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目指せ、温泉街奪還

……………………


 ──目指せ、温泉街奪還



「ローラさん、ローラさん。起きていますか?」


 夜も午後7時を回った時間にクリスがローラの部屋の扉をノックした。


「起きてるよー」


「それでは、失礼しますね」


 中からローラのダウナーな声が返ってくるのに、クリスが扉を開いた。


「やあ。温泉街は見つかった?」


「服を着てくださいっ!」


 ローラは全裸のまま、ベッドの上で目をこすっていた。


「服は後でいいよー。それより温泉、見つかった?」


「見つかりました! 見つかりましたから服を着てください!」


 クリスは扉をバタンと閉じると、中でローラが服を着るのを待った。


「服、ちゃんと着ました?」


「んー。ショーツが見つからない。探すの手伝って」


「嫌ですよ!?」


 クリスが扉の向こうから尋ねるのに、ローラがそのようなことをのたまう。


「あった、あった。服、着たよ」


「全く。年頃の娘さんが全裸で異性を部屋に入れるようなことはダメ──」


 クリスが再び扉を開いたとき、そこにいたのは依然として全裸のローラ。


「みぎゃあああ! だ、騙しましたねー!」


「ナイスリアクション。けど、ボクの裸を見ておいて悲鳴はないんじゃないかな」


 再びバタンと扉を閉じるクリスにローラがサムズアップして返した。


「今度こそちゃんと着たよ」


 そして、今度は本当にゴスロリドレスを纏ったローラがドアから姿を見せた。


「はあ。これでようやくお話ができますね」


「そうそう、入って入って」


 クリスがため息をつき、ローラがクリスを部屋に引きずり込む。


「それで、温泉街は見つかったの?」


「温泉街というか、温泉があって奪還しなければならない都市は見つかりましたよ」


 ローラがワクワクして尋ねるのに、クリスはそう告げて返した。


「ちぇっ。温泉街じゃないのか。温泉卵と温泉饅頭は期待できないかな」


「あの。魔族と戦闘しに行くんですよね? 観光に行くわけじゃないんですよね? 魔王軍を倒して都市を解放しにいくんですよね?」


「まあ、それもある」


「それもあるというかそれが目的ですよ! 目的を迷子にさせないでください!」


 ローラは温泉好きである。


 いろいろと日本かぶれなところのある彼女は日本旅行中に温泉を楽しんで、それ以降温泉の魅力に取りつかれていた。温泉で食べる温泉卵は最高だし、ほてった体を冷やしてくれるフルーツ牛乳は至高のものだ。


 だが、日本に城を持っているわけでも、日本国籍を有しているわけでもないローラの滞在期間は決まっている。いずれは城のあるオーストリア=ハンガリー帝国に帰らなければならない。温泉は毎年の楽しみではあったが、それも召喚によって途絶えてしまった。


 そんなローラであるからこそ、今回の温泉街奪還作戦にはある種の期待を抱いていた。また温泉をゆっくりと楽しむことができるのではないかと。


「素敵な温泉、素敵な温泉♪ 何としても魔族の手から解放しなければならないね」


「そうですね。で、その温泉のある街の情報ですけれど、ここから北に30キロほど進んだギムレーという場所になります。そこでは魔王軍が再編成中だそうなので、それを叩くことも目的のひとつですよ」


「非常食君は体はどこから洗う?」


「話聞いてくれてます?」


 悪気のない表情でローラが尋ねるのに、クリスがキレ気味にそう返した。


「分かった、分かった。ちゃんと聞いてるよ。温泉は混浴なんだね」


「全然聞いてくれてない! 温泉の話はほとんどしてません!」


 ローラは無性なので男女どっちでも入れるぞ。


 どちらかというと女湯に入った方が混乱は起きないが。


「そのギムレーという場所を解放して、魔王軍を叩く?」


「そうです、そうです。そういうことです」


 ようやく理解したローラにクリスがため息を漏らす。


「なら、ラバーダックは何匹必要かな? シャンプーは置いてるかな?」


「理解してそれですか? もっと心配することがあるんじゃ……」


「ないね。魔王軍、雑魚だし」


 そうなのである。


 悲しいことに人間にとっては非常に凶悪な魔族もローラたちにかかれば、ただの動く的に過ぎないのだ。ことに大規模戦闘に向いた性能であるローラにとって、魔王軍が何十万といようとも問題はない。


 他のふたりも数十万の軍隊を相手にして勝利できるが、ローラほど効率的に始末はできない。その分、ローラは単体を相手にしたときの戦闘力がやや他のふたりに比べて劣るという欠点を抱えているが、それも致命的というほどではない。


 案外、あの3人の中で一番強いのはローラだったりするかもしれない。


「そうですよね。ローラさんにとって魔王軍は相手にならないですもんね。ちょっと悔しいですけれど……」


 クリスは魔王軍の恐怖に怯えていた日々のことを思い出しながらそう告げた。


 今まで魔王軍は確かな恐怖の対象であったのだが、それはローラたち勇者の出現でひっくり返された。今や魔族は狩る側の存在ではなく、狩られる側の存在だ。


 今までどれだけ修行を積んでも、魔族にまるで対抗できなかったクリスは自分が急に情けない存在のように思えてきたのだった。


「何? 自信喪失中? 慰めてあげようか?」


「いいです! 全然自信ありますから!」


 ローラがクリスにすり寄ってきて告げるのに、クリスがそう叫んで返した。


「よしよし。よく頑張ったね。褒めてあげるから、今日は徹夜でホラーゲームだ」


「褒めるからホラーゲームってどういうことです!?」


 その後、クリスは結局朝方までローラとのホラーゲームプレイをやらされて、くたくたになったままローラのベッドに引きずり込まれたのだった。


 頑張れ、クリス。頑張って朝も夜も活動できる人間になるんだ。


……………………


……………………


 楽しい楽しい温泉街奪還作戦──もといギムレー奪還及び魔王軍追撃作戦はその日の夕刻より開始された。


 王都スヴァリンから北に30キロ。


 普通の人間ならばそれなりに時間のかかる距離だが、ローラにとってはひとっ飛びの距離である。そして、吸血鬼化した近衛騎士団の騎士たちにとっても苦になる距離ではなかった。彼らは既に蝙蝠に擬態する能力を習得し、空中を高速で移動できた。


 ローラはクリスを抱えてちょっとしたジェット戦闘機並みの速度で空中を移動し、それに必死に吸血鬼騎士団の面々が追いすがる。


 戦力はローラと吸血鬼騎士団の騎士が13名。


 クリス? 彼は戦力としてカウントされないよ。


「そろそろ見えてきたかな?」


「地図によるとそろそろです。あっ、見えてきました」


 最初は悲鳴を上げるばかりだったクリスも今では地図を手に平然とナビゲーションしている。慣れとは恐ろしいものである。


「見えた。極楽温泉郷。湯けむりが上がってるねー」


 山々の間の谷間にもわもわと白い煙を上げる都市が映ってきた。あれは火事などの煙ではない。温泉から立ち上る湯煙だ。


「それでは諸君。これより湯煙パラダイスを魔王軍の手から解放するよ。逃げる奴は魔王軍だ。逃げない奴は訓練された魔王軍だ。いざ、湯煙地獄へ!」


「了解!」


 ローラの号令で吸血鬼騎士団が蝙蝠の姿のまま、ギムレーに突撃していく。


 ローラも一気に高度を落とし、ギムレーに向かう。


「何か来たぞ!?」


「人間が空を飛んでいる!?」


 地上では35万の軍勢を失い再編中であった魔王軍南部方面軍が自分たちに向けて迫ってくる蝙蝠の大群とローラの姿を見て、警報を鳴らしていた。


「この蝙蝠はまさか生き残りの報告にあった……!?」


 魔王軍の指揮官が声を上げるのに蝙蝠が襲い掛かってきた。


「ぐあああっ!」


 魔王軍の幹部は蝙蝠に牙を突き立てられて暴れまわる。


 そして、2分後には生気を失ったグールとしてそこに存在していた。


「うげええ。こいつの血、クソ不味い……」


 そして、蝙蝠の擬態を解除した吸血鬼騎士団の騎士は魔族の血の不味さに嘔吐していた。彼らは既に人間の処女と童貞の血をちょびっとずつ味わっているので、血の味の不味さ美味さの区別はつくようになっているぞ。


「吸血鬼騎士団! 戦闘開始だ! 切り結べ!」


「応っ!」


 そして、吸血鬼騎士団の騎士たちが次々に蝙蝠の擬態を解除すると、彼らは自分たちの10倍以上は数のある魔王軍に向けて突撃していった。


「人間か! たかが人間が13人程度で何ができる!」


 魔王軍の魔族たちは突撃してくる吸血鬼騎士団の騎士たちをあざ笑うと、全員が総出で迎撃のためにギムレーの城壁から出撃した。


「我らをただの人間と侮ったな!」


「それが命取りだ!」


「我々こそが吸血鬼騎士団である!」


 吸血鬼騎士団の騎士たちは吸血鬼化したことで、身体能力が跳ね上がっている。今の彼らを止めるには吸血鬼騎士団の騎士ひとりに対して魔族が20体は必要である。


 吸血鬼騎士団の騎士たちは剣を振りまわして、魔族をばったばったとなぎ倒していく。魔族たちは手も足も出ず、一方的にやられるばかりだ。


「あ、相手はたったの13人だぞ! 何をしている!」


「お邪魔してます」


 魔王軍の指揮官が叫ぶのに、ローラが隣に着地してそう告げた。


「貴様は……!」


「死んで」


 魔王軍の指揮官がうろたえるのを横にローラがレイピア“串刺し狂(ヴラド・ツェペシュ)”で魔王軍の指揮官の頭を貫いた。


「そっちはやれそう?」


「お任せください、副王閣下! これぐらい余裕です!」


 城壁の外では魔王軍の大軍勢を相手に吸血鬼騎士団の騎士たちが大暴れだ。


「なら、任せるね。ボクはボクの仕事をしよう」


「え? ローラさんも戦う意思があったんですか?」


 ローラが告げるのにクリスが信じられないという顔をする。


「もちろんあるとも。君、ボクが何もしないと思ってたの?」


「はい」


「君はこれから超絶怖いホラーゲームの刑に処す」


 クリスにとってローラが参戦するということは予想外だった。


 彼女のこれまでの怠け者っぷりを見ても分かるように、ローラは状況を他人に任せられるならそうするタイプの人間である。吸血鬼騎士団という便利なものができたのだから、わざわざローラが戦う意味はないはずだった。


「ボクだってね、やる気はあるんだよ。特に今回のように大急ぎで解放しなければならないものがある場合とかはね」


「そこまでして温泉に急いで入りたいんです?」


「温泉はいいものだからね」


 結局のところは温泉に入りたいだけのローラであった。


「さてと。城壁の外に出た敵は吸血鬼騎士団に任せて、ボクは城壁内の敵を掃討しようかな。まだまだ隠れているみたいだし」


 ローラはそう告げると城壁の内側を見渡した。


 ギムレーの街の内部では再編途上だった魔王軍が小部隊ごとに動いていた。


 まだ再編途中で纏まった戦力にはならないが、個々の戦力でも人間にとってはそれなり以上の脅威だ。普通の人間ならば、即座にこのギムレーの街から追い出されてしまうだろう。ただし、それは普通の人間だったならばという話だ。


 ローラにとっては何の脅威にもならない雑魚である。


「君もちょっと頑張ってみる?」


「え? む、無理ですよ! あんな数の魔族を相手にするなんて!」


「ヘタレ」


「ぐぬ。いいですよ、ヘタレで。実際にヘタレですから」


 クリスは拗ねてしまった。


「しょうがないな、非常食君は。ここはボクがお手本を見せてあげよう」


 ローラはそう告げると、レイピア“串刺し狂(ヴラド・ツェペシュ)”を構えて一気に加速した。一瞬のことにクリスは何が起きたのか分からず、ローラの姿を探す。


 次の瞬間黒い霧が魔族の周囲に現れ、そしてその魔族が全身かから出血して倒れる。黒い霧は次々に敵を襲い、周囲を血だまりで覆い尽くしていく。


 やがて、ギムレーの街の中で動くものはなくなった。全てが血の海の中に沈んでいる。そして、黒い霧は人の形を取り、それはローラとなった。


「お片付け、完了?」


 ローラはそう告げて首を傾げた。


「凄いですよ、ローラさん! 一瞬じゃないですか!」


「まーね。けど、どうにもまだ全部倒した気がしない」


 ローラはそう告げて油断なく周囲を見張る。


 ギムレーの街を流れる川が氾濫でも起こしたかのように水位が溢れ上がり、遠くから雄叫びが響いてきたのは次の瞬間のことだった。


……………………

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