか?」
「俺に任せとけよ。勝手に人様の街で奴隷の売買だのなんだの、好き放題やってる連中を叩きのめしてやるからな」
ハイデマリー王女が尋ねるのにアベルはニッと笑って返した。
「アベル殿は本当に心強い。だが、本当に我々にはあなたに報いる術はないのだぞ? オーディヌス王国の勇者であるならば、我々の土地など放っておいて、魔王を直接殴りに行く方が早いのではないだろうか?」
ハイデマリー王女も割と脳筋である。
「ダメだろ。勇者ってのは弱い連中を助ける存在だって聞いたぞ。そりゃあ、俺も最初は魔王をぶんなぐってやれば、それで戦争も何もかも終わると思ったけれど、ここでこうして、貴様らのことを見ているとそういうわけにもいかなくなった」
アベルは未だに勇者というのものを分かっていないが、少なくとも今ここで困っている連中を見捨てて魔王を殴りに行っても問題は解決しないということだけは分かっていた。彼は脳筋だが、完全な馬鹿ではないのだ。
「では、見返りもなしに我々を助けてくださると?」
「弱っちい連中を助けるのは強い奴の義務だ。そのことに見返りを求めたりはしない。それに勇者ってのは敵を倒すだけじゃなくて弱っちい連中のことも救うものなんだろ? だとしたら、なおさら貴様らを見捨ててはいけないな」
「アベル殿……」
アベルは別に何かに困ったりはしていない。
食うものはそこら辺にあるし、財産はそれなりにあるし、稼ぎもその肉体を活かせばいくらでも稼げる。女性関係に不自由していないかと言われれば謎だが、少なくとも彼は現状維持でも特に支障はなかった。
故にアベルは求めない。持っているものはより多くを求めるべきではないという考えであるからだ。人間にしろ、人狼にしろ、魔女にしろ、吸血鬼にしろ、大悪魔にしろ、求めすぎればきりがないというものなのである。
それでもアベルが求めるのは最強という地位。
最強の人狼という地位は生まれ持っていた。最強の軍人という立場も手に入れた。最強の格闘家やら、最強のなんとやらという地位やらは手に入れた。残るはセラフィーネとローラを下し、正真正銘の世界最強という地位を手に入れるだけ。
そのためならばアベルは動く。だが、それでも弱いものを見捨ててまでは動かない。
アベルというものは俗っぽいものに関心のない、一途なまでの脳筋なのだ。
「しかし、アベル殿が仮にこの都市を奪還できたとして何の褒美も取らせられないのではノルニルスタン王国の名が廃る。なんでもいい。我々にできることならば言ってくれ」
ハイデマリー王女もここでアベルの厚意だけに縋るわけにはいかないと理解していた。アベルの厚意に甘えてばかりでは、ノルニルスタン王国の将来のためにもならないし、今後のノルニルスタン王国の誇りにもかかわる問題であると。
「そうだな。そこまでいうならこの間の鍋をまたご馳走してくれよ。みんなで鍋をつつくのっていいものだからな」
「本当にそれでいいのか、アベル殿?」
「そりゃあ、欲を出せば魔王軍の拠点が他にどこにあるかとか聞きたいけれど、そんなこと知らないだろ? だから、鍋でいいぞ。それに自分で言ってったじゃないか、今のノルニルスタン王国には余裕はないって。だから、多くは望まない。それにあの鍋すげー美味かったしな」
アベルはそう告げると周囲を見渡した。
「さあ、魔族の連中に見つかる前に逃げよう。明日には襲撃だ。気合入れていこうぜ」
「そうだな、アベル殿。明日には我々の都市を取り戻すのだ」
そう告げ合うと、アベルとハイデマリー王女はフロスティガルツから静かに去った。
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「主力はここから突入する。突破口は私とアベル殿が作る」
難民キャンプから離れたフロスティガルツまで半日の距離の場所に臨時の野営地が設営されていた。そこには難民キャンプの警護から若干名と若くて体力のある男たちが集められていた。これがフロスティガルツ奪還部隊である。
「主力は私とアベル殿が魔族を駆逐したら速やかに虜囚の身となっている同胞たちを救出して、離脱してくれ。私とアベル殿は可能であればフロスティガルツをそのまま奪還する。教会の鐘が鳴ったら奪還成功の合図だ」
「しかし、それでは殿下とアベル殿の負担があまりにも大きいのでは……」
ハイデマリー王女が状況を説明するのに、兵士のひとりがそう告げる。
「犠牲者を出したくはない」
ハイデマリー王女は告げた。
「相手は魔族500名と魔王軍十三将軍だ。私とアベル殿でなければ相手になるまい。諸君らには酷なことかもしれないが、私の目的はあくまでノルニルスタン王国の臣民たちを取り戻し、笑顔にするためだ。そこで犠牲が出てはならぬのだ」
ハイデマリー王女はこの戦いが流血なくして成り立つと思っているほど夢見てはいない。だが、流血を最小限に押させることができるはずだと考えていた。
彼女は臣民全員に幸福でいてほしい。たとえ魔族に侵略を受けている今であろうとも、その願いが変わることはない。
「安心しろよ、弱っちいの。このお姫様も確かに完璧に強いわけじゃないがそれなりだ。そして、俺は完璧に強い。魔族のような弱い者苛め集団を蹴散らして、あの街を取り戻してやるよ。期待して待ってろよな」
アベルにとってはこの作戦は別に一世一代の作戦というわけでもない。彼からすれば雑魚に等しい魔族を蹴散らして、魔王軍十三将軍を名乗る奴をぶっ飛ばし、奴隷売買とかいう忌々しい所業を終わらせるだけだ。
こんな仕事はアベルにとっては朝飯前だ。
「アベル殿に多くを頼ることになってしまうだろう。だが、どうかノルニルスタン王国のために力を貸してくれ」
「応よ! 任せとけって!」
ハイデマリー王女が頭を下げるのにアベルはにやりと犬歯を覗かせて返した。
「で、貴様はどうするんだ、フォーラント?」
そこでアベルは上空を見上げた。
「さて、どうしましょうか。あの人たちに加勢するもよし、ただ見守るもよし」
上空にはフォーラントが浮かんでいた。
彼女は考え込むように顎を押さえ、ゆらゆらと宙を漂っている。
「力、貸せよ。貴様も一応は勇者なんだろ? 貴様が来なかったら来なかったで苦労することはないだろうけれど、勇者として呼ばれたならそれ相応の働きはするべきだぜ」
「なら、止めさせます? この戦争そのものを」
アベルが告げるのにフォーラントが平然と返した。
「……それは何か知ってる顔だな。黒幕のこと知ってるのか?」
「まさか、まさか。いつもニコニコ誠実なフォーラント様がこんな腹黒いことをやらかす人間に心当たりがあるはずないじゃないですか」
「それ、知っているって言ってるのと一緒だぞ」
アベルは呆れた目でフォーラントを見た。
「私のこと嫌いになっちゃいました?」
「貴様の交友関係には口出ししない、そして、今更悪魔に何かの期待をすることもしない。別に俺の貴様への感情は変わっていないぞ、フォーラント」
アベルはそう告げて肩をすくめた。
「流石は世界で最初の人狼です。心が広い!」
フォーラントは上空から急降下するとアベルに抱き着いた。
「暑苦しいぞ、フォーラント」
「この暑苦しさもあなたへの愛ですよ、アベル」
うざいというように手を振るアベルにフォーラントが頬ずりした。
「その愛って奴はどんなのだ? ただ花々を眺めて感じる愛か。それとも2匹の獣を争わせて感じる愛か。あるいは人間たちが人間同士に感じる愛か」
「さて、どうでしょうね。大悪魔が地上の生き物を見て感じる愛とだけ言っておきますよ。大悪魔もこう見えて寂しいと死んじゃうんですよ?」
フォーラントはそうアベルの耳で囁く。
「貴様が死ぬとは思えんな。まあ、世界最強を名乗るならいずれ貴様も殺さなければならないのだろうけれどな」
「あら、怖い。本気です?」
「降参っていうだけで許してやってもいいぞ?」
フォーラントが笑うのにアベルが笑い返した。
「まあ、貴様は好きにしろよ、フォーラント。手伝うもよし、見ているもよし。ただ、俺たちに敵対したときは──」
アベルの目が獣のそれに変わる。
「容赦なく食い殺すぞ」
アベルはそう告げて犬歯を覗かせた。
「怖い、怖い。敵対することだけは避けた方がよさそうです」
フォーラントはそう告げてアベルから離れてステップを踏むように舞う。
「けど、今回の相手。完全に封じるのには私の力、必要だと思いますよ?」
「ああ?」
アベルが聞き返す暇もなく、フォーラントは消え去った。
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本日8回目の更新です。