6.下顎第一大臼歯
大学教授となり何年の月日が経っただろうか。頭は白髪に覆われ、老眼鏡も手放せなくなった今日、私は歯科クリニックにいた。
昨日、酒の肴にカタクチイワシの煮干しを噛み締めていたら、目玉か何かの固い部分に当たってしまったのか、歯が欠けたのである。ピキという嫌な振動が歯から頭蓋を伝った。歯に舌を当ててみると、今まであった一部分が確かに無くなっていた。焦った私はすぐに歯医者を予約して、現在に至っている。
待合室で渡された問診票には「歯が痛む」「虫歯を治したい」「歯茎が腫れている」「入れ歯を作りたい」などの項目があるが「歯が欠けた」は無かった。特に痛みがある訳でもなく、虫歯だったということも無い。いや、もしかしたら自覚症状が無いまま虫歯になっていたという可能性も無いではないが、「虫歯を治したい」にチェックを入れたとして、いざ治療に入った際に「これは虫歯じゃないですねえ」と言われるのも癪だ。当方、いやしくも学者である。裏付けのある正しさをもって研究に当たる職業だ。推測で何かを答えるのは本意ではない。
やむなく「その他」の欄にチェックを入れ「歯が欠けた」と記すが、そこまで書いて不安になった。果たして、虫歯でもない健康な歯が煮干しごときで欠けるものだろうか。こんな問診票を出したとして、「余計な見栄張ってんじゃねえよ、虫歯だろ、虫歯」などと歯科医師に思われはしないだろうか。別に見栄を張っている訳ではない。ただ正しくあろうとしているだけなのだ。学者としてのその姿勢を見栄と誤解されるのは心外だ。念のため「歯が欠けた(見栄ではない)」と記した。
次の質問には「どこが痛みますか」とあった。どこがも何も、痛んでいないのだから答えようがない。やむなく次に進むと、今度は「どのように痛みますか」とある。これも答えようがない。さらに進むと「いつから痛みますか」とあった。
不安になる。痛みが無ければ来てはいけないシステムなのだろうか。
思わず「腰」と書いてしまいそうになる。試験中、分からなくても何か書かなければという学生諸君の気持ちが今なら理解できる気がした。
結局、問診票には「歯が欠けた(見栄ではない)」という文言のみが記入されたが、受付の職員は特に何も言わずにそれを受け取り、「先生、お願いします」と奥の歯科医師に告げていた。
その後、数十分が経ち、治療室へと通された。席に着くまでに何人かの女性歯科衛生士や患者の横を通ったが、その度に私は誤解を生まぬよう胸を張って歩いた。私は歯が欠けただけなのである。毎日歯も磨いているし、入れ歯の必要も無い。少なくとも虫歯の自覚症状は無く、歯茎からの出血だって無い。口腔内は清潔である。歯が欠けただけなのだ。痛みは無い。そこのところ誤解しないように。これは客観的な事実であり、見栄ではない。
治療用の座席に寝かされた私は、幼児のような前掛けを着けられ、医師が来るのを待っていた。
すぐに医師は到着し、「どこの歯が欠けちゃったんですかねえ」と聞いてきた。
「右の、下顎第一大臼歯」
正確に私は答えた。昨日きちんと調べたのだ。専門職の人間に通用するようにと、歯の位置の正式名称を暗記してきた。学者たるもの、知の原泉が渇くことは無い。常に好奇心と裏付けにより自尊心が育まれるのである。
「ああ、奥から三番目ね」
医師は言った。とてもつまらなそうに言った。私が留意した正確性になど何の興味も無いであろう様子で、無思慮・無感動の限りを尽くし「奥から三番目ね」と。こやつは仕事を何だと思っているのだ。
こちらが誠心誠意、言葉の限りを尽くしているのだ。そちらもそれに応えるのが仁義というものだろう。何でも要約すれば良いというものではない。それは言葉への冒涜である。殺人を犯した者が密室トリックで皆を欺く中、ただ一人探偵がそれを見破り第二の犠牲者が出る前に犯人を突き止めるミステリードラマを見たとして、こいつは「なんか人殺したけど捕まっちゃったみたいっすよ、へへっ」とでもまとめるのか。お前はそれで良いのか。それは生きていると言えるのか。
抗議の言葉が浮かんできたが「はい、口開けてね」という医師の言葉と共に私は強制的な開口に追い込まれ、喋ることがかなわない。
歯茎に麻酔の注射を打たれた。だんだん唇がビリビリと痺れ出し、口の右下全体の感覚があやふやになっていった。
麻酔が効いた頃合いを見計らって、医師が「キュイーン」という機械音を放つドリルを起動させた。そして一方では、「シュコー」という吸引音を放つチューブ状の機械も動いていた。前者は歯を削るもので、後者は口の中に溜まった水を吸い取るものだろう。無論、昨日調べた正確な知識だ。
医師は二つの機械を私の口に近付けてきた。二種類の不協和音が耳に障るが、この喧騒こそ日常の中に潜む非日常の顕在化なのかもしれないと思えば、果たしてこれは文化の極限であろう。
だが、そんな私の機知に富んだデリケートな心の内など全く意に介さず、医師は二つの機械を口に突っ込んできた。右奥の歯に「キュイーン」が当たる。その刹那、「ガガガガ」と頭が揺れる。予想以上に歯を削る振動というのは大きい。頭が振られたせいで狙いがずれたのか、口の中にあった「シュコー」が私の唇を吸い、「キュポッ」という音を立てた。
不意の「キュポッ」は、何だかとんでもない辱めを受けたような心持ちである。私はただ口を開けているだけで何もしていない。なのに何故こんなにも恥辱が湧いてくるのだろうか。
思えば日常で、誰かに「キュポッ」とされることはまず無い。満員電車で「キュポッ」となったり、曲がり角でぶつかって「キュポッ」となったり、落ちた消しゴムを拾おうとして隣の女人と手が触れ合った瞬間に「キュポッ」となった事例を私は知らない。この「キュポッ」という概念は非日常の限りを尽くしている。なるほど、だからこんなにも「キュポッ」は恥ずかしいのである。然らば文化の極みでもある。
果たして口の中は「キュイーン」かつ「ガガガガ」並びに「シュコー」あまつさえ「キュポッ」という状態になった。
私の人権は守られているのか。
「はい、横向いて」
医師はそう言うや否や、私の顎をつまみ、力任せにひねった。右にやや回転した私の口で、さらに機械の振動が続く。すると、チューブで吸い取り切れなかった唾液がだんだんと垂れ落ちてきた。何とか口から零れ落ちないようにと頬の筋肉を調整しようと試みるが、麻酔が効いているせいで上手くいかない。その間にも医師は治療を進め、当然ながら私の口元から頬にかけては唾液にまみれベタベタである。もう一度言う。ここに人権はあるか。
ドリルでの研磨を終えると、医師は極めて乱暴に、タオルで私の口元を拭った。またしても力に任せたやり方だったために抗議の声を上げようとしたところ、狙いすましたかのように医師の手指が私の口を襲う。強制的に口を開けられ、今度は削った歯に詰め物を入れられていく。問答無用の理不尽な暴力といい、口内への強引な挿入といい、これはもはや強姦である。
やっとの思いで治療を終えた頃には、私は憔悴しきっていた。抗議の怒りは胸の奥でくすぶり、脳を支配しているのはただただ早く帰りたいという自己保存の欲求――身体における安全の確保である。
治療室を後にして、待合室へ戻り、金を払う。これでもう終わりである。伝票を受け取った私は外に出ようとドアに手を掛けた。その時――
「見栄ではない……フフッ」
後ろから微かに聞こえた受付嬢たちの声。そう、それは確かに嘲笑であった。
私は泣きながら、早足で建物を後にした。
道中、いくら唇を噛んでも、麻酔は私に痛みを許さなかった。