入れ違いの結果
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──入れ違いの結果
「みいつけた」
死神の声が“狂宴のオンディーヌ”の耳に届いた。
「ひっ」
“狂宴のオンディーヌ”が思わずその方向を振り向くと、目を爛々と輝かせた白いローブの女性がその体には不釣り合いなほど大きな対物狙撃銃を握って“狂宴のオンディーヌ”の背後にいた。セラフィーネである。彼女がここまで“狂宴のオンディーヌ”を追い詰めた。
「殺す前に尋ねておきたいことがある。あの大規模転移魔術はどうやった?」
「殺されるって分かっているのに、そんなこと話すわけ──」
セラフィーネが尋ねるのに、“狂宴のオンディーヌ”がそう返そうとしたとき、“狂宴のオンディーヌ”の頭の脇を銃弾が飛び抜けていき、その先にある壁を貫いた。
「言っておくが、貴様が喋らなかった場合に使う銃弾は通常弾だ。冥界の女王エレシュキガルの呪いが刻印されたものではない。手足を失いながら、苦痛にのたうちながら死ぬことになるぞ。それでも構わないならば、強情な態度を続けるがいい」
セラフィーネはそう告げて対物狙撃銃を構える。
「ま、魔導書を見ました! 魔導書に書いてあったんです!」
「ほう。その魔導書は今どこにある?」
「戦利品の保管所です! そこに保管してあります!」
「具体的な場所は?」
「中央広場から東の通りに入った銀行の金庫です」
“狂宴のオンディーヌ”は活路を見出したと思った。
この魔術師は明らかに“狂宴のオンディーヌ”自身よりも、魔導書の方に関心を抱いている。この魔術師が魔導書に気が向いた隙に、逃げ出そう。いや、この魔術師をどこかに飛ばしてしまう方が確実かもしれない。
「案内しろ。余計なことを考えるな。苦しんで死にたくなければな」
「は、はい」
だが、セラフィーネの注意が“狂宴のオンディーヌ”から離れる様子はない。彼女の対物狙撃銃の銃口は油断なく、“狂宴のオンディーヌ”に対して向けられている。逃げるそぶりを見せれば、あの壁を粉砕した銃弾が“狂宴のオンディーヌ”をひき肉に変えるだろう。苦痛に満ちた死を迎えるのは間違いない。
セラフィーネが“狂宴のオンディーヌ”に銃口を突き付けて通りに出た時、通りは、いやヴァールハーフェンの街はゴーレムたちによって完全に制圧されていた。魔族に囚われていた人間たちも解放されており、もう逃げ場などどこにもなかった。
「早くしろ」
「は、はい」
セラフィーネが促すのに、“狂宴のオンディーヌ”は震えながら、東の大通りに向かった。街路には魔族の死体が積み上げてあり、それが“狂宴のオンディーヌ”の未来を予想させた。このままならば自分もあの死体の山の仲間入りであると。
「こ、この銀行の金庫室です」
「そうか。では、案内しろ」
“狂宴のオンディーヌ”は必死に隙を探したが、そんなものなどこの魔術師にはないように思われた。どうやっても逃げられない。
“狂宴のオンディーヌ”は銀行に入り、地下金庫室に向かう。
そこは魔王軍の幹部たちが部下たちに荒らされたくない戦利品を保管する場所になっていた。金銀財宝、高級ワイン、そして魔導書。
「こ、ここです。ここにある魔導書を見たんです」
「どれだ」
「これです」
セラフィーネは“狂宴のオンディーヌ”の戦利品を一瞥すると、“狂宴のオンディーヌ”が指し示した一冊を手に取り、広げた。
「ふうむ。なるほど……」
セラフィーネは魔導書に没頭しているように見えるが、隙は生じさせていない。
何重にも張られたパッシブな防御結界が背後からの不意打ちを防いでいる。アクティブな防御結界も有効化されており、セラフィーネに何かしらの魔術をかけようとすれば、魂すら焼き殺される羽目になるだろう。
“狂宴のオンディーヌ”自身がここから逃げるというのも不可能だった。セラフィーネは魔術阻害の結界を自分の周囲に展開しており、転移魔術は使えない。
走って外に逃げ出したところで、ゴーレムに捕捉されて蜂の巣にされるのはオチだ。
では、このまま殺されるのを待っていろと言うのか?
「逃げたいですか?」
そんな“狂宴のオンディーヌ”に声をかけるものがいた。
フォーラントだ。彼女が背後に回り込んで狂宴のオンディーヌに話しかけてきた。
フォーラントの言葉に“狂宴のオンディーヌ”が頷く。それはもう必死に。
「いいでしょう。逃がしてあげますよ。ほら、ここに飛び込んで」
フォーラントはセラフィーネの魔術阻害結界が張られている中で、黒い空間を開いた。“狂宴のオンディーヌ”は死の恐怖のあまりによく確認せずにそこに飛び込んでしまった。そして、そのことに気づいたセラフィーネが振り返る。
「あの魔族はどうした?」
「逃げたいというので逃がしてあげましたよ。私、優しいでしょう?」
セラフィーネが尋ねるのにフォーラントがにやにやしながら告げた。
「何をしたんだ?」
「だから、逃がしてあげたんですよ。なーんにもない空間に。幸いにして死ぬことはないですよ。真っ暗で何もない空間をひたすらに逃げ回らなきゃいけないだけです」
フォーラントは確かに“狂宴のオンディーヌ”を逃がした。だが、逃げる先までは指定されていなかったので、彼女が好きなような場所に逃がしたわけである。
「相変わらず貴様は悪質だな」
「それほどでも」
セラフィーネがため息混じりに告げるのに、フォーラントが微笑む。
「とにかく得たいもの得たし、ヴァールハーフェンは制圧した。帰るぞ」
「あいあい。帰還いたしましょう」
セラフィーネは手に入れた魔導書を握ってニイッと笑うと銀行の地下金庫室から出ていった。フォーラントも一通り地下金庫室を見渡すとその後に続いたのだった。
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艦隊がノートベルクに帰還したとき、そこには魔族の死体の山が積み重なっていた。
自動小銃で頭部を撃ち抜かれた死体。機関銃で薙ぎ払われた死体。迫撃砲で吹き飛ばされた死体。無反動砲で爆発四散した死体。
「随分と派手にやったようだな」
セラフィーネが呆れたようにそう告げる。
「おお。おかえりー」
艦隊が揚陸艦を沖に残して埠頭に入ると、マルグリットが暢気に出迎えた。
「大攻勢があったようだが、大丈夫だったのか?」
「なんとかねー。しっちゃかめっちゃかだったけれど、とりあえず魔族は撃退したよ」
城壁からは未だに銃声が響いている。それから歓声も聞こえる。
「何を撃っている?」
「魔族の死体。こっちも犠牲がゼロだったわけじゃないから。みんなこれまでの恨みつらみもたまっていたし、これぐらいは許してあげなよ」
セラフィーネが怪訝そうに尋ねるのに、マルグリットが肩をすくめた。
「仕方ない。許してやる。今はな」
セラフィーネはため息混じりにそう告げた。
「それから人間を何百人か救助したぞ。やはり連中、海上兵站線に頼っていたようだ。船を作らせていた。船を作らせていたということは連中は今、海上兵站線を維持できるだけの船舶を有していないことになる。海賊行為が実ったな」
「おおー。やりましたなー。私はセラフィーネさんがやってくれると信じていましたよ。これで勝ったも同然ですな!」
「戯け。海上兵站線を潰した程度で倒れてくれる相手ならば苦労はせんだろうが。陸地を地道に移動する手もある。まあ、ここで20万の損害を出した上に、海上兵站線という機動性の高い輸送網も失っては次の攻撃がいつになるかは分からんがな」
セラフィーネの予想したように魔王軍は大損害を出して動けない状況にあった。南部で出した35万の損害の穴埋めもできないままに北部で20万を失った魔王軍は、今や攻勢をかけられるような状況ではない。
だが、魔王軍も何もしないということはないだろう。
「しかし、今回のように魔術を使って奇襲してくる可能性もある。油断はするな。民兵たちの士気を維持し、これからもこのノートベルクを中心に北部解放を目指すぞ」
「おー! ってわけで、士気を上げるためにこれから宴会しない?」
「あれだけグロテスクな死体の山を見て食欲がわく人間がいるのか?」
「ここにひとり」
セラフィーネの問いにマルグリットがちょいっと手を上げる。
「分かった。では、宴会だ。ちょうどいいものを手に入れた。使ってやろう」
セラフィーネはそう告げると折り畳み式警棒を伸ばし、宙を突いた。
それと同時にあの銀行の地下金庫室にあった財宝やワインがどっさりと埠頭に流れ込んだ。目もくらむような金銀財宝に宝石、そしてヴィンテージのワイン。
「どしたの、これ? 銀行でも襲った?」
「無人の銀行を襲うも何もないだろう。魔王軍がため込んでいた財宝だ。我々が使ってやらねばせっかくの財宝ももったいなかろう?」
マルグリットが目を丸くするのに、セラフィーネがそう告げて返した。
「流石はセラフィーネの姉御! 話が分かる! これで食い物を買い付けれるし、今日は民兵たちのためにもド派手に宴会だー!」
マルグリットはそう告げて城に向かったのだった。
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「つまりローラは南で35万殺し、アベルは敵の造兵廠を押さえたというわけか」
宴会の席。
そこでセラフィーネはフォーラントから話を聞いていた。
「そうです、そうです。ふたりとも大活躍ですよ。いったい誰が世界最強の勇者になるのか、なかなか分からなくなってきましたよね」
フォーラントはヴィンテージのワインをくるくるを回しながらそう告げた。
「フン。世界最強の勇者は結局、魔王を倒した人間だろう。そして、その魔王は貴様の知り合いだ。違うか?」
「さて、どうでしょうね。それでしたらアベルに分がありますよ。彼はひたすら東部に向けて前進してますから。既にノルニルスタン王国からヴェルンドリア王国という橋頭保も手に入れてますし。少し厄介では?」
フォーラントは魔王が自分の知り合いなのかどうかについてははぐらかした。
「大悪魔め。何を企んでいる。新しい貴様らのゲームか?」
「友人をゲームの駒にしたりはしませんよ。少なくとも私はですね。私はこう見えても友達思いなのですよ?」
「大切に使い潰すというというわけか」
「酷い言われようですね。あんまり苛めると泣きますよ?」
「勝手に泣いてろ」
フォーラントが泣き真似をするのにセラフィーネが吐き捨てた。
「いえーい! セラフィーネさん、飲んでるー?」
セラフィーネとフォーラントがそんなやり取りをしていたとき、マルグリットが乱入してきた。既に酔いが回っているのが赤ら顔をしている。それを見てセラフィーネが心底嫌そうな顔した。彼女は酔っ払いが嫌いなのだ。
「貴様はほどほどにしておけよ。明日も仕事だぞ。食料の買い付けだ」
「了解、了解。お任せあれ」
マルグリットは鼻歌混じりにセラフィーネの隣に座る。
「セラフィーネさんはどうしてうちの国を助けてくれようと思ったの?」
「気になるのか?」
「まあ、それはね?」
セラフィーネは街道でこのノートベルクの住民に襲われてから、自然とこの北部都市同盟を救おうとしていた。その理由がマルグリットには謎だった。
マルグリットは一応報酬を約束しているが、今日の魔術を見れば、セラフィーネがいくらでも財宝を手に入れられるのは明白だ。彼女が北部都市同盟を救援する理由は薄い。
「気まぐれだ。たまたま北部に行くと決めて、北部に向かったからそうなった。それだけの話だ。他に何か意味深な理由でも期待していたか?」
「それじゃ、セラフィーネさんは気まぐれで私たちを見捨てるということもあるの?」
「当然だ。私の利益に反すれば見捨てる。そういうものだ」
マルグリットが告げるのにセラフィーネがそう返した。
「うわーん! いかないで、セラフィーネさーん! セラフィーネさんが行ってしまったら私たちはお終いだよー!」
「ならば、多少は敬意を払え! こら、抱き付くな!」
そして、夜は更けていき、北部都市同盟の勝利を祝う声は続いた。
「さてさて。これからどうなるでしょうね?」
フォーラントはそう告げると、すっと姿を消したのだった。
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