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食糧危機を救え

……………………


 ──食糧危機を救え



 王都を失い、亡国の寸前であったノルニルスタン王国は交易都市フロスティガルツを奪還し、そこを臨時の王都とすることを宣言した。


 これまでの難民キャンプと比べれば格段に環境は向上した。


 都市には上下水道が整っており、周囲は高い城壁で覆われている。そして、質素極まりないテント生活から石造りの家に暮らせる生活に移行できたことに、ノルニルスタン王国の臣民たちは喜びに沸いていた。


 もっとも、食料は未だに配給制だ。今は農業をやっているような余裕もなく、城壁内で細々とした家庭菜園は始められているが、本格的な農業を始めるには設備も、土地も、道具も、人手も、あらゆるものが不足していた。


「これはどうにかしなければならないな」


 ハイデマリー王女は自らの自宅──城と定めたフロスティガルツの市庁舎で、自分が記した書類を見て、頭を抱えていた。


 これまでの難民たちの食料を支えるのも苦労していたが、そこにさらにフロスティガルツで解放された奴隷たちが加わった。


 これから季節が移り替わって冬が訪れるならば、野草やキノコ、そして野生動物を捕獲することも難しくなり、深刻な食糧危機が訪れかねない。


 この危機を乗り切らなければせっかくの勝利も祝えないだろう。


「おう。なんか深刻そうな顔してんな」


 そんなハイデマリー王女の前にアベルが姿を見せた。


 彼は相変わらずジーンズとスニーカー姿だ。その上半身の筋肉は剥き出しになっている。その姿を見てハイデマリー王女が僅かに頬を赤らめた。


「そうなのだ。このままでは食糧危機が発生する。餓死者がでるかもしれない。どうしたものかと頭を悩ませている」


「ふうむ。肉だったらいくらでも俺が狩ってきてやるんだけどな」


 アベルは人狼だ。


 狩りとは彼らのDNAを越えた霊素にまで刻み込まれた活動であり、どのような人狼でも狩りでヘマをすることはない。アベルのような人狼ならば、カバだろうとアフリカゾウだろうとライオンだろうと朝飯前に狩ってきて、朝食にするだろう。


 だが、人狼ならともかく普通の人間は肉だけでは生きられない。生のまま肉を食らう人狼たちと違って、ノルニルスタン王国の人間は肉は焼くか煮るかして食する。それでは動物が有しているビタミン類が摂取できないし、炭水化物にも欠ける。


 栄養学的にはどうしても農作業をして手に入れる野菜や穀物などの食料が必要とされるのだ。何か特殊なダイエットでもしている場合でなければ。


「んじゃ、オーディヌス王国の連中に頼んだらどうだ? 連中のところはさして魔王軍の侵略を受けているみたいでもなかったし、食料備蓄にも余裕があるんじゃないか?」


「それも考えてはみたのだが、我らがノルニルスタン王国とオーディヌス王国との関係は良好とも言えなくてな。南のフリッグニア王国なら即座に援助をしてくれるだろうが、彼らも魔王軍の侵攻を受けて、苦しい立場にある。援助は望めないだろう」


「人類の危機だってのに味方で争ってる場合かよ」


 アベルに政治は分からない。


 アベルは政治が難しいことだということは分かっているが、だからと言って政治家たちは物事ひとつ決めるのに時間をかけすぎなのではないかと思うことがある。そう話すとマイノリティーの意見を聞かなければならないだの、将来を見据えての決定を下すのだからという返答が返ってくるので、本当に政治が分からなくなった。


 強い奴が弱い奴を守ってやる。それで物事はシンプルに解決すると彼は思っているのだが、世の中はそこまで単純ではない。


「まあ、無償の支援は受けられないってわけだろ。なら、有償の支援は受けられるんじゃないのか? 金払えば連中だって喜んで食料を渡すと思うけどな」


「確かにそうだろう。だが、我々には今国家予算など存在しない状況だ。我々はオーディヌス王国に払えるものは全くない」


「ふうむ。なら、これを使えよ」


 ハイデマリー王女が渋い表情でそう告げるのにアベルがドンと宝箱を置いた。


「これは?」


「勇者として出発するときに渡された金だ。1000万マルクあるらしい。使えるか?」


 アベルが宝箱を乱雑に開けると中にぎっしりと詰まった硬貨が姿を見せた。


「こ、これは……。確かにこれだけあれば、食料を買い付けることができる! だが、これはアベル殿の財産であろう? 我々のために使ってもらうわけにはいかない……」


「そんな細かいこと気にすんな。俺はこのノルニルスタン王国の弱っちい連中を助けてやるって決めたんだ。それにこんな金持ってても使いどころがないしな。だろ?」


「ハハ。確かに今のノルニルスタン王国の経済活動は停止しているからな」


 アベルの率直な言葉にハイデマリー王女が笑みを浮かべる。


「だから、遠慮なく使ってくれ。それから、フォーラント。いるんだろう?」


 アベルが虚空を睨んでそう告げる。


「はいはい。皆さんの大悪魔フォーラント様ですよ。で、どうかしました?」


「貴様、あの国に食い込んでるだろ。何とかして低価格で食糧援助を引き出せないか」


 フォーラントがオーディヌス王国において権力を握ったことは、アベルも把握している。そこに気づかないほど鈍感な男ではない。フォーラントは言葉の魔術で、オーディヌス王国の政治的トップである国王を支配している。


「無償で支援させろとは言わないんですね」


「あいつらもあいつらなりに大変だからな。それに無償援助になるとノルニルスタン王国がオーディヌス王国に借りを作ることになるだろ。関係がよくないっていうのにそう言うことになると、後々面倒くせーことになるだろうし」


 アベルには政治は分からないが、それを個人の関係にまで落とせば理解できる。


 仲の悪い人間にただで何かを恵んでもらったら、後で取り立てが来ることは確実だ。ここは後々オーディヌス王国に文句を言わせないように有償支援を受ける方が得策であるとアベルは思った。店でお金を払って物を買えば文句は言われない。そういうことだ。


「アベル殿。そこまで考えて……」


「お前たちは弱っちいからな。ある程度のことは面倒見てやるよ」


 ハイデマリー王女が感動に胸を押さえるのに、アベルがニッと笑ってそう返した。


「はいはい。では、畏まりました。オーディヌス王国に低額で食糧援助を行わせましょう。でも、受け取りはどうするんです? このフロスティガルツからオーディヌス王国までってそれなりの距離がありますよ」


「俺が行って取ってくる。1日あれば十分だ」


 アベルの脚力は新幹線どころかマグレブ以上である。途中で誰かにぶつかったらそのものの命はないが、それだけの速度ならばオーディヌス王国からフロスティガルツまであっという間に食料を運び込むことができるだろう。


「私も同行した方が」


「貴様はここで弱っちい連中を守ってやっとけ。この間みたいな連中が攻め込んで来たら、この国の弱い軍隊じゃ対処できないだろ? すぐに帰ってくるから安心しろよ。食料をたんまりとこの国に運び込んでやるからな」


 ハイデマリー王女が立ち上がろうとするが、アベルがそれを制止した。


 確かに今のノルニルスタン王国の軍隊は脆弱そのものだ。年寄りと負傷者。そんな人間たちがこのフロスティガルツを守っている。彼らでは魔王軍がそれなりの規模の部隊を送り込んで来たら、城壁があろうとも都市を守り切れないだろう。


 そのため、“悪魔食い(デーモン・グリード)”であるハイデマリー王女の力が必要になってくる。彼女ならば多少の魔王軍の部隊は簡単に蹴散らせるだろう。


「留守番、頼むぞ」


「ああ。任された。吉報を期待する」


 アベルはハイデマリー王女にそう告げるとフォーラントともに外に出た。


「あの王女様のこと気に入ってるんですか?」


 そして、外に出た途端、フォーラントがそう尋ねてくる。


「気に入ってるぞ。あいつ、なかなか強いし、ガッツがあるからな。ああいう奴は人狼になるべきだと思うだけど、まあ王女様だしな」


 アベルはフォーラントの問いにあっけらかんに答える。


「女性としてはどうなんです?」


「特に何にも思わないな。俺は女にはあんまり興味がないんだ。女って何考えているのか分からない時があるからな。セラフィーネもローラもたまに何に怒っているのか分からないことがある。だから女は苦手だ」


 アベルは女は苦手であった。


 かといって、男性に性欲を覚えるタイプでもない。


 ただ単に繊細な女心が分からないのだ。セラフィーネは彼女がバトルジャンキーだと知っており、その上で誕生日には将棋をプレゼントした。血の臭い危険な雰囲気がない戦争に関心のないセラフィーネがそれに興味を示すわけでもなく、アベルは誕生日の返礼にSADM(特殊核爆破資材)を送り付けられた。何が悪かったのか今も分かっていない。


 ローラには彼女が攻略中だったゲームのネタバレを懇切丁寧に行った。ローラはその場ではキレなかったが、後日アベルの下に大量の堆肥が着払いで送りつけられいた。これに関してはアベルは悪いことをしたとも思ってない。


 そんな風に彼女は女心以前に、人間の気持ちが分かっていないのだ。


 そのようなアベルに恋愛など数百年早い。


「相変わらずですね。けど、あの王女様はあなたに関心を持っていますよ。これは近いうちに、向こう側から迫ってきますね。そのときどうするつもりですか?」


「今の状況でそんなことにうつつを抜かすほど、あの女も馬鹿じゃねーだろ。国民は飢え死ぬかもしれなくて、軍隊は弱くて、今のところ都市のひとつしか奪還できていないってのに。そのことはあいつが一番理解していると思うぞ」


 フォーラントが囁くのに、アベルは首を横に振って返した。


「もう、あなたもセラフィーネと同じくらい華のない人ですね、もうちょっと色気づいてもいいんじゃないですか」


「俺は女には喜びを見出せない。俺が喜びを見出すのは強い奴と戦う時だ」


 そう告げてアベルは拳をぶつける。


 アベルもバトルジャンキーだ。


 命の駆け引きに、流血に、暴力の中に喜びを見出す。


 だからこそ、彼は各界隈で最強を名乗るもの全てに喧嘩を吹っかけて、最強の道を突き進んだのである。正々堂々と正面から、相手を叩きのめしてきたのである。


 アベル自身が標的になることもあった。不意打ち、待ち伏せという手段で攻撃が仕掛けられることもあった。だが、アベルはそういう攻撃も突破して見せ、相手を叩き潰し、誰が真に世界最強なのかを見せつけようとした。


 もっとも、誰が真に世界最強であるかを決める勝負の際にアベルたちはこの世界に召喚されたのだからアベルが世界最強と決まったわけではないのだが。


「そういう意味ではあなたは常に輝いていますね。常に貪欲に勝利を目指す。その姿は勇ましいと思いますよ。私もそういうあなたはお気に入りです」


 フォーラントはそう告げて自分の腕をアベルの腕に絡める。


「なあ、思ったんだけどさ」


 アベルが不意に告げる。


「貴様の空間転移魔術があれば、一気に食料を運び込めるんじゃないか?」


「はあ。口説いてくれるのかと期待しましたのに」


 アベルがそう告げるのに、フォーラントがため息をついた。


「できますよ。大規模輸送も。それも瞬時に。力を貸してほしいですか?」


「頼みたいな。俺も運べるが貴様の方が早い」


 フォーラントが告げるのにアベルがそう返した。


「じゃあ、代わりに私のお願いも聞いてくれます?」


「ものによるな。貴様は無理難題を言い出しかねない」


 フォーラントの“お願い”ほど不気味なものもない。彼女はやろうと思えば何だろうと自分でできる大悪魔なのだ。それがお願いをするということは、それなり以上のリスクが伴っていると考えた方がいいだろう。


「私にキスしてくれます? 頬や額じゃなくて、唇にですよ?」


「む。何を考えている?」


「してくれないんですか? なら、このお話はなかったことになります」


 唐突なフォーラントのお願いにアベルが考え込む。


 アベルはフォーラントのことを友人だと考えている。セラフィーネのように怪しんだり、ローラのように面倒くさいとは思っていない。比較的好ましい感情を抱いている。


 そうであるからこそ、フォーラントの申し出は突拍子はないものの、受け入れられないものではなかった。キスぐらいは何の問題もない。


 アベルは遊んでいる人間ではないが、男女交際の経験は何度かある。3000年も生きているのだから、その中には気に入った人間もいる。アベルは女心が分からず、頓珍漢な行動を取ることもあるが、それでも受け入れてくれる女性はいた。


 それにアベルはモテる方なのだ。セラフィーネやローラが聞いたら、信じられないという顔をするだろうが、この男は愛嬌のある可愛い性格をしていると人気だったりするのだ。もっともやはり女心は理解できないのだが。


 なので、キスの経験はある。簡単だ。


「んじゃ、してやるよ。ほら、顔出せ」


「優しくしてくださいね」


 アベルがフォーラントの顎を持つのに、フォーラントが目を瞑る。


 そして、アベルが唇を重ねる。


 それでお終いだ。初心な恋人たちがやるようなキスでお終い。


「もっとディープにやってくれてもよかったんですよ?」


「恋人でもないのにそういうことをするのは趣味じゃない。それより仕事だ」


「はいはい」


 アベルが告げるのにフォーラントが頷く。


 そして、フォーラントの視線が市庁舎の方を向き、彼女はにやりと笑った。


 市庁舎からはハイデマリー王女が見ていたのだ。


「アベル殿……」


 ハイデマリー王女は悲しそうにそう呟く。


「いや。私に何の関係があるというのだ。アベル殿は王族でもない。私が結ばれる相手ではないのだ。そうだというのに彼を束縛することはできまい」


 ハイデマリー王女はそう告げて、再び机に向かった。


「だが、私は本当にそれでいいのだろるか……」


 そう呟いて、ハイデマリー王女は暫し黙り込んで机の上の書類を見つめ続けた。


……………………

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