対抗手段は
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──対抗手段は
無事にフロスティガルツに食料が搬送された。
少なくともこれで今年の冬は越せる。そのことに臣民たちは安堵していた。
しかし、安堵できない問題も山積していた。
「つまり、魔族1体を倒すのにこっちは10人必要ってわけか」
アベルは渋い表情でハイデマリー王女の示した数字を聞いていた。
「そうなる。魔族と人間で戦闘への適性が異なるのだ」
ハイデマリー王女も渋い表情でそう告げる。
彼らが話しているのは人間と魔族の戦力差である。
アベルとハイデマリー王女にとっては脆弱な目標である一般魔族でも、普通の人間が戦うには1体につき10名の人間の兵士が必要になるというのがセオリーであった。
つまり数が同量であったとしても戦力差は10倍だ。
まして、今のように魔王軍に追い詰められ、兵士が僅かに数百名しかいない状況では、魔王軍と対抗しようなど夢もまた夢の話であった。
だが、対抗しなければ食われるだけだ。どうにかして魔族に対抗しなければならない。それが成せなければゲームオーバーだ。
無論、アベルとハイデマリー王女がふたりで暴れるというのも手だろう。アベルに勝てる生命体などいるかどうかも分からないし、ハイデマリー王女も“悪魔食い”としてそれなり以上の力を有している。
だが、ふたりだけでは心もとないのも事実だった。
彼らには守らなければならない臣民たちがいて、彼らを守るために戦力が必要になるのだ。アベルとハイデマリー王女がともに出撃してしまえば、彼らを守るものはいなくなる。それは魔族にとっていい餌だろう。
そして、ハイデマリー王女とアベルの間にも歴然とした戦力差が存在している。アベルは魔族が3万、4万、いや10万、20万で攻めてこようとも蹴散らせるが、ハイデマリー王女にそれは不可能だ。彼女が応戦できるのは1万程度が限界。それ以上となると危険だ。
「戦力差はなんとかして埋めないとなー。何かいいアイデアあるか?」
「それがあれば苦労はしなかったのだが……」
「まあ、そうだよなー」
戦力差を埋める手段がなかったからこそ、人類はここまで追い詰められているのだ。
「あるじゃないですか。簡単な方法が」
そこで声を上げたのはフォーラントだった。
「なんだよ」
「王女様にもっと悪魔を食べさせればいいんですよ。もうそこまでの“悪魔食い”になっているならば、そこら辺の悪魔程度、簡単にもぐもぐできるはずですよ。わお、すっごく簡単。今日からあなたも不死身の戦士」
アベルが尋ねるのに、フォーラントがそう返した。
「確かに楽勝だな! でも、悪魔はどうやって呼ぶんだ?」
「私が召喚して差し上げますよ。小悪魔程度なら適当に呼べますから」
「なら、早速やろうぜ!」
そう告げてアベルがハイデマリー王女を見たが、彼女は首を横に振っていた。
「この悪魔を食った時、精神が悪魔に乗っ取られそうになるのを感じた。ひとりの悪魔を食っただけでそれだけの危険を感じたのだ。さらに多くの悪魔を食えばどうなることか想像もできない。私は私を見失うかもしれない」
悪魔を食うことにはリスクもある。
悪魔を食ったつもりが悪魔に食われるという可能性だ。悪魔の精神力は個体差はあるものの人間よりも非常に強く、相手の魂に肉体を食われても、その魂を経由して“悪魔食い”の精神を乗っ取ろうとするのである。
「なんだよ。そんな危険性があるのか、フォーラント?」
「まあ、多少のリスクはありますよ。リスクなしで力は得られませんし」
「うーん。セラフィーネも悪魔食ってるんだろ? 大丈夫なんじゃねーの?」
「あの人は人間辞めてる魔女ですよ」
「そういうもんか。なら、なしだな」
魔女であるセラフィーネならばいくら悪魔を食らおうと精神を乗っ取られることはないだろう。魔女とは人間の上位存在であり、精神力においても人間を遥かに上回る。ただ、その魔女を以てしても、悪魔たちの中の悪魔である大悪魔を食えるかは怪しい。
「私は恐れはしない。その必要があるならば挑む」
「やめとけ。今もここの連中にとって精神の支えになってるのは、他でもない貴様だ。貴様が万が一自分を失うようなことがあれば、ノルニルスタン王国ってものは二度と蘇らないだろう。そんな結末は嫌だろう?」
「だが、しかし……」
「安心しとけって。ここには世界最強の勇者がいるんだからな」
ハイデマリー王女はこれまでノルニルスタン王国を蘇らせるのは自分しかいないと思っていた。兄弟姉妹が死に絶え、国王が戦死し、王族が全滅した中で、そして軍隊が壊滅した中で、力を有する自分だけがノルニルスタン王国を蘇らせる義務があると思っていた。義務である。権利ではない。自分がノルニルスタン王国を再興しなければならない。自分以外にこのことを任せられる人間はいないと考えていた。
この苦難を分かち合える人間はいない。自分だけが背負わなければならない。
そう思っていた。アベルに出会うまでは。
アベルはまさに勇者に相応しい力を示してきた。これまで力ある存在だと思っていた自分よりも、魔族よりも遥かに強く、それでいて真っすぐな性格をしていた。
アベルにならば。
アベルならば、自分のこの苦難をともに背負ってもらえるかもしれない。
ハイデマリー王女の心にそんな感情が芽生えた。
「ああ。頼りにさせてもらう」
ハイデマリー王女は笑顔でそう告げた。
面白くないのはフォーラントだ。
彼女はアベルに執着しているわけではないが、面白い人材として目をつけている。それもこの3000年ずっとだ。それをどこの馬の骨とも知れない女に掻っ攫われるのは、彼女の自尊心がそう簡単には許さない。
まあ、彼女には余裕があることは確かだ。“悪魔食い”となっても、それを極めなければ寿命を永遠には伸ばせない。そして、それを成したという報告は大悪魔のひとりであるグシュナサフから知らされているだけである。
放っておいても時間が彼女を処分してくれる。そう考えればフォーラントにも余裕が生まれそうなものだが、何せ彼女は気難しく、わがままな大悪魔のひとりだ。そう簡単に『そうですか』と諦めてくれるタイプではない。
そんなことだからセラフィーネからは怪しまれ、ローラからは面倒くさがられるのだが、フォーラントもアベルと同様に自分を客観視できないのが問題である。
「それならあなたが何か対抗措置を講じてくれるんですか?」
フォーラントが意地悪気にハイデマリー王女に尋ねる。
「私も全くの無策というわけではない」
フォーラントの挑発に乗るようにハイデマリー王女が答えた。
「ヴェルンドリア王国のドワーフたちの打つ魔剣ならば、人間でも魔族に対抗可能だと聞いている。しかし、如何せんこのノルニルスタン王国からヴェルンドリア王国までの道のりは遠く、険しい。それにヴェルンドリア王国そのものが陥落しているとなると、魔剣もどこまで有効なのかが疑問に思えてくる」
「なんだ、結局有効な策はないではないですか」
ハイデマリー王女が絞り出したような声にフォーラントが呆れたように返す。
「いや。弾薬庫が手に入れば状況は変わるかもしれないぞ」
反応したのはアベルであった。
「防具にしろ、武器にしろ、ここの連中は貧弱すぎる。それを補える弾薬庫があれば、状況は多少はましになると思うぞ。もっとも、身に纏う装備だけ入れ替えてもどうにもならないところもあるけどなー」
確かにノルニルスタン王国の臨時編成された防衛部隊の装備はぼろぼろだ。いつから装備しているのか分からないような鎖帷子の鎧に、碌な切れ味もない刀剣。この装備が多少なりとマシになれば、全体的な戦闘力も上がるだろう。
「アベル。残念ですけど、ここの問題は装備以前の問題ですよ」
「そうかもしれん。どいつもこいつも素人だ。鍛えなおさないとな」
兵士の質もアベルの気になるところだった。アベルから見て、ノルニルスタン王国の兵士の質は低すぎる。士気はそれなりだが、戦闘技術が身についていない。
「いっそのこと、全員人狼にしてしまえばいいのではないですか?」
フォーラントはさらりとそう告げた。
「俺に群れを作れって言いたいのか?」
「現状としては、それが一番手っ取り早いのでは? 人狼になれば霊素に刻まれ生まれ持った狩りの本能を有します。その覚束ない戦闘技術も飛躍的に上昇するでしょう。そう悪い話ではないのではないですか?」
アベルが苦々しく告げるのに、フォーラントが愉快そうに語った。
「アベル殿。群れというのはいったい?」
「まあ、なんというかな。同じ真祖を持つ人狼の仲間だ。俺が世界最初の人狼だから、ほとんどの群れは俺に属するんだが、今は面倒くさいことは他の連中に投げてて、俺自身はほとんどかかわってない。聞く限り問題は起こしてないみたいだが」
ハイデマリー王女が尋ねるのに、アベルが渋々とそう答えた。
「人狼というのは増やせるのか? アベル殿のような戦士が大量に?」
「そんなに単純な問題じゃない。人狼の力を得るということは、人間を辞めるということだ。そういえば、まだ俺の人狼としての本当の姿を見せてなかったな。今から見せるから、悲鳴を上げるなよ。分かったな?」
「ああ。分かった。見せてくれ」
ハイデマリー王女が同意するとアベルは口を噛み締めた。
それと同時にアベルの上半身が固い狼の体毛で覆われていき、同時に筋肉がはちきれんばかりに膨張していく。そして、その頭部が音を立てて変形する。ノズルが突き出し、狼の顔立ちへと変形し、そのアメジストの瞳が不気味に輝く。
「これが人狼としての俺の姿だ」
アベルは人間の時とはやや濁った発音でそう告げる。
「これが……人狼……」
悪魔を食らって人間ではなく、化け物だと思われてきたハイデマリー王女にとってもアベルの姿は衝撃的だった。アベルは正真正銘の化け物だ。
「醜いと思うか? 思うだろう。俺は生まれた時からこうだったから気にはしなかったが、他の人間には異形そのものに映るはずだ。俺はそのことを否定はしないし、そのことについてどうこういうつもりもない。ただ、人狼とは──」
「アベル殿は醜くなどない!」
アベルが何事かを告げようとしたのをハイデマリー王女が遮った。
「アベル殿。そなたがどう思われているいかは分からないが、そなたは醜くなどない。アベル殿のその力で助けられてきたと思えば、誰が醜いなどと思えようか。アベル殿は美しい。気高い狼のように美しい。それが私の感想だ」
ハイデマリー王女はそう告げて恥ずかしそうに頭を掻いた。
「ハハハッ。そういう感想をもらったのは初めてだ。大抵はおっかないって感想をもらうんだけどな。そういうものだろ?」
「まあ、そういうものですね」
アベルが笑うのにフォーラントがそう付け加えた。
「そのようなこと──」
「俺ひとりがこういう姿であることと臣民がこういう姿であることは違う問題だ」
ハイデマリー王女が何事かを告げようとするのに、アベルは元の姿に戻りながらそう返した。人狼としての筋肉が収縮し、顔面が人間のそれへと戻る。
「俺は貴様の臣民全員が全員善人であるとは思っていない。力を持った者はその力でよからぬことをしようと企むことがあることも否定しない。銃の力であれ、魔術の力であれ、人狼の力であれ、力は力だ。そして、力は善行を行うためのものにも、悪行を働くためのものにもなりえる。それが世の理というものだ」
銃も、魔術もアベルの世界では身を守る手段になるし、一方で犯罪のための手段をともなる。力そのものに善悪はなく、使う人間次第で善悪が決まるというのは、アベルのいた世界では常識的な考え方であった。
アベルには眷属と呼べる人狼たちが何万と存在するが、その中でアベルの教えから道を踏み外したものは少なくない。力とは時に人を魅了するのだ。この力さえあれば、世の中を自由にすることができるという誘惑に人を魅了するのだ。
その誘惑に魅了されたものは道を踏み外し──アベルたちによって排除されてきた。
「けれど、けれども、今のノルニルスタン王国の住民の皆さんには今を生き延びる力が必要なんじゃないですか? せめて、ここに第二世代の人狼が20人ばかりいれば心強いと思いますけれどね。守るにも、攻めるにも」
「確かに力は必要だろうな」
フォーラントの言葉にアベルが考え込む。
アベルもこれまでの経験から言って、そう簡単に眷属を増やすという選択肢は選びたくはなかった。眷属たちは第三世代、第四世代の人狼を増やせるのであり、その力がアベルには到底及ばぬとしても、問題になるのだ。
人狼犯罪。
魔術犯罪。銃犯罪。吸血鬼犯罪。この3つに並ぶ、重要な社会問題。安易に人狼になったものが、その本能の赴くままに“狩り”に走った結果として起きる犯罪には、アベルも頭を抱えていた。最初は善意として行われた行為がここまで事態を悪化させるとは。
人狼犯罪と吸血鬼犯罪のせいで人々は銃を持つ権利を主張して、銀の弾丸を持つことを自己防衛とした。魔術犯罪も人狼犯罪と吸血鬼犯罪に対抗するための手段としての魔術が、非合法な手段に使われているに他ならない。
そのような深刻な社会問題を知っているからこそ、アベルは安易にこの世界──見る限り人狼の存在しない世界に人狼を生み出すことを考えこんでいたのだ。
「なあ、人狼になるってことはそこまで単純じゃねーぞ? 恐ろしく苦痛だし、恐ろしく危険だし、命の危険だってある。そして、この世界に人狼が生まれれば、それはひとつの武装勢力が生まれたと思っていい。国が管轄できる問題じゃなくなるかもしれない」
アベルは一言一言を慎重に言い聞かせるようにして告げた。
「それでも人狼の力を求めるか? それならば俺は与えよう。だが、ちゃんと覚えておけよ。力とは諸刃の剣だ。それは決して善意だけで使われるものではない」
アベルはそう告げて、ハイデマリー王女を見つめた。
「求めよう。我々にはなんとしても今を生き残る必要がある。今を生き延びなければ、善も悪もないのだ。そうであろう?」
「よしっ! 死んでも構わないって志願者だけを集めてくれ。俺が直々に血を分け与える。それから儀式の最中は絶対に城門を開けるなよ。絶対にだぞ」
「分かった。手配しよう」
アベルはやると決めたらやる男だ。
ハイデマリー王女がそれを望み、責任を取ると言った以上、アベルの側に躊躇する理由はない。アベルはハイデマリー王女が選んだ人材を人狼化させるだけだ。無論、人狼になるのはそう簡単なものではないが。
それでもそれはちゃんと説明した。その上で人狼になることに志願するのだから、アベルに躊躇いはない。ただ、将来にわたって人狼たちを管理できるかを疑問に感じるだけだ。人狼というのは厄介な存在であるがめたに。
今から、この世界で初の人狼化の儀式が始まる。
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