海図から導き出されるは
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──海図から導き出されるは
セラフィーネによる魔族迎撃の付随的損害は思った以上のものであった。
まずゴーレム部隊の全火力が発揮されたことによって周の建物が酷く損壊。加えてセラフィーネが自信満々に行使した魔術“変換型電磁投射砲”によって大規模な損害が発生。交易品や海産物を保管するための倉庫などが様々な構造物のあった港は更地に近い状態になった。
「こりゃあ、酷い損害だねえ」
部下たちから上げられてきた被害報告を見て、マルグリットはため息をついた。
「必要な損害だ」
当の被害をもたらした張本人は平然とお茶を味わっていた。
セラフィーネの活躍で魔族が撃退されたことは事実であり、誰も文句は言えなかった。セラフィーネがいなければ、昨日という日でノートベルクは終わっていたのだ。それが避けられただけでも、街の住民は喜ぶべきだった。
「で、街の住民は建物の損害以外に文句を言っているのだったな?」
「そ。魔族を大量虐殺したから報復があるってビビってる。そんなことは分かり切ってた話だと思ってたんだけどねー」
住民たちは魔族を撃退したが、その報復に怯え始めていた。
当然、魔族たちは生贄の乙女を迎えに行った部隊が帰還していないことに気づくだろう。セラフィーネは死体をひとまとめにし、圧縮し、適当な場所に放り投げたが、海に漂っていた魔族の血を完全に消すことはできない。
いずれ、魔族は仲間たちが殺されたことに気づく、いや、既に気づいているのかもしれない。そう考えれば報復はあってしかるべきだった。
「参事会は報復に怯えているよ。これからも傭兵としてあなたを雇いたいとまで言っている。けど、あなたはどうするつもりだい?」
「これ以上、守勢には出ない」
だが、セラフィーネはこの都市をこれ以上守ることはしないと告げた。
「つまり、あたしに言ったように“深海のブリッグズ”に挨拶に行くわけだ」
「そうなるな。だが、必要なのはどこにその“深海のブリッグズ”とやらがいるかだ」
マルグリットが澄んだ空を見上げて告げるのに、セラフィーネが顎に手を置いた。
「そうやって考え込んでいるあなたは本当に魔法使いみたいだね」
「戯け。魔女だ。魔術師や魔法使いのようなくだらない連中と一緒にするな。それより高次元に位置するのが魔女だ。そして、私はその魔女の中でも最強を誇る魔女だ」
魔女とは人間から“進化”した高次元的存在だと認識されている。
魔術師や魔法使いは人間でもなれる。だが、魔女には人間ではなれない。
セラフィーネはとあるテログループの犯行で起きた悪魔召喚テロを引き金とする“セイラム市の大虐殺”で魔女になるのに必要な死人の数を満たし、その魂で儀式を行い、自身を人間から魔女へと“進化”させた。
同時に彼女はセイラム市に解き放たれた無数の悪魔たちを食らっていき、“悪魔食い”にもなった。そのためにセラフィーネはほぼ不死身の肉体を有している。彼女はもはや完全に人間ではない。
魔術師も魔法使いもセラフィーネにとっては下等な存在。魔女として最強の存在に至った自分を上回る存在など存在しようか?
存在するかもしれない。
世界最強の人狼。世界最強の吸血鬼。
同じように人間を辞めた、そもそも人間ではない存在ならば、自分を上回るかもしれない。彼らから何か得るものものがあるかもしれない。セラフィーネはそういう気持ちからアベルたちに接触したのだった。
それからどうなったのかはいずれ記そう。
問題は魔族の報復だ。
魔族は間違いなく報復する。だが、セラフィーネは都市を守らないという。
「ねえ、都市を守ってくれたら巨万の富を──」
「富には興味はない。富など必要最小限あればいいだけだ。それにこの世界の貨幣は私の世界ではその価値を有さない。オリハルコンは確かに使える素材だが、巨万の富というより、重工業メーカーの在庫品だ」
マルグリットが告げるのにセラフィーネが遮った。
この女、金には興味がない振りをしているが相当の守銭奴である。
何せ、趣味が多い。自作武器作成のための会社経営、魔術実験用の広大な無人地帯、そして違法市街地レースに出場するためのスポーツカー作り。そして、何より自分の主戦力となるゴーレムの大量生産のための素材費用。
セラフィーネは傭兵をして稼いでいるが、それでも贅沢な暮らしとはいかない。
人間核爆弾として恐れられるふたりの傭兵──アベルとセラフィーネを雇う金は安いものではないが、それでもなお金はあるに越したことはないのだ。
つまり、セラフィーネは異世界の富に興味津々だぞ。
「あのオリハルコンの硬貨以外にどのようなものがある?」
「絵画とか、宝石とか、金貨とか」
セラフィーネは考える。
絵画は金にならないだろう。だが、宝石は種類によっては大金になる。金貨ももちろん価値になること間違いなしの代物だ。
「絵画はいい。宝石と金貨を見せろ」
「あいあい」
そして帰りの道も装甲車で駆け抜けた──と言いたいところだが、魔王軍の攻撃が撃退されたということもあって、海岸線に戻る住民が多く、セラフィーネにとっては非常に退屈なスローテンポのドライブとなった。
「ここが城の宝物庫。気になるものあがったら言って」
マルグリットが案内した宝物庫は金で満ち溢れていた。
黄金、黄金。これ以上にないほどの黄金。
これが全て本物ならば、相当な額になる。セラフィーネは素材を一斉にスキャンしながら、ここから得られる富ついて計算をし始めた。
全て純度95%以上の金。そういう診断結果が返ってくる。
残りは宝石だ。この世界ではガラス玉が宝石と言われたりなどすれば、存外沸点の低いセラフィーネがキレないとも限らない。
「組成はサファイア、ルビー、エメラルド、ガーネットとアメジスト、と」
宝石の組成がきちんと正真正銘の宝石であること確認すると、セラフィーネはガーネットとアメジストを取り出した。
「どうもこの宝石は好きになれんな」
誰かの瞳の色を思い出すのか、セラフィーネは宝石を宝石箱に戻した。
「で、納得していただけました?」
「ああ。あそこにあるもの全てを寄越すのならばな」
「それはーそのー」
「渡せないのだろう。分かっている。だが、仕事をこなしたら確実に報酬はいただくぞ。私はただ働きほど嫌なものもない」
視線を泳がせるマルグリットにセラフィーネはそう告げた。
「だが、それでも都市の防衛には固執しない。もっとこちらから仕掛ける。それは間接的には都市を守ることにもつながることだろう」
「ほうほう。というと、どんな作戦?」
セラフィーネが告げるのにマルグリットが尋ねる。
「だからだ。“深海のブリッグズ”に挨拶に行く。まずはその場所を探らねばならん」
海は広大だ。
敵がクラーケンという怪物ならば海を縦横無尽に行き来しているかもしれない。それを捕捉することがセラフィーネたちの第一の仕事だ。
「だけど、あたしらは誰も“深海のブリッグズ”の居場所なんて知らないよ」
「知っている人間に聞けばいい。正確には知っている魔族か」
マルグリットが告げるのにセラフィーネがそう返す。
「地図はあるか? 海図もあるといいが」
「どっちもあるよ。うちの国はこう見えて昔は交易国家だったんだからね」
セラフィーネが尋ねるのに、マルグリットが執事を呼んで、海図と地図を持ってこさせる。セラフィーネはそれをマルグリットの執務室の机の上に広げた。
「魔族には地上で生きるものもいる。そして、迅速な地上戦力の輸送には船が必要になってくる。航空機による空輸は船による海上輸送より迅速だが、制限がいろいろと多い。兵站などを魔族が考えているならば、海上輸送を選ぶだろう」
そう告げてセラフィーネは地図をじっくりと観察する。
兵力は現代においても船舶によって輸送されることが多い。海を進むというのは地上を進むよりも大規模かつ迅速に兵力を戦場に向けて展開できるからだ。航空機が登場し、空中機動戦力が生まれた後も、その航空機にまつわる様々な制約から、軍隊の輸送の基本は海上輸送に頼っている。
魔王軍も軍隊である以上は兵力を移送せねばならず、彼らも陸地を歩いて進むよりも、船によって進む方が早いということを理解しているだろう。
「敵は現在、東に向けて進んでいる。北部方面からも東に進んでいるとすれば、港湾施設の残っている場所を押さえながら前進しているだろう。すると、連中の海上輸送網も自然とどういうルートを辿っているか理解できる」
そう告げてセラフィーネは海図を指でなぞる。
「この付近の海に詳しい連中を集めろ。潮の流れなどで海路も変わってくる。地上のように直線を描くわけにはいかん。海の街道というものを知っておく必要がある」
「あいあい。けど、ちいっとばかりお上品さに欠ける人間だよ。それでもいいかい?」
「構わん。私も傭兵などを経験して力ばかり誇示したがるマチズモ的連中には慣れている。連中が力を誇示するならば、こちらも同じことをするだけの話だ」
マルグリットの言葉からセラフィーネは相手に概ねの想像は付けた。
海というのはある意味では男の世界だ。長らく海を旅するのは男たちばかりであった。というのも、船という閉鎖的空間では男女の生理的問題が大きな問題になるからだ。規律の乱れから嫉妬からの殺人事件に至るまで、男女を狭く、不便で、娯楽もない空間に閉じ込めておくと問題というものが生じる。
今でこそ現代技術のおかげで男女の生理的問題の解決と娯楽の提供が成されているが、帆船時代の海はまさに男たちの海だった。
そんな男たちの世界はまさにマチズモの世界だ。男らしさが階級を決める。そこに女性が入る余地などない。筋肉を見せびらかし、戦いで負った傷を誇示し、入れ墨で体を染める。そういう男らしい男たちの社会である。
「なら、呼ぼうか。連中が如何に無法者でもこの危機的状態で盟主の呼び出しを無視することは……ないと思うかな」
「なんとしても呼び出せ。必要があるならばゴーレムを同行させる」
「なんとかします」
マルグリットはそう告げて執事に数名の人物を呼び出すように命じたのだった。
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マルグリットの城に呼び出されたのは3名の男たちだった。
どの男たちもそれが当然であるかのように入れ墨を入れ、筋肉を見せびらかせる露出度の高く、粗野な衣服に身を包み、髭や髪の毛でライオンの鬣のように自分が雄であることを見せつけている。絵にかいたような男らしい男たちだ。
「あー。紹介するね。こっちはシルバー・ハインド号の船長でシュテルテベカー商会の会長スヴェン・シュテルテベカー氏」
マルグリットが紹介するのに、むさ苦しい髭面の男がセラフィーネを睨んだ。
「で、こっちはアドヴェンチャー号の船長でゴギテンス交易の会長グスタフ・ゴデキンス氏。で、そっちはゼーアドラー号の船長でルックナー伯爵家のルートヴィヒ・フォン・ルックナー氏。以上、ここら辺の海に詳しい人たちです」
マルグリットは後はお任せと言うようにセラフィーネの背後に隠れた。
「真っ当な交易会社をやっているようには見えないが、実際は何をしている?」
マルグリットが目を見開ている中、セラフィーネは平然とそう尋ねる。
「何をどう見て、真っ当な商売をしていないと思われたのかな?」
「貴様らからは血の臭いがする。染み付いたものだ。それにその装いで堅気の人間ですなどと抜かすつもりはあるまい?」
ルートヴィヒが尋ねるのにセラフィーネはそう返した。
「もっともなご指摘だが、俺らはちゃんとしたビジネスマンだ。この北部海域で活動する商船の安全を確保するという仕事を負っている。今は魔族の侵入でごたごたしてるが、それは変わってねえんだよ」
「ほう。それは警備料を収めなければ自分たちが襲撃するという意味にも聞こえるが」
「ああん? 俺たちのやり方に文句でもあんのか?」
セラフィーネが平然と尋ねるのにスヴェンがセラフィーネにどしどしと迫ってきた。
「舐めてんじゃねーぞ、こらあ!」
「舐めているのは貴様だ、戯け」
スヴェンが殴りかかろうとするのに、セラフィーネが立ち上がり、その拳を掴むとそのままその拳を引き寄せ、片手で頭を握り、顎に膝を叩き込んだ。
あまりに一瞬の出来事にどの人物も固まっている。
「間抜けは必要ない。必要なのは仕事ができる人間だ」
セラフィーネは崩れ落ちたスヴェンを前にそう告げる。
「仕事の内容にもよるな」
「それは実にシンプルだ。貴様らの得意とすることとすら言ってもいい」
グスタフが慎重に尋ねるのに、セラフィーネがそう告げた。
「つまりは魔族に対する海賊行為、だ」
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本日何度か更新します。




