無人の家で発見された手記
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──無人の家で発見された手記
ローラはクリスを抱えたまま、時速500キロで東城門に向かった。
「あー! 死ぬー! 死んでしまいますー! 助けてー!」
「頑張れ、頑張れ」
クリスが叫ぶのにローラが適当に励ます。
「さてと。東門到着。ここも派手にやられているね」
「そうですね……。魔族がここまで攻め込んでくるだなんて……」
東門は北門より酷い状況にあった。魔王軍はここからの突破を図っているらしく、かなりの戦力が動員され、破壊された破城槌などが散乱し、それらを踏み越えて、2メートル、3メートルはある魔族たちが城壁に向けて巨大な石を投げつけている。
さしずめ筋肉式投石器だ。巨大な岩が城壁や城門に命中するたびに振動が走る。防衛側のフリッグニア王国陸軍は投石による死傷を恐れて閉じ籠ってしまっている。このままでは魔王軍に城門を突破されるのは時間の問題だろう。
魔王軍がフリッグニア王国の領土内に侵入したのが3年前。そして、今や王都スヴァリンが敵の攻撃に晒されている。
クリスの思うように魔族がこんな場所まで攻め込んでくるとは誰も想像していなかった。創造性がなく、暴力的で、文明というものを持たない彼らがどうしてここまでこれたのだろうかと多くの学者たちが頭を悩ませるだろう。
だが、来たのだ。奴らは来た。遥か北の大地からこの大陸の南の王都スヴァリンまで、彼らは攻め込んできたのである。
「でも、まあ、問題でもないかなー」
ローラはそんな歴史的な経緯に関心を払うような女ではない。
彼女はゲームならばちゃんと設定を読むし、気に入ったゲームは設定集なども購入し、しっかりと世界観を把握するが、現実ではちゃらんぽらんである。
自分の世界の歴史もさっぱりだし、歴史上の偉人たちはゲームに出てきたキャラクターとしてしか知らない。だから、本来男である人物を本気で女だと思っていたりする。まさにゆとり世代も真っ青のゲーム脳なのだ。
「また蝙蝠で蹴散らしますか?」
「んー。君が頑張るっていうのはどうかな?」
「それはなしでお願いします。死んでしまいます」
あんな激戦地にクリスを放り込んだら30秒でミンチだろう。
「ここはひとつボクの魔術を披露しようかな」
「魔術ですか?」
正確に言えば今空を飛んでいるのも、蝙蝠の大群も、この間の第9軍団軍団長の首を刎ね飛ばしたのも魔術である。だが、ローラにとっては些細なこと過ぎて、魔術と呼ぶべきものではないと思っていた。魔術とは奇抜であるべしというのがローラの考えだ。
「では、始めようか。中層魔術“画図百鬼夜行”」
ローラがそう詠唱してダウナーに腕を振ると、どこからともなく奇妙な音が聞こえてきた。何かが歩いてくる音だ。この騒がしい戦場でそれが確かに聞こえてくるのである。どこか歪な雰囲気を感じさせる響きで、一時的に魔王軍とフリッグニア王国陸軍の戦闘が停止する。何が起きたのかを確かめるために。
やがて、周囲に霧が立ち込めていき、おどろおどろしい足音がじわじわと魔王軍に近づいてくる。魔王軍は何が起きているのか分からずに霧の中で右往左往していた。
「ヒーヒッヒッヒッヒ!」
そして、完全に霧に周囲が覆われると気味の悪い笑い声がいくつも響き渡った。
「助けてくれ! 助けてくれ! 化け物が!」
「死ね! 死ね! 化け物め! 死ね!」
それから魔族たちの助けを求める叫びや、怒号が響き始める。
霧のせいで何が起きているかはまるで分からず、フリッグニア王国陸軍の部隊は霧には近づかず、距離を取っていた。
その間も魔族の泣き叫ぶ声や肉の裂ける音、骨の砕ける音、内臓の撒き散らされる音が響き続け、周囲は酷く血生臭くなってきた。それでいて地上で何が起きているのかは全く分からないというのにクリスも不安を覚え始めてきた。
「おしっこ漏らしそう?」
「違います! いったいどんな魔術を使ったんですか?」
震えるクリスにそう尋ねるローラに、クリスが叫んだ。
「吸血鬼はね。他者の感情を操るのが得意なんだよ」
ローラが告げる。
「彼らにはね。恐怖という感情を味わってもらってるんだ。最初は彼らは抵抗するだろうね。何といっても自分たちを強者だと思っている魔族だから。だけれど、いくら暴れても味方を傷つけるだけ。恐怖の感情が生み出すものは全て幻覚」
真っ白に覆われた霧の中で怒号と悲鳴が響く。
それは恐らくは魔族が魔族を殺していることを意味するのだろう。
ローラの魔術によって恐怖の幻覚を見せられた魔族たちはその恐怖を受け入れて蹲るか、それに抵抗して武器を振るうかを選んだ。蹲ったものは武器を振るうものに殺され、武器を振るうものも次第に払いきれない恐怖に浸されていく。
「この霧の中は文字通りの悪夢だ。人は悪夢からは逃げられない。いや、知的な存在全てが悪夢からは逃れられない。一度、その網に囚われてしまえば、後はいくらもがいても意味がない。目が覚めるまでは悪夢の中だ。霧が晴れるまでは」
ローラはそう告げて白い霧を見渡す。
「だけれど、これだけの恐怖の悪夢に包まれて、正気でいられる存在がいるとは思えないね。恐らくは全員が精神病院送りの状態だ」
そして、うっすらと白い霧が晴れていく。
そこには同じ魔族に殺された数多の魔族と、発狂して身動きひとつとれない魔族だけが残されていた。ほとんどの魔族は殺し合いの末に自滅し、生き残った魔族は少数だった。それも完全に発狂し、自我を失っており、脅威になりえるものではない。
「仮にですけど。あの霧の中に友軍や僕たちがいたらどうなってたんです?」
「非常食君はおしっこ漏らして気を失っていたと思う」
「だから、おしっこは漏らしませんってば!」
とりあえず、ローラの魔術の効果範囲が無差別なのは分かった。
「気を付けてくださーい! その白い霧に触れないようにー!」
「わ、分かった」
クリスが上空から警報を発するのに、既に白い霧に怯えていた指揮官たちが返答した。彼らもこの霧は不味いと思っていたのか、幸いにしてフリッグニア王国陸軍側でローラの魔術による被害がでることはなかった。
「それにしてもこれだけの絶大な効果がでるのにどうしてアベルとセラフィーネには通用しないんだろうね?」
アベルとセラフィーネはローラの魅了による力も、この手の幻覚魔術も通用しない。一時的な目くらましにはなるだろうが決定打にはならない。すぐさま自分で感情調整を行い、恐怖にも、怒りにも、悲しみにも囚われず攻撃してくる。
ローラのいる世界の軍人でもそういう技術を身に着けている人間は多い。
ナノマシンで感情をフラットにし、対幻覚技術を植え付けられた軍人はいるのだ。なんといってもローラのような魔術を行使可能な吸血鬼がちらほらといるわけなのだから、国家がそれに備えないわけにはいかない。
それでもローラの世界の技術ではローラが行使したような“画図百鬼夜行”の如き魔術に対抗できない。そうであるが故に国家は、世界は、アベルたちのような“意志を持った核爆弾”を恐れているのである。
「生き残りは適当に下の人たちに処理してもらうとして、あれはどうしようかな」
「あれ?」
「あれ」
ローラの指さす先には──。
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魔王軍十三将軍“溶解のブロック”には生まれた当初は意識と呼ばれる意識も、知能と呼べる知能もなかった。ただひたすらに獲物を貪り、敵から隠れ、そしてまた獲物を貪る程度の知識しかなかった。それは高等な生命というとよりも動物に近かった。
その極めて原始的な生物に魔王は知識と意識と地位を授けた。
「これから君は進化する」
魔王はそう告げた。
「より高度な生命体に。より高度な知識を持った生命体に」
魔王は続ける。
「ただの獣でいる方が幸せな場合もあるだろう。だが、君は進化しなければならない。ボクとしてもそれだけの素質を持った魔族をそのまま放置しているわけにはいかないのさ。故に君は進化し、過去の自分から生まれ変わらなくてはならない」
そして、魔王は最後にそう告げた。
「魔王軍にようこそ。君の名は“溶解のブロック”だ。魔王軍十三将軍のひとり、“溶解のブロック”。それが君の新しい名だ。狂気の山脈から下りて、その力をボクたちのために振るいたまえよ。それこそが君の新しい幸せになるだろう」
“溶解のブロック”はその日に進化した。
捕食する獲物を選び、その獲物の情報を解析し、その獲物の特性を自らの肉体に取り入れた。捕食と解析というスキルによって“溶解のブロック”は急速に進化した。
やがて、言葉を発することができるようになり、他の魔物とのコミュニケーションも可能になった。対話によってさらなる知識を手に入れ、彼はただの原始的な魔族ではなく、高度に思考する魔王軍十三将軍の名に相応しい魔族となった。
“溶解のブロック”はさらなる知識を望んだ。
食欲という原始的な欲求は消え果て、今の彼には知識に対する欲求が深まった。
彼は魔王から軍隊を与えられ、それを効率よく動かすことを知識を得る手段とした。他の魔族たちの行動を見ながら、知識を蓄えていった。戦術を理解し、戦略を理解し、戦争とは何たるかを理解していった。
彼は理解した。戦争とは数である。
しかしながら、戦争に必要な数を集めるのはそう簡単なことではない。魔族は食事を必要とし、水を必要とし、寝床や雨風の凌げる場所を必要とする。
寝床と雨風の凌げる場所は力業で準備できるとしても、食料と水はどうにかして準備しなければならない。そのためにどうすればいいのか。
解決策はあった。
この大自然には魔族たちは消化できないが、ただひとり“溶解のブロック”には消化して栄養素だけを取り出すことができた。ただの木々を分解し、そこから水分や糖分、タンパク質を分離して与えることが出来る力があった。
故に“溶解のブロック”は自らが分解した栄養素を魔族たちに与えて、35万という大戦力を維持し続けた。数があれば戦争には負けない。最終的な勝敗は数によって左右される。それが“溶解のブロック”が導き出した答えだった。
だが、どうだろうか?
彼の準備した35万の兵力は全滅に向かいつつある。
たったひとつの、たったひとりのイレギュラーによって。
「────!」
“溶解のブロック”は咆哮した。
声にならぬ咆哮を上げた。
“溶解のブロック”は今では喋ることはできるが怒りから叫ぶことはできなかった。
だが、確かな怒りがひとりの人物に対して向けられていた。
「テケリ・リ……。テケリ・リ……」
“溶解のブロック”は生まれてから最初に覚えた言葉を口しながら、その殺意をその人物に対して向ける。自分の計画を破綻させた憎むべき人間に憎しみを向けた。
そして、巨大な1体の“スライム”は山林を覆い尽くし、土砂崩れでも起こしたかのような勢いで、王都スヴァリンに向けてなだれ込もうとしていた。
「あれ、どうにかしなきゃいけないよね?」
「そ、それはそうですけれど、何か手はあるんですか!?」
「うーん。流れで?」
「流れって!?」
ローラとクリスはそう告げ合うと山林から溢れ出てきた巨大なスライムを見た。
それは全てのものを溶かし、食らっていた。山林の木々でさえも、死んだ魔族の死体ですらも、正気を失いながらもまだ生きている魔族すらも。、
それが急速に王都スヴァリンに迫りつつある。
「どーしたものかな」
「なんでもいいので、できるならばなんとかしてください! お願いします!」
クリスにとって王都スヴァリンは故郷である。
宮廷魔術師になるために上京してきて、多くの時を過ごした場所だった。その場所をあのような膨大なスライムの津波によって押し流されるわけにはいかなかった。あそこには親しくした住民が大勢いるのだ。
クリスの背丈が小さいからとパンをサービスしてくれるパン屋のおばさん。苦学生時代はたまにしか食べられなかった肉を大盛にしてくれた精肉店のおじさん。貴重な古本を大切に保管し、自分のために取っておいてくれて、適切な価格で売ってくれる古本屋のおじさん。そういう親しい人々が大勢暮らしている街なのだ。
「そこまで言うんじゃあ、どうにかしないわけにはいかないよね」
ローラは無感情にそう告げた。
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