取り残されたキャンプ
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──取り残されたキャンプ
アベルは熱い男だ。
これと決めたら徹底する。
そして、今回は弱い者苛めをする魔王軍から弱っちい連中──人間たちを助けてやるために頑張ると決めた。決めたからにはそのためにひたすら突き進むだけである。
アベルは魔術が使えぬ。脳筋であるが故に
故にどうも変な様子がある国王からもらった軍資金も肩に抱えて進んでいる。重さはかなりのものなのだが、アベルにとっては空気のようなものだ。この男、筋力と体力には絶大な自信があるのだ。そして、その自信は空虚なものではない。
「むっ」
そこでアベルは音を耳にした。
音そのものはずっと聞こえてきている。アベルの耳は獣のように鋭敏なので、10キロ離れた人間のひそひそ話だって聞き取ることが出来る。
だが、今回のひそひそ話などではない。鳥の鳴き声でもない。金属と金属とが交わる金属音と怒号だ。それは戦いの音だ。
それと同時にアベルの鼻に血の臭いが漂って来る。ほんの僅かなものだが、アベルの嗅覚には鋭敏に捉えられた。血の臭いは人間のものと、先ほど戦った魔族とかいう連中のものだ。血の臭いは人間の方が濃い。つまりそれだけ血を流しているということ。
「これは助けてやらねえとな!」
アベルはそう叫ぶと血の臭いのする方に向けて突進していった。
アベルの脚力は暴力的なまでに強い。彼が全力疾走するならばF1カーすらロバの歩みに見えるほどに加速することができる。そして、その加速中にぶつかるもの全てがアベルの突進を前にして弾き飛ばされる。暴走特急だ。
アベルは加速に加速を続け、血の臭いのする源にたどり着いた。
「ひゃっはー! 人間は虐殺だー!」
「首をねじ切ってボールにしてやるぜー!」
そこにあったのは村としか呼べない集落だった。
もっとしっかりと見るならばそれが難民キャンプのようだと分かっただろう。しっかりとした造りの建物はひとつとしてなく、どれもが吹けば飛びそうなテントなのだから。ここにUNHCRのロゴの入ったテントでもあれば、なおさら難民キャンプだということが明らかになっていただろう。
だが、アベルにとってはそんなことはどうでもよかった。
目の前で戦っている人間はもう50歳ほどのなる老兵たちだ。満足な装備もなく、傷だらけの体で戦っている。そして、その背後で身をすくめているのは女子供たちだ。
ならば、アベルのやるべきことは決まっている。
「てめー! 俺の目の前で弱い者苛めとはいい度胸だ! 死ねっ!」
アベルは1000万マルクの詰まった箱で魔族の頭を殴りつけた。
べコリという音が響いて、魔族の頭が体にめり込み、魔族の口から血が吐き出される。魔族は何が起きたのかも分からずにこの世を去ることになった。
「な、なんだ、お前! 人間か!」
「俺か? 俺は世界最強の勇者だ! 名をアベル・アルリムという!」
アベルは熱い男である。名を尋ねられたら暑苦しく答える。
「な、何が勇者だ! ふざけやがって! ぶっ殺してやれ!」
イノシシ頭の魔族が指示を出すのに魔族たちがアベルに武器を向ける。
長剣、槍、弓。
「貴様ら、しょぼいな」
アベルはそう告げると1000万マルクの宝箱を置いて、拳を鳴らした。
「そんな武器でどうこうしようってのは欠伸が出るほど生温いぜ。そんなもので俺が殺せると思っているのか? 思ってるならやってみろ!」
そうアベルが咆哮するのに魔族たちが震え上がる。
「こけおどしだ! 弓兵、撃て!」
イノシシ頭の魔族の指揮で弓兵たちがアベルに向けて矢を放つ。
それは確かにアベルに命中した。だが、何の効果ももたらさなかった。
弾かれたのだ。アベルの強靭な筋肉と皮膚を前に。
「温い、温い、温い! 冷めちまったピザのように温い!」
アベルはそう告げると槍を剣を構える魔族の隊列に突撃した。
「構えろ! 串刺しにしてやれ!」
イノシシ頭の魔族の言葉で魔族たちが一斉に槍を突き出す。
「温いんだよっ!」
しかしながら、どの槍もアベルを貫くことはなかった。アベルの筋肉と皮膚はあらゆる攻撃を弾き返し、無理に突き出された槍はへし折れて、無残な姿になった。
「行くぜ。レッツロール!」
アベルは隊列の中に飛び込むと、思いっきり右足を振り上げて回し蹴りを周囲の魔族に叩き込む。魔族の頭蓋骨が、首の骨が、肋骨が、あらゆる骨がへし折れて、潰れ、砕け、周囲は一瞬で死屍累々の地獄絵図となり果てる。
アベルはそれでも攻撃を止めない。
アベルの回し蹴りで倒れた魔族を踏みつぶし、その勢いで別の魔族に右手で拳を叩き込む。そして、凄まじい勢いで吹っ飛んだ魔族が別の魔族たちを巻き込み、10トントラックが全速力で衝突する勢いを1000倍にした威力で魔族たちを吹っ飛ばして、近くに会った岩石に衝突させる。岩石は粉々に砕け、魔族の体も粉々に砕ける。
「残りの連中」
アベルの体がゆらりと動き、その鋭い眼光が生き残りの魔族たちに向けられる。
「ひ、怯むな! 敵はたったのひとりだ! やってしまえ!」
残り3、4名になった魔族たちを率いて、イノシシ頭の魔族が叫ぶ。
「反撃だ!」
「やり返せ!」
だが、敵はアベルだけではない。
先ほどまで防戦一方だった人間たちが反撃に転じ、槍で魔族の体を突き刺し、剣で魔族の頭を叩き割る。一部の攻撃は魔族の纏っている鎧によって防がれたが、奇襲の効果はあった。魔族たちは人間たちの逆襲に慌てふためき隊列を崩す。
「貴様が指揮官だな。覚悟してもらうぞ」
そして、魔族の隊列が乱れて反撃される中、アベルがイノシシ頭の魔族の前に立った。拳を鳴らし、彼の殺意に満ちた瞳がその魔族に向けられる。
「ま、待て! 見逃して──」
「ここまで好き放題にやって許すわけがねーだろーが!」
イノシシ頭の魔族が叫ぶのにアベルの拳が顔面に叩き込まれた。
衝撃で顔面の骨が内部にめり込み、脳がシェイクされ、イノシシ頭の魔族が吹き飛ぶ。そして彼は頭から地面に落ちると、首の骨が折れ、そのまま死に向かって落ちていった。流石の魔族でも脳みそシェイクに耐えられるのはカクエン級の魔族だけだ。
「勝った! 勝ったぞ!」
その頃、この難民キャンプを守っていた老兵たちが歓声を上げていた。
彼らは不意打ちで隊列が乱れ、指揮官であるイノシシ頭の魔族が死んだことで衝撃を受けた魔族たちを殲滅し、勝利を祝っていた。
だが、よく見れば負傷者が多い。体中に裂傷を負った老兵たちは息も絶え絶えという雰囲気で武器を掲げていた。
「老兵は死なず。ただ戦うのみだな」
アベルはそう告げながら、老兵たちの下に向かう。
「よう! 弱っちい連中! 今にも死にそうだったな!」
「あ、あなたは……?」
にこやかにアベルが告げるのに、難民キャンプの住民たちが引き気味に応じる。
「俺はアベル・アルリム! 世界最強の勇者だ!」
「勇者……?」
アベルが告げるのに難民キャンプの老兵たちが顔を見合わせる。
「勇者と言うとあの勇者ですか? 魔王を倒す?」
「勇者って他に何かすんのか?」
アベルは実際のところ勇者というものをよく分かってない。
弱い者苛めしている連中をぶっ倒す。今のところそういう認識である。
それ以外の認識はない。勇者がそれ以外に何をするべきなのか知らない。
これが書物で英雄の話を知るセラフィーネや(ゲームで)何回も世界を救ってきたローラだったならば、また違った反応もしただろうが。
「それよりはまずは礼を言わなければなりません。私はこのスノッリ難民キャンプの衛兵隊長であるフランツ・フリースナーです。先ほどの戦いはご助力いただき感謝します。あなた様の助力がなければ我々はここで全滅していたでしょう」
「だろうな。そんな年寄りだらけの軍隊じゃあ、どうしようもない」
フランツと名乗る男がそう告げるのに、アベルは肩をすくめた。
「こんな年寄りだらけなのは何か理由でもあるのか?」
「……若者は死んだのです。戦いで真っ先に死ぬのは若者たちだ」
「あー……。そういう事情か。まあ、貴様らって盛大な負け戦を戦ってるもんな」
アベルは事情を察したと言うように、フランツが静かに頷いた。
「で、貴様らはオーケストラじゃなくてオーディヌス王国にはいかねーの? あっちの方も火の車だろうけれど、ここよりましな防備は揃ってるぞ。こんな森の中でテント張ってるよりまともな暮らしができると思うぞ」
「我々はオーディヌス王国の臣民ではない」
「へえ。というと?」
アベルがフランツの言葉に首を傾げる。
「我々はノルニルスタン王国の民なのです。オーディヌス王国とはこれまで何度も国境線を巡って争ってきた。それを今になって助けてくれなどと言っても受け入れてはもらえないでしょう。我々はこの狭い土地で争ってきた。魔王軍が訪れるその日まで」
「国境線、ねえ」
アベルにはどうして人々が国境線にこだわるのかが分からない。
強い奴がそこを占領しても弱い連中にそれを分け与えるのは当然だと思っていたからだ。彼はこの3000年、いくつもの国境紛争を見てきたが、ほとんどはそういう解決方法でどうにかなるものだと思っていた。アベルはある意味では人間の罪として数えられるほどの欲深さというものを知らない無垢なものなのだ。
「じゃあ、どうするんだ? また魔王軍の連中は来るぞ。東に陣取ってるし、そこらここらが連中の支配地域だからな。その時、俺がいるとは限らない。今度は魔族とかいう屑どもに皆殺しにされるかもしれないぞ?」
アベルはフランツにそう尋ねた。
「我々がこのような生活を強いられているのは今日に始まったことではありません。今日は危機的な状況にありましたが、これまでは耐え忍んできたんです」
「どうやってだ?」
アベルは興味があった。
この年老いて弱っちい連中がどうやってこれまで無事でいられたのか。
アベルは強者の臭いを感じ取っていた。きっと自分のような強い奴がこの弱っちい連中を守っていたに違いないと。そして、その強い奴はきっと面白い奴だと。
「王女です。ハイデマリー王女が今まで我々を守っていてくれたのです」
「ふうむ」
アベルは性差別はしない男だ。実際にセラフィーネやローラのようなとても強い女性と戦ってきたのだから、女だから弱いという発想はしない。女でもおっかないほどに強い奴はいる。そういう考えの持ち主であった。
「で、そのハイデマリー王女はどこにいるんだ? 死んだのか?」
「死んだなど。今、ノルニルスタン王国の臣民を魔族の手から解放するために街に向かわれたのです。我々だけでは兵士は年老い、女子供は戦力にならず、この難民キャンプを支えていくことは不可能ですから」
「なるほど」
つまり、ハイデマリー王女は若者を解放しにいったわけだ。
「でも、まだ帰ってこないのか? 一度会ってみたいんだけどな」
「今日は帰りが特に遅いです。それだけ大勢の若者を救出できたのか、それとも魔族の中でも強敵に出くわしたのか。カクエンという魔王軍十三将軍がこの土地で暴れていると聞きます。カクエンに滅ぼされた騎士団は数知れず。あの恐ろしい存在が──」
「そのカクエンっていうの死んだぞ。俺がぶっ殺した」
アベルがあっさりと告げたのにフランツの顎が外れんばかりに下がった。
「正確に言うと彼は死んでいませんよ」
そんなアベルとフランツの間にひとりの女性が舞い降りてきた。
「フォーラント。貴様はこっちを選んだのか?」
「そうですね。一先ずはこちらに同行してみようかと」
アベルが怪訝そうに尋ねるのに、フォーラントがそう返した。
「で、正確には死んでないってどういうことだ? 俺がぶっ飛ばして、叩きのめして、ローラの屍食鬼どもが食っちまっただろう?」
「それでも彼の魂は地上に縛り付けられ、今もなお飢えと痛みを感じ続けているのです。絶対に解放されることのない飢えと痛みで発狂したいでしょうが、彼には発狂する権利すら与えられていないのです。そういう望みはなかったですからね」
「相変わらず悪質だな、貴様」
フォーラントがにこやかに告げるのにアベルが眉を歪めた。
「カクエンを倒されたのですか……?」
「ええ、ええ。それどころか、彼は今地獄の苦しみを受けていますよ。これこそが自業自得というやつでしょうね」
フランツが恐る恐る尋ねるのにフォーラントがそう返した。
フランツの本能が告げている。
この女と話すのは危険だと。そして、何よりこの女と約束をしてはならないのだと。
それは身の破滅をもたらすだろうと。
「あなた方も私に何か望みがあれば叶えて差し上げますよ?」
「…………」
この手のものと会話してはならない。言葉のひとつが命取りとなる。
「おやおや。随分と寡黙な人々なのですね。私も傷ついてしまいますよ」
フォーラントは傷ついたというように胸を押さえて天を仰ぐ。
「貴様のいつもの行動が悪いんだよ。普段の行いが悪いから信用なくすんだ」
「失敬な。私はいつだって誠実な大悪魔ですよ?」
その危険な女と対等に会話しているアベルにフランツは畏敬の眼差しを送る。
「それで、ハイデマリー王女ってのはどこにいるんだ? 会ってみたい。死んでるなら死んでるとして貴様らの引き取り先を探さなければならないしな。生きているなら生きているで一回話をしておいてみたいしな」
アベルはそう告げて何事もなかったかのように尋ねる。
「ハイデマリー王女は今日は北の方に向かわれた。そこのノルニルスタン王国の生き残りがいるかもしれないのだ」
「北か。セラフィーネの奴と出くわさないといいけれどな。とりあえず探してくる」
「ま、待ってください。ここに地図がある。殿下はどこに向かわれるかを指し示していかれた。地図のこの地点だ。分かるだろうか?」
「ふんふん。大体分かった。安心しろ。俺は人探しが得意なんだ」
アベルはそう告げると北に向けて突っ走ていった。
「皆さん。よくできました」
そして、残ったフォーラントが告げる。
「私と会話しないのは成功ですよ。今のところは。ですが、いずれ私と会話しなければならない時があるでしょう。その時は“言葉”には重々気を付けて。私は夢を叶えますが、決して善意からではないのです」
フォーラントはそう告げるとぬらりと空間の間に消えた。
「た、助かったのですか、准将閣下?」
「分からん。アーデルハイド王女が無事だといいのだが……」
フランツと部下はそう告げ合うと難民キャンプの警護に戻った。
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本日4回目の更新です。