洗脳魔術とゴーレムの関係
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──洗脳魔術とゴーレムの関係
セラフィーネ、マルグリット、フォーラントの3名は盟主の執務室に入った。
「マルグリット。単刀直入に聞くが、住民に武器を持たせても大丈夫か?」
そこでセラフィーネの発した問いは予想外のものであった。
「それってどういう意味?」
「住民に私のゴーレムが使っているような銃火器を持たせても反乱や治安悪化の可能性はないかと聞いている。その点はどうなのだ?」
「とは言われてもねえ。やってみないことには分からないって点もあると言うか。ここ住民って商売柄、喧嘩っ早いところもあるし。ちゃんとした規律を叩き込めばどうにかなるかもしれないけれど、そうでなければ私闘にその武器を持ち出すかもね」
セラフィーネの問いにマルグリットは歯切れ悪くそう返した。
「武器庫を作成して、責任者に鍵を持たせる。引き金の規律を叩き込む。一応改善できそうなところではあるな。暫くは民兵づくりに励むとするか。それと並行して滑走路の作成だ。重機を持ち込んで戦略級ドローンが使用可能な状況を作る」
セラフィーネは同時に複数の物事を進行させることが得意だ。
アベルはひとつ決めたら一直線だし、ローラは面倒くさいのでひとつずつ潰す。
だが、セラフィーネは他の2名と違って並行作業ができる。
彼女の回転の速い頭脳と勤勉な性格のためだろう。
「でも、住民を武装させる必要なんてあるの? セラフィーネさんのゴーレムだけで十分なんじゃない? あの規律正しい軍隊がいれば、別に住民を武装させる必要なんてなくない? それとも何か落とし穴でも……?」
「落とし穴だ。あれは私がプログラムした魔術で動いている。万が一、その魔術を上書きされるか、書き換えられるかすれば、頼もしい味方が一瞬で敵になる。もっとも、それなり以上の防壁はしているがな。だが、可能な限り、私の留守中は住民で警備を行わせるのが望ましい。世の中とは何が起きるか分からないものだからな」
無人兵器の欠点は敵に乗っ取られるリスクが常にあるということだった。
初歩的なドローンから高度な無人戦闘機に至るまで、乗っ取りのリスクは皆無ではない。それが完全な電子機器の塊であろうとも、あるいは魔術による産物であろうとも、人間と違って忠誠心など存在しない無人兵器は、信号次第でどちらにでも銃口を向ける。だからこそ、各国の軍隊は軍隊の完全な無人化には踏み切れないのだ。
セラフィーネのゴーレムもまた同じこと。
セラフィーネの施した電子的、魔術的防壁を突破できる人間は限られるだろうが、リスクは最小限にしておきたい。そのためには住民に武装を施すのがもっとも手早いのだ。住民たちならば洗脳でもされない限り、味方に銃口は向けない。
「そういえば、アベルのところもそれで苦労してましたよ。幻覚剤と洗脳魔術の組み合わせで、国ひとつ乗っ取っている魔族がいましたから。相手の魔術も侮れませんよ。人間たちはダメダメですけれど、魔族の方はそれなりに進んだ魔術があるようです」
「それは面倒だな。住民まで操られる可能性があるわけだ。幻覚剤はNBC装備で対応するとしても、洗脳魔術が面倒だ。私のゴーレムすら乗っ取られる可能性があるわけだからな。防壁の強化を行わないといかんな。艦艇の霊的存在についても防壁を」
言っておくが魔術に対する素養のないアベルにすら簡単に振り払われてしまった“幻惑のグスマン”程度の洗脳魔術では、セラフィーネのゴーレムは乗っ取ることは不可能である。抵抗された上に、ゴーレムに施された防壁によって脳みそをレンジでチンしたように焼き切られるだろう。
だが、だからと言って魔王軍に“幻惑のグスマン”を上回る洗脳魔術の使い手がいないという確証はないのだ。そこに可能性がある限り、それは起こると想定するのが、安全保障の基本だ。安全保障は生き物であり、どう変化するかは想定できないのだ。
「そんなにやべーの?」
「精神汚染系の魔術は数ある魔術の中でも一番厄介だ。物理的攻撃ならば大抵の場合は同じ物理的手段で阻止できるが、精神汚染は汚染されたという事実すら把握できないかもしれない。そして、精神汚染を除染するにはナノマシンを頭に叩き込むか、同じような精神操作系の魔術を使用するしかない」
「うわー。よく分からないけど、やべー」
マルグリットは全く分かっていない。
精神操作系、精神汚染系の魔術は戦場にそれが登場してからというもの脅威であり続けた。狂気に狂った兵士が味方を殺し、狂戦士と化した兵士たちが銃剣を構えて敵に突撃していき、狂ったように敵を刺突する。
1948年から始まった第三次世界大戦においては枢軸、連合の双方が大規模な精神汚染系の魔術を使用し、発狂した兵士を何百万人も生み出した。その戦争の文字通りの狂気に恐怖した両陣営の指導者たちは、第四次ストックホルム魔術協定において、戦場における精神汚染系の魔術の全面的な使用禁止を決定したほどだ。
それでも精神汚染系の魔術の研究は続けられている。使用が禁止されただけで、研究や所有が禁止されたわけではないのだ。
来たるべき次の戦争に備えて、各国は精神汚染系の魔術の研究を行っている。相手が精神汚染系の魔術を使用したときに対抗手段を取るためという名目で。事実、そういう研究をしておかなければ『国際条約なんて知ったことじゃねーぜ! ひゃっはー!』っていうテロリストが使用した場合に対処できなくなる。
それにあの世界には無自覚に魅了の魔術を使って視聴者に金やゲームを貢がせる真祖吸血鬼などがいるのだ。困ったことに。
「けど、あのゴーレムってセラフィーネさんが動かしているんでしょ? 大丈夫なんじゃないの? ゴーレムは人間みたいに幻覚見たりしないでしょうし?」
「いいや。ある意味ではゴーレムの方が幻覚や洗脳には弱いと言えるだろう。あれを動かしている魔術AIはそこまで高度な代物ではないからな。センサーが騙され、状況処理に割り込まれたら人間より容易く、引き金を味方に向けて引くぞ」
「なにそれ。こわ……」
「だから、言っただろう。幻覚や洗脳の類の魔術は面倒だと」
セラフィーネのゴーレムたちを動かしているのは、軍用としては強固な魔術AIだ。艦艇を動かす霊的存在ほど高度な処理能力はないが、一定の戦術に基づく行動が行える。センサーに基づく情報により状況を観察し、これまでの大量に蓄積されたデータからその環境に適応し、その上で取るべき行動を決定し、それを実行し、また状況の理解に戻る。
いわゆるOODAループ。その簡素な思考原理でセラフィーネのゴーレムは動いている。
もし、ここでセンサーによる観察の段階で欺瞞情報が与えられたり、データに偽のデータが紛れ込まされたり、行動の決定に割り込まれたりすれば、実行される行動は破綻したものとなる。そういう弱点をセラフィーネのゴーレムは抱えているのだ。
「私の防壁がそう簡単に破られるとは思っていないが、この世界の魔術はまだ未知のものがある。フォーラント、その洗脳魔術使いはアベルを騙しきったのか?」
「まさか。人狼を騙すことほど大変なことはないということはあなたがご存じでしょう。彼はすぐに反撃しましたよ。人狼の強靭な精神力と優れた五感を騙しきることなど、とてもではないが不可能な話というものですよ」
「奴の精神力が魔術で再現できればな。私のゴーレムも安全だと言えるのだが。やはり、一度奴の頭を開いてみないことには分からんな」
フォーラントがクスクス笑いで告げるのに、フォーラントが顎に手を置いた。
「あの、お聞きしたいのですけれどいいですか?」
「なんだ?」
「アベルって誰? 人狼ってどういうこと?」
マルグリットは基本的なことである勇者が4名召喚されていて、それが人狼、魔女、吸血鬼、大悪魔であることを知らない。
「人狼は人狼だ。アベルはその人狼の原初だ」
「人狼は人狼だと申されても。どんな感じの人なの?」
「こんな感じの奴だ」
セラフィーネはスマートフォンを取り出すと、3Dホログラフィーを表示した。
そこに映されたのは狼の頭部を持ち、全身が体毛で覆われ、鋭い爪と牙を有する人外の姿であった。これはアベルの誕生日に撮影した写真だ。背後に場違いなほどに暢気なビールを握った人々とバースデーケーキが映り込んでいる。
「なにこれ。こわ……」
初めて人狼を見るマルグリットはドン引きである。
「これでも人狼の中では話が通じる部類だぞ。他の連中は完全な脳筋だからな。軍人にしても考えが足りぬし、格闘家にしてはやりすぎる。その点、アベルという男は融通が利く。手加減ができるし、思考もそれなりに柔軟だ」
「ほうほう。ということは、セラフィーネさんとアベルさんはそれなりに親密なご関係であったりしますか?」
マルグリットが何気なく告げた一言がセラフィーネの機嫌を害した。
「あの男と私が親密な関係だと? 馬鹿も休み休み、いや永眠してからいうことだな」
「ちょ、ちょっと! 永眠ってジョークですよね! 洒落になってないんですけど!」
突如として現れたゴーレムたちに囲まれて、マルグリットが悲鳴を上げた。
「私とあの男のある関係はライバルという関係だけだ。互いに世界最強の座をかけて、争い合っているライバル関係だ。それ以上のものではない。下手な勘違いをするならば、蜂の巣になることを覚悟しろ。いいな?」
「よく分かりました!」
セラフィーネがジト目でマルグリットを睨むのに、マルグリットがそう叫んだ。
「では、民兵の組織だ。私のゴーレムが撹乱されれば、そちらに打つ手はない。あれは口径120ミリの装弾筒付翼安定徹甲弾にも耐えるからな。この都市の住民に対精神汚染魔術の付与されたNBC装備を供給する方が無難だろう」
「あいあい。人員はこちらで準備しますね。でも、この都市のどこで訓練するんです? 空地なんて沿岸部のセラフィーネさんが更地にしたところぐらいしかないですよ」
セラフィーネのゴーレムは強固だ。あまりに強固すぎる。現代兵器としては最大の貫通力を有する口径120ミリの戦車砲から放たれる装弾筒付翼安定徹甲弾にすら耐えるのだ。それを人間の力でどうこうしようと、どうにもできるはずがない。
となると、セラフィーネのゴーレムはバックアップとして待機し、武装した住民による都市の防衛という選択肢が自然と上がってくる。
だが、問題はその住民の訓練をどこで行うかであった。
「都市の外に模型を準備する。1/1のな。それを使って訓練を行う。貴様が心配する必要はない。今の我々は“深海のブリッグズ”を討伐して、確実に勢いに乗っている。後はこの勢いのまま、どこまで進めるかだ」
セラフィーネはそう告げて地図を見下ろした。
彼女の頭にはどこに演習場を配置するかの算段は付いている。彼女の思考力は、天然の人外であるアベルやローラに対抗できるだけになっており、それなり以上の速度があるのだ。そして、天然の人外であるアベルやローラが偏った思考力をしているのに対して、セラフィーネのそれは“比較的”均等なものである。
「可能ならば、都市をもうひとつふたつ落としたいところだ」
「それはいいね。他の都市には魔導書とか眠ってるそうだし」
マルグリットが何気なくそう告げたのにセラフィーネが顔色を変えた。
「魔導書が眠っていると言ったのか? この世界の魔術を示すものが?」
「え? あ? うん。そうですけど。何か不味かったです?」
セラフィーネが問い詰めるのに、マルグリットが動揺しながらそう返す。
「不味いことなどあるものか! 魔導書とは人類の知恵の結集だぞ! 天候を操り、悪魔を従え、軍団規模のゴーレムを戦わせるのにおいて何冊もの魔導書が必要になると思っているのだっ!? まして、この世界の未知の魔術が記された魔導書にどれほどの価値があるが! 貴様にはそんな簡単なことすら理解することができんのか!」
「あ、いや、ごめんなさい……」
何かよく分からないまま凄く怒られて反省した態度を見せざるを得ないマルグリットであった。自分は何故ここまで怒られなければならないのだろうかと疑問だった。
「まあまあ、セラフィーネ。この世界の住民は魔術との関りが希薄のようですし」
「そうかもしれない。そうかもしれないが、これほどの無駄をしているとは。猫に小判、豚に真珠とはまさしく貴様らのことだ。貴様らに魔導書など100年早いわ」
フォーラントが宥めるのにセラフィーネが告げる。
セラフィーネは依然としてアーデルハイド王女が使用した多元宇宙を跨ぐ空間転移魔術について興味を抱いていた。興味と言うとより知識欲を丸出しにしていると言った方が正しいのかもしれない。それほどまでに知識を求めていた。
それがどこかの無人の──あるいは魔族に支配された──都市に眠っているというのは、セラフィーネにとって我慢ならないことである。
魔女の力はその知識の量に比例する。より多くの知識を得ている魔女はそれだけ強力なのだ。3000年前から生き、貪欲に知識を吸収してきたセラフィーネが世界最強の魔女であることはそのことを顕著に示している。
アベルがその天性の感覚によって自らの肉体の使い方を理解しているように、ローラがこれまで食らってきた真祖吸血鬼から得た戦い方を理解しているように、セラフィーネもまたその魔女として、“悪魔食い”として、蓄えた魔力の使い方を理解しておかねばならない。そうしなければ他のふたりに負ける。
「魔導書も一刻も早く手に入れたいが、今はこの都市を守ることだ。盟主という地位を得たからにはそれなりの庇護を住民には与えなければな。演習地の準備が出来次第、民兵の訓練を始める。それと並行して滑走路の整備だ」
「流石はセラフィーネさん! 頼りになるー! で、私のすることは?」
マルグリットがセラフィーネをよいしょしながらそう尋ねる。
「民兵の志願者──いや、適正者を徴募しておけ。16歳以上の健康な男子。それを根こそぎ動員しろ。文句は言わせるな。人類の存亡がかかっているのだからな」
「了解。反対が出ないといいんだけどねえ」
「反対するようなら私が叩きのめしてやる」
「何としても徴募を成功させます、マム」
セラフィーネの不機嫌な一言でマルグリットがしゃんと背を伸ばした。
人類と魔王軍との戦いは新しい段階に進みつつある。
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