温泉日和
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──温泉日和
「あれ? 爆発が起きない?」
そのころ、ギムレーの街では湖から爆発の気配がしないことにローラが首をかしげていた。そろそろドカンと爆発が起きるはずなのだが、待てど暮らせど何も起きない。
「彼、私が助けてあげましたから」
「フォーラント。何を勝手なことをしてくれているのかなー?」
ふいにフォーラントがローラの背後に現れて告げるのにローラは眉をゆがめた。
「大丈夫ですよ。彼には死ぬよりも酷い目に遭ってもらっていますから」
「それならいいけど。勝手なことはしないでよね」
フォーラントの言葉にローラがそう告げる。
「さて、温泉は無事かな?」
「その前に城壁の外の戦闘を気にしません?」
ローラが“灼熱のクラクス”に焼き払われたギムレーの街を見渡して告げるのに、クリスがそう告げて返した。
「城壁の外は無事だよ。あの程度の連中に仮にも僕の眷属が負けるはずがない」
ローラがそう告げたとき、城門が開かれた。
「魔族どもを殲滅いたしました、閣下!」
そう告げて城門を潜ったのは吸血鬼騎士団の13名の騎士だ。
彼らはひとりも欠けることなく、全身に魔族の血を浴びて、城門を潜った。
「ほらね。心配する必要なんてなかったでしょう?」
「た、確かに」
全身血塗れの騎士たちがニコリと微笑むのに、クリスはやや背筋がぞっとした。
「とりあえず、君たちはその血をそこの川で落としてきなよ。それから温泉探しだ」
「了解!」
吸血鬼騎士団の騎士たちはかなりハイな状態でローラの命令に従い、じゃぶじゃぶと川で魔族の血を落とす。血の他に目玉や内臓などが付いていたりして、かなりスプラッタな光景になっている。
「うげ。悲惨な有様……」
「勝てばいいんだよ、勝てば」
クリスがドン引きなのにローラはそう告げて返す。
「それよりも無事な温泉宿はあるかなー。魔族が荒らしてないといいんだけど」
ローラの方はもう気分はすっかり温泉モードで、鼻をひくひくと鳴らしながら、硫黄の臭いをかぎ分けようとしている。そんなやり方で温泉の位置が分かるものなのだろうかとクリスは心底疑問に思った。
「む。温泉の気配を感じたよ。非常食君、ちゃんと卵は持ってきてる?」
「持ってきてますけど、これどうするんです?」
「温泉に卵と来たら決まっているじゃないか」
ローラはクリスが持っていた卵が割れていないことを確認する。
「温泉卵を作るんだよ」
そう告げてローラは未だに血を落としている吸血鬼騎士団の騎士たちを放って、温泉の匂いのする方向へと向かっていったのだった。
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「卵セット、と」
ローラは籠に入れた卵を源泉に近い温度の場所にセットした。
「後は10分ほど待つだけだね」
「こんなにのんびりしてていいんでしょうか?」
クリスたちは辛うじて“灼熱のクラクス”の被害を逃れた温泉宿で温泉卵を作っていた。内部は若干魔族に荒らされているが、今は血を流し終えた吸血鬼騎士団の騎士たちが清掃中だ。いずれは元の姿を取り戻すだろう。
それはそうとローラたちはこんなに暢気にしていていいのだろうか。
「問題ないよ。だって、こうしてギムレーは奪還したし、再編成中だった魔王軍は撃破したし、やるべきことは全部やった。後はお楽しみの時間だよ。サイダーとか置いてないかな。フルーツ牛乳でもいいけれど」
確かにローラたちはここで再編成中だった魔王軍南部方面軍に打撃を与え、ギムレーを奪還した。ちょっとばかり休憩を挟んだところで文句の言える人間はいないだろう。
「サイダーもフルーツ牛乳もないんじゃないですか。魔王軍があちこち略奪してますし。そもそもサイダーというものがどういうものなのか僕には分からないのですけれど」
「サイダーは美味しいよ。中にビー玉が入ってて綺麗なんだ」
「ビー玉の入った食品……?」
サイダーの見た目がまるで想像できなくなったクリスである。
「温泉は混浴かな?」
「混浴だったら困りますよ……。普通、こういうのは男女別です。混浴は風紀の乱れを生むからという理由で国王陛下が禁止されていたはずです」
「お堅いな-。湯船で育まれる友情もあるっていうのにさ」
古代ローマの時代から混浴は風紀の乱れをもたらすと言われていたぞ。
「まあ、ボクは混浴でもそうでなくても構わないけれどね」
ローラはそう告げて硫黄の臭いが立ち込める中で、両足をフラフラさせた。
「さてと、そろそろ温泉卵の出来上がりだ」
ローラはお湯から温泉卵を引き上げた。
「お皿持って来た?」
「どういうわけか持ってきています。僕たち本当に魔王軍と戦いに来たんですよね?」
ローラが尋ねるのにクリスは背後に背負った鞄から皿を取り出した。
「もう戦ったじゃないか。あの巨大なドラゴンとも。そして、勝ったんだから勝利の美酒に浸る権利はあると思うよ」
ローラは温泉卵を割って皿に移すと、スプーンでつるりと口に運んだ。
「うん。美味い。つゆとか塩があってもいいかもしれないけど、流石にそこまでは持ってきてなかったよね」
「持ってきてないです」
ローラはすっかり温泉旅行気分だぞ。
「君も食べなよ。美味しいよ」
「うーん。なんかどろりとしててあまり食欲をそそられないのですが」
「美味しいって」
ガンガン来るローラである。
「では、いただきます」
クリスも抵抗を諦めて、温泉卵をスプーンで口に運んだ。
「おお? なんだかとろりとしてて美味しいですね」
「でしょ? 温泉地ならではの楽しみだよ。ご家庭でも道具があれば作れるけどね」
ふたりはそれから温泉卵をぽいぽいと楽しんだ。カロリーが気になるところだが、エルフの代謝はいいし、吸血鬼はいくら食べても太ることはない。
「副王閣下。温泉及び宿泊施設の清掃及び修繕が完了しました!」
「ご苦労様。では、いよいよ温泉を楽しもうかな」
吸血騎士団の騎士が告げるのに、ローラが腰を上げた。
「それじゃあ、行こうか、非常食君」
「え? 僕は何をしに行くんですか?」
「温泉に入りに行くんだよ」
ローラはクリスの手を握ると、ぐいぐいと引っ張っていった。流石は吸血鬼パワー。エルフの細腕では逃げ切れません。
「ちょっと待ってください! 僕、男ですから女湯には!」
「他に客はいないんだから気にしなくていいんだよ」
「気にします! 滅茶苦茶気にします!」
クリスはとうとう女湯に引きずり込まれ、ローラに服をむしり取られた。
「さあ、入ろうか?」
「うう。もうお婿に行けない……」
ローラの方もいつの間にか裸体になっており、タオルを巻いただけの姿で、クリスの手を引きずって、湯船に向かった。
「おや。遅いお付きでしたね」
「……どうしてここに君がいるのかな、フォーラント?」
温泉の内湯には一糸まとわぬ裸体のフォーラントが浸かっていた。
「私も温泉を楽しみに来たんですよ。こういう楽しみは独り占めするよりもみんなで分け合った方がいいですよ。そこのエルフの少年もそう思いますよね?」
フォーラントがそう告げたが、既にクリスは鼻血を噴き出して意識を失っていた。
「ヘタレ」
情けないクリスにローラはそう告げるとクリスを放っておいて、湯船につかった。
「それで他のふたりの調子はどんな感じなのかな? 魔王倒しそう?」
「まだまだ難しいですね。けれど、アベルは一番魔王の拠点に近いですし、セラフィーネは新しい魔術を手にしていますよ。これがうかうかしていると世界最強の勇者の地位を持っていかれてしまうかもしれないですよ」
「その世界最強の勇者の地位って本当に必要?」
ここでローラがそう尋ねた。
「僕たちは確かに世界最強をめぐって争っていたけれど、別に勇者じゃなくてもいいんじゃないかな。昔ながらの殺し合いで最強を決定する。その方が手っ取り早くていいと思うよ。わざわざ出来の悪いロールプレイングゲームに付き合う必要はない」
ローラはそう告げてフォーラントを見る。
世界最強の勇者を決定しようと言い出したのはフォーラントである。彼女が世界最強の勇者を決めようといって、アベルたちがそれに乗った。
だが、本来世界最強を決定する手段は殺し合いだったはずだ。いつの間にか手段が入れ替わっている。これはどうにもおかしい。
「いいじゃないですか。私はあなたたちのことが好きなんですよ。下手に殺し合いをして、友人を失うようなことにはなってほしくありません。だからです。だから、世界最強の勇者を決めるという方法を選んだんです」
「君ってそんなに性格よかったっけ?」
フォーラントがそう告げるのに、ローラが猜疑の視線を向けた。
「ええ。このフォーラント様はとても性格のいい大悪魔ですよ。みんなに愛される大悪魔ですからね。私っていい性格してるでしょう?」
「確かにいい性格してるよ、君は」
ローラは肩をすくめてそう返した。
「じゃあ、世界最強決定戦はこの勇者としての争いということになるのかな」
「そうなりますね。いいじゃないですか。目指しましょうよ、世界最強の勇者」
「君のことだから何か裏がありそうだけれどね」
ローラはフォーラントを全面的には信頼していない。
彼女は大悪魔だ。あらゆるものを欺いてきて、あざ笑ってきた種族だ。
それが親切心などで行動することはまずありえない。こういうフォーラントには何か裏に隠していることがあるに決まっている。ローラはそう考えていた。
「流石に傷つきますよ。そこまで疑われるのは」
「日頃の行いが悪い。君ってまだセラフィーネに食べられてないのが不思議なくらいだよ。セラフィーネまで騙してたら、相当大変なことになるからね」
「確かにセラフィーネほどの大魔女は怖いですねえ」
セラフィーネは“悪魔食い”だ。本人はフォーラントほどの大悪魔を食らうのは難しいと言っているが、実際にやらないとは言っていない。
「魔王の正体、知ってるね?」
「どうしてそう思います?」
ふいにローラが尋ねるのに、フォーラントが笑顔でそう返した。
「直感。君がボクたちを誘導しているように感じられてならないんだよね」
ローラはそう告げて湯船の中で手足を伸ばした。
「流石は真祖吸血鬼というところでしょうか。その直感、そこまで外れてませんよ。確かに私は魔王の正体に心当たりがあるんです。まだ憶測の域をでませんけれどね」
「それは君と同じ大悪魔かな?」
「さて、どうでしょう?」
ローラが尋ねるのにフォーラントはにこりと笑って返した。
「あんまりボクたちをおちょくらない方がいいよ。大悪魔の地位に胡坐をかいていると、思いがけない反撃が待ってるかもしれないんだからね。それこそセラフィーネに食われたりするような。ボク自身だってやろうと思えば、“悪魔食い”になることはできることだし」
ローラはそう告げながら、お湯から上がった。
「おちょくってはいませんよ。ただ導いているだけです。こういうゲームには必要なポジションでしょう?」
「どうだろうね。それにしてもここは景色もいい。露天風呂を楽しんでくるよ」
ローラはそう告げると内湯から露天風呂の方に移っていった。
「仮に私が皆さんを欺いているとしても、それはいいことなのですよ」
ローラが露天風呂に去るのにフォーラントはそう告げたのだった。
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