ちょっとした救出劇
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──ちょっとした救出劇
「ん。敵だな」
山道を歩いていたアベルが不意にそう告げて立ち止まった。
「ああ。敵のようだ。数は100名といったところか。同胞たちが連行されているな」
ハイデマリーの言葉を聞いて、アベルは山の中を見渡すが、どこにもそんなものの姿は見えない。
アベルは己の嗅覚と聴覚でそれに気づいた。狼のように鋭敏な聴覚と嗅覚を有する彼は、己の感覚器官だけで数十キロ離れた位置の存在を言い当てることができる。
だが、ハイデマリー王女は? 彼女はどうして敵と同胞の存在に気づいた?
「もちろん、やるよな?」
「無論だ。これこそが今回の目的。先ほどは待ち伏せに会ってしまったが、私は同胞を救わなければならないのだ。ノルニルスタン王国再興のためにも」
そう告げてハイデマリー王女が鉄塊のような長剣を構える。
「アベル殿。同胞たちには気を付けて交戦してくれ。魔族たち、できれば指揮官を生け捕りにしたい。そうすれば次の奴らの行動が分かる」
「オーケー。任せとけ」
ハイデマリー王女が告げるのに、アベルが頷いて返した。
「では、仕掛けよう。連中にも鼻の利くものはいる」
ハイデマリー王女はそう告げて、長剣という名の鉄塊を下段で構えたまま、猛スピードで突進していった。ちょっとしたスポーツカー並みの速さでアベルには劣るも、こちらも人外染みた身体能力をしている。
負けず嫌いのアベルの中では自分の身体能力を誇示して、負けたくないという意識があったものの、ハイデマリー王女より先に進むと、どれがノルニルスタン王国の臣民で、どれが違う連中なのか分からなくなるので素直にハイデマリー王女の後に続いた。
アベルは意外と素直な男であり、分からないことで無茶をしたりしない。彼は思慮深いとも言い難いが、馬鹿ではないのだ。自分の実力についても過信はしていない。ただ、過信するまでもなく、自分は世界最強だと確信しているだけである。
「見えたぞ」
森を抜けた平原で魔族の群れに人間80名程度が連行されていた。
人間たちは鎖で手足を繋がれ、満足に身動きもできないような状態で魔族たちに鞭打たれながら歩かされている。その中にはまだ10歳にもならないような子供の姿もあった。
「屑どもめ」
アベルはそう呟くと一気に加速した。
「なんだ、あれ──」
魔族のひとりが何かに気づいてそちらの方向を向いたときには遅かった。
まず衝撃が走り、それから音が響く。
他の魔族が気づいたときには、同じように人間を連行していた魔族のうち30名程度が纏めて吹き飛ばされていた。
「な、なんだ、てめえ!」
「貴様らのような屑どもに名乗る名前なんぞねーよ! 黙って死ね!」
アベルの拳が魔族の顔面に叩き込まれる。
魔族の首はその衝撃に耐えられずに千切れ、頭部だけが飛んでいく。だが、その頭部も野砲から放たれる砲弾のごとく加速したものであり、後ろにいた魔族たちがその頭部に貫かれて、死体となり果てる。
「敵襲! 敵襲!」
「見れば分かる、間抜け!」
魔族の兵士が警報の声を上げるのに、魔族の指揮官が叫んだ。
「貴様が指揮官だな」
「なっ……! 貴様は“戦鬼”ハイデマリー! 生きていたというのか!」
「全ての同胞たちを解放するまではこの身を朽ち果てさせるわけにはいかぬ!」
魔族の指揮官が狼狽えるのにハイデマリー王女が長剣を振るった。魔族の指揮官を含めて、50名あまりの魔族が一瞬で肉塊と化す。鉄塊に叩き潰されて、体が引きちぎられ、叩き潰され、命が一瞬で刈り取られる。
「やるな、あの王女。こいつらが弱っちいだけなのかもしれないけど」
アベルはその様子をみて感心したように口笛を吹いた。
「死ねえ!」
「貴様が死ね」
アベルがハイデマリー王女の方向を見ている背後で魔族が剣を振るってアベルに襲い掛かったが、アベルの無造作な回し蹴りで叩きのめされた。
「逃げろ、逃げろ! 戦鬼と化け物だ! 相手にならねえ!」
「魔王様お助けをー!」
生き残った魔族たちは武器を捨てて逃げようとする。
「逃がすものか。ここまでの非道に走っておいて、今更許されるわけがあるまい」
だが、ハイデマリー王女は追撃した。
ひとり、またひとりと魔族の脱走兵たちが屠られていく。
「畜生! 死ね、戦鬼!」
最後の魔族のひとりが振り返りざまにクロスボウを放つ。
この世界のクロスボウの初速は時速350キロほどである。新幹線の時速が300キロ程度であることを考えるならば、それは新幹線が向かってきている速度にほぼ等しい。そして、生身の人間が疾走する新幹線を僅かに数十メートルの距離で回避できるかを問えば、答えはノーであるはずだ。回避はできない。
だが、ハイデマリー王女はクロスボウから放たれた矢を回避するどころか受け止めると、その手で握り潰し、最後の魔族に迫った。
「お、お助けを! 慈悲を!」
「魔族に慈悲はない。死ね」
ハイデマリー王女は長剣を振り下ろすと、魔族を一刀両断した。
「おーい。そっちは片付いたか―?」
「ああ。これもアベル殿のおかげだ。あなたの協力がなければ臣民に犠牲者が出ていただろう。過去の救出作戦ではそういうことがあった」
アベルの方も残った魔族を掃討していた。生き残りはハイデマリー王女が求めたひとりだけだ。哀れにも武装解除され、足の骨を折られ、アベルの前に倒れている。
「ノルニルスタン王国の民よ。諸君らは自由だ。無事に生き延びてくれてありがとう」
ハイデマリー王女はそう告げると人間たちを拘束していた手枷と足枷を破壊していった。鉄でできたものを素手で飴細工でも練るかの如く、破壊していった。
「ハイデマリー殿下、ありがとう!」
「ああ。諸君らが生き延びていてくれて私こそ礼を言いたい」
拘束されていた少女がハイデマリー王女に抱き着くのに、ハイデマリー王女は彼女の頭を優しく撫でてやった。
ハイデマリー王女の周りには解放された人々が集まり、口々に感謝と親愛の言葉を述べている。それだけで彼女が如何に愛されているかが分かるというものだ。
「悪い奴じゃなさそうだ」
アベルは臣民に囲まれているハイデマリー王女を見てそう呟いた。
「……ところで、ハイデマリー殿下。あのお方は?」
臣民のひとりが恐る恐るとアベルの方を向いてそう尋ねた。
「恐れる必要はない。彼は私の命の恩人であり、何の見返りもなく諸君らを助けることに手を貸してくれた恩人だ。名をアベル・アルリム殿という」
「英雄のような方ですね」
アベルはその言葉に反応した。
世界最強の勇者決定戦においてはもっとも早く人類を救ったものが勝者となる。
つまり、今はいい感じに進んでいるのでは?
「勇者とはかくある人のことをいうのだろうな」
「勇者……」
間違いない。自分は正解に進んでいる! アベルは確信した。
「まあ、俺に任せておけよ。貴様らのことは俺が救ってやるぜ」
アベルは鋭い犬歯を覗かせてそう告げた。
「では、アベル殿、諸君。拠点に向かおう。食料もあるし、手当ても受けられる」
それからアベルたちは来た道を引き返していった。
アベルに捕らえられた魔族の捕虜はアベルに頭を掴まれ、引き摺られるように連行されて行った。もはや捕虜に抵抗する意欲はなく、されるがままになっていた。
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行きは僅かに数分だったが帰りは数時間。
魔族に囚われていた臣民たちの体力はギリギリで、走ることもできないし、途中で休まなければ歩き続けることもできない。
ハイデマリー王女は時折小休止を挟み、水源などを探してきては、飲み水などを臣民たちに提供していた。アベルはハイデマリー王女が留守の間に臣民たちを魔族の手から守るという役割を受け持っていた。
「アベルさん?」
「なんだ、ちっこいの」
少女が話しかけてくるのに、アベルが彼女を見下ろしてそう告げた。
「アベルさんは勇者様なの?」
「そうだぞ。世界最強の勇者だ。俺がいる限り貴様らは安全だぞ」
アベルは子供相手に胸を張ってそう答えた。
アベルにはあまり年齢の概念がない。自分自身が3000歳という桁外れな長命の生き物であることに加えて、付き合いのある仲間も3000歳の魔女や3000歳の吸血鬼、宇宙が生まれた時から存在すると自称する大悪魔なので感覚がマヒしている。
ただ、子供というものが弱い連中だということだけは分かっている。
「アベルさんは魔王を倒してくれるの?」
「当然だ。俺が倒す。どんな相手だろうと俺の拳で一撃よ」
「わー! カッコいいー!」
アベルがシュッシュと拳を繰り出すのに少女が歓声を上げる。
「アベルさんには助けてもらったからこの木の実上げる」
「ん。食える木の実だな。でも、俺はいいぞ。貴様が食え。体力つけとかないと、もうちょっと距離があるからな。途中で腹が減ったら困るだろ?」
それにどうせアベルはその辺の野生動物の肉を生で食えるのだ。
「いらないの?」
「いらない。勇者は弱っちい連中から何かをもらったりしないんだ」
「へー」
実際のところ、勇者が実際にそうなのかをアベルは知らない。
「それに俺は大金持ちなんだぞ。1000万マルク持ってる」
「凄い!」
「そうだろう。まあ、今のところ使い道はないんだけどな。それにどっかに置いてきちまった。多分、難民キャンプに置いてあるだろ。なくなってたらどうにかする」
「ダメじゃん」
子供に呆れられるアベルであった。
「でも、アベルさんはどうして勇者を目指したの?」
「目指したんじゃない。呼ばれたんだ。勇者になってくれってな。だから、勇者をやってやることにした。俺は弱い者苛めが嫌いなんだ。魔族の連中が好き放題やって、人間を苛めてる。それは許せねえ。だから、ぶっ倒す」
「カッコいい!」
「だろう?」
子供相手にどや顔するアベルであった。
「ところで、貴様らのところのお姫様、滅茶苦茶つえーけど、あれどうなってんだ?」
「ハイデマリー殿下には戦の神の守護があるの。だから、とっても強いんだよ」
「戦の神、ねえ」
アベルは神とかいうやからの存在をあまり期待した考えで捉えていない。悪魔がいるのだから、神がいてもおかしくはないだろうが、神がいるならばもっと地上を平和にするとか弱っちい連中を助けてやるとかするべきである。それがないということは、神という連中は悪魔と同じで勝手気ままなのだろうとアベルは思っていた。
ちなみにアベルは悪魔にも期待したことはない。
「じゃあ、頑張ってね、アベルさん」
「おうよ。任せとけ、ちっこいの」
アベルに打ち解けたのは子供たちからだった。
大人たちはアベルの超人的な身体能力を見て畏怖している。彼も魔族なのではないだろうかと恐れている。だが、子供たちはそういう恐れはない。自分たちを助けてくれた強くてカッコいい人だという認識である。
アベルも子供たちに構ってやるのは嫌いではなく、子供たちにいろいろと話を聞かせてやったり、遊び相手になってやったりしていた。
これがセラフィーネならば威嚇射撃で追い散らすだろうし、ローラだったならばうざっい子供の相手のなどするはずもなくスルーしていただろう。
これもまたアベルの個性である。
「アベル殿。いいか?」
アベルが子供たちと話していたとき、ハイデマリー王女が戻ってきた。
「どうした?」
「捕らえた魔族から聞き出した情報がある。あなたも魔族から聞いて欲しい」
「分かった」
アベルが立ち上がってハイデマリー王女についていくのに、子供たちがまだ遊ぼうとねだったが、アベルはまたなと言って魔族の捕虜を拘束している場所まで向かった。
「おい。起きろ」
ハイデマリー王女は乱暴に魔族を叩き起こす。
「ひいっ! 戦鬼!」
「黙れ。必要なことだけ喋れ」
目を覚ました魔族が悲鳴を上げるのにハイデマリー王女がそう告げる。
「貴様らはあの人間たちをどこに移送しようとしていた?」
「フロスティガルツだ。フロスティガルツに移送命令が出ていた」
ハイデマリー王女の言葉に魔族がびくびくとそう答える。
「そこで何をしようとしていた」
「ど、奴隷市だ。各地の奴隷を魔王軍十三将軍のひとりであるランクル様が取り仕切る奴隷市のために連れて行かれる予定だった。それ以上のことは何も知らない!」
アベルはイラっと来た。
奴隷なんて言うのは弱い者苛めの最たるものだ。そんなものを行っているというのは彼にとって許しがたいことであった。そんなことをしている連中は改心しようとも皆殺しにするべきだと考えていた。
「ということだ、アベル殿。フロスティガルツは我々ノルニルスタン王国の都市のひとつだった。だが、今は魔王軍によって奪われている。そこで奴隷市などが開催されているとは。奴隷となったものたちは魔族の玩具にされ、食料にされ、殺されるのだ」
「許せねえ! そいつは許せねえ! クソッタレな話だぜ!」
アベルは熱い男である。
ひとつの非道を聞いたら許しておけず、必ずそれを叩きのめそうとする男である。
「ま、待てよ。お前たちだって肉は食うだろう? 鹿やウサギ、イノシシの肉。魔族はたまたま人間の肉を食うだけだ。そこに何の違いもありはしないだろう?」
捕虜になっている魔族は必死になってそう告げる。
「俺は命をいただくときにはちゃんと感謝している」
それに対してアベルがそう告げた。
「この恵みをくれた大自然に、俺の糧となってくれたものにちゃんと感謝する。俺の知り合いである真祖吸血鬼も血を吸わなければならないが、奴もちゃんと血を与えてくれるものには感謝して報酬を与えていた。貴様らにそういうものはあるか?」
「いや。だが、弱肉強食という言葉が……」
「黙れ! ないんだろうが! 獲物への感謝の気持ちなんてなく、ただ弱い者苛めをしているだけだろうがっ! そういうのが許されるのは野生の獣たちだけだ! そして、貴様が野生の獣なら、俺はその弱肉強食の掟に従って貴様を食う!」
そう告げてアベルはその鋭い犬歯を剥き出しにした。
「すみません、すみません! これからは改めますのでどうか命だけは!」
魔族な涙を流しながらそう叫ぶ。
「どのみち、貴様を連れて行くのはここまでだ」
「か、解放してくれるので?」
「貴様がやったことを考えろ。生きて解放してもらえると思うのか?」
「そ、それは……」
ハイデマリー王女の言葉に魔族の表情から血の気が失せていく。
「せめて、一撃で死ぬといい。それが慈悲だ」
「や、やめ──」
ハイデマリー王女はそう告げて魔族の首を刎ね飛ばした。
「聞いてくれだろうか、アベル殿。同胞たちがフロスティガルツに囚われている。私は臣民たちを難民キャンプに送り届けたら、これを奪還しに向かうつもりだ」
ハイデマリー王女は魔族の血を振り払ってそう告げる。
「そこで、図々しい申し出であることは分かっているのだが、アベル殿にも助力を願えないだろうか……? アベル殿が一緒に来てくれれば心強いのだが……」
「なんだ。そんな話かよ」
アベルは呆気なく告げる。
「もちろん、いいに決まってるだろ。むしろ、俺にも手伝わせろ。弱い者苛めをしてる連中は残らずぶっ飛ばさなきゃならねー。それに俺は人類を救う勇者だからな。それぐらいのことはして当たり前ってものだぜっ!」
アベルはグッとサムズアップしてそう告げた。
「助かる。本当に助かる、アベル殿。この恩は絶対に忘れない」
「恩だとかそういうのじゃないんだよ。ただ、俺がそうしたいからしてるだけだし。だから、気楽に構えているといいぞ。俺はどこかの大悪魔と違って代償を取り立てたりはしないからな。なあ、そうだろう、フォーラント?」
アベルが虚空に向けて告げるのに、その虚空が歪んだ。
「酷い言われようですね、アベル。私は約束を守ってもらっているだけですよ。皆さん、私にお願いするときはどんなものでも差し出しますといいのですから」
その歪みから現れたのはフォーラントだった。
「なっ……! 悪魔かっ!」
「あなたならご存じでしょうね、“悪魔食い”。悪魔を食らって今の体を手に入れたあなたなら、悪魔についても多少の知識はあるでしょう」
ハイデマリー王女が長剣を構えるのに、フォーラントが謳うようにそう告げる。
「“悪魔食い”? なんだそれ?」
「事情は本人からお聞きになった方がいいと思いますよ?」
アベルが首を傾げ、フォーラントがそう告げる。
「……事情は難民キャンプに着いてから話そう」
ハイデマリー王女はそう告げると静かにこの場を去った。
「フォーラント。貴様、何か企んでないだろうな?」
「まさか、まさか。友人相手に何かを企むことなどありませんよ。ただ──」
フォーラントが怪しい目つきで去っていくハイデマリー王女を見る。
「彼女は何か企んでいるかもしれませんけれどね」
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