こんにちは、死ね
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──こんにちは、死ね
魔王軍南部方面軍は万全の構えで作戦に当たっていた。
総兵力35万。魔王軍がこれだけの戦力を集められたのは奇跡に近い。魔王軍に兵站の概念はなく、現地調達だけで戦ってきた魔王軍にとって、これだけの戦力を集めるのは至難の業であった。一ヶ所に留まっているだけでも、負担になる。
それを魔王軍は何とか成し遂げた。
それも魔王軍十三将軍のひとりである“溶解のブロック”の功績だ。
彼がいかにして魔王軍の兵站を支えたのかについては今はまだ分からないが、彼の存在があったからこそ、魔王軍は35万という現代でも兵站に支障をきたすだろう規模の兵力を集めることができたのである。
だが、その不穏さを示すように魔王軍の進撃路には草木のひとつも残っていなかった。全てがなくなり、乾燥した大地だけが剥き出しになっていた。
その大地を前進してきた魔王軍35万は今やフリッグニア王国の王都スヴァリンを半包囲していた。完全に包囲していないのは、ついに魔王軍の食料が限界に達したからだ。つまり、後はこの35万の戦力は共食いをするか、スヴァリンに攻め込んでそこに暮らす人間の肉を食らうかしかないのである。
まさに背水の陣。
“溶解のブロック”は魔王軍の兵站を意図的にこのように調節したのか、あるいは無計画にこのような結果になったのか。いずれにせよ魔族たちの士気を上げるのに大いに貢献していた。今や飢えた魔族たちは人間たちの肉を貪ろうと、王都スヴァリンの周囲で息を潜め、総攻撃の合図を待っていた。
その魔王軍35万の兵力の一翼を担う魔王軍南部方面軍第9軍団10万の戦力は王都スヴァリンの南に布陣していた。第9軍団は南に、第10軍団は北に、第11軍団は東に布陣していた。予備の第12軍団は東側に配置されている。
「まだ“溶解のブロック”様からの指示は出ないのか」
第9軍団を率いる第9軍団長は苛立っていた。
既に食料が尽きてから3日が経過している。魔族たちは通りすがりの人間や野生動物を捕獲して飢えを満たそうとしているが、如何せん数が数だ。10万もの兵力を抱え込んでいる第9軍団の軍団長は今後の兵站に頭を抱えていた。
「伝令から知らせがありました! 明日には総攻撃だそうです、閣下!」
「おお。ついにか!」
そんな第9軍団の軍団長の下にこの魔王軍南部方面軍を指揮する“溶解のブロック”からの指令が来た。総攻撃の命令だ。
「これで我々は確実に勝利できるぞ。人間たちは脆弱な守りしか有していない。我々が一斉攻撃を仕掛ければ、確実にあの人間の都市は落ちる。そうすれば人間どもの肉を食い放題だ。我々の飢えも満たされるだろう」
王都スヴァリンの住民数は50万。魔族が1体でひとり食ったとしても15万残る。さらには人間たちの蓄えている食料も手に入る。今の飢えは満たされるだろう。その後のことを考えていないのが、魔族が魔族という点なのだが。
「総攻撃前に一度、全員の士気を高めなければならないな。手ごろな人間を捕まえてきて、見世物にしてやるといいだろう。これから我々が行うのは大量虐殺だ。一方的な大量虐殺だ。とは言えど、士気が低ければ、他の軍団に後れを取る。次期魔王軍十三将軍への昇格のためにもそのようなことがあっては──」
衝撃波が第9軍団司令部を襲い、第9軍団の軍団長である蜂頭の魔族が吹き飛ばされる。部下たちはもっと悲惨で、四肢が引きちぎれ、内臓を零し、ほぼ即死という状態で、周囲にその屍を晒している状態であった。
「な、なんだ!」
「こんちには──」
辛うじて起き上がった第9軍団の軍団長の目の前に立つのは、黒いドレスを纏った真っ白な少女と気絶したエルフの少年であった。
「──死ね」
次の瞬間、第9軍団の軍団長の頭は刎ね飛ばされていた。
第9軍団の軍団長の頭を刎ね飛ばしたのは、黒いドレスに真っ白な少女──ローラの発生させた魔力による刃だった。
セラフィーネならば魔力の無駄遣いだというだろうが、ローラには魔力が有り余っている。伊達に吸血鬼の原初と言われる真祖吸血鬼ではないのだ。その魔力は底なしであり、魔女となり“悪魔食い”となったセラフィーネすらも上回る。もっともそのコントロールの面ではセラフィーネに劣るのは否めないが。
「こんにちは、死ねって……。どこかの挨拶ですか?」
「ボクの地方の挨拶」
「絶対にあなたの住んでる地方にはいきたくないです」
意識を取り戻したクリスが告げるのに、ローラは適当なことをのたまった。
「何事だ!」
「軍団長閣下が! 軍団長閣下が死んでいる!」
騒ぎを聞きつけて、魔族たちが司令部の方面に集まってきた。
「ど、ど、どうするんですか?」
「まあ、後は流れで」
「流れっ!?」
ローラがどこまでも適当に告げるのにクリスはまた気を失いかけた。
「しっかしりて、非常食君。君にはまだ死なれては困る」
「で、でも……」
「大丈夫。ボクに任せておいて」
ローラはそう告げて蝙蝠の群れをどこからともなく出現させる。
「半分は吸い殺して、半分は屍食鬼に」
ローラがそう命じると蝙蝠が辺り一面を覆い尽くさんばかりに広がる。
この蝙蝠の規模もローラの魔力の高さを示している。アベルは筋力、セラフィーネは知識、そしてローラはその膨大な魔力に任せた力業で戦うのがこれまでだった。
そして、その魔力から生み出される蝙蝠は魔王軍南部方面軍第9軍団の全ての魔族を巻き込む分に十分なものであった。普通の吸血鬼であれば、真祖吸血鬼でもこのような真似はできないだろう。では、何故ローラには可能なのか。
それはローラはほぼ全ての真祖吸血鬼を食らったからである。セラフィーネの“悪魔食い”と同じ要領で、これまで殺してきた12名の真祖吸血鬼たちの血を啜り、その力を手に入れてきたのである。
故にローラの魔力は尋常ではない。
そして、そんなローラの生み出した蝙蝠たちが魔族を襲う。
「蝙蝠!?」
「なんだ、この蝙蝠! 畜生! 誰か助け──」
鋭い牙を有した蝙蝠たちは魔族たちの体に牙を突き立て、そこから血液を吸い取っていく。完全に殺してしまうものは完全に血を抜き取り、屍食鬼にするものはある程度血を啜ったのちに、鋭い爪で喉を引き裂いて、首の神経を切断し、心臓を貫き、殺してしまう。そうすることで屍食鬼は作られる。
屍食鬼もまた吸血鬼の眷属だ。
吸血鬼のなりそこない。それが屍食鬼である。
処女や童貞でないものが吸血鬼に血を吸われた際に屍食鬼になる。それから吸血鬼の気分次第でも屍食鬼にされることがある。基本的に吸血鬼になれるのは、清い体をしており、吸血鬼の気に入った人間に限られるのだ。
屍食鬼はその名の通り、屍を貪る。体から自我は消え、吸血鬼の操り人形となり、後は本能のままに死体を貪る。だが、彼らも死体ばかりを貪るのではなく、生きた獲物に手を付ける場合もある。吸血鬼が命じるならば、かつての友でも襲うのだ。
そのことは今、示されようとしていた。
「おい! 全員、どうなっている! 無事なのか!」
奇跡的にローラの蝙蝠に襲われなかった魔族のひとりが声を上げるのに、周囲でゆらゆらと影が蠢いた。低い唸り声も響き、生き残った魔族はそれが何なんかを確認しようと、音のする方向に向けてゆっくりと近づいていった。
呻き声とともに何かを啜るような音がする。液体の滴る音がする。粘着質な音がする。それがいったい何の音なのか、魔族には分からなかった。
「おい。どうしたんだ? 怪我でもしたのか?」
魔族は恐怖を感じながらも音の方向に向かう。
そして、彼がうっかりと山の中に落ちていた木の枝を踏み折ってしまった時だ。
音がぴたりと止まり、ゆらゆらと動いていた影が止まった。
「な、何なんだよ……」
魔族はそのことに恐怖を感じ、逃げ出そうとした。
だが、彼が逃げるにはあまりにも遅かった。
暗がりの中から虚ろな目が12個。魔族の方向を向いた。
「ひっ……。ば、化け物!」
魔族が魔族を見て化け物というのも滑稽な状況だが、今の虚ろな目をした魔族は化け物としか言いようがなかった。喉は引き裂かれて気管からは気泡の混じった血が漏れ出し、裂けた腹からはらわたを零し、胸にぽっかりと穴の開き、それでもなお動きながら、同族である魔族の死体を貪っている姿は化け物に他ならなかった。
その姿を見た魔族は逃げ出そうとしたが、その時何かにぶつかった。
何かと思って彼が見上げると豚頭の巨大な魔族が立ち塞がっていた。
その豚頭の魔族の頭部は頭蓋骨が砕けて脳が露出し、口からは血の混じった涎を垂らしていた。そして、その手をまだ無事だった魔族に伸ばした。
「やめろ! やめてくれっ! 誰か助け──」
こうして無事だった魔族も屍食鬼の仲間入りを果たした。
屍食鬼に食われた生者もまた屍食鬼になる。屍食鬼に食われた死体には何の影響もないが、生者が食われると屍食鬼になってしまう。
こうしてローラによる攻撃によって第9軍団は壊滅した。
10万の兵力のうち5万が死体となり、5万が屍食鬼になった。
「さて、さて、南の脅威はなくなったね。生き残った魔族はひとりもいないよ」
「ほ、本当に10万もの軍勢をひとりで……?」
「確かめてくれば? でも、うっかり食べられないようにね」
ローラがそう告げたとき、豚頭の魔族が屍食鬼になったものが現れ、低い呻き声を上げながら、ローラとクリスの方に向かってきた。
「はひっ! な、なんですか! やるんですか! 受けて立ちますよ! 炎で丸焼きにしてやりますからね! 僕は宮廷魔術師なんですからね!」
「落ち着いて。それはボクの眷属だから。食べられるかもってのは冗談」
クリスが身を張ってローラと屍食鬼と化した魔族の間に立つのに、ローラはクリスの耳元で小さくそう囁いた。
「も、もう、それならそうと言ってくださいよ……」
「あ。やっぱり危ないかも」
「ファイアー!」
ローラの言葉にクリスが目を瞑ったまま火球を屍食鬼に叩き込んだ。
屍食鬼はその表面が焼け焦げて爛れたが、行動に支障はないようで、依然としてゆっくりと進んでくる。そのクリスの放った炎によって焼け爛れた屍食鬼の顔を見て、クリスの背中に冷たいものが走るのが感じられた。
「危ないよ。食べられちゃうよ」
「ファイアー! ファイアー! ファイアー!」
ローラが囁くのにクリスが魔術を連打する。
だが、屍食鬼と化した魔族は燃え上がりながらでも前進してくる。
「ぜえ、ぜえ、もう限界……」
「君、弱いね」
火球を10個ぶつけた時点でクリスの魔力が底を尽きた。
「屍食鬼はそんなことじゃ死なないよ。屍食鬼は焼け死なない。屍食鬼は溺れ死なない。屍食鬼は刺殺されない。屍食鬼を殺すには──」
ローラがパチリと指を鳴らす。
「まあ、その眷属の主である吸血鬼に頼むのが一番早い……」
ローラの指の音とともに屍食鬼が糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。
「そんなあ……。それなら最初からそう言ってくださいよ」
「だって、君、面白いもん」
がっくりと肩を落としてクリスが告げるのにローラが平然とそう返した。
「リアクション上手だよね。ボクと一緒にユーチューバーやる?」
「ユーチューバー? どんな酒場かは知りませんが、酒場をやるつもりはないです。僕は誇り高きフリッグニア王国の宮廷魔術師なんですから。一生懸命修行して、一生懸命勉強して、今の地位に就いたんですからね。街の人だって尊敬してくれるんですからね」
「そうだね。よかったね」
ローラは全然話を聞いてないぞ。
「でも、どうして君、それだけしか魔力が発揮できないの? 君の中にはもっと魔力があるのに使ってるのは上澄みだけ。全部使えばそれなりのものになるのに」
「え? 僕って別に魔力の使用量、制限とかしてないですよ」
「ふうん。原因は何かな」
ローラには相手の魔力の量や相手の敵意、相手の急所が見える。
いわゆる、魔眼というもので、普通の魔眼にはあるある種の呪いをかける能力こそない──その代わり魅了の力がある──ものの、見ただけで相手の状態を把握できるのでローラは重宝している。
ローラはその魔眼でクリスを観察する。
魔力の量はとても多い。セラフィーネクラスとはとてもではないが言えないものの、並みの吸血鬼や魔術師たちより、よっぽど魔力を有している。今、魔力切れを起こしたように見えていたが、使った魔力はたっぷりと溜まった魔力の上澄みぐらいだ。
「興味深いね」
「そうですか? もしかして、僕にも隠された力とかが……」
「ホラーゲーム実況とかしたら絶対、君のリアクション芸は面白いと思う」
「…………」
クリスはローラとの会話を断念し始めた。
「まあ、魔族もひとつやっつけたし、帰ろうか。今日は美味しいご飯を食べて、ゲームしてから寝る。ベッドはふかふかの奴にしてね。枕は5つないと寝れないから、それも忘れないで。それから君も一緒に寝てね」
「は、はい。枕と僕ですね。準備します。って、えー!?」
「君、やっぱりリアクション面白いよ」
ローラはクリスを抱えると蝙蝠の羽根を広げて、王都スヴァリンに向けて飛んでいった。後に残るは魔族を見つけ次第攻撃せよと命じられた屍食鬼たち5万体。
この第9軍団の壊滅は魔王軍に衝撃を与えることになる。
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