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モラトリアム座

作者: 鹿井良生
掲載日:2019/06/22

「あー、天秤座最下位だ」


彼女が洗い物の手を止めて残念そうな声をあげる。

僕には声、としか認識していない。


「対人関係でトラブルがあるかも、だって。対人関係…別にトラブルあってもいいけどな」


あぁ、と呟いて僕は席を立つ。

仕事に行くにはまだ早いけど出かける準備をする。


「あれ?今日早いね」


その言葉にもただ頷くだけ。

僕は何も言わずに家を出た。


彼女と一緒に暮らして2年。

お互いに結婚を意識している、と彼女は思ってるんだろう。

実際のところ、僕にはそんな気持ちはない。少なくとも今のところは。


同棲を始めたのは些細なきっかけだった。

僕の家の更新が切れるから、たまたまその時付き合っていた彼女と一緒に暮らせる部屋を借りた。

家賃、生活費は折半しているからそうしたほうが金銭的には楽だった。

ただ、それだけだった。


彼女は結婚という言葉を出さない。

僕から重いと思われるのを避けているんだろう。

でも空気でわかる。

友達が結婚した、子供を産んだ、そういう話を明らかに避けている。

あまりにもあからさますぎる。結婚の話題を出すと離れていくとか、どうせネットの記事で見たんだろう。


僕はというと、よくわからない。

結婚するならしてもいい。というか何も変わらない気がする。

でも面倒が勝る。

親に挨拶とか、式だの披露宴だのお金もかかるしとにかく面倒でしかない。

彼女のことも好きとかそういうのはよくわからない。

2年も毎日一緒にいればそうなる。空気でしかなくなる。


一緒にいて嫌じゃないから結婚してもいい。

一緒にいても特段楽しくないから結婚しなくていい。

結局のところ、どっちでもいい。


「ねえ、久しぶりに外食しない?今度の土曜日とか」

夕食を二人で食べていると、彼女が唐突に切り出した。


「なんで?」

今さら何言ってるんだろう。

毎日二人でご飯を食べているのにわざわざ外食なんてお金と時間の無駄でしかない。

恋人気分にでも浸りたいんだろうか。

そんなことする必要ないのに。


「え…特に理由はないけど…」

彼女がバツの悪そうな表情をする。


「毎日一緒にご飯食べるし別に外で食べなくてもいいんじゃない?」


話はそれで終了。


僕が冷たいのか。

でも彼女はそれでも笑っている。

この生活に満足してなきゃ笑えるわけもない。不満は特にないんだろう。

お互いに気を遣わずにいられる生活。この生活がずっと続いていくならそれでいい。

僕だって彼女のことはもちろん大事に思っている。だからこうして一緒に暮らしている。

波風の立たない、なんでもない暮らし。そこには恋の焦がれも苦しみも必要ない。

そういう毎日が続いていくのが一番なんだ。



ーそう思っていたのは僕だけだった。



翌日、僕が帰宅すると彼女はいなかった。

警察沙汰になるかと一瞬体が強張ったけれどすぐに状況は理解できた。


「なにこれ、今どき置き手紙なんて」


テーブルの上には彼女が書いた手紙が置かれている。

僕は思わず独り言を呟き、手紙を読んだ。


「本当はちゃんと話すべきなのにこんな形でごめんなさい。今までありがとう。」


何が言いたいのか全然わからない。

この文章から行間を読み取れっていうんだろうか。

言いたいことがあるならはっきり言ったらいいのに。


僕はため息をついて冷蔵庫から昨日のおかずの残りを取り出す。

今から外に出るのは面倒だから、とりあえず今日のところはこれでいい。

レンジで温めて一人でご飯を食べる。


しかし、思い切ったことをするもんだ。

こんなことをしたって経済的にも不利になるだけなのに。

明日からの生活はどうするつもりなのか。

今までありがとう、なんて言うくらいなんだからもうここには帰ってこないんだろう。

僕と彼女は同じ理由で同棲をしていると思っていたけど違ったんだろうな。

波風立てずになんとなく続いていく生活を望んでいたのは僕だけだったのかもしれない。

終わりはこんなに呆気なくやってくるものだというのを初めて知った。

まぁでも仕方ない。彼女がこの生活から逃げたいというのなら僕には止める権利なんてない。


スマホに手をのばして画面を眺める。

二人で話し込むことも最近はほとんどなかったのに一人の部屋がやたらと静かに感じる。


そういえば、二人で外食したいなんて言ってたな。

昔はよく二人で外食していた。

僕と彼女はもともと仕事の同期だったから、付き合い始めのころは職場の知り合いの目を避けて少し遠いところまでデートに行ったりご飯を食べに行ったりしていたんだった。

彼女が転職してからは、人目もあまり気にしなくなったからお互いの家を行き来したりして、


そうだ、楽しかった。


職場で彼女の姿を見かけた時の心踊る気持ち、初めて二人でご飯を食べに行った時の緊張、今もはっきりと覚えている。

いや、今はっきりと思い出した。


一緒に暮らすようになってからも彼女はずっと変わらなかった。

さりげない優しさも穏やかな笑顔も付き合った頃から何も変わっていない。

僕が彼女を好きになった時から、と言ったほうが正しいか。


彼女を止める権利は僕にはない。

でも、このままでいいのか?

彼女がこのまま去ってしまっていいのか?


よくないだろうよ



そこからはよく覚えてない。

僕は弾かれるように家を飛び出し、駅までの道を走っていく。

彼女の行くあてはわからない。

でも仕事が終わってから帰宅し、そこから用意をして家を出ていくとしたらまだそんなに遠くには行っていないはずだ。

電車に乗ってしまう前に、なんとか会いたい。

その思いだけで僕は走る。


家から駅は歩いて30分、走って行くなんてもう若くない僕にとっては相当きつい。

それでもなぜか疲れは感じない。

彼女の表情、声、二人で出かけた場所、そして肌。

僕が知っている彼女がハイライトのように頭の中を駆け巡っている。

このままじゃだめだ、とにかく一度話をしたい。


今初めて思い至った。

僕は彼女に甘えきっていた。

彼女の優しさを僕への好意と信じて疑わなかった。

彼女の好意を僕が受け止めてあげているとすら思っていた。

そんなの、あまりにも勝手な思い込みだった。


駅の明かりが見えて、僕は息を切らしながら周りを見回す。


見覚えのある服。


「ちょ…ちょっと…まって…」

息が切れすぎて言葉が絶え絶えになる。


彼女が驚いたように僕を見た。


「…なんで?」


どう答えればいいのかわからない。

ごめん、もやり直そう、も何か違うような気がして僕は言葉を探した。


「…占いに」


「え?」

彼女はふいをつかれたように聞き返す。


「諦めが肝心ってあって、でも…そんなのに僕の行動を決められてたまるかって」


「あまのじゃくだよね」

彼女は笑った。


この笑顔が好きなんだ、と言いたかったけどそれは結婚式までとっておこうと思う。

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― 新着の感想 ―
[一言] いいお話でした。良くまとまっていました。
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