ひと時の安息と
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──ひと時の安息と
救出された人間たちは無事に難民キャンプにたどり着いた。
「おお。ご無事でしたか、ハイデマリー殿下!」
「ああ。無事に戻ることが出来た」
警備責任者のフランツが告げるのに、ハイデマリー王女が片手を振って応じた。
「アベル殿もご無事でなにより」
「あんなちゃちな連中にやられるほどやわじゃねーっての」
アベルはフランツの出迎えに適当に応じていた。
「あなた!」
「お前! 無事だったのか!」
難民キャンプでは家族が再会を果たしたり、友人たちが再開を喜び合ったりしていた。ノルニルスタン王国は壊滅してから数年が経ち、地方にバラバラに逃げた家族や友人たちは孤独さとの戦いを戦っていたのだ。
「なんか、どいつも嬉しそーだな」
「もちろんだ。家族とはぐれて何年も経った人間もいる」
アベルが興味なさそうに告げるのに、ハイデマリー王女がそう告げた。
「ま、いいことしたんだろうな、俺も。こうして喜んでる人間がいるってことは、俺が人類を助けたって証だ。よかった、よかった!」
アベルは未だに勇者がどういうことをする存在なのかはよく分かっていなかった。アベルもローラから借りたゲームをやったことはあるのだが、数十分で飽きてしまって投げ出してしまたのだ。元来、外で体を動かす方な好きな男であるが故。
「今日はアベル殿を囲んで宴を開こう。酒はまだ残っていたはずだ」
「あ。悪りぃ。俺、酒はダメなんだ。酔うと気分が悪くなる。下戸なんだよ」
「そうであったか。では、料理だけでも凝ったものを準備させよう」
「別に気を使わなくたっていいんだぞ?」
ハイデマリー王女が歓待の準備を進めるのに、アベルがそう告げる。
「そう言ってくださるな。誰もがアベル殿に感謝しているのだ。礼をさせてもらわなければノルニルスタン王国の名誉にかかわるというもの。ここは持て成されて欲しい」
「まあ、そこまで言われたらしかたないな」
アベルは名誉を大事にする。
名声にも財産にもアベルは興味はあまりないが、名誉というものは大事にしている。何故かと言われれば、アベルがそういう古臭い男だからとしか言いようがない。彼の行動の大半に理由などないのだ。
アベルがこう思うからこうする。それだけの話だ。最初はもっとちゃんとした理由もあった気がするのだが、3000年も経ってしまうと、理由は忘却の彼方に消える。
「では、アベル殿。ここで待っていてくれ」
「俺も獲物を仕留めてこようか?」
「大丈夫だ。あなたは客人であるから、座って待っていてくれればいいのだ」
ふうむと思いながらアベルは案内された天幕の中を見渡す。
最初見た時は粗末な品だと思っていたが、意外としっかりした造りをしている。少なくとも暴風などの異常気象に出くわさないかぎりは倒れることはなさそうだ。
「心ここにあらずという感じですね」
「フォーラント。貴様は呼ばれてないだろ」
いつの間にかテントの隣の席にフォーラントが座っていた。
「気にしない、気にしない。同じ勇者パーティーの仲間ではないですか。私もこれから行われることにはそれなりに協力するつもりなのですよ?」
「本当かー?」
「本当ですよー」
アベルが訝しげに眺めるのにフォーラントがけらけらと笑って返した。
「それにあのお姫様の状態。説明できるのは私ぐらいだと思いますよ」
「あれが何なのか見当はついてるんだな。俺と同じ人狼か? それとも吸血鬼か?」
「いずれでもないですね。まあ、ご本人が来てから話しましょう」
超人的な身体能力と回復力。人狼と吸血鬼はいずれも兼ね揃えている。
だが、そのどちらでもないとすればなんだ?
「お待たせした、アベル殿。……そこの方はまだ名前を伺っていなかったな」
「フォーラントと申します。姉もフォーラント。妹もフォーラント。言葉遊びのフォーラント。全ての宇宙に悪名高いフォーラント。以後、よろしくお願いします」
鍋を抱えてきたハイデマリー王女がフォーラントを睨むのに、フォーラントが謳うようにしてそう告げて返した。
「悪魔か?」
「ええ、ええ。あなたが食らったのと同じ悪魔ですよ」
正体を見抜いたハイデマリー王女に、フォーラントがにやりと笑う。
「食らった? 悪魔を?」
訳が分からないのはアベルだ。
悪魔を食うなんて話は聞いたことがない。世の中の大抵のものは食えると自負するアベルだったが、悪魔を食ってやろうと思ったことはなかった。
「魔女たちが得意とする技でしてね。召喚した悪魔を分解して食らって、自分の体の一部にしてしまうのですよ。そうすることで超人的な身体能力を可能とします。悪魔と人間の合いの子のような存在ですからね。セラフィーネもああ見えて何体か悪魔を食っているのですよ。知りませんでした?」
「知らねー。美味いのか?」
「食うとは言いますが口から摂取するわけではなく、魂で捕食するようなものですからね。何とも言えませんね。私も他の悪魔を食ったことはないですし」
悪魔を食う。
霊的な存在である悪魔を食うのは人間の消化器ではない。魂だ。魂が悪魔の肉体を捕らえ、悪魔を食らうのだ。そして、悪魔を食らったものは悪魔が持っている超人的な身体能力を手にすることができるようになる。
「“悪魔食い”。悪魔を食らった人間はそう呼ばれます。そう呼ばれ、畏怖され、嫌悪され、排斥されるのです」
「そうか? ハイデマリーは人気者だったぞ」
「それは彼女が彼女の本性を隠しているからでしょう」
アベルが告げるのにフォーラントがにやりと笑った。
「戦神の加護、でしたっけ? 臣民の皆さんにはそう説明しているのですよね?」
「……その通りだ。そうするより他に方法はなかった」
フォーラントの言葉にハイデマリー王女がそう告げる。
「私が悪魔を食らうことになったのは事故からだった。宮廷魔術師たちが新しい魔術の解析を進めていたとき、別の異なる時空から悪魔を呼び出してしまったのだ。魔法陣も何も準備していなかった我々は悪魔に襲撃されることになり、宮廷にいた人間の多くが殺されることになった。私にも悪魔のあの鋭い爪が迫っていた」
魔族の北部からの侵攻が始まった20年前から10年が過ぎた年。
人類を何とか生存させるために宮廷魔術師たちは新しい魔術の開発に勤しんでいた。彼らの開発した魔術のひとつによって、戦局が挽回されるかもしれないのだ。そうであるが故に宮廷魔術師たちは古文書を読み解き、仕組みも分からないままに魔術の実験を繰り返していた。悲劇はそこで起きた。
異界から召喚された凶暴な悪魔は宮廷にいた人間たちを殺し回り、何十名もの人間が犠牲になった。ちょうど、魔術研究棟の中庭で遊んでいた若き日のハイデマリー王女もその犠牲となるかもしれないところだった。
「だが、私は殺されなかった。生きたいと強く願った結果はどうかは知らないが、悪魔は突如として苦しみだし、そのまま何も残さず消滅してしまった」
「その瞬間、あなたは悪魔を食らったわけですよ。あなたは天然の“悪魔食い”というわけですね。意図せずして、悪魔を食らうという人間を辞めたような魔女たちにしかできないことをやってのけたわけですよ」
ハイデマリー王女の話を聞くのに、フォーラントがそう告げた。
「あなたはそれで化け物になったわけですね。周囲も事情をそれとなく察したでしょうが、ことがことだけに公にはできない。だから、戦神の加護ということにでもしてごまかした、というところですね。だから、何も知らない臣民はあなたを慕っている」
「確かに私は化け物かもしれない。だが、そうであったとしても構いはしない。今は魔族と戦う力が必要なのだ。たとえ化け物と罵られようと構うものか。私はノルニルスタン王国の臣民に笑顔が戻るならばそれでいい」
フォーラントの言葉にハイデマリー王女はそう断言した。
「俺も別に気にはしないな。俺だって人狼だし」
「じ、人狼?」
「そう、人狼」
アベルはそう告げると片手の拳を握りしめるとそこに堅い獣の体毛が生え始め、手を開くとそこには狼のように鋭い爪が並んでいた。
「な。俺も化け物だし、ここにいるフォーラントだって化け物だし、化け物程度で気にすることないぞ。俺の知り合いでまともな人間とか一握りくらいしかいないし。その上に今、この世界に勇者として召喚されてる奴なんて寿命3000年以上の戦闘狂魔女とぐーたら真祖吸血鬼だぞ」
アベルが平然とそう語るのにハイデマリー王女は呆然としていた。
「アッハッハッハ! アベル殿もただものではないとは思っていたが、そこまでとは! 細かなことを気にしていた私が馬鹿のようではないか」
「馬鹿じゃないだろ。立派な悩みだと思うぞ。貴様は俺たちのような責任も何もない自由人じゃなくて、王女だしな。それでも気にすることはないけどな」
ハイデマリーが笑うのに、アベルはふんふんと鼻を鳴らしてそう告げた。
「それよりそれ、料理なんだろ。食っていいのか?」
「ああ。もちろんだ。お代わりもあるからたっぷり食べてくれ。それから皆も呼ぼう。鍋は大勢で食べるものだ。皆、アベル殿に礼が言いたいだろうしな」
「礼なんていいんだけどな」
それからアベルたちは鍋を囲みながら、これまでの話をした。
ごく一部をぼかしながら世界最強決定戦を行おうとしていたところを、オーディヌス王国に勇者として召喚され、一時は火花が散ったものの、勇者をやることを決めたこと。だが、勇者性の違いによってパーティーは解散し、三方向に分かれたということ。
「他の方々もアベル殿のように強いのか?」
「まあ、それなりにはな。だが、最強は俺だ。それにしてもこの肉団子美味いな」
まだセラフィーネとローラとの決着はついていない。誰が最強なのかは未確定だ。
「3人のアベルさんみたいに強い人がいたらあっという間に魔王をやっつけられるね!」
「ハハハ。そんなもん俺だけで十分だ。今頃セラフィーネの奴は北をうろうろしているだろうし、ローラに至っては寝てるかもしれないしな」
子供が喜びの声を上げるのにアベルが笑って返した。
笑ってはいるが、割と本気だぞ。
「アベルさんが魔王倒したらハイデマリー殿下と結婚する?」
その子供の無垢な発言にハイデマリー王女が食べようとしていた肉団子を止めた。
「ど、どうしてそうなるのだ。軽々しくそう言うことを言ってはならぬぞ」
「でも、戦神の加護を受けたハイデマリー殿下と勇者のアベルさんが結婚したら、私たちのノルニルスタン王国もきっと力強く蘇ると思うんですよね。国王陛下ももう亡くなられてしまったし、私たちには新しい女王陛下が必要ですし……」
ハイデマリー王女の言葉に子供がそう告げる。
「あらあら。狙っているんですか、彼のこと?」
いつの間にかフォーラントがハイデマリー王女の背後に回り込んでそう囁く。
「彼、意外に女性に好かれるんですよ。何せ、強いですし、それでいて愛嬌のある可愛い性格してますし。まあ、これまでお付き合いできた女性はいないんですけどね。彼って女泣かせな性格しているんですよ」
「そ、そうなのか」
フォーラントが囁くのにハイデマリー王女が頬を赤く染めながらそう告げる。
「でも、ハイデマリーさんならチャンスあるかもしれませんよ? 何事も挑戦だとは言いますし、ひとつアタックしてみてはどうですか?」
フォーラントの囁きにハイデマリー王女がひとつ息をつく。
「そういうわけにはいかん。ノルニルスタン王国の再興のためには、諸外国との関係を強化しなければならない。私は他の国の王族と結婚し、国家同士の結びつきを強めることになるだろう。王族に生まれた以上はそういう定めだ」
「あれま。つまらない人ですね」
フォーラントは飽きたというようにハイデマリー王女の背後から消えた。
「……けど、今だけなら」
ハイデマリー王女は鍋をがっつきながら、子供たちから老人まで会話に花を咲かせるアベルの横顔を眺めた。そのとき彼女の心臓が僅かに大きく脈打った。
王族としてノルニルスタン王国の未来を背負っている。自分に自由な恋愛など許されるはずがない。ハイデマリー王女はちゃんとそう理解している。
だが、フォーラントの言うようにアベルという人物には惹かれるのだ。
己の正義を貫き通し、見返りなど求めずに戦う。何より、これまで異物であった自分をその正体を知ってなお受け入れてくれる。
ハイデマリー王女はコトンとアベルの肩に自分の肩を重ねた。
「ん? どうした?」
「少し酔ったようだ。やはり酒はいかんな」
「だろ? 俺なんてもっと酷いからな」
ハイデマリー王女はアベルの言葉に優し気に笑ったのだった。
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