“灼熱のクラクス”
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──“灼熱のクラクス”
川が氾濫でも起こしたかのように水位を上げるのに、ローラが前方を見据えた。
川が氾濫を起こしている理由はひとつだった。
川の上流に質量のある物体が着水したことだ。
「ボスのお出ましだ」
ローラは現れた敵を前にのんびりとそう告げた。
「よくも俺の部下を可愛がってくれたようだな!」
そう叫ぶのは灰色の鱗のドラゴンだ。
彼に触れている水は音を立てて蒸発しており、そのものの有する熱量を感じさせた。ドラゴンは2、3回炎を吐き出し、ローラの方を見据える。
「貴様の仕業か? 貴様が俺の部下を殺したのか?」
「ご名答。ついでにいえば、この間のスライムと30万の軍勢をやっつけたのもボク」
ドラゴンが睨むのに、ローラは肩を竦めてそう告げた。
「ほう。“溶解のブロック”をやったのは貴様だというのか。面白いではないか。貴様を倒せば、俺はあのスライム野郎以上の存在だと証明できるわけだ。実に面白い。俺も戦いで魔王ロキ陛下に実力を証明したいと思っていたところだ」
ドラゴンは鼻を鳴らして豪快に笑う。
「娘。貴様の名前は何という?」
「ローラ・バソリー。世界最強の勇者だよ……」
面倒くさいのにどうして魔族にまで自己紹介しなければならないのだろうかとローラは考えていた。こんなことをしても無駄ではないかと。
「よろしい! 貴様に勝負を挑む!」
ドラゴンは咆哮した。
「俺の名は“灼熱のクラクス”! 魔王軍十三将軍のひとりである! 我が炎を前に沈むがいい、ローラとやら!」
この暑苦しさ。ローラはアベルを連想してうんざりした気分になった。
だが、相手はガチでやるつもりのようだ。お相手しなければならない。
「適当に血を吸いつくして、干物にしてあげよう」
ローラはそう告げると大量の蝙蝠を魔力で生み出して、“灼熱のクラクス”に向けて送り込む。魔王軍の1個軍団ですら食い殺した規模の蝙蝠だ。まともに受ければ、本当に血を吸いつくされて、干物にされるだろう。
「しゃらくさい!」
だが、そうはならなかった。
“灼熱のクラクス”が咆哮とともに放った地獄から湧き出してきたような炎は、ローラの放った蝙蝠たちを焼き払った。火炎放射は的確にローラの蝙蝠を狙い、まとまって飛行していた蝙蝠たちは瞬く間に全滅してしまった。
「やってくれるなあ」
ローラは蝙蝠たちが焼き払われたのに、苛立った表情を浮かべる。
「まだまだいくぜー! 燃えカスになっちまいな!」
“灼熱のクラクス”はそう叫ぶと次はローラに向けて炎を放った。
「その程度の攻撃でボクをどうこうできると思っているのかな?」
ローラは黒い霧になって消え去り、別の場所に姿を現す。
「面白い! そうでなくてはな! 必ず焼き殺してくれるぞ!」
“灼熱のクラクス”は豪快に笑うと炎を辺り一面にまき散らす。
建物が燃え、地面が燃え、川ですら燃え上がる。
「あーあ。ボクの温泉郷が台無しじゃないか」
炎がギムレーの街を包んでいくのにローラが不満そうに鼻を鳴らす。
「こうなったら地獄の苦しみを味わって死んでもらうよ。覚悟してね」
ローラはそう告げると蝙蝠の羽で空に舞い上がった。
「ハハハッ! 何をしようというのだ? 面白いことがやれるならやってみるがいい」
「面白いことだよ。召喚“義学”と“義賢”」
ローラがそう詠唱すると2体の鬼が姿を見せた。
“妖怪のブロック”を葬り去ったときに姿を見せた義学と義賢のふたりの鬼だ。
「今度は竜退治ですかな?」
「そ。これ以上夢の温泉郷が燃え上がる前に退治しちゃって。ただし、十二分に痛めつけた上でね。ボクも手伝うから」
「了解いたした!」
義学が告げるのにローラがそう返した。
「行くぞ、義賢! 我らが主殿のために!」
「ええ。行きましょう」
義学が斧を持って“灼熱のクラクス”に突撃し、義賢は水瓶を構える。
「その腕を一本ずつ切り落としてくれようぞ!」
「何を! 貴様など焼き殺してくれる!」
義学が突撃するのに、“灼熱のクラクス”がその炎を義学に向けて放った。
「無駄っ!」
だが、義学はその斧で火炎放射を防ぎ切り、そのまま“灼熱のクラクス”への突撃を続ける。その勢いたるや戦車が突っ込んでいくかのようだ。
「おのれ! 我が炎をなめてくれるな。貴様など容易に焼き殺せるのだ!」
「そうはさせませんわ」
再び火炎放射の体勢を取る“灼熱のクラクス”に義賢が水瓶を向けた。
水瓶から大量の水が放出され、それが“灼熱のクラクス”が放った炎を打ち消す。“灼熱のクラクス”が放った炎は小規模な水蒸気爆発を起こしながらも、義賢の放った水によって押し流されてしまった。
「な、なにをっ!? 我が炎がかき消されただと! ありえるのか!?」
「あり得るのだ!」
うろたえる“灼熱のクラクス”に対して、近接した義学が斧を振るった。
「ぐおおっ……! やってくれるではないか……!」
義学の一撃で“灼熱のクラクス”は右腕を失った。
大量に血があふれる中、その血までもが高熱を帯びて、周囲のものを発火させる。
「ぬう。切り刻んでやろうと思ったが、これでは危険だな」
義学はあふれ出る“灼熱のクラクス”の血から身を守るように斧を盾にする。
「もう大丈夫。間合いに入った」
そこでローラの声が響いた。
ローラはレイピア“串刺し狂”を構えて、“灼熱のクラクス”の前に立ち、そのレイピアの剣先を“灼熱のクラクス”に向けた。
「そのような武器でこの俺をどうするつもりだ? 鱗が貫けるかどうかすらも怪しいな! だが、この俺に挑む勇気だけは評価して──」
「黙って。うるさい」
大声でローラを嘲る“灼熱のクラクス”にローラはレイピア“串刺し狂”で“灼熱のクラクス”の腹を貫いた。
「ハハハッ! 百戦錬磨のこの俺がその程度の傷で──」
その些細なダメージを“灼熱のクラクス”があざ笑おうとしたときだ。
“灼熱のクラクス”の視界がぐにゃりと歪み、三半規管が機能を停止したように平衡感覚が失われ、その巨体がよろめき、倒れる。
「な、なにをした……!?」
「君の体の魔力の流れを暴走させた。いずれ、体が引きちぎれて、爆発するよ。その前に酷い苦しみを味わうことになるけれど」
「なんだと……!」
ローラは吸血鬼として相手の体内の魔力の流れを読むのが上手い。
彼女にかかれば、一般人から“灼熱のクラクス”のような巨体に至るまで、あらゆるものの魔力の流れを読み──それをかき乱すことができる。
体内の魔力の流れがかき乱されれば、程度にはよるが、魔力が暴走し、死に至ることもある。そして、今回ローラは思いっきり“灼熱のクラクス”の体内の魔力をかき乱している。それならば確実な死が待っているだろう。
それも魔力をかき乱されるというのはただの死ではない。
苦痛に満ちた死だ。
体内の魔力が暴走し、自分の内臓が傷つけられ、神経信号はでたらめな信号を送り続け、脳は間違った指示を出し続ける。その結果、全身に激しい苦痛が走り、じわじわと体を蝕まれていく。それは地獄に似た状況だ。
そして、最後は己の魔力によって体が吹き飛ばされる。
その爆発に至るまで1時間。1時間、灼熱のクラクスは苦痛と戦わなければならない。手足の自由は既になく、体を動かすこともままならない状況で、次々に襲い掛かる苦痛に耐え続けるというわけである。
「た、助けてくれ……! せめて、一撃で殺してくれ……!」
「ダメ。ボクの夢の温泉郷を火の海にしてくれたんだから、落とし前はつけてもらうよ。苦痛に満ちた死を迎えることだね」
“灼熱のクラクス”がそう告げるのに、ローラは無慈悲にそう返した。
「ここで爆発されると面倒だ。義賢、これを川の上流まで押し流して。湖か何かがあるはずだから、そこに沈めてくれるといいよ」
「畏まりました、主殿」
ローラの言葉で義賢は水瓶を構えると、動けなくなった“灼熱のクラクス”を水流を以てして、川の上流に押し流していった。
やがて、“灼熱のクラクス”は上流に位置する湖まで押し流され、その奥底に沈んでいった。真祖吸血鬼への挑戦者の哀れな末路であった。
(苦しい……! 全身が痛い……! 誰か助けてくれ……!)
水の中で声も発せないままに“灼熱のクラクス”は助けを求めた。
「助かりたいですか?」
そこで声をかけてきた人物がいた。
フォーラントだ。フォーラントがまるで湖の精霊のように濡れることなく、湖の中に姿を見せていた。
(助かりたい! 助けてくれ!)
「分かります、分かります。助けてほしいのですね。では、助けて差し上げましょう。もうあなたは苦痛を感じることはないのですよ」
“灼熱のクラクス”はどういう理由かは分からないが、自分に助けがきたことを喜んだ。これでこの苦痛から逃れられる。
だが、次に起きたのは苦痛が取り払われることではなかった。
目が見えなくなり、音が聞こえなくなり、肌の感触がなくなり、“灼熱のクラクス”の精神は真っ暗な闇の中に閉ざされたのだ。
(どういうことだ! 何も感じない! 閉じ込められてしまった!)
「苦痛も何も感じない体にしてあげましたよ。よかったですね。ああ、爆発して死ぬこともないようにしておきましたから、この水底で永遠に孤独を楽しんでくださいな」
結局のところ、“灼熱のクラクス”は何も感じることのない肉体という名の暗闇の中に閉じ込められ、未来永劫孤独の中に閉じ込められた。“灼熱のクラクス”はやがて正気を失い、何も考えなくなったのだった。
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